150 / 201
第3章 帝都の客人
第110話 潜入
しおりを挟む
「す――――…………。す――――…………」
目を覚ますと、半裸のカヤノが寝台の中に潜り込んでいた。
眠っていたとは言え、俺に一切の気配を感じさせないとは……。
やはり神仏の類と申すべきか?
平生ならばそこで終わらせても良いのだが、今の姿は目の遣り場に困ることこの上ない。
胸は大きくはだけ、太腿は付け根まで丸見えだ。
身体を離し、少し目を逸らしつつ、カヤノの細い肩を揺らした。
「おい……」
「す――――…………。す――――…………」
「起きんか。おい、カヤノ?」
「す――――……。止めてよ……もう飲めない…………」
「ありきたりな寝言を…………む? な、何だこれは……!?」
薄暗い室内を見渡してみれば、樽や甕が雑然と並んでいる。
日ノ本の酒甕も多いが、中には異界の葡萄酒や麦酒の樽の姿もある。
もしやと思ってカヤノに顔を近付けてみると――――。
「…………酒臭い」
いや、酒そのものの匂いがすると言っても過言ではない。
飲んだのではなく、頭から酒を被ったのではあるまいか?
左様に思わせる程に強烈だ。
半ば寝ていた頭が一気に覚醒する。
数日振りに姿を見せたかと思えば、何だこれは?
「おい! 近習衆! 誰かある!?」
「はっ……」
呼ばわると、宿直をしていた春日源五郎が、なんとも申し訳なさそうな様子で顔を出した。
頬や額には生々しい引っ掻き傷がいくつもある……。
「むう……。昨晩も壮絶だったようだな……」
「矮小な人の身で、神仏の行く手を阻む事など出来ようはずもござりませんでした……」
「俺を起こしてもよかったのだぞ?」
「若は日々の仕置でお疲れにござります。お起しするなど出来ませぬ」
「無言無音で戦ったのか? 器用な事をする……」
「恐れ入りまする」
「ところでこの樽や甕は何だ? 匂いだけで酔いそうだぞ?」
「カヤノ様がどこからともなく持ち込まれたのです」
「屋敷の酒ではないのか?」
「はっ。手前も気になり源三郎に確かめさせております。今のところ、辺境伯邸の台所も酒蔵も無事とのこと。今は家人用の台所を調べさせておりまする」
「左様か……」
これは本人に尋ねるしかあるまいと、再びカヤノを揺すってみるが、「もう飲めない……」と例の寝言を繰り返すばかりで一向に起きない。
頬をつねってもダメだ。
最後の手段と鼻を摘まんでみたが、即座に手を払われてしまった。
なんと恐るべき剛力か……。
「致し方ない。起きるまで放っておくとしよう」
「樽や甕の出所は如何に致しましょう?」
「人から盗んではいまい。酒意地は張っておるが飲む前には必ず断りを入れる奴だからな。まあ、止めたところで飲むのだろうが……」
「案外行儀のよろしい御方にござりますな……」
「案外? カヤノに聞かれたら捻り潰されるぞ?」
「お忘れください……」
特に恐れる様子も見せずに頭を下げる源五郎。
瞳がギラリと光っている。
どうせその秋こそ雪辱を……とでも思っておるに違いない。
我が家中は血の気が多い者ばかりよな。
神仏相手でもこのザマよ。くっくっく…………。
「さて、半端なとことで目が覚めたかと思うたが、そろそろ日が昇りそうだのう?」
「はっ」
「身支度をする。準備せい」
「隣室に整えてございます」
「用意が良い奴よ」
隣室に移ると、洗顔用の水から着替えまで、万事恙無く整っていた。
さすがに酒樽と酒甕で足の踏み場もない部屋では着替え一つ碌には出来ぬ。
出来た近習は有難きものよ。
顔を洗い、口を濯いでいると、秋山源三郎が戻って来た。
家人用の台所にも変わりはないらしい。
「酒の出所がますます分からんのは気になるが……。まあよい。見回りに出るぞ」
「「はっ!」」
源五郎と源三郎を供に屋敷の庭に出る。
途端に初冬の冷え切った空気に包まれた。
薄暗く、靄で視界は白く濁っている。
日は昇っておらず、東の空がようやく白み始めたところであろう。
足元に気を払いつつ、庭に変わったところがないか見て回り、屋敷を囲む石塀に壊れたところがないか確かめる。
辺境伯の別邸とは申しても、さほど広い屋敷ではない。
ネッカーの町自体が大きくはないからな。
