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番外 モブの弟、シオン・バジリスクの気苦労
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◆モブの弟、シオン・バジリスクの気苦労
兄上が、また、やりやがりました。
学園に入って、ひと月も経っていないというのに。陛下のお友達を、電光石火で篭絡してしまったのです。
いくら人たらしでも、本当にあの、兄上の、人心の求心力はなんなのでしょう? いつも驚かされます。
兄上は、無意識無邪気に、会う人みんな、たらしていく。
まぁ、王妃となるには、人から好かれる、そういうところは良い逸材なのでしょうけどぉ?
でもでも。どうして男ばっかり、メロメロにするのですか!
陛下の目が、最早、怖いです。
順を追って、ちょっとさかのぼって、思い出していきましょう。
王城のある孤島に、上陸直後。王城の者は、みんな、兄上に対して、辛辣だった。
本土では。兄上のことをチラリと見ただけなのに、のぼせ上がる男性客が何人かいたが。
王城のピリついた空気感に、兄上が性的な意味で狙われることはないのだと判断し。ある意味、ぼくは高をくくっていた。
優雅に、丸い手で、顔を拭き拭きしていたのだ。
しかし。まさか、一番の大物である陛下を、釣り上げてしまうとはね!
猫のときは、口を大きく開けられるが。
そのぼくが、顎が外れるかと思うくらいに驚いたよ。
黒猫として、王城で情報収集をしていたぼくは。兄上が知らないこと、兄上に言えないこと、あえて報告していないことが、それなりにあった。
実際に、見て、聞いて、知ったことであるが。
正直に伝えたら、兄上が悲しくなってしまうようなことも多かったからな。
そういう話は、胸に貯めて、秘匿していた。
いつか、その情報を知っていたことで、兄上を援護できればいい、くらいの気持ちで、ね。
そんな情報の中のひとつ。
これは…中心にいる陛下も、気づいていないことかもしれないが。
王城で働く者は、いわゆる、陛下をお守りする部隊だということだ。
使用人たちは、ほぼ、武器を用いて、陛下をお守りできるよう、訓練されていたのだ。
そして陛下の周りは、見るからに強力な守護者たちが囲っている。
執事であるラヴェルは、陛下の影のごとく背後に控え、陛下の御身を直近でお守りしていた。
アルフレドは、料理人とは仮の姿で、陛下の忠実なる隠密である。
猫のとき、よく、ジッとみつめられて、ヒヤリとしたことがあったよ。
そして、セドリックとシヴァーディは、言うまでもなく、国内最強の騎士。
陛下を、幼少時から鍛錬し。一騎当千の猛者に育て上げた。
陛下の周りで、なにがあっても。陛下がおひとりでも、立っていられるよう。ふたりは陛下を、我が子に教えるような熱心さで、剣技を伝授したのだという。
それで、あの、完全無欠の陛下が出来上がったというわけだ。
誰もかなわぬ、知識と武芸を身につけた、崇高で、高潔な王。
だが、孤高であった、その陛下の懐に。
兄上は、にゅるりと飛び込んで。
なんの気負いもなく、冷たく凍った陛下の御心を、ほぐして、包んで、愛で満たしてしまった。
それは、もう。陛下は、兄上を手放せないだろうな?
兄上の愛で満たされて、育ったぼくには、よくわかる。あの心地よさを知ってしまったら、ね。
陛下だけの執着なら、是が非でも、陛下と兄上を引きはがしたのだが。
兄上も陛下をお好きだというのだから。仕方がない。陛下だけは、見逃してやる。
しかし、他の者は、駄目ですよ。
兄上っ! これ以上、貴方の真綿に包むように、温かく、優しく、甘露な愛情を。むやみやたらに垂れ流さないでいただきたい。
それでなくても、陛下にチュウチュウ吸われているというのに。
ぼくの吸う分が、なくなってしまいますっ。
まぁ…それで。陛下に害のある者は処分、と息巻く。陛下の脇を固める者たちを。
兄上はひとり残らず、悩殺してしまったわけだ。
ラヴェルは、顔見知りだった。
兄上が幼少期の頃からの刷り込みで、最初から崇拝状態だったから。イチコロだったな。
アルフレドは、兄上の細身の体が心配で。
どちらかというと…ガリガリの猫を拾った飼い主が、太らせてやらなければと奮起する、あの精神状態に似ているだろうか?
