【第2章完結】王位を捨てた元王子、冒険者として新たな人生を歩む

凪木桜

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第2章 失われし絆、目覚めの時

第54話 国境近くの村へ

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 朝靄の残るブルーヴェイルの街を背に、レオンたちは馬車で国境近くの村へ向かっていた。木々が生い茂る街道を進みながら、レオンがぎこちなく手綱を操る。

「……下手」

 セリナが、馬車の荷台からじっとレオンを見て呟いた。

「悪かったな。馬を操るなんて初めてなんだよ」

 レオンは苦笑しながらも、手綱を握る手に力を込めた。しかし、馬車は小さく左右に揺れながら、一定のリズムを保てずに進んでいく。

「馬の動きをもう少し読むべきね」

 サフィアが隣で腕を組みながら言う。彼女はフードを深く被り、時折風に舞う銀髪を押さえていた。

「じゃあ次は私がやってみるわ」

 そう言って、レオンと交代する。

 サフィアは慎重に手綱を握り、馬を前へと進めた。が、馬車の揺れはむしろ増した。

「お前も人のこと言えないじゃないか」

 レオンが苦笑混じりに指摘する。

「魔法は得意でも、馬の扱いはまた別なのよ……」

 サフィアが少し困ったように微笑む。

 後ろで座っていたセリナが、ゆらゆらと揺れる馬車の荷台で尻尾を振っていた。

「……揺れる。気分ち、悪い」

 手で額を押さえながら、小さく不満を漏らす。

「すまん、もうちょっと練習するから我慢してくれ……」

 レオンは申し訳なさそうに言いながら、再び手綱を受け取る。

 セリナは小さくため息をつき、荷台から降りて歩きだす。馬のペースに合わせて歩くと、揺れる馬車よりも楽なのか、少し気分が和らいだようだった。

「……歩く方がいい」

 セリナがぽつりと呟く。

「でも、ずっと歩きっぱなしだと疲れるぞ」

 レオンが横目でセリナを見ると、彼女は小さく肩をすくめた。

「……大丈夫。わたし、脚、強い」

 少し得意げにそう言い、セリナは軽やかに前へ跳ねるように進んだ。

 レオンは苦笑しつつ、手綱を少しだけ調整して、馬の動きに合わせることに意識を集中した。ぎこちなさは相変わらずだったが、次第に馬のリズムを掴み始める。

 道中、静かな森の中に鳥のさえずりが響き、空気は澄んでいた。三人は初めての馬車での旅路の手応えを感じながら、少しずつ息を合わせていくのだった。



 馬車を進めること数時間。ブルーヴェイルを出発してから、すでに昼過ぎになっていた。目的地の国境近くの村へ向かう途中、レオンたちは森の手前にある小さな村に立ち寄ることにした。
 村はこぢんまりとしており、人口は百人ほどか。石造りの家々が点在し、広場には干した農作物が並んでいる。村の中心にある井戸のそばでは、数人の村人が休憩がてら談笑していた。

 馬車を広場の一角に停めると、レオンたちはさっそく情報収集に動く。ちょうど井戸のそばに座っていた初老の村人に声をかけた。

「こんにちは、すみません。少しお話を聞いてもいいですか?」

 村人は顔を上げると、レオンたちを見て「ああ、旅の人か」と頷いた。

「おお、ええとも。冒険者かい?」
「はい。最近、魔物の活動が活発になっていると聞きました。特にコボルトの目撃情報はありませんか?」

 村人は顎に手を当てて考え込む。

「コボルトか……うーん、そいつは分からねえが、最近魔物が増えてるのは確かだな」
「……増えてる、だけ?」

 セリナが腕を組みながら、静かに尋ねる。

「ああ。増えてるっつっても、こっちの方じゃ何が増えたのか分からねえ。だがな、夜になると森の奥がやたら騒がしくなることが増えた。誰も確かめに行っちゃいねえが、何かしらいるのは間違いねえ」
「ふむ……つまり、目撃証言はないってことね」

 サフィアが冷静に整理するように言った。

「そういうこった。昔からあの森には魔物はいたが、最近はちょっと様子が違うような気もするな。うちの若いもんも、昼間でも森にはなるべく近づかねえようにしてる」

 レオンは短く息を吐いた。

「十分な情報です。ありがとうございます」
「おうおう、それは何よりだ。ところで、あんたら馬車で旅してるのかい?」
「ええ、馬の扱いはまだ不慣れですが……」

 村人はくっと笑う。

「それじゃあ、馬がぐらぐら揺れて困ってるんじゃねえのか?」
「……」

 レオンが言葉を詰まらせると、横でセリナがぼそりと「下手」と呟いた。

「ぐっ……言わなくてもわかってる」

 少し悔しそうに答えると、セリナは小さく尻尾を揺らしながら「事実」とだけ返した。
 村人が苦笑しながら言葉を続ける。

「まぁ、馬の扱いは慣れだな。長旅なら、少しずつ覚えていくといいさ。おっと、喉は乾いてねえか? 井戸の水は冷たいし、うちのばあさんが作った黒パンなら少し分けてやるが」
「本当ですか? ありがたい」

