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うるさい恋人
しおりを挟む「陽ちゃーん!!陽ちゃーん!!朝だよ!あさっ!早く起きて!こっち見て!」
朝から「スヌーズ」という単語すら知らなそうな、無駄にデカい目覚ましが横で喚いて目が覚めた。最悪の目覚めだ。
「⋯⋯の~~も~~」
「起きたぁ!!」
「クッッッソほど五月蝿い⋯⋯」
時計を見ると、いつもより10分も早く起こされている。そのくせ、俺が目を開けた瞬間ぱぁっと顔を明るくした野茂の姿を見てイラついた。まだ、全然眠かったので、再度布団を被って寝る。
「もう!陽ちゃーん、起きて!寝ないで!陽ちゃ⋯⋯あ、起きないんなら、俺キスしちゃうからね!言ったよ!陽ちゃんの唇を食べちゃうからね!」
無遠慮に体を揺さぶられて、イライラが募る。
「⋯⋯クソだる。朝からキモすぎんだろ⋯⋯帰れよ、自分の家に⋯⋯」
寝たい。瞼が重い。こっちはあと5分でも寝たいんだが、コイツが邪魔すぎる⋯⋯。
「⋯⋯?ないよ?」
あまりにもあっさりとした返答に、耳を疑った。
「は?」
「もう、契約解除しちゃった♡」
「⋯⋯は???」
「一緒に住もうね♡」
その突然の発表に、布団ごと飛び起きる。すると、野茂は満足気な表情で抱きついてきた。抵抗するのも面倒で、それを許していると、調子に乗って、顔周りとか首筋にキスを落としてくる⋯⋯お前、歯ァ磨いたんだろうな⋯⋯肌の上で雑菌が繁殖していくような気持ち悪さを覚える。
「⋯⋯で?契約解除したって何?」
「ん?」
顔を押しのけると、顔に押し付けた手のひらを舐められた。
「っはァ?!は?お前⋯⋯はァ?!キモ!」
手のひらに感じた生暖かい肉の感触に、語彙力が消し飛び、背中に壁が密着するくらい後ずさった。しかし、奴はドン引きする俺に構うことなく、今度は手に口付けを始める。何?何なの?つか、コイツよく飽きないな⋯⋯
「えへへ~こんなふうに、陽ちゃんと一緒にいたくて~、賃貸の更新停止?しちゃった~」
「⋯⋯いや、ガチで行動が奇怪すぎて変質者だし、キモい」
ほんとに背筋が泡立ったし、こいつは「嘘だぁ」という顔をして、ニヤついている。言ってないだけで、絶対そうだ。じゃないと、そんな腹立つ顔にならない。
「仕事は?どうすんだよ」
こいつはこんなんでも割に整った顔をしており、高校生の時にスカウトされて、現在は俳優をやっている。色素の薄い双眸と、ブロンドに近いふわふわした髪、あと背丈が高いのも人気だ。⋯⋯ 俺より大分ある。190あるっけ?あと演技力。
今をときめく俳優。よく考えたらなんでこんな平凡な俺と付き合っているのかわからない。幼少期からの付き合いでいつも一緒にいるのが普通だったから、あんまり考えたこともなかった。世間で言うところの素晴らしい男が、俺の腰に抱きついて、愛おしそうに薄い腹を撫でている。⋯⋯それを見て、何とも残念な気持ちになった。どんだけ見目がよくても、頭がこれじゃあな⋯⋯花どころか蛆でも湧いてそうだ。
こいつは普段テレビを見ない俺でさえ、しばしば名前を聞く程度に売れっ子俳優なはずだし、今日だってこれから仕事だろう。というか、仕事であれ。思いを込めながら睨むと、こいつは何を受信したのか、楽しげに笑った。
「陽ちゃん心配してくれてるの?優しい♡可愛い♡でも、大丈夫!ちょっと遠くなっただけで、仕事はどこからでも出来るし、俺には癒しの方が必要だから。」
