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しおりを挟むクラウディー伯爵家の領地には二つの大きな館がある。そのうちの一つはクラウディー伯爵が済む本邸で、仲睦まじい伯爵夫妻が二人だけで暮らしている。
もう一つは、伯爵家一人娘のリディアお嬢様とその夫であるロイ様が暮らす別邸だ。
……本邸の長年、夫婦が生活してきたゆえの緩やかさや洗練されたおもてなしなんかはありませんけれど、いつもリディアお嬢様の提案であちこち改装や模様替えが行われているんです。
そして今日も今日とてそのリディアお嬢様の思い付きで、屋敷のカーテンをすべて変更するらしく、新人のリタは言われた通りにカーテンの柄のサンプルを用意していた。
屋敷の中で一番大きな応接間を開けて、テーブルの上に綺麗な布を折りたたんで並べていく、貴族様に見せても顔をしかめられないようにきちんと角を整えた。
「リタ、それが終わったらキャビネットの上を綺麗に整えてくれる? 私は、お茶の準備が進んでいるか見てくるから」
「はーい!」
リタは教育係の言葉に元気に返事をして、今度は言われた通りにキャビネットの上にあるアンティークのほこりを落としていく。
他にも数人この部屋の準備に駆り出されている侍女はいるけれど、みんな忙しくしていた。
「ふーっ、このぐらいでいいかしら? リディアお嬢様のご予定は?」
「もう三十分ほどでいらっしゃる予定だったと思うけれど……」
窓を拭き上げていた人がそんな風に聞いて、別の侍女が首をかしげながら答えた。
他の屋敷に勤めていた時には、主の気まぐれの命令でここまで徹底した掃除をするときには大抵、主の悪口三昧になってしまう事が多い。
しかし、彼女たちはそんな様子もなく、リディアお嬢様がやってくるぎりぎりまで仕事に励む。何故かというとリディアお嬢様が細部の仕事にまでよく気がついてくれる人だからだ。
そして逆に気になるとじっとそこを見て、気にしていることが明らかにわかるので誰が掃除した場所が汚れていたのか使用人全体に知れ渡ってしまう。
そんなことになっては使用人の名折れだ。だからこそ完璧にするために競うように手を尽くしていた。
リタもあの派手な美人であるリディアお嬢様のお眼鏡にかなうようにがんばってキャビネットのアンティークを磨く。するとしばらくして、おもむろに扉が開き、中へと入ってきたのはロイ様だった。
「お疲れ様です。皆さん、急に普段使っていない応接室の清掃を頼んでしまって申し訳ありません。そろそろ利用する時間になりますのでこのあたり片付けて後は休憩を取ってください」
様子を見つつ、貴族にあるまじき低姿勢でロイ様はそう口にして、侍女たちが掃除用具を持って集まるのを待っていた。
各々、はたきやほうき、雑巾などを持って彼の前に行くと、一人一人に丁寧に包まれた心付けを渡していく。
これも、この屋敷で誰もイレギュラーな仕事に対して文句を言わない理由かもしれない。細かな仕事に気がついてくれるしそれに見合った報酬も直後に出る。
これをもって村へと向かえばいつもより豪華な昼食をとれるだろう。
「……リタさん、屋敷の仕事には慣れましたか? 貴方はいつも一生懸命だとリディアお嬢様も褒めていました、これからもがんばってくださいね」
「っ、……っは、ふゃい!」
自分の番になって布の切れ端で作られた簡易的な心付け袋を受け取ると、唐突にロイ様に声をかけられてリタは飛び上がりながら返事をした。
彼はとても平民にも優しい貴族だと聞いているけれど、それでもこんなに丁寧に自分のこと名指しで呼ばれるとは思っていなかったので、心臓が飛び出そうだった。
リタの反応にくすくすと先輩たちが笑っている声がして顔が熱くなる。
そこに教育係の先輩が戻って来て、ロイ様にお茶の準備が整っていることを報告して同じように袋をもらっていた。
バクバクする心臓を抑えつつ、先輩たちに続いて掃除道具を持って部屋を出る。手に握ったままの心付け袋は、これも他の屋敷では無いものだ。
