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第2章 辺境伯領平定戦
閑話 拾い物
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「うむむ……。これは道に迷うてしまいましたな……。こう暗くては……」
松明の炎に照らされながら、藤左衛門が「これは困った」と兜の庇を上げた。
「よろしいではござりませぬか。斯様な場所にこそ、惟任方の落人が隠れ潜んでおるやもしれませぬ」
一方、若い右近は「功名の好機にござります」と鼻息があらい。
「山崎の戦においては羽柴様の寄騎勢に良い所を取られてしまい申した。その寄騎勢は昼の戦で疲れて高いびきの最中。ここらで大将首の一つでも取らねば機会を逸するのみにござります」
本能寺の一件から十日余り。
十兵衛の天下はあっけなく終わりを告げた。
備中にて毛利と角を突き合わせていたはずの羽柴筑前が畿内へと舞い戻った上、山崎辺りにて十兵衛方と一戦に及び、たった一日の戦いで大破したのだ。
十兵衛方は山崎近くの勝龍寺城へ逃げ込んだが、その日の夜には城も捨てた。
総大将の十兵衛の行方は杳として知れない。
俺は羽柴筑前から追い討ちの命を受け、こうして京の南側の探索に当たっているのだが……。
只今は言わずと知れた真夜中だ。
松明の明かりが届く周囲はいざ知らず、それ以外は闇の中。
道に迷うて当然よ。
右近の申す通り、競う相手が少ない今こそ功名のまたとない機会がだが、これでは如何ともし難い。
さて、如何するか――――。
「――――いっそ三野へ帰ろうかのう……」
「な、何を仰せです……!?」
手を振り「冗談じゃ」と答えるが、右近が気遣わし気に言葉を続けた。
「……惟任様や内蔵助様を討つのは気が進みませぬか?」
「馬鹿を申せ。たとえ親であろうと子であろうと、戦場で相見えれば討つが武士ぞ?」
右近が「……失敬致しました」と頭を下げる。
が、松明に照らされた顔は依然として気遣わし気だ。
どうやら勘違いしたままのようだな……。
ただ、右近の勘違いは右近のせいばかりとも言えまい。
俺の「三野へ帰ろうか――――」と申す声音が、良くなかった。
今のこの状況を厭うておるように聞こえたに違いない。
別に十兵衛や内蔵助を討つことを厭うておる訳ではない。
年来の悲願を叶える機会を逸した事を嘆いておるのだ。
此度の一件、容易には鎮まるまいと踏んでいた。
長引くだろうと思っていた。
悲願の成就は夢物語ではないと思っていた。
それなのに…………!
まさか……まさか羽柴めが、斯様に早く畿内に戻って来るとは……!
俺の見通しが甘かったのか?
いや、この日ノ本において、これを見通せた者が果たしておるであろうか?
神仏でさえも斯様な壮挙は見通せまい。
これに度肝を抜かれたか、丹後の長岡兵部・与一郎父子、摂津の高山右近と中川瀬兵衛、大和の筒井と、十兵衛の縁者や寄騎は悉く羽柴になびいた。
神戸三七と丹羽五郎左は津田七兵衛を殺し、羽柴についた。
三郎と勘九郎の首は見付からず、羽柴は韋駄天の如く畿内へ舞い戻り、縁者寄騎は袂を分かち、たった一日の戦で雌雄は決し……。
どれか一つでも十兵衛の利に傾いておれば、あるいは……。
いや、考えても仕方がない。
己が野心を叶える機会を失い、未練がましく左様に思うのだ。
あの腑抜けた十兵衛が天下人なぞ、土台無理な話だったのだ。
勝敗は時の運とも申すが、腑抜けに運が回る道理なぞない。
まさしく、武運拙く敗れ去ったのだ。
武運に見放された者に賭けた俺が愚かであった。
俺にも、武運はなかった――――。
「――――新五郎殿……」
「…………?」
「新五郎殿……新五郎…………」
どこからともなく俺を呼ぶか細い声が耳に入る。
一度だけではない。
二度、三度と聞こえる。
しかも声は、真っ暗な藪の中から聞こえてくるのだ。
…………これはイカン。
悶々と考える内、ついに幻聴が耳に入るまでになったか?