そうじゃねーし、そんなんでいいのか、と思うほどの高尚なプロ意識だ。絶対お前の周りはもっとちゃんとしてるだろ、少なくとも朝っぱらから人の腹を撫でて「はぁ⋯⋯♡」と恍惚のため息なんて漏らさない。⋯⋯冷静になったらコイツキモすぎるな。今からでも、別れようかな。
「⋯⋯で?今日は何時から?」
「ん~?えっとねぇ、今日は遅めで始まりが10:00からだから9:00に出たら間に合う」
「はぁ?!お前9:00まであと10分切ってるじゃねぇか!こんなことしてねぇで急げよ!馬鹿!」
ベタベタと引っ付く、粘着質な男を腰から引き剥がす。
「えぇ?マネージャーさんが、ここまで迎えに来てくれるって言ってたし、今回の現場はそう遠くないし、間に合うと思うけど⋯⋯」
こいつ⋯⋯杜撰な計画を宣うな。ちゃんと余裕を持って間に合ってから言え⋯⋯ってか俺の家にこいつのマネージャーにバレてんだ。気まずいし引っ越そうかな。
「はよ行け」
お前が出ていったら、俺はその間に新しい物件探して引っ越しとくから。そう思いながら、力を込めても、まるでびくともしない。
「⋯⋯もうちょっとだけ、吸わせて?」
代わりに、媚びるような上目遣いをされる。俺はクソでかいため息を吐いた。
「俺も締切があんの!朝の準備もしてぇし⋯⋯お前も急いでんだろ!」
離れる気配のない野茂を、ゲシゲシと足で蹴りつけているところでインターホンが鳴った。
「ほら!誰か来たぞ!マネージャーさんだろ?!」
「い~や~だ~!離れたくない~!」
感情の赴くままに大声で喚く様子は、まるででかい赤子のようだ。とても成人しているとは思えない。
「うるっせぇ!マネージャーさん来たら行くって言ってたろ?!つべこべ言わずに離れろ!」
まだ俺の腰に縋り付く恋人を引きずったまま、寝室を出た。コイツ⋯⋯ドアに挟まっても、物にぶつかっても離れねぇ⋯⋯!ヤバ、頭おかしいだろ。
190cmの大男を引きずりながら、部屋を歩くのは些か骨が折れる。苛立ちが募って、吐き捨てるように言った。
「あー、もういいや。俺がマネージャーさんに会うわ。お前待ってたら埒あかねぇし⋯⋯」
「ダメ!それはダメ!マネージャーさんが陽ちゃんに惚れちゃう!」
ぷんすこ、という擬音が付きそうなぐらいウザったい表情で怒るこいつの顔を、地面にめり込ませたい。だが、顔は商売道具だし、第一俺にそんな力があったら、とっくにやってる。
「じゃあ離れろ、脳内お花畑野郎」
だから、本当に玄関に行くように、脅しをかけてみるぐらいしかできない。
「うぅ、離れた!離れたよぅ。はぁ⋯⋯陽ちゃん、元気でね。俺はずっと陽ちゃんのこと好きだから。好き好き大好きアイラブユーだからね⋯⋯!覚えててね!いってきますのチュー」
野茂は、早口で小ゲロでも吐いてしまいそうなほどキモイセリフを捲し立てたあと、勝手にキスをかまして、玄関へ向かった。
⋯⋯疲労感が半端じゃねぇ。野茂を引きずったことで物が散乱した部屋を見て、ため息を吐いた。新しい物件でも探すか、とスマホを開くと何やら新規メッセージが来ている。俺は普段ほとんど誰とも連絡をとっていないから、通知を知らせるマークが珍しい。トーク画面を開くと、相手は野茂のマネージャーを名乗る人物だった。
『初めまして、野茂のマネージャーの橋本です。急なことで申し訳ありません。野茂のことでご相談したいことがあります。もし、お時間がありましたら、どこかでお話させて頂きたくて──』
本物かどうか怪しい、と思ったが、俺と野茂の関係は、本物のマネージャーぐらいしか知らない。先程の、あまりに騒がしくて面倒な野茂の様子を思い出し、この人に同情した。だからかもしれない。俺は少し考えてから、柄にもなく了承の旨のメッセージを送った。