初対面から庇護欲に駆られていたっけ。
セドリックは、初めは警戒していたが。結構初期から、兄上を無害とみなしていた。
ま、事実無害だし。
兄上のほのぼのオーラと、おバカオーラに、ほだされてしまったのだな。
陛下を一番に守護するべき立場にある、セドリックとシヴァーディが、兄上に篭絡されたときは。目をみはったよ。
シヴァーディなんかは、兄上を敵視している空気感が出ていたから。彼が一番、兄上に警戒感を持っていたと言ってもいいだろう。
だけど。ある日を境に。その空気感は、一変した。
兄上に、ありがとうと言ってきたのだ。
その手のひら返しに、なんでだろうか? と。その頃には、陛下が兄上に好意を持っていたから。そのせいだろうか、と思ったが。
独自の情報収集。いわゆる、盗み聞きの結果。
シヴァーディはセドリックと元のさやにおさまった、ということらしい。
なんじゃ、そりゃ? つか、兄上はそれに、なんの関係が?
詳しいことはわからないが。
どうやら、兄上が王城に来たことがきっかけで、ふたりの関係も動いた。みたいな?
知らんがな。
まぁ、そんなこんなで、王城の、手厳しいはずの男たちを。軒並み、兄上も知らぬうちに、兄上は全員攻略してしまっていたというわけだ。
兄上は『セドリックもシヴァーディもアルフレドも、お友達、というには、恐れ多いというか。お兄様? みたいな? ぼく、兄がいたことがないから。なんか、頼れるお兄さんがいっぱいできたみたいで、嬉しいんだよねぇ』なんて、のんきに言っているけど。
ラヴェルを含め、彼らが兄上に向ける目は、愛護の情があふれすぎていて。
もしも陛下が、この世にいなかったら。
兄上は、あの狼たちにパックリ食われていただろうと、容易に想像がつくのだった。
弟のぼくがいる限り、そのようなことにはさせないがなっ。
そして、陛下の重臣にも愛されまくりで、もうすぐ王妃の立場になる、兄上。
陛下のご家族とも、仲が良いし。陛下の側近はもれなく、兄上を可愛がっているし。王宮に入っても、なんの憂いもなさそうなのだが。
近頃、元気がないときがある。
マリッジブルー? 結婚が嫌なら、公爵家に戻るのはウェルカムですよ、兄上。
そう、思うけれど。
結婚するのが嫌なのではないらしい。むしろ早く結婚したいようだ。嫌です。
陛下の愛が足りないわけでもなく。
だって…陛下はウゼェくらいに、兄上を寵愛しまくっているからな。
でも、なにか、気に病んでいる。
ぼくに相談してくれたらいいのに。
そうだな。やはり、学園生活を始めた頃くらいだろうか?
兄上が話してくれないから、原因ははっきりとはわからないが。
まぁ、目障りな御令嬢は、いるよね。
隣国の公女? 兄上のことを、悪辣悪役令嬢と言った。なにをとち狂っているのやら?
まぁ、その御令嬢のことを、陛下は歯牙にもかけていなくて。
兄上が、おののくほどの相手でもないのだが。
なにか、気になるところがあるのかな?
なら、兄上の目に入らないようにしてあげても良いですよ。いつだって、ね。
そんな、どうでもいい御令嬢のことより。
当面の問題は。陛下の、自称お友達である、ふたりの従者のことだった。
ベルナルドとカッツェ。
ふたりとも、兄上に思うところがあるらしく。兄上のことを、最初は厳しい目で見ていた。
ん? なんか、デジャブを感じます。
王城でも、最初はピリついたところから入ったもんな。
ベルナルドの、視線の理由は、すぐにわかった。
公爵家が、長い間無視してしまった、ウィレム領の水不足の件だった。
それを、兄上は。瞬く間に解決してしまって。
ってか、池を作るとか。考えられないのだが?