「殿っ……!」
「お下がりを……!」
「藤左衛門? 右近?」
藤左衛門が藪と俺の間に馬を滑り込ませ、右近や近習衆は藪へ槍の穂先を向け「何者か……!?」と誰何した。
「……幻聴ではなかったのか?」
「殿?」
「ああ、いや。何でもない……」
「さあ、早うお下がりを……!」
「……松明に照らされているとは申せ、この暗い中で俺の顔を見当てるとは不可思議な事よ。見知った者かも知れぬ。呼んでみようか?」
どこか自棄になっていた俺は、藤左衛門が止めるのも聞かずに「斎藤新五郎はここだ。構わぬ。出て参れ」と藪に向かって呼び掛けた。
やがて、藪の中から弱々しく草木を掻き分ける音が聞こえた。
右近と近習衆が油断なく槍を構える中、覚束ない足取りで腹を押さえた徒武者が現れた。
松明に照らされた甲冑はあちこちが傷付き、口元は血に染まり、腹を押さえる手も血で濡れそぼっている。
誰の目にも、その徒武者が長くないことは明らかであった。
「斎藤……新五郎殿……。先達ては……」
「先達て? もしや其方……京の近くで木戸を構えていた者か?」
「左様……で……」
近くで声を聞いてやっと分かった。
内蔵助の加勢だと言い張って突破した一つ目の木戸、あそこで俺達を止めた徒武者に違いなかった。
「運が……良い……御味方…………」
こ奴……俺が味方だと、真に内蔵助の加勢だと勘違いしたままなのか?
それとも今わの際で、事を判じる力も残っておらぬのか?
「どうか……殿………………」
徒武者は藪の奥を指差すなり倒れ、事切れてしまった。
藤左衛門が大きく目を見開き、強張った顔で小さく頷いた。
「……藤左衛門、俺に着いて参れ」
「はっ……!」
「殿! 御二人ではだけでは危のうござります! 我らもお連れ下さい!」
血相を変える右近や近習衆。
「ならん」
「されど……!」
「ならんと言ったらならん。……この者には迷惑をかけた。詫びとして懇ろに弔ってやろう。其方らは運ぶ用意をせよ」
「殿…………」
右近達の答えを聞かず、藤左衛門と二人、藪に分け入る。
幾何も進まぬ内に、僅かに開けた場所に出た。
果たしてそこには、五、六人の武者が折り重なるように倒れていた。
自害ではない。
切り結んだと思しき突傷や切傷があちこちに見えた。
一人、老年の者がいて、もしや十兵衛か内蔵助かと思って顔をのぞき込んだが、年恰好が似ているだけの別人であった。
「藤左衛門、そちらはどうだ?」
「いえ、こちらにも――――」
「――――おお……またお会いしましたな…………」
「「……!」」
奥の暗がりから、力のない、しわがれた声が聞こえた。
松明を向けてみると、立木に背を預け、足を投げ出すような格好で座り込む者がいた。
十日余り前に、間近に目にした甲冑を身に付けていた。
「……おう、十兵衛。奇遇だな」
「本に……」
十兵衛は言葉少なだった。
腰より上に傷は見えなかったが、投げ出した足は血に濡れている。
「無様だな。腑抜けておるからこうなる」
「……まったくにござる。御手前から啖呵を切られ……少し足掻いてみたが……すべて、遅かった……」
「小心者が大事に手を出すからだ」
「然り、然り……。耳が痛うござる……」
「お陰でな、俺まで余計な欲をかいてしまったわ」
「……ははは。弓取りはそうでなくては……。逡巡しては……得られる機会も、得られませぬ……」
双方ともに言葉が途切れた。
どれほどそうしていたのか、先に口を開いたのは十兵衛だった。
「……我が首を、お取りなされ」
「良いのか? 見た所、傷は足だけだ。何処かに隠れ潜んで傷を癒し、再起を図るつもりはないのか?」
藤左衛門が「殿……」と息を飲む音が聞こえた。
だが、それ以上は何も言わなかった。
十兵衛は首を横に振る。