この袋は、この屋敷で余った布で作られている特製品で、その袋を作る仕事は屋敷の中でも子供が沢山いたり、病人がいたりして普通の家庭よりもお金がかかる人たちの専用の内職だ。
もちろんその案を出したのも、実施しているのもリディアお嬢様だ。
彼女はとてもユニークな人で貴族の中でも、変わっている方らしい。
たしかに、入りたての新人の顔と名前を憶えて褒めてくれるような貴族はなかなかいない。それに……。
振り向いて、確認を終えて応接室から出てくるロイ様の姿を見た。
リディアお嬢様がとても突飛だからこそ見落とされがちだが、その彼女に付き従って使用人を統括しているロイ様はリディアお嬢様を主としている使用人のようだった。
側近だと自称しているし、給仕もするし、ヘアセットもできる。リディアお嬢様の専属の使用はたまに仕事がないとぼやいているぐらいだ。
それだけ、ロイ様はリディアお嬢様のそばにいて常にニコニコしながら世話を焼いている。そんな彼の事を新しい使用人ばかりのこの屋敷では、昔から知っている人はいないらしく割と謎深い人物なのだ。
そしてそんな二人は夫婦であり、愛し合っている恋愛結婚らしい、しかし本当にそうなのかリタは正直、いろんな面から疑問なのであった。
しかし、考えたってわからないのでリタは頭を空っぽにして、半休になった午後をどのように過ごそうかと考えながら、昼食をとった。
けれどもしばらくしてなくし物に気がついた。それは大切なピンでいつもは胸元につけているのに無くなってしまっていた。
急いで探しても見つからず、商人が帰ったという話を聞いてこっそりと応接室へと向かった。
しかし、リディアお嬢様とロイ様はまだ中にいる様子だったので、リタは必死に頭を回転させて、屋敷の外へと出て窓の外からこっそりとピンが落ちていないかを探すためだけに応接室の中をのぞいた。
「あ……リディアお嬢様、ロイ様」
やっぱり彼らは中にいて何やら真剣に話をしている様子だった。
しかし、こちらには気がついていない、聞いてはいけない話かもしれないので聞こえなくてよかったと思う反面、彼らが二人きりの時にはどんな接し方をしているのだろうと少しだけ気になった。
……いやいや、駄目だよ……私はピンを探しに来たんですから。
そう考えなおして、キャビネットの部分の床をじっと見つめてそれから机への方へと視線をもどしていく。
落としたとしたらあのあたりだ、目をよく凝らして探しているとキラリと光るものが見えた。
……あ、あった!
嬉しくなって笑みを浮かべ、二人はいつこの部屋を出るのだろうかと考えながらも視線を移す。
すると二人の主と従者という距離感を飛び越えてぐんと距離が縮まっていた。
それどころか距離がない、そばに立っていたロイ様がリディアお嬢様に引き寄せられるような形になって、深く唇を重ねていた。
……!!!!
驚きすぎてその場を飛びのきそうになったが、そんな俊敏に動いたらバレてしまう。そうなったら二人の秘めたる逢瀬を見てしまった罪で裁かれるかもしれない。
それだけは勘弁してほしくてリタはゆっくりとかがんで頭を下げていく。
リディアお嬢様とロイ様の逢瀬はほんの一瞬で終わった様子で、リディアお嬢様はいつものようにペラペラと得意げに話をしていた。
しかしロイ様は顔を赤くしているのが見えて、ふと彼がリディアお嬢様から視線を外した瞬間に窓の外にいるリタとばっちり目が合った。
……っ!!!!
これはもう人生が終わったかもしれないと、リタが考えるのと同時に彼は笑みを浮かべて、リディアお嬢様にばれないように困った顔で人差し指を立てて唇に当てた。
彼の気遣いに頷いてゆっくりとリタは窓の外へとフェードアウトしていく。
難は逃れることが出来た。しかし、はぁっとため息を漏らす。
ロイ様のあの表情、アレはたしかに恋する人の顔だった。
キスがうれしくてしょうがない人の顔だ。
……やっぱり、ちゃんと夫婦なんですね……。
そんな当たり前の感想が思い浮かんで、甘酸っぱい気持ちになりながらもリタはこのリディアお嬢様とロイ様の別邸で働きつづけるのだった。
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