兄上は、それをすると言って。それで、結局。伯爵領に、人工の池を、本当に作り出して、帰ってきたみたい。
兄上ぇ、すごーい。
もう、本当に。兄上が、自慢の兄上で。語彙力死んでるの自覚あるけど。好きっ。
一緒に行った父上も、鼻息荒く、そのことを母上に報告していたよ。
母上は、兄上のすごさを知っているから。笑顔で、うんうん、うなずいていたけど。
もしかしたら、よくわかっていないのかも。母上は、兄上に似て、ぽややんだからなぁ。
それで、ベルナルドは。兄上に心酔してしまったのだ。早いよ。
でも、ベルナルドは頭脳明晰で、祖父から宰相の椅子を引き継ぐだろうと、もっぱら噂の人物。
学園の中でも、トップの成績を誇る秀才だった。
その秀才の彼が、何年も頭を悩ませ、解決できなかったのが、領内の水不足の問題だった。
それを兄上は、一瞬で解決したのだから。まぁ、傾倒しちゃうのは、仕方がないかもね?
ベルナルドが次期宰相になるのなら、王妃となった兄上に、力を貸してくれるだろうから。うん。悪くはないな。
問題は、カッツェだ。
武門の家柄であるカッツェは、単純に、ぼくのことが嫌いなんだと思っていた。
騎士団長のセドリックが、ぼくに目をかけているって噂を、どこかで聞いてきたみたいで、さ。ウザッ。
ぼくは、騎士にはならないよ。
兄上のそばで、兄上を支える立場になるつもりだから。
騎士になって、兄上の警護をする、というのも。魅力ではあるけれど。
ま、その地位に行くまで、何年も、兄上と離れなければならないのは、嫌だしね。
ぼくは公爵家の後継として、国家、ひいては兄上に尽くす道を選ぶつもりだっ。
だから、セドリックも、カッツェも、ぼくなんかを視界に入れることはない。
ぼくはただ、兄上を守る剣を、抱いているだけなのだ。
いざというとき、兄上を守れるだけの剣技を、常に持つ。それだけのために鍛錬している。
その技能を、万民のために使うべき? いやいや。ぼくは兄上のためにだけ、使います。
それで、カッツェの憤懣は、ぼくに向かっているとばかり思っていたのだが。どうやら違うようで。
兄上はそれも、なんだか、いつの間にやら、思いもしないうちに、解決してしまったようなのだ。
ちょっとした時間、公爵家後継としての心構え、みたいな話をしていたとき。
ぼくは。彼が恋に落ちた瞬間を目撃してしまった。
最初は、敵意にも似た目で兄上を見ていたカッツェが。
驚きに、目をみはり。
尊敬の念を持った、と思ったら。もう、目がハートマークになっていたよ。
嘘でしょ? 今、なにが起こったの? 普通に話していただけだよね?
あぁ、カッツェが恋に落ちたのを、陛下も気づいちゃったよ。
もう、嫌な予感しかしない。
「カッツェよ。おまえは、近衛に入れぬ」
「イアン様、お怒りを解いてください」
ふたりは、バチバチに目から火花を発して、牽制し合っている。
それを、わぁ、男友達の気安さ、うらやましいですぅ、と的外れなことを思っていそうな兄上。カオスである。
もう、兄上。無意識に男をたらさないでくださいよぉ。
陛下のデロアマ溺愛が、これ以上エスカレートしたら、ただただ面倒臭いこと、この上ないのですからっ。
ベルナルドは、真面目に、領地にて池作りに邁進していて、不在だが。
カッツェがウザくなってきた。
別日、シャーロットが、ランチの席にお友達を連れてきたのだが。
マリーという彼女が、号外の肖像画を描いた本人だと、アイリスが教えてくれたのだ。
うっそ? それは…ぼくも是非ともお近づきになりたい。
あの肖像画は、本当に兄上に似せて描かれていて、秀逸な出来だった。
父上など、新聞を、なんとか部屋に飾れないかと、四苦八苦していたからな。
もちろん、兄上フリークの陛下が、いち早く兄上の肖像画が欲しいと手を上げ。
ぼくも、すかさずそれに追随した。
でもなんでか、カッツェまで手を上げている。
はぁ? 兄上を妻にする陛下や、兄上の家族であるぼくが、兄上の肖像画が欲しいというのは、アリだが。
なんで、おまえが兄上の肖像を欲しがるんだっ?