「構いませぬ……。今生に未練はござらん。今は早う、煕子の……妻の元に、参りとうござる……」
十兵衛と煕子殿の夫婦仲が良い事は評判であった。
煕子殿が亡くなられた時、十兵衛の悲しみ様は筆舌に尽くせぬものだったと聞く。
「……左様に煕子殿を大切に思うておるなら、何故こんな真似を仕出かした? 明智は滅ぶぞ。煕子殿に合わせる顔があるまい?」
「……上様の元に、おれば……明智の先は長うありませぬ……」
「何?」
「上様は……能有る者を、取り立てる……。人をよく、御覧になるのでござります……」
「そうだ。だからこそ、貴公も出世出来たではないか」
「左様……。しかし、取り立てた者への、配慮が足らぬ……。浅井、松永、荒木、別所……。次々と寝返ったは何故か? 徳川殿が、武田になびかなんだのは、ただの偶然に、過ぎませぬぞ?」
妄言とは思えなかった。
浅井の立場を慮って丁重に接しておればどうだったか。
筒井への肩入れが過ぎ、松永が大和で築き上げたものを蔑ろにしたのではないか。
荒木を羽柴の組下に入れるような真似をせずにいればどうだったか。
別所の処遇を羽柴任せにしていなければどうだったのか。
徳川が武田に寝返らなかったのは……三郎めの器量故ではあるまい。
そうだ。偶然の産物と申してよい。
「……落ち度があれば、全てその者の責めになさる。……別喜殿、原田殿、佐久間殿の落ち度は……御仁らのみに帰するものか? 明日は我が身と、身構える者は、少なくなかろう……」
別喜右近を平定間もない加賀へ碌な寄騎も付けずに入れ、一向一揆に負けたからとさっさと見切りをつけた。
原田備中が討ち死にした後、大坂での戦に敗北した攻めを負わせ、一族郎党を捕縛し、追放した。
佐久間に至っては、十九ヶ条に及ぶ折檻状まで突き付けられ、追放の憂き目に遭い、失意の内に死した。
「それでいて、御身内やお気に入りには甘い……。伊賀攻めの大失態……。北畠の茶筅には腹を切らせるが筋……。上杉との戦を前に、無断で兵を退いた羽柴に、御咎めが無かった事は、贔屓と見られても仕方があるまい……」
「お気に入りと申すなら貴公も……」
「…………己は老い、先は短く、我が子・十五郎は若年……。先行きを案じておる所に、四国攻めの、総大将が……神戸三七に……。何故、儂ではない? 四国に関わり続けたは……この儂ぞ? あんな若輩より……余程上手く、長宗我部を討ってくれよう……。だのに……毛利攻めだと……? 荒木のように……羽柴の組下に付けと……? 寵を失ったのだ……。明智には、もう……伸び代は、ない……」
そこまで話すと、十兵衛は「ふう……」と息をついた。
「……老いた。老いてしまい申した……。左様に考える度、頭に血が、登ったのでござる……。ふと気付けば、我が元には万余の軍勢……京には御油断召された上様……。真に……真に、不慮の儀にござった……」
「……煕子殿は良く夫を支えた。きっと極楽におろう。だが貴公は天下の大謀反人。極楽には参れぬぞ? 明智の家を滅ぼした貴公に、極楽の煕子殿も手を差し伸べはすまい」
「……これは困った。我が行く先は、地獄にござるか?」
「左様」
「ほっほっほ……。煕子の怒った顔が、目に浮かびまする……」
「我が父・道三が手招きしておるわ」
「道三公も地獄に? それは楽しみにござりますな……」
「……さて、話が長くなり過ぎた。もう、覚悟はよいな?」
「…………御随意に」
十兵衛は上半身を倒して首を差し出した。
刀を抜く。
十兵衛の左に立ち、静かに振り下ろした――――。
「――――何の真似でござるか?」
刀を首の寸前で止めた。
藤左衛門が「やれやれ……」と苦笑いをしている。
「『御随意に』と申したのはそちらだ。貴公の命、俺の随意にさせてもらう。文句は言わせん」