◆
久々すぎて、懐かしい気持ちすら感じる某ファミレスの机、向かい側に野茂のマネージャーを名乗る橋本さんがいた。日程を合わせてついに会うことになったのだ。店内は子供連れの客が多く騒がしい。その中で、2人の男性が静かに向かい合っているのは、場違いに思えた。橋本さんは苦労人の雰囲気を漂わせている男性で、タオルで眉間の顬の汗を拭いた。聞けば今日は、午前だけ休みを取ってきたのだと言う。
「急にご連絡してすみません。えっと、メッセージの中でもお伝えしたんですけど、野茂のことで⋯⋯あの、最近仕事を断るのが顕著なんです。」
「そう、なんですか」
「はい。理由を聞いたら、その、恋人との時間が欲しいと熱弁されまして⋯⋯わかりますよ。確かに、プライベートは必要です。でも、それにしても断りすぎなんです。」
橋本さんの話は、まだまだ続いた。野茂に振り回されて、日々の鬱憤が溜まっているように見える。
「今は結構大事な時期で、本当はもっと頑張って欲しいんです。でも、この間は、収録が長すぎて嫌だと、大きな仕事まで簡単に蹴って⋯⋯ほんとに、どうしたら良いか⋯⋯」
話し終えたあと、縋るように両手が掴まれた。
「お願いします!小森さんが、テレビとかで映る野茂さんを褒めるとか、普段の野茂さんを応援してくれたら、仕事にもっとやる気をもって取り組んでくれると思うんです。どうか、どうか⋯⋯!」
あまりに必死で、本当に申し訳なくなってくる。周りの人に、こんなに迷惑がかかっているんだ。確かに、あいつを扱うのは骨が折れるだろう。心から同情する。
野茂を褒める⋯⋯か。思い返してみれば、俺は野茂のことを、今まで褒めたことがなかったのかもしれない。思い出せるのはぎゃあぎゃあ言い争って、罵倒している場面ばかりだ。橋本さんにここまで頼まれなくても、少し褒めるくらいなら⋯⋯俺だって、別に野茂のことが嫌いなわけじゃない。ウザくて鬱陶しいけど、褒めるところが無いわけじゃない。ただ、あまりに気恥ずかしいから、言葉にできないだけ。口からは、酷い言葉ばかりが出てしまう。俺のこの難儀な性格を、野茂はずっと受け入れてくれている。だから、本当はもっと感謝すべきなのだ。わかっているけど、できない。それならむしろ、この機会に素直になれるかもしれない。そう考えて、俺は橋本さんの頼みを受け入れた。
□
家に帰ると、俺の愛しい恋人が珍しくテレビを見ていた。丁度、俺が主演のドラマだった。俺は照れと驚きを誤魔化すため、茶化すように言う。
「え、なに?珍しいね。あ、俺かっこいい??」
陽ちゃんはこういうとき、いつも塩対応で「は?」って返してくる。だから、こちらも「嘘、かっこいいでしょ?!」の台詞を用意しておく。陽ちゃんは画面から目を離さない。明るい光に照らされて、ピカピカと肌が光っている。少し静かになったあと、消え入るような声が聞こえた。
「⋯⋯ん」
ピシリ、と自分の世界に亀裂が走る。今、確実に時が止まったのがわかった。
『うん』って聞こえた。いや、聞き間違いかも。いや待って、俺、『かっこいいでしょ?』って言った?それで、陽ちゃんが『うん』。『うん』ってどういう意味だっけ?『かっこいい』はどういう意味だっけ?あれ?あれ?頭がぐるぐるする。
「?!え、何?なんて⋯⋯?今⋯⋯え?!」
「だから、『うん』って言ったんだ」
念押しするように、陽ちゃんは言う。耳まで赤くなるくらい恥ずかしがってる。可愛い、可愛い。ときめきで、心がこんなに締め付けられるように痛むのだから、これは現実なのかもしれない。感動に打ち震えていると、テレビの画面を指で指された。