なにに使う気だっ! ぼくは許さんぞ。
つか、これ以上、兄上の熱狂的なファンを増やしたくないんですよねぇ。
ぽややんを極めている、兄上は知らないが。
学園内の、生徒たちは…特に女子は。本当に、兄上が大好きである。
普通、女性陣は。カザレニア国王であるイアン様と、お近づきになりたいと思ったり。
その婚約者である兄上を、邪魔に思ったりするものなのでは?
でもなんでか、尊敬と憧れの眼差しで、兄上を見る者が多い。
あぁ、兄上の人たらしが、ようやく女性にも効いてきたのだろうか? なんて。最初は思ったのだが。
なんか、ちょっと方向性が違うような?
「へ、陛下が、クロウ様の髪を、愛しげに撫でていたわぁ?」
「見た見た。陛下とクロウ様が、甘く、熱く、みつめ合って。背景にバラの花がブワッと咲いたように見えたわぁ」
「あのおふたりを目にすると…なんだか、胸の奥の方がギュッとするのよね」
「あぁ、そんな近くに顔を寄せて、笑い合うなら。もう、キスとかしちゃえばいいのに」
という、男性同士の恋に、肯定的…もしくはメラッとなにかが燃え上がっているような、熱気を持つ女性陣。
「クロウ様が、廊下をほてほて歩いているわ? かーわーいーいー」
「クロウ様が刺繍しながら、ほんのり笑っているわぁ? かーわーいーいー」
「陛下になにか言われて、クロウ様のほっぺが膨らんだわ? かーわーいーいー」
「お菓子をもぐもぐしてハムスターみたいぃ。クロウ様、かーわーいーいー」
という、希少動物を見て悶えるような、独特審美眼を持つ女性陣。
たらされているわけでは、ないみたい。
まぁ、好意があるのなら、いいか。
あと、遠巻きに見て、キャーキャー言っているうちは、実害がないので、良し。
問題は、兄上のそばに侍ろうと目論む、男性陣なのだ。
その数を減らさないと。陛下の独占欲が爆発して。すぐにも兄上が、王宮に連れ戻されてしまいそうだ。
それだけは阻止しなければ。
剣術大会の日。準決勝で、カッツェと当たったので。ぼくはそこで、カッツェに取引を持ち掛けた。
「カッツェ。兄上の肖像画から手を引け。そうしたら…ぼくはここで負けてやる」
「はぁ? なんで?」
闘技場の舞台の上、剣を交えながらも、ぼくは、話をする余裕がある。
カッツェは、いっぱいいっぱいのようだけどね? ふんっ。
「兄上のお姿が、他家にあるのが嫌なのだ。兄上は王妃になる、高潔な方。そのお姿が、おまえの元にあるなど、許せないね」
「なにを、馬鹿なことを。王妃になるからこそ、これから、いっぱいの肖像画が、街中にあふれるだろう。俺はそれをいち早く手にしたいだけだ」
確かに。結婚式が行われたら、それを目撃した絵師が、ふたりの姿絵を大量生産し、街中には国王と王妃の肖像があふれてしまうのだろう。
あぁ、ぼくの…ぼくだけの兄上がぁ。
しかし、それとこれとは、違うのだ。いち早く手にしたいなんて…。
なにに使う気だっ! 破廉恥なっ。
「いいのか? 応援している兄上の前で、無様に、年下のぼくに負けちゃっても?」
見下すように、ニヤリと笑って見せる。でも、睨む目つきは鋭いままに、な。
「わざと負けてもらわなくても、俺は実力で、おまえに勝つ。クロウ様の前で、勝利の拳をあげるのは、俺だ」
「じゃあ、ぼくに負けたら。兄上の肖像画はあきらめてもらおう。兄上の御姿を手にする資格なしッ」
挑発に乗って、カッツェは、ぼくに挑みかかってくるが。
その後、ぼくは。完膚なきまでに、カッツェを、ぎったんぎったんのコテンパンにしてやった。
兄上にむらがる輩は、ぼくが余さず成敗してくれるッ。
気苦労…? まぁ、兄上は。御自分が優れた才覚であることも。美麗な容姿であることも。魅力的な愛され体質であることも。自覚がないからな。
トラブルが起きないよう、弟のぼくが配慮しているというだけの話だ。
兄上を支えること自体は、気苦労でもなんでもない。
むしろ、クロウ・バジリスクの弟である日々は、いつも喜びと誉れと愛しさに満ちている。
兄上が、また、やりやがりました。
学園に入って、ひと月も経っていないというのに。陛下のお友達を、電光石火で篭絡してしまったのです。
いくら人たらしでも、本当にあの、兄上の、人心の求心力はなんなのでしょう? いつも驚かされます。
兄上は、無意識無邪気に、会う人みんな、たらしていく。
まぁ、王妃となるには、人から好かれる、そういうところは良い逸材なのでしょうけどぉ?