ゆっくりと見て回っても、さほどの時は掛からぬ。
母屋の周囲を回り、厩の辺りまでやって来ると、薄靄の向こうから馬の口を引く人影が近付いて来た。
「おはようございます。サイトー様はいつもお早いですな」
馬丁頭のシュテファンだ。
口を引かれた黒金が「ぶふふふっ!」と嬉しそうにいなないた。
「黒金の散歩か?」
「ええ。ちょっと町の中を一回りしてきますよ」
「世話を掛けるのう」
「何を仰います! サイトー様には大事なお仕事があるんです! クロガネの世話の一つや二つ、あっしら馬丁に任せておいて下さい!」
シュテファンは笑顔で答えると、黒金を引いて町の方へ向かった。
しかし、辺境伯家の馬丁は誰も彼も優れた者ばかりだ。
黒金は気難しい性格で、なかなか他の者に懐かぬ。
背に乗せることなど滅多にないし、口を取らせるのも嫌がるのだが……。
ここの馬丁達も始めの内こそ苦労していたようだが、いつの間にか黒金との付き合い方に覚えてしまった。
どうやら異界では、日ノ本以上に馬の数が多く、馬の扱いに手慣れた者も多いらしい。
故に、優れた馬丁も多い。
蹄鉄の件と言い、当家でも異界の馬丁を雇い入れるべきかもしれぬ――――。
――――と、その時、再び薄靄の向こうに人影が見えた。
「おおい! シンクロー!」
俺を呼ぶ声に近付くと、簡素で動きやすそうな服を着たミナが待ち構えていた。
手には木で作った剣を握り、長い銀の髪は後ろで一つにまとめている。
「待たせたか?」
「いいや。私も来たばかりだ。シンクローはまた屋敷の見回りか?」
「うむ」
「当家の警備に任せてくれてもいいんだぞ?」
「朝夕の屋敷の見回りは武士の習。欠かすと調子が狂う」
「そうか? それならいいんだが……」
「それはそうと、稽古を始めるとしよう」
「ああっ!」
嬉々として素振りを始めたミナの横で、俺も刀を抜いて素振りを始めた。
起床した後に行う屋敷の見回りと武術の稽古は武士の習。
辺境伯邸で寝泊まりしている時も、欠かさずに続けている。
俺の日課に何故ミナが付き合っておるのか?
あれはゲルトとの戦の直後。
早朝、庭先で刀を振っているところをミナに見付かった。
そして何と申したと思う?
「シンクローだけズルい!」だ。
何が「ズルい」のかサッパリ分からんが、曰く、「稽古をするなら自分も誘うべき」なのだそうだ。
女子の身で騎士なんぞやっているだけのことはあり、剣術の上達に余念が無いらしい。
日ノ本の武術にも並々ならぬ興味があるようだしな。
ちなみに、稽古のついでに何度も勝負を挑まれている。
初めて会った時、徒手の俺に負けたことが余程悔しかったらしく、何度負けても再戦を挑んでくる。
今のところ、俺の二十三勝・負け無しだ。
これだけ負けが込んでも、ミナはへこたれることも、諦めることもしない。
さて、今朝は挑んでくるかのう?
「シンクロー」
「お? 何だ? 勝負か?」
「今日はいい。それより、ちょっと打ち込みを見てくれないか?」
左様に申すと、ミナは人の背丈ほどある木杭の前に立った。
四、五寸ばかりの太さがあり、根本は土に深く差し込まれている。
異界の稽古道具の一つで『ペル』と申すらしい。
これに向かって剣を打ち込むことで、剣の正しい振り方を学び、剣を振るのに必要な筋肉を鍛えるのだ。
全力で打ち込みを続ければ、如何に精強な騎士であっても四半刻ももたずに疲労困憊となる。
俺も試してみたが、後に控える仕事なぞ放り出したくなるほどに疲れた。
戦場で手柄を立てるには――――いや、戦い抜くには、まず体力がなければ如何ともし難い。
そして、単調で過酷な稽古を淡々と続けるには、心を強く持つことも欠かせぬ。
『ペル』の打ち込みは幾重にも役に立つ稽古と言えよう。
さて、ミナが剣を振り始めた。
脇見をする事は無く、無駄口も叩かず、一心不乱に剣を振る。
剣が『ペル』を打つ小気味よい音が、薄靄を切り裂いて鳴り響く。
源五郎と源三郎が「ほう……」と感心した様子で声を漏らした。
真っ直ぐな、良い剣筋だ。
剣は吸い込まれるようにして『ペル』へと向かう。
『ペル』に目を遣ってみれば、人の頭から肩辺り高さにかけて大きくへこんでいるのがよく分かる。
左右共に、一寸ばかりはへこんでいようか?