「前から言おうと思ってたけど、あれだ⋯⋯あの、なんて言うんだ?この⋯⋯平沢って役さ、やってるの、か、かっこいいんじゃないか?」
「⋯⋯っ!!」
「⋯⋯なんか言えよ」
なんだこれ可愛すぎる。幸せすぎて、今日死ぬのかもしれない。いや、陽ちゃんと出会った時点でとんでもない幸運なんだけど、陽ちゃんがシラフでこんなにデレてくれるの初めてかもしれない。どうしよう、破壊力ありすぎて、ほんとに死にそう。まぁ、そうだな一旦冷静になろう。冷静になって、とりあえず──
「ベッド行こう」
「嫌だ」
戦闘開始のゴングが鳴った。俺は先手必勝で、暴れる陽ちゃんを抱き上げる。
「お前っ、加減しらねぇから次の日腰が死ぬんだよ!クソ野郎が!この!もげろ!」
先程のいじらしい雰囲気とは売って変わって、陽ちゃんは腕の中で元気に暴れる。いつもの罵倒も、それはそれで、小動物の威嚇じみてて可愛らしい。むしろ、安心感さえ覚える。
「暴れないで、落ちるよー?」
制止の声も聞かずに暴れ続ける陽ちゃん。危ないので、宥めるためにキスをする。
「んっ、ぅう⋯⋯」
何度やっても陽ちゃんは、息が上手く吸えない。俺の唾液で溺れてでもいるように、顔を真っ赤にする。その表情が熟れた果実のように俺を誘うので、またかぶりつく。弱々しく胸板を押し返していた腕が、力なく落ちた。
「ひゃめっ、ん」
優しくベッドに押し倒し、柔く内ももを撫でると、陽ちゃんは甘い声で鳴いた。可愛い。今は少し抵抗してるけど、いつも、最後は甘い声で強請る。何度肌を重ねても、その姿は変わらず無垢で、淫らで、とてつもなくそそられる。キスをすると、唇や舌が甘噛みされる。その様子は『やめろ』と訴えているようだ。なのに、陽ちゃんの下腹部に軽く体重を乗せて刺激するだけで、その体は可愛く震えて、俺を求めるように擦り寄ってくる。
言うこととやることが、まるでちぐはぐ。
これは陽ちゃんなりの愛情表現なのだ。天邪鬼な好きを一生懸命に伝えている。その姿が愛おしくて、涎がたれるほど美味しそうで⋯⋯その日は、興奮して、激しく抱きすぎてしまった。次の朝、顔を真っ赤にした陽ちゃんに、ちゃんとしばかれた。
いつもの様子も可愛いけれど、最近の陽ちゃんの態度は、特に甘くて最高。今まで大事にしまっていた宝物のような愛情を、少しずつ見せてもらっているような気になる。幸せに満たされた気持ちで撮ったシーンは、監督にも褒められた。
休憩中、『かっこいい』と陽ちゃんの声が脳内で再生されて、頬がだらしなく緩んだ。
そうだ。今から本気でお金貯めてそれで、プロポーズして、陽ちゃんと結婚しよ。陽ちゃんが俺のお嫁さん。陽ちゃんの薬指に、俺があげた指輪が光ることを想像する。きっと、文句を言いながら毎日つけてくれるんだろう。なんでも似合うけど、やっぱりダイヤがいいかな。キラキラの宝石に目を輝かせる陽ちゃんも、興味なさげに受け取ってから、値段にドン引く陽ちゃんも容易に想像できる。それだけで、既に可愛い。スタッフさんから、休憩の終わりを伝えられる。
⋯⋯よし、仕事頑張ろ。
◆
マネージャーさんと会って、野茂を褒めだしてから1ヶ月くらい経った頃だろうか。野茂は仕事をかなり頑張っているらしく、いつもは最低でも30分はかかっていた家を出る前のぐずりがない。というか、起きたらいないことが多くなっていた。一度、起きて出迎えようとしてみたが、途中で寝てしまって無理だった。今度はエナジードリンク買ってきて、待っててやろうと思う。そんな野茂を見て感心すると同時に、会えなくて少しだけ寂しいな気持ちになる。だって、前まで毎日顔を合わせては、騒がしく言い争っていたのに、もう1ヶ月も会えていないんだ。そのうるささが恋しくもなる。