でもでも。どうして男ばっかり、メロメロにするのですか!
陛下の目が、最早、怖いです。
順を追って、ちょっとさかのぼって、思い出していきましょう。
王城のある孤島に、上陸直後。王城の者は、みんな、兄上に対して、辛辣だった。
本土では。兄上のことをチラリと見ただけなのに、のぼせ上がる男性客が何人かいたが。
王城のピリついた空気感に、兄上が性的な意味で狙われることはないのだと判断し。ある意味、ぼくは高をくくっていた。
優雅に、丸い手で、顔を拭き拭きしていたのだ。
しかし。まさか、一番の大物である陛下を、釣り上げてしまうとはね!
猫のときは、口を大きく開けられるが。
そのぼくが、顎が外れるかと思うくらいに驚いたよ。
黒猫として、王城で情報収集をしていたぼくは。兄上が知らないこと、兄上に言えないこと、あえて報告していないことが、それなりにあった。
実際に、見て、聞いて、知ったことであるが。
正直に伝えたら、兄上が悲しくなってしまうようなことも多かったからな。
そういう話は、胸に貯めて、秘匿していた。
いつか、その情報を知っていたことで、兄上を援護できればいい、くらいの気持ちで、ね。
そんな情報の中のひとつ。
これは…中心にいる陛下も、気づいていないことかもしれないが。
王城で働く者は、いわゆる、陛下をお守りする部隊だということだ。
使用人たちは、ほぼ、武器を用いて、陛下をお守りできるよう、訓練されていたのだ。
そして陛下の周りは、見るからに強力な守護者たちが囲っている。
執事であるラヴェルは、陛下の影のごとく背後に控え、陛下の御身を直近でお守りしていた。
アルフレドは、料理人とは仮の姿で、陛下の忠実なる隠密である。
猫のとき、よく、ジッとみつめられて、ヒヤリとしたことがあったよ。
そして、セドリックとシヴァーディは、言うまでもなく、国内最強の騎士。
陛下を、幼少時から鍛錬し。一騎当千の猛者に育て上げた。
陛下の周りで、なにがあっても。陛下がおひとりでも、立っていられるよう。ふたりは陛下を、我が子に教えるような熱心さで、剣技を伝授したのだという。
それで、あの、完全無欠の陛下が出来上がったというわけだ。
誰もかなわぬ、知識と武芸を身につけた、崇高で、高潔な王。
だが、孤高であった、その陛下の懐に。
兄上は、にゅるりと飛び込んで。
なんの気負いもなく、冷たく凍った陛下の御心を、ほぐして、包んで、愛で満たしてしまった。
それは、もう。陛下は、兄上を手放せないだろうな?
兄上の愛で満たされて、育ったぼくには、よくわかる。あの心地よさを知ってしまったら、ね。
陛下だけの執着なら、是が非でも、陛下と兄上を引きはがしたのだが。
兄上も陛下をお好きだというのだから。仕方がない。陛下だけは、見逃してやる。
しかし、他の者は、駄目ですよ。
兄上っ! これ以上、貴方の真綿に包むように、温かく、優しく、甘露な愛情を。むやみやたらに垂れ流さないでいただきたい。
それでなくても、陛下にチュウチュウ吸われているというのに。
ぼくの吸う分が、なくなってしまいますっ。
まぁ…それで。陛下に害のある者は処分、と息巻く。陛下の脇を固める者たちを。
兄上はひとり残らず、悩殺してしまったわけだ。
ラヴェルは、顔見知りだった。
兄上が幼少期の頃からの刷り込みで、最初から崇拝状態だったから。イチコロだったな。
アルフレドは、兄上の細身の体が心配で。
どちらかというと…ガリガリの猫を拾った飼い主が、太らせてやらなければと奮起する、あの精神状態に似ているだろうか?