「如何なさるおつもりか……?」
「貴公が腑抜けたせいでのう、俺は悲願を叶えられなかった。だがな、諦めるつもりはない。再び長い雌伏となろうとも、我が子に代替わりしようとも、必ず悲願を叶える。……そこで、なのだがのう? 老いた老いたと嘆いても、貴公の知恵や知識は得難いものよ。来るべき日の為、すべて寄越せ」
「すべて寄越せ? ほっほっほ……。なんとも業突張りな物言いよ……」
「嫌だと申しても連れ行くぞ。藤左衛門、手伝え」
「ははっ。惟任様、甲冑をお外しいたします。そこの死体と取り替えまする」
「――あだだだ! 足! 足は丁寧に!」
「さっきまで未練なしと申しておったくせに……。案ずるな! この程度では死なん!」
「ところで殿。惟任様をお招きするとして、如何に遇すれば……」
「とりあえず伏龍寺に放り込んで養生させる。その後は……守役にでもするか」
「もしや若様の?」
「兵法やら何やら、指南役を決めねばならんかったところよ。こ奴なら適任。我が子にはこ奴のすべてを仕込んでもらう。良い者を拾ったわ」
「名も改めていただかなくては。惟任日向守では障りがござります」
「そうじゃのう……。何がいいかのう……」
「ま、待たれよ……! 儂はまだ行くとは――――」
「「鎧を脱がせておるだ(のでござります)! 動かず静かにせい(なされよ)!」」
「む、むう……」
翌日、惟任日向守の首が羽柴の元に届けられた。
野の獣や鳥に食い荒らされ、暑さで痛み、見るも無残な首だったと聞く。
松明の炎に照らされながら、藤左衛門が「これは困った」と兜の庇を上げた。
「よろしいではござりませぬか。斯様な場所にこそ、惟任方の落人が隠れ潜んでおるやもしれませぬ」
一方、若い右近は「功名の好機にござります」と鼻息があらい。
「山崎の戦においては羽柴様の寄騎勢に良い所を取られてしまい申した。その寄騎勢は昼の戦で疲れて高いびきの最中。ここらで大将首の一つでも取らねば機会を逸するのみにござります」
本能寺の一件から十日余り。
十兵衛の天下はあっけなく終わりを告げた。
備中にて毛利と角を突き合わせていたはずの羽柴筑前が畿内へと舞い戻った上、山崎辺りにて十兵衛方と一戦に及び、たった一日の戦いで大破したのだ。
十兵衛方は山崎近くの勝龍寺城へ逃げ込んだが、その日の夜には城も捨てた。
総大将の十兵衛の行方は杳として知れない。
俺は羽柴筑前から追い討ちの命を受け、こうして京の南側の探索に当たっているのだが……。
只今は言わずと知れた真夜中だ。
松明の明かりが届く周囲はいざ知らず、それ以外は闇の中。
道に迷うて当然よ。
右近の申す通り、競う相手が少ない今こそ功名のまたとない機会がだが、これでは如何ともし難い。
さて、如何するか――――。
「――――いっそ三野へ帰ろうかのう……」
「な、何を仰せです……!?」
手を振り「冗談じゃ」と答えるが、右近が気遣わし気に言葉を続けた。
「……惟任様や内蔵助様を討つのは気が進みませぬか?」
「馬鹿を申せ。たとえ親であろうと子であろうと、戦場で相見えれば討つが武士ぞ?」
右近が「……失敬致しました」と頭を下げる。
が、松明に照らされた顔は依然として気遣わし気だ。
どうやら勘違いしたままのようだな……。
ただ、右近の勘違いは右近のせいばかりとも言えまい。
俺の「三野へ帰ろうか――――」と申す声音が、良くなかった。
今のこの状況を厭うておるように聞こえたに違いない。
別に十兵衛や内蔵助を討つことを厭うておる訳ではない。
年来の悲願を叶える機会を逸した事を嘆いておるのだ。
此度の一件、容易には鎮まるまいと踏んでいた。
長引くだろうと思っていた。
悲願の成就は夢物語ではないと思っていた。
それなのに…………!