「野茂⋯⋯」
クローゼットから、勝手に野茂のスウェットを取り出して、抱きしめた。そうすると、優しくて爽やかな香りに、寂しさが少し埋まったような気がした。以前から、野茂と暫く会えない時や寂しい時には、たまに野茂の姿をなぞるようにして、あいつの私物の匂いを嗅ぐ。すると、安心感というか、満たされるような気持ちになるのだ。この行為自体が、あまりに気持ち悪いし、見つかったらあいつになんて言われるかわからないのでこっそり行っている。恋人が居なくて寂しい、なんて言う柄じゃないし。こんなこと、本人にバレたら終わりだ。でも、今日もきっと帰ってこないから大丈夫なはず。⋯⋯ほんとに帰ってこないよな?玄関を睨みつけてから、こっそり、Tシャツの上から野茂のスウェットを被ってみる。全身が包まれているようで安心する。しばらくはこれで過ごそう。
あいつがそれほど頑張ってるんだ。俺も頑張らないと⋯⋯触発されるようにして、俺は放っておいた書きかけの話に手をつけることにした。珈琲を片手にパソコンと向かい合う。結構集中していたらしく、かなり時間が経っている。
肩も凝ったから少し伸びをしようと体を動かして、その伸ばした腕で、珈琲の入ったタンブラーを倒した。目の前に茶色い海が広がって、服にでかいコーヒー染みができる。
⋯⋯最悪だ。
野茂が帰ってくる前に、証拠を消さなければ。少し着るだけならそのままクローゼットに戻しても問題ないが、コーヒー染みが着いてたら流石にバレる。急いで服を脱いで、染み抜きをし、洗濯機に放り込んだ。音を立てながら、洗濯機が野茂のスウェットを回している。大丈夫。野茂はまだ帰ってこないはず。
⋯⋯帰ってこないよな?
スマホを見ると、1時間前くらいに新着メッセージが来ていた。野茂のマネージャーさんからだ。
『小森さん、ありがとうございます!あなたのおかげで仕事が順調に進んでいます。ほんとに助かりました!今度、お礼に──』
ガチャン
鍵が回され、ドアの開く音がした。野茂だ。久しぶりの野茂に、スマホを放り出して、立ち上がった。しかし、待っていたみたいになるのも嫌だ。いや、実際待っていたわけだが⋯⋯なんでもない風を装って、玄関を覗く。
「おかえり」
久々に言葉を発したせいか、少しだけ自分の声が上擦ったのがわかった。
「ただいま~」
野茂の笑顔が眩しくて、目を背ける。なんだか、気恥ずかしい。前までずっとこんなことしてたんだっけ?こんな風に出迎えるなんて新婚さんみたいだ──そこまで考えて頬が赤くなる。野茂の頭に湧いてる花が、俺にも移ったようだ。浮かれて、馬鹿みたい。
「ふふ、新婚さんみたいだね♡」
「!」
頭の中を言い当てられたみたいで恥ずかしくて、玄関からリビングに続くドアを閉める。久々に会ったからと言って浮かれすぎだ。自分の顔が熱くなっているのがわかった。けれど、すぐ隠れたから、この顔も多分見られていないはずだ。扉があって良かった。ホッと息を着いたのもつかの間だった。
「あれ、洗濯機の中、なんか入ってる⋯⋯?」
洗面所に行ったらしい野茂の呟きが聞こえた。そうだ。洗濯機!なんとしても、野茂が中身を見るのを阻止しなければならない。駆けつけると、まだ中身は取り出されていなかった。どうやら、間に合いはしたようだ。けれど、上手い言い訳が思いつかない。
「っあー、それはな⋯⋯」