初対面から庇護欲に駆られていたっけ。
セドリックは、初めは警戒していたが。結構初期から、兄上を無害とみなしていた。
ま、事実無害だし。
兄上のほのぼのオーラと、おバカオーラに、ほだされてしまったのだな。
陛下を一番に守護するべき立場にある、セドリックとシヴァーディが、兄上に篭絡されたときは。目をみはったよ。
シヴァーディなんかは、兄上を敵視している空気感が出ていたから。彼が一番、兄上に警戒感を持っていたと言ってもいいだろう。
だけど。ある日を境に。その空気感は、一変した。
兄上に、ありがとうと言ってきたのだ。
その手のひら返しに、なんでだろうか? と。その頃には、陛下が兄上に好意を持っていたから。そのせいだろうか、と思ったが。
独自の情報収集。いわゆる、盗み聞きの結果。
シヴァーディはセドリックと元のさやにおさまった、ということらしい。
なんじゃ、そりゃ? つか、兄上はそれに、なんの関係が?
詳しいことはわからないが。
どうやら、兄上が王城に来たことがきっかけで、ふたりの関係も動いた。みたいな?
知らんがな。
まぁ、そんなこんなで、王城の、手厳しいはずの男たちを。軒並み、兄上も知らぬうちに、兄上は全員攻略してしまっていたというわけだ。
兄上は『セドリックもシヴァーディもアルフレドも、お友達、というには、恐れ多いというか。お兄様? みたいな? ぼく、兄がいたことがないから。なんか、頼れるお兄さんがいっぱいできたみたいで、嬉しいんだよねぇ』なんて、のんきに言っているけど。
ラヴェルを含め、彼らが兄上に向ける目は、愛護の情があふれすぎていて。
もしも陛下が、この世にいなかったら。
兄上は、あの狼たちにパックリ食われていただろうと、容易に想像がつくのだった。
弟のぼくがいる限り、そのようなことにはさせないがなっ。
そして、陛下の重臣にも愛されまくりで、もうすぐ王妃の立場になる、兄上。
陛下のご家族とも、仲が良いし。陛下の側近はもれなく、兄上を可愛がっているし。王宮に入っても、なんの憂いもなさそうなのだが。
近頃、元気がないときがある。
マリッジブルー? 結婚が嫌なら、公爵家に戻るのはウェルカムですよ、兄上。
そう、思うけれど。
結婚するのが嫌なのではないらしい。むしろ早く結婚したいようだ。嫌です。
陛下の愛が足りないわけでもなく。
だって…陛下はウゼェくらいに、兄上を寵愛しまくっているからな。
でも、なにか、気に病んでいる。
ぼくに相談してくれたらいいのに。
そうだな。やはり、学園生活を始めた頃くらいだろうか?
兄上が話してくれないから、原因ははっきりとはわからないが。
まぁ、目障りな御令嬢は、いるよね。
隣国の公女? 兄上のことを、悪辣悪役令嬢と言った。なにをとち狂っているのやら?
まぁ、その御令嬢のことを、陛下は歯牙にもかけていなくて。
兄上が、おののくほどの相手でもないのだが。
なにか、気になるところがあるのかな?
なら、兄上の目に入らないようにしてあげても良いですよ。いつだって、ね。
そんな、どうでもいい御令嬢のことより。
当面の問題は。陛下の、自称お友達である、ふたりの従者のことだった。
ベルナルドとカッツェ。
ふたりとも、兄上に思うところがあるらしく。兄上のことを、最初は厳しい目で見ていた。
ん? なんか、デジャブを感じます。
王城でも、最初はピリついたところから入ったもんな。
ベルナルドの、視線の理由は、すぐにわかった。
公爵家が、長い間無視してしまった、ウィレム領の水不足の件だった。
それを、兄上は。瞬く間に解決してしまって。
ってか、池を作るとか。考えられないのだが?