 レオンが素直に礼を言うと、村人は笑って家の方へ向かい、すぐに焼きたての黒パンを持ってきてくれた。

「旅は腹が減るもんだからな。これでも食って気をつけな」
「ありがとうございます」

 セリナはパンの香りを嗅ぎ、ふわりと耳を動かしてから、小さく「……美味しそう」と呟く。

「じゃあ、そろそろ行こうか」

 レオンが言うと、セリナは名残惜しそうにパンを手に持ったまま馬車へ向かった。

「森を抜けるなら、夜になる前に野営の準備をしたほうがいいぞ。最近は本当に、何が起こるかわからねえからな」
「忠告、感謝します」

 サフィアが礼を述べると、村人は「達者でな」と手を振った。こうして、レオンたちは村を後にし、森へ向かう道を進み始めた。



 レオンたちは森の手前にある開けた場所で馬車を停め、野営の準備を始めていた。辺りは次第に暗くなり、赤紫の夕焼けが森の向こうへ沈みつつある。気温も少しずつ下がり始め、肌寒さを感じる。

「……久しぶり、野宿」

 セリナがぽつりと呟いた。彼女は焚き火の前に座り、赤々と燃える炎をじっと見つめている。

「ああ。しばらく護衛任務や近場のクエストで、村や町の宿で泊まってたからな」

 レオンは薪を火にくべながら応じた。最近は宿で過ごすことが多く、こうして野宿をするのは久しぶりだった。
 セリナは手を炎にかざし、じんわりとした温かさを感じるように目を細めた。

「……あったかい」
「火を見てると落ち着くよな」

 レオンも炎を見つめながら頷く。
 ぱちぱちと薪が燃える音だけが響く静かな時間。セリナはふっと笑い、小さく尻尾を揺らした。

「レオンが、火を灯してくれた」
「まあ、野宿には必須だからな」

 レオンが苦笑すると、セリナはじっと火を見つめたまま、尻尾の先をゆっくりと動かした。

 ――その時、ふわりとローブの裾を揺らしながら、周辺の警戒を行っていたサフィアが焚き火のそばにやってきた。

「そろそろ食事にしましょうか」

 彼女は荷物の中から簡単な保存食を取り出し、焚き火のそばに腰を下ろす。

「寒くないか?」

 レオンが尋ねると、サフィアはフードを少しだけ持ち上げて、銀髪を耳の後ろへと払った。

「まだ我慢できるわ。でも、こういう時はやっぱり結界魔法が使えたら便利よね……」

 サフィアは少し苦笑しながら呟いた。

「……サフィア、魔法得意」

 セリナがぼそっと呟く。

「ええ、でも結界魔法は専門じゃないから。普通に焚き火を囲んで警戒するしかないわね」
「それでも十分だろ。焚き火があるだけで、気持ちも落ち着くしな」

 レオンが言うと、サフィアはふっと目を細めた。

「そうね……なんだか、昔を思い出すわ」
「昔?」

 レオンが問い返すと、サフィアは焚き火を見つめたまま、静かに語り始めた。

「王宮で魔術の訓練をしていた頃……あなたが手伝ってくれたことがあったでしょう?」
「ああ……あったな」

 レオンは思い返すように顎に手を当てた。

「私が魔法の制御に苦戦していた時、『無理に力を込めるな』って、剣の構え方を応用してアドバイスしてくれたのよ」
「そうだったか?」

 サフィアは微笑みながら続ける。

「ええ。でも、その後あなたも無理して、魔力を消耗しすぎて倒れたのよね」
「……そういえば、そんなこともあったかもしれない」

 レオンは苦笑した。あの時、魔法の流れを剣技と同じように考えて調整する方法を思いつき、サフィアに実演してみせたのだ。しかし、当時のレオンは魔法の経験が浅く、調整に失敗して魔力を使い果たし、その場に倒れ込んだ。

「あなたは気絶する寸前まで『なるほど、こうすれば……』なんて呟いていたわ」
「……俺、そんなに必死だったのか?」
「ええ、とてもね。でも、そのおかげで私はコツを掴んだのよ」