「⋯⋯何か隠してるの?」
野茂の声が少し低い。疑うような口ぶりだった。
「急に服を洗わなきゃいけないようなこと、なんかあったの?」
畳み掛けるように問われる。野茂の視線が真っ直ぐに俺を見る。けれど、俺はすぐに言葉を出すことができなかった。一連の流れを説明してしまえば、勝手に野茂の服を持っていったのがバレる。お前の服の匂いを嗅いで安心していたなんて事実、恥ずかしくていたたまれなくて、言葉にできない。
「⋯⋯いや、別に?なんも、ないけど⋯⋯」
言い淀むような返答に、深いため息がつかれた。俯いている俺には、野茂の表情は見えない。でも、きっと嘘だってバレた。
「⋯⋯そう」
だって、横抱きに抱きあげられる力が強い。離れないように、強い力で縛りつけようとするみたいだ。罪悪感と、その雰囲気に圧されて、今日は何も抵抗できなかった。
◆
そうして部屋を移動すると、何も言わないまま、野茂はベッドの柵に、俺の両手を縛りつけた。抵抗しようと足で蹴ろうとしたら、野茂にキスされた。酸素を奪う濃密なキス。それが何度か繰り返された。2人の間に透明な糸が伝って、唇が離れる。
「俺のこと好き?」
暗い目で野茂が問いかける。なんで野茂がそんな質問をするのか、その意図が掴めなかった。
「⋯⋯うん」
戸惑いながら答えるけれど、野茂はその返答に満足しなかったようだった。失礼なほどの無感動さで、こちらを見る。
野茂はおもむろに、俺のスマホを取り出し、身動きが取れないのをいいことに、勝手に俺の指紋を押し当てて開いた。画面には青白いトーク画面が映し出されている。
「陽ちゃん、うちのマネージャーと連絡取り合ってたよね?」
野茂の手の中で画面がするする動く。あぁ、この時から、なんて呟きが不穏だ。
「あ、でも、それは⋯⋯」
野茂は押し潰すような威圧感で、俺の言葉を遮った。怒っているのか、その体は微かに震えている。
「俺をたくさん褒めたら⋯⋯浮かれて、気づかないと思ったんだ?浮気しても簡単に騙せるって⋯⋯そうだよ。俺、すっごい浮かれちゃってた。褒められたのが嬉しくて、馬鹿みたいに仕事入れて、今の今まで気づけなかった。陽ちゃんって、策略家だったんだね。可愛く騙して、賢く俺を嵌めたんだ⋯⋯?」
「違う!浮気なんかしてない!お前が、俺のために仕事休むって聞いたから⋯⋯!」
「橋本もそう言ってた」
吐き捨てるように言われる。こちらを見やる目は暗くて、切なげに揺れている。なんだよ、いつもアホみたいに笑ってるのに、その表情には一切の緩みがない。今日は、なんだか野茂が野茂じゃないみたいだ。怖い。
顔を背けるけれど、無理やり顎を持ち上げられてキスをされた。舌が絡められ、歯列が柔くなぞられる。熱が、生温く口内で溶けた。野茂とキスすると、水中にいるような気分になる。深い水の中では何もできない。頭がふわふわして、目の前のものをただ掴むだけ。でも、今日はずっと溺れてるみたいだ。野茂の意図も気持ちも、何も掴めない。ただ、求められるままに透明な泡を吐き出す。リップ音が近くで鳴っている。首筋に舌が這わせられた。ぬるぬるして気持ち悪い、と意識の外で漠然と思う。
「俺のこと好き?」
「すき」
「俺、マネージャーと会わないで、って言ったよね?」
「言っ、た」
俺の答えに呼応するように、首筋の薄い皮が強く吸われた。突発的な痛みで、少しだけ頭が冴える。
「──っ」
「⋯⋯あは、覚えてたんだ。でも会ったんだ。」
「悪かった⋯⋯でも、だからそれはっ、ほんとに、お前のことについて相談されてただけで⋯⋯」
「ほんと?」