兄上は、それをすると言って。それで、結局。伯爵領に、人工の池を、本当に作り出して、帰ってきたみたい。
兄上ぇ、すごーい。
もう、本当に。兄上が、自慢の兄上で。語彙力死んでるの自覚あるけど。好きっ。
一緒に行った父上も、鼻息荒く、そのことを母上に報告していたよ。
母上は、兄上のすごさを知っているから。笑顔で、うんうん、うなずいていたけど。
もしかしたら、よくわかっていないのかも。母上は、兄上に似て、ぽややんだからなぁ。
それで、ベルナルドは。兄上に心酔してしまったのだ。早いよ。
でも、ベルナルドは頭脳明晰で、祖父から宰相の椅子を引き継ぐだろうと、もっぱら噂の人物。
学園の中でも、トップの成績を誇る秀才だった。
その秀才の彼が、何年も頭を悩ませ、解決できなかったのが、領内の水不足の問題だった。
それを兄上は、一瞬で解決したのだから。まぁ、傾倒しちゃうのは、仕方がないかもね?
ベルナルドが次期宰相になるのなら、王妃となった兄上に、力を貸してくれるだろうから。うん。悪くはないな。
問題は、カッツェだ。
武門の家柄であるカッツェは、単純に、ぼくのことが嫌いなんだと思っていた。
騎士団長のセドリックが、ぼくに目をかけているって噂を、どこかで聞いてきたみたいで、さ。ウザッ。
ぼくは、騎士にはならないよ。
兄上のそばで、兄上を支える立場になるつもりだから。
騎士になって、兄上の警護をする、というのも。魅力ではあるけれど。
ま、その地位に行くまで、何年も、兄上と離れなければならないのは、嫌だしね。
ぼくは公爵家の後継として、国家、ひいては兄上に尽くす道を選ぶつもりだっ。
だから、セドリックも、カッツェも、ぼくなんかを視界に入れることはない。
ぼくはただ、兄上を守る剣を、抱いているだけなのだ。
いざというとき、兄上を守れるだけの剣技を、常に持つ。それだけのために鍛錬している。
その技能を、万民のために使うべき? いやいや。ぼくは兄上のためにだけ、使います。
それで、カッツェの憤懣は、ぼくに向かっているとばかり思っていたのだが。どうやら違うようで。
兄上はそれも、なんだか、いつの間にやら、思いもしないうちに、解決してしまったようなのだ。
ちょっとした時間、公爵家後継としての心構え、みたいな話をしていたとき。
ぼくは。彼が恋に落ちた瞬間を目撃してしまった。
最初は、敵意にも似た目で兄上を見ていたカッツェが。
驚きに、目をみはり。
尊敬の念を持った、と思ったら。もう、目がハートマークになっていたよ。
嘘でしょ? 今、なにが起こったの? 普通に話していただけだよね?
あぁ、カッツェが恋に落ちたのを、陛下も気づいちゃったよ。
もう、嫌な予感しかしない。
「カッツェよ。おまえは、近衛に入れぬ」
「イアン様、お怒りを解いてください」
ふたりは、バチバチに目から火花を発して、牽制し合っている。
それを、わぁ、男友達の気安さ、うらやましいですぅ、と的外れなことを思っていそうな兄上。カオスである。
もう、兄上。無意識に男をたらさないでくださいよぉ。
陛下のデロアマ溺愛が、これ以上エスカレートしたら、ただただ面倒臭いこと、この上ないのですからっ。
ベルナルドは、真面目に、領地にて池作りに邁進していて、不在だが。
カッツェがウザくなってきた。
別日、シャーロットが、ランチの席にお友達を連れてきたのだが。
マリーという彼女が、号外の肖像画を描いた本人だと、アイリスが教えてくれたのだ。
うっそ? それは…ぼくも是非ともお近づきになりたい。
あの肖像画は、本当に兄上に似せて描かれていて、秀逸な出来だった。
父上など、新聞を、なんとか部屋に飾れないかと、四苦八苦していたからな。
もちろん、兄上フリークの陛下が、いち早く兄上の肖像画が欲しいと手を上げ。
ぼくも、すかさずそれに追随した。
でもなんでか、カッツェまで手を上げている。
はぁ? 兄上を妻にする陛下や、兄上の家族であるぼくが、兄上の肖像画が欲しいというのは、アリだが。
なんで、おまえが兄上の肖像を欲しがるんだっ?