まさか……まさか羽柴めが、斯様に早く畿内に戻って来るとは……!
俺の見通しが甘かったのか?
いや、この日ノ本において、これを見通せた者が果たしておるであろうか?
神仏でさえも斯様な壮挙は見通せまい。
これに度肝を抜かれたか、丹後の長岡兵部・与一郎父子、摂津の高山右近と中川瀬兵衛、大和の筒井と、十兵衛の縁者や寄騎は悉く羽柴になびいた。
神戸三七と丹羽五郎左は津田七兵衛を殺し、羽柴についた。
三郎と勘九郎の首は見付からず、羽柴は韋駄天の如く畿内へ舞い戻り、縁者寄騎は袂を分かち、たった一日の戦で雌雄は決し……。
どれか一つでも十兵衛の利に傾いておれば、あるいは……。
いや、考えても仕方がない。
己が野心を叶える機会を失い、未練がましく左様に思うのだ。
あの腑抜けた十兵衛が天下人なぞ、土台無理な話だったのだ。
勝敗は時の運とも申すが、腑抜けに運が回る道理なぞない。
まさしく、武運拙く敗れ去ったのだ。
武運に見放された者に賭けた俺が愚かであった。
俺にも、武運はなかった――――。
「――――新五郎殿……」
「…………?」
「新五郎殿……新五郎…………」
どこからともなく俺を呼ぶか細い声が耳に入る。
一度だけではない。
二度、三度と聞こえる。
しかも声は、真っ暗な藪の中から聞こえてくるのだ。
…………これはイカン。
悶々と考える内、ついに幻聴が耳に入るまでになったか?
「殿っ……!」
「お下がりを……!」
「藤左衛門? 右近?」
藤左衛門が藪と俺の間に馬を滑り込ませ、右近や近習衆は藪へ槍の穂先を向け「何者か……!?」と誰何した。
「……幻聴ではなかったのか?」
「殿?」
「ああ、いや。何でもない……」
「さあ、早うお下がりを……!」
「……松明に照らされているとは申せ、この暗い中で俺の顔を見当てるとは不可思議な事よ。見知った者かも知れぬ。呼んでみようか?」
どこか自棄になっていた俺は、藤左衛門が止めるのも聞かずに「斎藤新五郎はここだ。構わぬ。出て参れ」と藪に向かって呼び掛けた。
やがて、藪の中から弱々しく草木を掻き分ける音が聞こえた。
右近と近習衆が油断なく槍を構える中、覚束ない足取りで腹を押さえた徒武者が現れた。
松明に照らされた甲冑はあちこちが傷付き、口元は血に染まり、腹を押さえる手も血で濡れそぼっている。
誰の目にも、その徒武者が長くないことは明らかであった。
「斎藤……新五郎殿……。先達ては……」
「先達て? もしや其方……京の近くで木戸を構えていた者か?」
「左様……で……」
近くで声を聞いてやっと分かった。
内蔵助の加勢だと言い張って突破した一つ目の木戸、あそこで俺達を止めた徒武者に違いなかった。
「運が……良い……御味方…………」
こ奴……俺が味方だと、真に内蔵助の加勢だと勘違いしたままなのか?
それとも今わの際で、事を判じる力も残っておらぬのか?