上目遣いで聞かれる。薄く笑っているが、その目に光は無い。どうやらまだ俺を疑っているらしい。
「俺のこと、好き?愛してる?」
大きな手が、壊れ物に触れるように優しく、俺の頬を撫でた。答えは決まっているのに、声が出ない。でも、ここで答えなかったら、何かが変わってしまうような気がした。それこそ、今後一切、こいつに俺の言葉が届かなくなってしまうような──口を開いても、羞恥心が言葉をせき止める。それでも、言わなきゃ。
言え、言えよ、お前。一言でいいんだ。言え!!!顔を真っ赤にしながら、真っ直ぐ野茂の目を睨みつけた。
「⋯⋯ん。あ、あいしてる」
それは、紛れもない俺の本心だった。野茂の薄茶色の目が動揺に揺れて、光が回る。
「⋯⋯そう、なんだ。そうだよね、陽ちゃんが俺を裏切るはずないよね。ごめん、どうかしてた。」
拘束が解かれる。野茂は怒られた後の大型犬のように萎れている。浮気を疑われたのがムカつかないと言えば嘘になるが、反省しているようだし、まぁ許してやるか⋯⋯と、自分の身体を見下ろすと、赤黒い鬱血痕に塗れていた。明日に限って人と会うのに、タートルネック確定のお知らせだ。前言撤回。コイツ、絶対許さねぇ。
□
陽ちゃんに『かっこいい』ってもう一度言って貰えるように、もらった仕事を精一杯こなす。これを続けていたら、段々評価されてきて、沢山仕事が入った。忙しいのは嬉しいけど、今度は陽ちゃんと会う時間が取れなくて死にそう。いつも帰れるのは深夜になる。寝てしまった陽ちゃんのおでこにキスをして、次の仕事に向かう。今日もそうだ。マジで寝顔が天使。可愛い。1つじゃ足りない。頬やおでこに何度もキスをする。でも、こんなんじゃ全然陽ちゃんが足りない。もっと欲しい。じゃなきゃ頑張れない。どうしても会いたくて、少し仕事を早めに終わらせ、帰路についた。その時、隣に座るマネージャーのスマホ画面がタクシーの窓に反射して見えた。
登録名は『小森 陽芳』紛れもない、俺の恋人の名前だった。マネージャーを問い詰めると、俺の仕事へのやる気を出すために協力してもらったと吐いた。そんなの嘘かもしれない。陽ちゃんに惚れた?惚れてなくても許せない。「お礼」を口実にまた会おうとしていることも、俺の怒りの燃料になった。
浮気を疑ったが、陽ちゃんはちゃんと俺のこと好きだし、そんなことする人じゃない。嘘をつくときも、目を逸らすから分かりやすい。だから、浮気なんかじゃない。俺が会える時間を作らなかったから、愛想を尽かしたとか、そんなんじゃない。
──そう、信じていた。
家に帰ると、陽ちゃんは玄関まで出迎えに来てくれた。耳が赤いところを見ると、どうやら照れているらしかった。その姿を見るだけで、心の内を占拠していた怒りがどこかへ行ってしまう。会話が新婚さんみたいだったから、それを指摘したら、照れすぎて扉が閉められてしまった。はぁ~~~可愛すぎる。通常運転の姿にホッとして、脱衣室で服を脱ぎ、洗濯機に入れる。違和感があった。見れば、洗濯機には中身があって、洗ったあとなのだろう、湿っていた。陽ちゃんはいつも晴れの日にしか家の洗濯機を回さない。雨や曇りの日には溜めた洗濯物を持って、コインランドリーに行く。今日は生憎の雨だった。それなのに、洗濯機の中には、濡れた衣類が入っている。
「あれ、洗濯機の中、なんか入ってる⋯⋯?」
最初は、素朴な疑問だった。けれど、その呟きを聞くや否や、扉が勢いよく開かれ、陽ちゃんが焦った様子で飛び出してきて、それが疑念に変わる。なにか、ここにやましいものでもあるのだろうか。
例えば──浮気の証拠とか?