なにに使う気だっ! ぼくは許さんぞ。
つか、これ以上、兄上の熱狂的なファンを増やしたくないんですよねぇ。
ぽややんを極めている、兄上は知らないが。
学園内の、生徒たちは…特に女子は。本当に、兄上が大好きである。
普通、女性陣は。カザレニア国王であるイアン様と、お近づきになりたいと思ったり。
その婚約者である兄上を、邪魔に思ったりするものなのでは?
でもなんでか、尊敬と憧れの眼差しで、兄上を見る者が多い。
あぁ、兄上の人たらしが、ようやく女性にも効いてきたのだろうか? なんて。最初は思ったのだが。
なんか、ちょっと方向性が違うような?
「へ、陛下が、クロウ様の髪を、愛しげに撫でていたわぁ?」
「見た見た。陛下とクロウ様が、甘く、熱く、みつめ合って。背景にバラの花がブワッと咲いたように見えたわぁ」
「あのおふたりを目にすると…なんだか、胸の奥の方がギュッとするのよね」
「あぁ、そんな近くに顔を寄せて、笑い合うなら。もう、キスとかしちゃえばいいのに」
という、男性同士の恋に、肯定的…もしくはメラッとなにかが燃え上がっているような、熱気を持つ女性陣。
「クロウ様が、廊下をほてほて歩いているわ? かーわーいーいー」
「クロウ様が刺繍しながら、ほんのり笑っているわぁ? かーわーいーいー」
「陛下になにか言われて、クロウ様のほっぺが膨らんだわ? かーわーいーいー」
「お菓子をもぐもぐしてハムスターみたいぃ。クロウ様、かーわーいーいー」
という、希少動物を見て悶えるような、独特審美眼を持つ女性陣。
たらされているわけでは、ないみたい。
まぁ、好意があるのなら、いいか。
あと、遠巻きに見て、キャーキャー言っているうちは、実害がないので、良し。
問題は、兄上のそばに侍ろうと目論む、男性陣なのだ。
その数を減らさないと。陛下の独占欲が爆発して。すぐにも兄上が、王宮に連れ戻されてしまいそうだ。
それだけは阻止しなければ。
剣術大会の日。準決勝で、カッツェと当たったので。ぼくはそこで、カッツェに取引を持ち掛けた。
「カッツェ。兄上の肖像画から手を引け。そうしたら…ぼくはここで負けてやる」
「はぁ? なんで?」
闘技場の舞台の上、剣を交えながらも、ぼくは、話をする余裕がある。
カッツェは、いっぱいいっぱいのようだけどね? ふんっ。
「兄上のお姿が、他家にあるのが嫌なのだ。兄上は王妃になる、高潔な方。そのお姿が、おまえの元にあるなど、許せないね」
「なにを、馬鹿なことを。王妃になるからこそ、これから、いっぱいの肖像画が、街中にあふれるだろう。俺はそれをいち早く手にしたいだけだ」
確かに。結婚式が行われたら、それを目撃した絵師が、ふたりの姿絵を大量生産し、街中には国王と王妃の肖像があふれてしまうのだろう。
あぁ、ぼくの…ぼくだけの兄上がぁ。
しかし、それとこれとは、違うのだ。いち早く手にしたいなんて…。
なにに使う気だっ! 破廉恥なっ。
「いいのか? 応援している兄上の前で、無様に、年下のぼくに負けちゃっても?」
見下すように、ニヤリと笑って見せる。でも、睨む目つきは鋭いままに、な。
「わざと負けてもらわなくても、俺は実力で、おまえに勝つ。クロウ様の前で、勝利の拳をあげるのは、俺だ」
「じゃあ、ぼくに負けたら。兄上の肖像画はあきらめてもらおう。兄上の御姿を手にする資格なしッ」
挑発に乗って、カッツェは、ぼくに挑みかかってくるが。
その後、ぼくは。完膚なきまでに、カッツェを、ぎったんぎったんのコテンパンにしてやった。
兄上にむらがる輩は、ぼくが余さず成敗してくれるッ。
気苦労…? まぁ、兄上は。御自分が優れた才覚であることも。美麗な容姿であることも。魅力的な愛され体質であることも。自覚がないからな。
トラブルが起きないよう、弟のぼくが配慮しているというだけの話だ。
兄上を支えること自体は、気苦労でもなんでもない。
むしろ、クロウ・バジリスクの弟である日々は、いつも喜びと誉れと愛しさに満ちている。
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