 サフィアはくすりと笑い、焚き火の炎をじっと見つめた。

「……こうしてまた一緒に野営するなんて、不思議な気分」

 その言葉には、どこか懐かしさと、安堵のような感情が滲んでいた。

「……うん」

 セリナは隣で静かに頷きながら、レオンとサフィアの会話を聞いていた。そして、サフィアが話す「レオンと過ごした過去」を、少しだけ興味深そうに聞き入っていた。



 焚き火のそばで一息ついた後、レオンは懐から小さな簡易伝言石を取り出した。ブルーヴェイルを出発する際、リリアから「定期的に連絡をください」と渡されたものだ。長距離では使えないが、ブルーヴェイル周辺なら十分に機能する。

「そろそろリリアに連絡を入れておくか」

 伝言石にはギルドで充電された魔力が満たされており、一度の魔力充電での使用回数は限られている。慎重に使わなければならない。
 レオンは短いメッセージを打ちこむ。

『森の手前で野営。問題なし』

 しばらくすると、石が淡く光り、リリアからの返信が刻まれた。

『無事ならよかった。夜は気をつけて』
「リリア、心配してるな」

 レオンが石を見つめながら呟くと、セリナが焚き火を見つめたまま、ぼそっと言った。

「……当然」

 それだけ言うと、彼女は静かに炎を見つめ、尻尾の先をゆっくりと揺らした。

「今日はこれで問題ないわね」

 サフィアが焚き火のそばで、伝言石をちらりと見やる。

「……でも、リリアは安心したはず」

 セリナがぽつりと呟き、レオンは微かに笑って頷いた。レオンは石を懐にしまい、薪をくべるとまた静かな焚き火の音だけが響いた。

 ――その時、遠くの森の奥から低い咆哮が響いた。

「……」

 セリナが反射的に耳を立て、レオンも身をこわばらせながら音のする方へと目を向けた。

「……遠い。でも、気をつけたほうがいい」

 セリナが小さく呟く。

「そうね。あれが何の魔物か分からない以上、慎重に行動するべきね」

 サフィアも警戒の色を見せる。

「今夜は警戒しながら眠ろう。俺とセリナが見張るから、サフィアは先に休んでくれ」

 レオンが言うと、サフィアは少し迷った後、頷いた。

「……じゃあ、お願いするわ。無理しないでね」

 サフィアは寝袋を準備しながらも、焚き火の明かりに照らされる二人を見つめる。
 レオンとセリナは並んで座り、夜の見張りを続けながら、森の奥をじっと見つめていた。



 朝日が木々の間から差し込み、森の手前にある街道がぼんやりと照らされる。昨夜の焚き火の名残を片付け、レオンたちは馬車を進めながら慎重に森へと近づいていた。

「……魔物の気配、強くなってる」

 セリナが前を歩きながら、金色の瞳を細めた。

「やっぱりか」

 レオンも警戒しながら、腰の剣に手をかける。森が近づくにつれ、周囲の空気が妙に張り詰めている。草のざわめきや小さな鳥の鳴き声も、どこか不自然に感じられた。
 サフィアも注意深く周囲を見回しながら言った。

「昨夜の咆哮の正体はまだわからないけど……間違いなく、何かが動いているわ」

 そんな会話を交わしている最中――。

 ガサッ!

 突然、草むらが激しく揺れた。

「っ……くるぞ!」

 レオンが即座に警戒の声を上げる。

 次の瞬間、ゴブリン三体が茂みから飛び出してきた。手には木の棍棒や錆びた短剣を握り、こちらに向かって駆けてくる。

「……やる」

 セリナは短く言うと、鋭い踏み込みで一気に間合いを詰めた。

 スッ――ザシュッ!

 ナイフが閃き、最前のゴブリンの喉を一撃で貫く。

「ギャッ……!」

 呻く間もなく、ゴブリンは崩れ落ちる。

「俺もいく!」

 レオンも剣を抜き、素早く駆け寄った。
 
 ザンッ!

 力強い一閃が、残りのゴブリンを一刀両断する。血飛沫が地面を染め、魔物の断末魔が響く。

「……ふぅ」

 剣を軽く振って血を払うと、周囲が再び静寂に包まれた。

 サフィアが腕を組みながら二人を見て、くすりと笑う。

 「二人とも、さすがね」

 セリナはナイフを軽く回しながら、尻尾をゆるく揺らした。

「……まぁまぁ」

 少し誇らしげな表情を浮かべる。

「この程度なら問題ないな」

レオンが剣を収めると、サフィアが前方を見やりながら言った。

「でも、まだ油断はできないわ。ここから先、魔物との遭遇は増える可能性があるから」
「……うん。気配、まだ消えてない」

 セリナが鋭く周囲を見渡す。
レオンたちは慎重に馬車を進めながら、森へと向かっていった。



 森の手前の道を進み続け、空が橙色に染まるころ、ようやく目的の最寄りの村が見えてきた。
 
しかし、村の様子はどこか異様だった。

 柵や家の壁には粗雑に補修された跡があり、ところどころに焦げた木材の残骸が転がっている。広場には倒れかけた荷車が放置され、村人たちの顔には疲労の色が濃い。
 馬車を停めると、遠巻きにこちらを見ていた村人たちの間から、一人の年配の男が足早に駆け寄ってきた。