最悪の予想が頭に浮かんだ。
「⋯⋯何か隠してるの?」
思ったより低い声が出る。どうやら、自分は思ったより、疑り深い性格だったらしい。
「急に、服を洗わなきゃいけないようなこと、なにかあったの?」
きっと、何もやましいことがなければ、陽ちゃんはハッキリ答える。だって、そういう人だ。バカにしたようにため息をついて、こちらを睥睨して『あるわけないだろ』そんな返答を期待していた。
「⋯⋯なんも、ない」
目がそらされた。陽ちゃんが嘘をつく時の癖。なにか、嘘をついてる。なにか、俺に隠してる。体や頭は冷えきっているのに、腹の中で、どうしようもない怒りだけが、ふつふつと煮えていた。陽ちゃんを抱き抱える。いつもならここで暴れるのに、今日はそれもない。浮気した負い目があるから?なんて、最低な想像をしてしまう。いや、ただ雰囲気の違う俺に、怯えているのかもしれない。ごめん。でも、どうしようもない怒りが消えない。
「ごめんね」
細い両手を縛り、ベッドに押し倒した。陽ちゃんが俺以外の誰かを好きになることなんか、今までは想像もしてなかった。無意識に避けていたのかもしれない。可愛い陽ちゃんが腕の中にいるのに、ふいに消えてしまうのではないか、という焦りに支配される。安心したかった。縛る時、陽ちゃんは暴れた。そうだよね、何されるかわかんないもんね。俺も何しちゃうかわかんない。怖い。深いキスをして、陽ちゃんの思考を散らせる。この蕩けた瞳が、俺以外の誰かに向けられたのかと思うと、発狂しそうだった。確かめたかった。俺だけのものになってほしい、とキスマークを執拗に散らした。心の中では、幼子のように陽ちゃんに縋っていた。
「俺のこと、愛してる?」
最後の質問のつもりだった。もし、「愛してなんかない」とでも言われたら、海外にでも飛んで、陽ちゃんを閉じ込めてしまおうと思っていた。2人だけなら俺しか見えないから。誰も入れないように、2人で抱きしめあっていればいい。どうやっても離れる気はなかった。
「⋯⋯あ、あいしてる」
それは、熱烈な告白だった。いつもの陽ちゃんなら、小っ恥ずかしい!と目を逸らす場面だ。けれど、陽ちゃんの瞳は、真っ直ぐにこちらを見据えていた。一点の濁りもない眩い光が、黒ずんでいた胸の底を照らした。そこに居たのは、どこまでも純粋で、分かりやすくて、嘘なんか付けない陽ちゃんだった。そこで、俺はハッとする。そうだった。ごめんね、浮気なんてそんなわけなかったね。陽ちゃんが俺を裏切るはずない。陽ちゃんは何も悪くない。なんで俺、こんな馬鹿なことしたんだろう。俺、陽ちゃんが好きすぎて、頭おかしくなっちゃったみたい。そうだよね、陽ちゃんは悪くない。こんなことになったのは、俺のせいだ。陽ちゃんの拘束を解く。あ、手首が少し赤くなっちゃってる⋯⋯薬塗らなきゃ。
塗り薬を取って戻ると、拘束を解かれた陽ちゃんは、なにかをぼんやりと考えている様子だったが、自分の体を見下ろすと、顔をしかめた。やばい。体にキスマークを沢山つけたのがバレた。無言なのも、目が合わないのも怖い。この前、歯型つけたときは、1週間口聞いてくれなかったけど、今回はどのくらいだろう。どうしよう。嫌われたくないなぁ⋯⋯。
でも、仕事の忙しさを言い訳に、周囲に気をつけていなかった俺が悪かったんだ。陽ちゃんは可愛くて魅力的だから、変な虫が集まるのは仕方ない。俺がいない間になにをしているのかとか、スマホのやり取りも、外出記録も、全部チェックしなきゃいけなかった。もう、こんなことにならないように、反省しなきゃ⋯⋯スマホを取り出して、匿名で、ある写真を記者に送る。『在籍アイドルに行為を迫る!悪質マネージャーの真実』これから発表されるだろう、陳腐な見出しを想像して、ため息をつく。
「疑ったりしてごめんね、陽ちゃん。俺、二度とこんなこと起きないようにするから⋯⋯!」
END
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平凡な生活を送りたいロニーは、これからヒロインのことを好きになるであろうエドとは距離を置こうと決意する。
タイトルを変えました。
前のタイトルは、「モブなのに、いつのまにかヒロインに執着しまくるキャラの友達になってしまっていた」です。
急に変えてしまい、すみません。
美澄の顔には抗えない。
米奏よぞら
BL
スパダリ美形攻め×流され面食い受け
高校時代に一目惚れした相手と勢いで付き合ったはいいものの、徐々に相手の熱が冷めていっていることに限界を感じた主人公のお話です。
※なろう、カクヨムでも掲載中です。
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