「どうか……殿………………」
徒武者は藪の奥を指差すなり倒れ、事切れてしまった。
藤左衛門が大きく目を見開き、強張った顔で小さく頷いた。
「……藤左衛門、俺に着いて参れ」
「はっ……!」
「殿! 御二人ではだけでは危のうござります! 我らもお連れ下さい!」
血相を変える右近や近習衆。
「ならん」
「されど……!」
「ならんと言ったらならん。……この者には迷惑をかけた。詫びとして懇ろに弔ってやろう。其方らは運ぶ用意をせよ」
「殿…………」
右近達の答えを聞かず、藤左衛門と二人、藪に分け入る。
幾何も進まぬ内に、僅かに開けた場所に出た。
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自害ではない。
切り結んだと思しき突傷や切傷があちこちに見えた。
一人、老年の者がいて、もしや十兵衛か内蔵助かと思って顔をのぞき込んだが、年恰好が似ているだけの別人であった。
「藤左衛門、そちらはどうだ?」
「いえ、こちらにも――――」
「――――おお……またお会いしましたな…………」
「「……!」」
奥の暗がりから、力のない、しわがれた声が聞こえた。
松明を向けてみると、立木に背を預け、足を投げ出すような格好で座り込む者がいた。
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「……おう、十兵衛。奇遇だな」
「本に……」
十兵衛は言葉少なだった。
腰より上に傷は見えなかったが、投げ出した足は血に濡れている。
「無様だな。腑抜けておるからこうなる」
「……まったくにござる。御手前から啖呵を切られ……少し足掻いてみたが……すべて、遅かった……」
「小心者が大事に手を出すからだ」
「然り、然り……。耳が痛うござる……」
「お陰でな、俺まで余計な欲をかいてしまったわ」
「……ははは。弓取りはそうでなくては……。逡巡しては……得られる機会も、得られませぬ……」
双方ともに言葉が途切れた。
どれほどそうしていたのか、先に口を開いたのは十兵衛だった。
「……我が首を、お取りなされ」
「良いのか? 見た所、傷は足だけだ。何処かに隠れ潜んで傷を癒し、再起を図るつもりはないのか?」
藤左衛門が「殿……」と息を飲む音が聞こえた。
だが、それ以上は何も言わなかった。
十兵衛は首を横に振る。
「構いませぬ……。今生に未練はござらん。今は早う、煕子の……妻の元に、参りとうござる……」
十兵衛と煕子殿の夫婦仲が良い事は評判であった。
煕子殿が亡くなられた時、十兵衛の悲しみ様は筆舌に尽くせぬものだったと聞く。
「……左様に煕子殿を大切に思うておるなら、何故こんな真似を仕出かした? 明智は滅ぶぞ。煕子殿に合わせる顔があるまい?」
「……上様の元に、おれば……明智の先は長うありませぬ……」
「何?」
「上様は……能有る者を、取り立てる……。人をよく、御覧になるのでござります……」
「そうだ。だからこそ、貴公も出世出来たではないか」
「左様……。しかし、取り立てた者への、配慮が足らぬ……。浅井、松永、荒木、別所……。次々と寝返ったは何故か? 徳川殿が、武田になびかなんだのは、ただの偶然に、過ぎませぬぞ?」
妄言とは思えなかった。
浅井の立場を慮って丁重に接しておればどうだったか。
筒井への肩入れが過ぎ、松永が大和で築き上げたものを蔑ろにしたのではないか。
荒木を羽柴の組下に入れるような真似をせずにいればどうだったか。
別所の処遇を羽柴任せにしていなければどうだったのか。
徳川が武田に寝返らなかったのは……三郎めの器量故ではあるまい。
そうだ。偶然の産物と申してよい。
「……落ち度があれば、全てその者の責めになさる。……別喜殿、原田殿、佐久間殿の落ち度は……御仁らのみに帰するものか? 明日は我が身と、身構える者は、少なくなかろう……」