内側に向かって綺麗な弧を描いてな。
その表面は、つるつるとして滑らか。
同じ箇所に、幾度も剣を打ち込んだ証だ。
生半可な打ち込み数では、木杭もこうはなるまい。
ミナは疲れた様子も見せず、五十、百、百五十、二百と数を重ねていく。
…………やはりこの娘、強い。
自分で申すのもなんだが、俺に負けたのは相手が悪かったとしか言えんと思うんだがな……。
そこまで悔しがらずとも……………………いや、左様に慰めてもミナの心には響くまい。
心の奥底から剣術に打ち込むが故に、勝利を得ずして悔しさが晴れる事はないのだ。
俺もきっとそうするであろう…………。
ミナの打ち込みが三百に達した。
頬は上気して桃色に染まり、髪をまとめて露わになったうなじを汗が流れ落ちていく。
源五郎と源三郎が「ほう……」と、先程とは別の意味で声を漏らした。
「おい…………」
「「失敬……」」
とりあえず睨みつけると、二人はそれぞれ別の方向へ目を逸らした。
………………いや、気持ちはな? 気持ちは分かるんだぞ?
あの姿を目にして、美しい、艶っぽい、なまめかしい、そそる…………などと思う気持ちは痛いほど分かるんだぞ?
いつもの堅苦しい騎士服と違い、薄手の動きやすそうな服だ。
汗で張り付き浮き上がった身体の線――――。
上下に激しく揺れる胸のふくらみ――――。
――――心躍る気持ちは、それはもう痛いほどに分かるのだぞ?
ただし、其方らには見せてやらん。
俺だけがミナを見ておればそれで良い。
「シ、シンクロー……?」
俺の心中を見透かしたが如き頃合で、ミナが俺を呼んだ。
慌てず騒がず、動揺を表に出さず、真面目に見ていた風を装う。
「……何か?」
「いや……打ち込む姿勢は……崩れていないか……?」
ふう……危ない危ない……。
一つ頷き、さも一振りも見落としていないかの如く答えた。
「オホン……。打ち込む力は多少弱くはなっておるが、姿勢は保っておるぞ」
「分かった……。千振り目指して……続けるぞ……!」
打ち込む剣に再び力がこもった。
この様子なら……千振りは十分に望めそうだ――――。
「――――きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
「な、何だ!?」
絹を裂くかの如き悲鳴に、ミナが思わず手を止める。
源五郎と源三郎が腰の刀に手を掛けた。
「あの悲鳴……幼い女子のものに相違あるまい!」
「正門の方から聞こえたぞ!」
「朝も早くから剣呑な事よ! 参るぞ!」
「ああっ!」
俺達は屋敷の正門に向けて走り出した。
目を覚ますと、半裸のカヤノが寝台の中に潜り込んでいた。
眠っていたとは言え、俺に一切の気配を感じさせないとは……。
やはり神仏の類と申すべきか?
平生ならばそこで終わらせても良いのだが、今の姿は目の遣り場に困ることこの上ない。
胸は大きくはだけ、太腿は付け根まで丸見えだ。
身体を離し、少し目を逸らしつつ、カヤノの細い肩を揺らした。
「おい……」
「す――――…………。す――――…………」
「起きんか。おい、カヤノ?」
「す――――……。止めてよ……もう飲めない…………」
「ありきたりな寝言を…………む? な、何だこれは……!?」
薄暗い室内を見渡してみれば、樽や甕が雑然と並んでいる。
日ノ本の酒甕も多いが、中には異界の葡萄酒や麦酒の樽の姿もある。
もしやと思ってカヤノに顔を近付けてみると――――。
「…………酒臭い」
いや、酒そのものの匂いがすると言っても過言ではない。
飲んだのではなく、頭から酒を被ったのではあるまいか?
左様に思わせる程に強烈だ。
半ば寝ていた頭が一気に覚醒する。
数日振りに姿を見せたかと思えば、何だこれは?