「おお……! あんたらが討伐に来た冒険者か!」

 声には安堵と焦燥が入り混じっていた。

「はい、コボルトの巣を探して討伐するのが目的です」

 レオンが答えると、村長は大きく息を吐き、額の汗を拭った。

「助かった……! 本当に助かったよ。もう村の男たちだけじゃどうにもならねえ状況だったんだ」
「どのような被害ですか?」

 サフィアが眉をひそめる。
 村長は肩を落としながら、村の広場を指さした。

「見てくれ……つい三日前に、やつらに襲われた跡だ」

 レオンたちが目を向けると、壊れた柵の一部がまだ修復途中のまま放置され、地面には乾いた血の跡が残っていた。
 小屋の壁には爪痕が刻まれ、村の家々の扉には何重にも木材が打ち付けられている。

「最初は、夜に羊や鶏が消える程度だったんだ……だが、それがだんだん増えていった。今週に入ってからは、やつらは堂々と村を襲ってくるようになったんだ」
「……数は?」

 レオンが尋ねると、村長は苦い顔をした。

「こないだの襲撃の時は、十体以上いた……。村の男たちも武器を持って応戦したが、相手はただの獣じゃねえ。ちゃんと連携を取って襲いかかってきた」
「……多い」

 セリナが小さく呟く。

「そいつらを仕切ってるやつがいる……そう思ったよ」

 村長は悔しそうに拳を握る。

「村の若い衆が何人かで森の奥へ偵察に行ったんだが……帰ってきたのは一人だけだった」

 レオンの表情が引き締まる。

「……何があったのですか?」

 村長は険しい顔で続けた。

「やつらは最初、慎重に森の中を進んでた。途中までは普通のコボルトがちらほら見えただけだったらしい。だが、さらに奥へ進んだ時、突然、コボルトの群れが一斉に動いたんだとよ」
「待ち伏せ……?」

 サフィアが眉をひそめる。

「ああ……あれはただの獣の群れじゃねえ。まるで俺たちが入り込むのを予想してたみてえに、囲むように動きやがった」

 村長は深いため息をついた。

「そこで、あいつらは逃げるしかなかった。だが、すでに何人かは追いつかれて……最後に生き残った一人だけが、なんとか村まで戻ってこれたんだ」
「……そうだったのですか」

 レオンは唇を引き結ぶ。やはり、単なる野生のコボルトとは違う。組織的な動きをする時点で、指揮を取る個体がいるのは間違いない。

「そいつは何か言ってたのか?」

 村長は暗い顔で頷いた。

「震えながらこう言ったよ。『巣の奥には、もっと強いコボルトがいる』ってな」
「もっと強い……」

 レオンが腕を組み、考え込む。

「……上位種」

セリナがぽつりと呟く。

「おそらくね」

 サフィアも頷く。
 普通のコボルトは知能も高くなく、ただの群れで行動する程度だ。だが、上位種がいれば話は別だ。個体の力も段違いで、何より群れを統率する指揮能力を持つ可能性がある。

「もしそうなら、巣を叩くだけじゃ不十分ね。その上位種を討たない限り、群れは完全に崩れないわ」
「巣の奥にいるのがそいつなら、確実に仕留める必要があるな」

 レオンは真剣な表情で地図を広げる。

「家畜が襲われた場所と、コボルトの目撃情報を教えてもらえますか?」

 村長は地図を覗き込みながら、震える指で森の奥の一点を指した。

「ここだ……。最後にやつらが現れたのは、この森の奥にある洞窟の近く……だが、村の人間はそこまで近づけねえ」
「やっぱり巣があるのか……」

 レオンが地図を睨む。

「その可能性が高い。ただ、普通のコボルトの巣なら、こんな長期間、大胆に動くことは少ない。おそらく、巣を中心に勢力を拡大しようとしているのよ」

 サフィアが冷静に分析する。

「……なら、根本、潰す」

 セリナがナイフを指で回しながら、淡々と告げた。
 村長は疲れた様子で頷いた。

「……こんな状況で、大したもてなしやゆっくり休める寝床も用意できねえが……せめて、雨風をしのげる場所くらいは用意させよう」
「助かります」

 レオンは礼を言い、サフィアとセリナと共に村長に言われた村のはずれにある空き家へと向かった。しかし、頭の片隅ではずっと村長の言葉が残っていた。

 ――「巣の奥には、もっと強いコボルトがいる」
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