別喜右近を平定間もない加賀へ碌な寄騎も付けずに入れ、一向一揆に負けたからとさっさと見切りをつけた。
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佐久間に至っては、十九ヶ条に及ぶ折檻状まで突き付けられ、追放の憂き目に遭い、失意の内に死した。
「それでいて、御身内やお気に入りには甘い……。伊賀攻めの大失態……。北畠の茶筅には腹を切らせるが筋……。上杉との戦を前に、無断で兵を退いた羽柴に、御咎めが無かった事は、贔屓と見られても仕方があるまい……」
「お気に入りと申すなら貴公も……」
「…………己は老い、先は短く、我が子・十五郎は若年……。先行きを案じておる所に、四国攻めの、総大将が……神戸三七に……。何故、儂ではない? 四国に関わり続けたは……この儂ぞ? あんな若輩より……余程上手く、長宗我部を討ってくれよう……。だのに……毛利攻めだと……? 荒木のように……羽柴の組下に付けと……? 寵を失ったのだ……。明智には、もう……伸び代は、ない……」
そこまで話すと、十兵衛は「ふう……」と息をついた。
「……老いた。老いてしまい申した……。左様に考える度、頭に血が、登ったのでござる……。ふと気付けば、我が元には万余の軍勢……京には御油断召された上様……。真に……真に、不慮の儀にござった……」
「……煕子殿は良く夫を支えた。きっと極楽におろう。だが貴公は天下の大謀反人。極楽には参れぬぞ? 明智の家を滅ぼした貴公に、極楽の煕子殿も手を差し伸べはすまい」
「……これは困った。我が行く先は、地獄にござるか?」
「左様」
「ほっほっほ……。煕子の怒った顔が、目に浮かびまする……」
「我が父・道三が手招きしておるわ」
「道三公も地獄に? それは楽しみにござりますな……」
「……さて、話が長くなり過ぎた。もう、覚悟はよいな?」
「…………御随意に」
十兵衛は上半身を倒して首を差し出した。
刀を抜く。
十兵衛の左に立ち、静かに振り下ろした――――。
「――――何の真似でござるか?」
刀を首の寸前で止めた。
藤左衛門が「やれやれ……」と苦笑いをしている。
「『御随意に』と申したのはそちらだ。貴公の命、俺の随意にさせてもらう。文句は言わせん」
「如何なさるおつもりか……?」
「貴公が腑抜けたせいでのう、俺は悲願を叶えられなかった。だがな、諦めるつもりはない。再び長い雌伏となろうとも、我が子に代替わりしようとも、必ず悲願を叶える。……そこで、なのだがのう? 老いた老いたと嘆いても、貴公の知恵や知識は得難いものよ。来るべき日の為、すべて寄越せ」
「すべて寄越せ? ほっほっほ……。なんとも業突張りな物言いよ……」
「嫌だと申しても連れ行くぞ。藤左衛門、手伝え」
「ははっ。惟任様、甲冑をお外しいたします。そこの死体と取り替えまする」
「――あだだだ! 足! 足は丁寧に!」
「さっきまで未練なしと申しておったくせに……。案ずるな! この程度では死なん!」
「ところで殿。惟任様をお招きするとして、如何に遇すれば……」
「とりあえず伏龍寺に放り込んで養生させる。その後は……守役にでもするか」
「もしや若様の?」
「兵法やら何やら、指南役を決めねばならんかったところよ。こ奴なら適任。我が子にはこ奴のすべてを仕込んでもらう。良い者を拾ったわ」
「名も改めていただかなくては。惟任日向守では障りがござります」
「そうじゃのう……。何がいいかのう……」
「ま、待たれよ……! 儂はまだ行くとは――――」
「「鎧を脱がせておるだ(のでござります)! 動かず静かにせい(なされよ)!」」
「む、むう……」
翌日、惟任日向守の首が羽柴の元に届けられた。
野の獣や鳥に食い荒らされ、暑さで痛み、見るも無残な首だったと聞く。
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