「おい! 近習衆! 誰かある!?」
「はっ……」
呼ばわると、宿直をしていた春日源五郎が、なんとも申し訳なさそうな様子で顔を出した。
頬や額には生々しい引っ掻き傷がいくつもある……。
「むう……。昨晩も壮絶だったようだな……」
「矮小な人の身で、神仏の行く手を阻む事など出来ようはずもござりませんでした……」
「俺を起こしてもよかったのだぞ?」
「若は日々の仕置でお疲れにござります。お起しするなど出来ませぬ」
「無言無音で戦ったのか? 器用な事をする……」
「恐れ入りまする」
「ところでこの樽や甕は何だ? 匂いだけで酔いそうだぞ?」
「カヤノ様がどこからともなく持ち込まれたのです」
「屋敷の酒ではないのか?」
「はっ。手前も気になり源三郎に確かめさせております。今のところ、辺境伯邸の台所も酒蔵も無事とのこと。今は家人用の台所を調べさせておりまする」
「左様か……」
これは本人に尋ねるしかあるまいと、再びカヤノを揺すってみるが、「もう飲めない……」と例の寝言を繰り返すばかりで一向に起きない。
頬をつねってもダメだ。
最後の手段と鼻を摘まんでみたが、即座に手を払われてしまった。
なんと恐るべき剛力か……。
「致し方ない。起きるまで放っておくとしよう」
「樽や甕の出所は如何に致しましょう?」
「人から盗んではいまい。酒意地は張っておるが飲む前には必ず断りを入れる奴だからな。まあ、止めたところで飲むのだろうが……」
「案外行儀のよろしい御方にござりますな……」
「案外? カヤノに聞かれたら捻り潰されるぞ?」
「お忘れください……」
特に恐れる様子も見せずに頭を下げる源五郎。
瞳がギラリと光っている。
どうせその秋こそ雪辱を……とでも思っておるに違いない。
我が家中は血の気が多い者ばかりよな。
神仏相手でもこのザマよ。くっくっく…………。
「さて、半端なとことで目が覚めたかと思うたが、そろそろ日が昇りそうだのう?」
「はっ」
「身支度をする。準備せい」
「隣室に整えてございます」
「用意が良い奴よ」
隣室に移ると、洗顔用の水から着替えまで、万事恙無く整っていた。
さすがに酒樽と酒甕で足の踏み場もない部屋では着替え一つ碌には出来ぬ。
出来た近習は有難きものよ。
顔を洗い、口を濯いでいると、秋山源三郎が戻って来た。
家人用の台所にも変わりはないらしい。
「酒の出所がますます分からんのは気になるが……。まあよい。見回りに出るぞ」
「「はっ!」」
源五郎と源三郎を供に屋敷の庭に出る。
途端に初冬の冷え切った空気に包まれた。
薄暗く、靄で視界は白く濁っている。
日は昇っておらず、東の空がようやく白み始めたところであろう。
足元に気を払いつつ、庭に変わったところがないか見て回り、屋敷を囲む石塀に壊れたところがないか確かめる。
辺境伯の別邸とは申しても、さほど広い屋敷ではない。
ネッカーの町自体が大きくはないからな。
ゆっくりと見て回っても、さほどの時は掛からぬ。
母屋の周囲を回り、厩の辺りまでやって来ると、薄靄の向こうから馬の口を引く人影が近付いて来た。
「おはようございます。サイトー様はいつもお早いですな」
馬丁頭のシュテファンだ。
口を引かれた黒金が「ぶふふふっ!」と嬉しそうにいなないた。
「黒金の散歩か?」
「ええ。ちょっと町の中を一回りしてきますよ」
「世話を掛けるのう」
「何を仰います! サイトー様には大事なお仕事があるんです! クロガネの世話の一つや二つ、あっしら馬丁に任せておいて下さい!」
シュテファンは笑顔で答えると、黒金を引いて町の方へ向かった。
しかし、辺境伯家の馬丁は誰も彼も優れた者ばかりだ。
黒金は気難しい性格で、なかなか他の者に懐かぬ。
背に乗せることなど滅多にないし、口を取らせるのも嫌がるのだが……。
ここの馬丁達も始めの内こそ苦労していたようだが、いつの間にか黒金との付き合い方に覚えてしまった。
どうやら異界では、日ノ本以上に馬の数が多く、馬の扱いに手慣れた者も多いらしい。
故に、優れた馬丁も多い。
蹄鉄の件と言い、当家でも異界の馬丁を雇い入れるべきかもしれぬ――――。
――――と、その時、再び薄靄の向こうに人影が見えた。
「おおい! シンクロー!」
俺を呼ぶ声に近付くと、簡素で動きやすそうな服を着たミナが待ち構えていた。
手には木で作った剣を握り、長い銀の髪は後ろで一つにまとめている。
「待たせたか?」
「いいや。私も来たばかりだ。シンクローはまた屋敷の見回りか?」
「うむ」
「当家の警備に任せてくれてもいいんだぞ?」
「朝夕の屋敷の見回りは武士の習。欠かすと調子が狂う」
「そうか? それならいいんだが……」
「それはそうと、稽古を始めるとしよう」
「ああっ!」
嬉々として素振りを始めたミナの横で、俺も刀を抜いて素振りを始めた。
起床した後に行う屋敷の見回りと武術の稽古は武士の習。
辺境伯邸で寝泊まりしている時も、欠かさずに続けている。
俺の日課に何故ミナが付き合っておるのか?
