優しいあなたに、さようなら ~二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ

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3章 スイユ編

56 日誌の主

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 最後に城とその周辺一帯の浄化をルオンに頼み、私たちは帰路についた。
 これで邪術の効力は解除され、きれいさっぱり無効になったはずだし、あの魔石がどこかに隠されていたとしても、マーシャの持っていたあの石と同じく、毒気を抜かれて透明無害な石に変わり果てているはず。

 本来の神々しい銀毛の虎の姿を現して、空を駆け浄化の光を放つルオン。それにアルが目を奪われたかのように立ちすくんでいたのが少し不思議だった。ベレニスと魔物討伐に出ていたなら、精霊の浄化なんて珍しくもないだろうに。

 もっとも、いくら浄化しても、朽ち果てたものが真新しくなるわけではない。しかし、荒廃した風景に何の変化も見えなくても、場を満たす空気には打って変わった清々しさを感じる。

 これだけの広範囲の浄化は、さすがのルオンにも負担だ。
 精霊力をほとんど使い果たしてしまったルオンは、また姿を消した。残った力を温存し、蓄積を早めるためだ。


 宿に戻ると、ベレニスがまた、カイと一緒に私たちを待ち構えていた。
 これはまた、何か頼まれる予感……。

「おかえり。ご苦労様。何か収穫はあったかい?」

 満面の笑みで迎えてくれたベレニスに、アルも察したようで苦笑いして応える。

「依頼は果たしたよ。それで、面白そうなものが見つかりもしたから、持ってきた。それぐらいかな」
「それはよかった。じゃあ、早速、次も頼まれておくれ」
「あ……人使い、荒いねえ……」

 これに私も同感だ。でも、ギルドに舞い込む依頼なんて、こちらの都合を待ってはくれないのが当たり前だから、仕方がない……。

 その時、私のお腹がぐうっ……と小さく鳴った。恥ずかしい……。
 気づいたベレニスがにやりとして私を見る。
 
「あ……すまない、すまない。あんたたち、一仕事してお腹が空いてるよな。先に食事、話はそれから」
「うん。そうしてくれると嬉しい……」
「僕もお腹が減ったよ。仕事の話の前に、何か食わせてくれよ」
「じゃあ、あんたたち、荷物を置いたら、あたしの部屋に集合ってことで。食事も用意しておくよ」

 そうしていったん部屋に戻った私は、簡単に着替えを済ますと、ルオンを呼んだ。

「出てきたら?」

 呼びかけると、たちまち猫の姿のルオンが現れる。

「ルオンも今日はありがとう。疲れたよね。ベレニスに言ってお菓子を貰おうか?」
「いいねえ。そのほうが回復が早まるよ」
「じゃあ、一緒に行きましょ。毛玉も甘いお菓子を貰おうよ」

 お菓子、と聞けば、いつもなら飛び出してきて辺りをぴょんぴょん跳ねまわるはずの毛玉が、なぜか机の上に載ったまま、大人しくしている。

 その机の上には、古城から持ってきた魔法師の日誌が置かれていた。さっき、アルから預かってもらえないかと手渡されたのだ。
 アルは、自分は出かけることが多く、よく部屋を留守にするから、ルオンも毛玉もいる私の部屋のほうが保管しておくのに安全だろうと言って。

「あれ? 毛玉ちゃんは行かなくていいの? お菓子、いらないの?」
「あ、あい……今日は、とても、疲れた、のです。何だか、眠たい……。お菓子は、後でいい、です……」
「そう……」

 いつもと違う反応の毛玉が少し心配ではあるが、今日、古城でいきなり震えだしたりしていたから、毛玉なりに何か気を張るようなことがあったのだろう。だから、大好きなお菓子を後回しにするほど眠たいのかもしれない。

「この、本、大事。守って、います……」

 毛玉は古びた日誌の上に、ぴょんと載った。

「じゃ、毛玉ちゃんはお部屋で休んでいてね。お菓子は貰ってきてあげるから」
「はい、です……」

 毛玉だけ部屋に残し、私はルオンとベレニスの部屋に向かう。

 ベレニスの部屋の扉を開けると、テーブルに人数分の食事が用意されていた。湯気の立つ、美味しそうな匂い。
 その匂いにつられて、またお腹が鳴りそうになる。カイも同じテーブルに着いていた。

 全員が席に着くと、ベレニスが話し始める。

「カイたちがさ、アンテ城にいた男を街で見た、って言うんだよ。その男、話を聞くと、どうも魔法師だね」

 ベレニスの言葉に、カイが隣で大きく頭を振った。
 話を聞けば、カイが遊び仲間の少年たちとアンテ城に忍び込んでいた時に、男がそこで魔法を行うのを見たという。

「僕たちが城の中を探検していたら、後から男がやって来たんだよ。外で見張りをしてた奴が、人が来るのに気づいて、先回りして中にいた僕たちに知らせてくれたんだ。だから気づかれないように隠れて、遠くから男のすることを覗いてた」

 少年たちに覗き見られているとも知らず、城の大広間に入った男は、小瓶に入った液体を、ゆっくり円を描くように床に垂らしていった。
 その作業が一通り終わると、今度は箱から赤い石をいくつか取り出して、さっき描いた円の中に置く。さらに円の中央に、魔法で拘束されているらしい生きた魔物も置いた。それから何事かぶつぶつ唱えていたかと思ったら――。

「そこに黒い煙みたいなのが湧いてきたんだ。床からじわじわ湧いてきた気味の悪い黒い煙が、そのうち太い柱みたいになって広間の高い天井に届くまでのぼっていったと思ったら、その煙の中から大きな虎が出てきたんだ」

 大きな虎?
 堪らず話の途中に割って入った。

「……本当に虎に見えたの?」

 カイは迷いなく答える。

「うん! 確かに虎だったよ。大きな虎!」

 ◆◆◆

「じゃ、毛玉ちゃんはお部屋で休んでいてね。お菓子は貰ってきてあげるから」

 そう言って二人は部屋を出て行った。

 毛玉は閉められた扉を確かめるようにじっと見つめてから、アルが持ってきた古びた日誌を小さな手で器用にぺらり、ぺらりとめくる。

 すると、何も書かれていなかったはずの頁に、文字がうっすらと、やがてはっきりと現れてきた。

 その文字を、愛おしそうに手でなぞると、毛玉の目からはらはらと涙がこぼれる。
 その涙が日誌の文字を滲ませたと思った瞬間、毛玉が机の上から床に飛び降りた。

 ポンッ!

 床には、飛び降りた毛玉の代わりに、黒髪の少女が膝を抱えて蹲っていた。
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