あれはゲルトとの戦の直後。
早朝、庭先で刀を振っているところをミナに見付かった。
そして何と申したと思う?
「シンクローだけズルい!」だ。
何が「ズルい」のかサッパリ分からんが、曰く、「稽古をするなら自分も誘うべき」なのだそうだ。
女子の身で騎士なんぞやっているだけのことはあり、剣術の上達に余念が無いらしい。
日ノ本の武術にも並々ならぬ興味があるようだしな。
ちなみに、稽古のついでに何度も勝負を挑まれている。
初めて会った時、徒手の俺に負けたことが余程悔しかったらしく、何度負けても再戦を挑んでくる。
今のところ、俺の二十三勝・負け無しだ。
これだけ負けが込んでも、ミナはへこたれることも、諦めることもしない。
さて、今朝は挑んでくるかのう?
「シンクロー」
「お? 何だ? 勝負か?」
「今日はいい。それより、ちょっと打ち込みを見てくれないか?」
左様に申すと、ミナは人の背丈ほどある木杭の前に立った。
四、五寸ばかりの太さがあり、根本は土に深く差し込まれている。
異界の稽古道具の一つで『ペル』と申すらしい。
これに向かって剣を打ち込むことで、剣の正しい振り方を学び、剣を振るのに必要な筋肉を鍛えるのだ。
全力で打ち込みを続ければ、如何に精強な騎士であっても四半刻ももたずに疲労困憊となる。
俺も試してみたが、後に控える仕事なぞ放り出したくなるほどに疲れた。
戦場で手柄を立てるには――――いや、戦い抜くには、まず体力がなければ如何ともし難い。
そして、単調で過酷な稽古を淡々と続けるには、心を強く持つことも欠かせぬ。
『ペル』の打ち込みは幾重にも役に立つ稽古と言えよう。
さて、ミナが剣を振り始めた。
脇見をする事は無く、無駄口も叩かず、一心不乱に剣を振る。
剣が『ペル』を打つ小気味よい音が、薄靄を切り裂いて鳴り響く。
源五郎と源三郎が「ほう……」と感心した様子で声を漏らした。
真っ直ぐな、良い剣筋だ。
剣は吸い込まれるようにして『ペル』へと向かう。
『ペル』に目を遣ってみれば、人の頭から肩辺り高さにかけて大きくへこんでいるのがよく分かる。
左右共に、一寸ばかりはへこんでいようか?
内側に向かって綺麗な弧を描いてな。
その表面は、つるつるとして滑らか。
同じ箇所に、幾度も剣を打ち込んだ証だ。
生半可な打ち込み数では、木杭もこうはなるまい。
ミナは疲れた様子も見せず、五十、百、百五十、二百と数を重ねていく。
…………やはりこの娘、強い。
自分で申すのもなんだが、俺に負けたのは相手が悪かったとしか言えんと思うんだがな……。
そこまで悔しがらずとも……………………いや、左様に慰めてもミナの心には響くまい。
心の奥底から剣術に打ち込むが故に、勝利を得ずして悔しさが晴れる事はないのだ。
俺もきっとそうするであろう…………。
ミナの打ち込みが三百に達した。
頬は上気して桃色に染まり、髪をまとめて露わになったうなじを汗が流れ落ちていく。
源五郎と源三郎が「ほう……」と、先程とは別の意味で声を漏らした。
「おい…………」
「「失敬……」」
とりあえず睨みつけると、二人はそれぞれ別の方向へ目を逸らした。
………………いや、気持ちはな? 気持ちは分かるんだぞ?
あの姿を目にして、美しい、艶っぽい、なまめかしい、そそる…………などと思う気持ちは痛いほど分かるんだぞ?
いつもの堅苦しい騎士服と違い、薄手の動きやすそうな服だ。
汗で張り付き浮き上がった身体の線――――。
上下に激しく揺れる胸のふくらみ――――。
――――心躍る気持ちは、それはもう痛いほどに分かるのだぞ?
ただし、其方らには見せてやらん。
俺だけがミナを見ておればそれで良い。
「シ、シンクロー……?」
俺の心中を見透かしたが如き頃合で、ミナが俺を呼んだ。
慌てず騒がず、動揺を表に出さず、真面目に見ていた風を装う。
「……何か?」
「いや……打ち込む姿勢は……崩れていないか……?」
ふう……危ない危ない……。
一つ頷き、さも一振りも見落としていないかの如く答えた。
「オホン……。打ち込む力は多少弱くはなっておるが、姿勢は保っておるぞ」
「分かった……。千振り目指して……続けるぞ……!」
打ち込む剣に再び力がこもった。
この様子なら……千振りは十分に望めそうだ――――。
「――――きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
「な、何だ!?」
絹を裂くかの如き悲鳴に、ミナが思わず手を止める。
源五郎と源三郎が腰の刀に手を掛けた。
「あの悲鳴……幼い女子のものに相違あるまい!」
「正門の方から聞こえたぞ!」
「朝も早くから剣呑な事よ! 参るぞ!」
「ああっ!」
俺達は屋敷の正門に向けて走り出した。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
大和型戦艦、異世界に転移する。
焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
距離を置きたい女子たちを助けてしまった結果、正体バレして迫られる
歩く魚
恋愛
かつて、命を懸けて誰かを助けた日があった。
だがその記憶は、頭を打った衝撃とともに、綺麗さっぱり失われていた。
それは気にしてない。俺は深入りする気はない。
人間は好きだ。けれど、近づきすぎると嫌いになる。
だがそんな俺に、思いもよらぬ刺客が現れる。
――あの日、俺が助けたのは、できれば関わりたくなかった――距離を置きたい女子たちだったらしい。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
英雄召喚〜帝国貴族の異世界統一戦記〜
駄作ハル
ファンタジー
異世界の大貴族レオ=ウィルフリードとして転生した平凡サラリーマン。
しかし、待っていたのは平和な日常などではなかった。急速な領土拡大を目論む帝国の貴族としての日々は、戦いの連続であった───
そんなレオに与えられたスキル『英雄召喚』。それは現世で英雄と呼ばれる人々を呼び出す能力。『鬼の副長』土方歳三、『臥龍』所轄孔明、『空の魔王』ハンス=ウルリッヒ・ルーデル、『革命の申し子』ナポレオン・ボナパルト、『万能人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。
前世からの知識と英雄たちの逸話にまつわる能力を使い、大切な人を守るべく争いにまみれた異世界に平和をもたらす為の戦いが幕を開ける!
完結まで毎日投稿!
勇者パーティのサポートをする代わりに姉の様なアラサーの粗雑な女闘士を貰いました。
石のやっさん
ファンタジー
年上の女性が好きな俺には勇者パーティの中に好みのタイプの女性は居ません
俺の名前はリヒト、ジムナ村に生まれ、15歳になった時にスキルを貰う儀式で上級剣士のジョブを貰った。
本来なら素晴らしいジョブなのだが、今年はジョブが豊作だったらしく、幼馴染はもっと凄いジョブばかりだった。
幼馴染のカイトは勇者、マリアは聖女、リタは剣聖、そしてリアは賢者だった。
そんな訳で充分に上位職の上級剣士だが、四職が出た事で影が薄れた。
彼等は色々と問題があるので、俺にサポーターとしてついて行って欲しいと頼まれたのだが…ハーレムパーティに俺は要らないし面倒くさいから断ったのだが…しつこく頼むので、条件を飲んでくれればと条件をつけた。
それは『27歳の女闘志レイラを借金の権利ごと無償で貰う事』
今度もまた年上ヒロインです。
セルフレイティングは、話しの中でそう言った描写を書いたら追加します。
カクヨムにも投稿中です
勇者の隣に住んでいただけの村人の話。
カモミール
ファンタジー
とある村に住んでいた英雄にあこがれて勇者を目指すレオという少年がいた。
だが、勇者に選ばれたのはレオの幼馴染である少女ソフィだった。
その事実にレオは打ちのめされ、自堕落な生活を送ることになる。
だがそんなある日、勇者となったソフィが死んだという知らせが届き…?
才能のない村びとである少年が、幼馴染で、好きな人でもあった勇者の少女を救うために勇気を出す物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる