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53 愛称で呼び合う
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「それで殿下は先ほど何を言いたかったのでしょう」
夫婦の在り方が話題だったのでてっきり夜の過ごし方だと思っていた。
「まず余所余所しい呼び方をやめようと……」
ジャンルイジ大公は悩みながらも自分が提案したいことを伝えた。
公式場であれば大公殿下、大公妃殿下と呼ぶのは当然だろうが、私的な場所であればもう少しくだけた呼び名がいいのではないか。
「お許しいただけるのであれば……何とお呼びすればいいのでしょう」
「ジジと呼んでほしい」
ジジというのは何度かルフィーノの口から聞いたことがある呼び名だ。
ルフィーノは彼の幼馴染で、かつては同じ師のもとで勉学を共にした。
身分の上下はあるものの、幼い間柄ではジャンルイジのことはジジ、ルフィーノはルフィと呼び合う間柄だった。そしてもう一人の幼馴染、巡礼中のフランチェスカはフランと呼ばれていた。
「私がその名でお呼びしても」
「良い。お前は私の妻である。いつまでも私的な場で殿下と他人行儀にさせるのはどうかとも思うしな」
これはジャンルイジ大公なりの意志表示である。
夫婦として親しい間柄になりたいという。
「わかりました。ジジ」
早速呼んでみると妙にむずむずした感覚になってしまう。まだ慣れないが直に気安く呼べるようになるだろう。
「それでお前のことを何と呼べばいい?」
妃、大公妃、またはルドヴィカとそのまま呼びであった。
愛称があれば自分もそのように呼びたいと願った。
「私に愛称はありません」
「親からは」
「そういった親ではなかったので」
ルドヴィカは思わず苦笑いしてしまった。
実は母親はアリアンヌのことをアリーと呼んで溺愛していた。
よく買い物も一緒に連れまわし、彼女の着るものは全て母親がコーディネートしていた。社交界の知識も十分あり、当時の流行を押さえていた母の選んだものに間違いはなかった。
アリアンヌは社交界デビューする前より貴族の世界で持て囃された美しい令嬢であった。
皇帝家と同じ金髪と、紫の瞳の高貴なる存在の特徴も押さえていたので一層愛された。
対してルドヴィカは忌み嫌われる鼠色(ブルーグレイ)の髪、少しきつめの赤い瞳と敬遠されがちな印象であった。母はルドヴィカを視界に入れるのを嫌がり、家族の食卓以外では接触したことがない。ルドヴィカの目の前でアリアンヌばかり話しかけていた。
「そのままルドヴィカとお呼びしていただいて構いません」
「そうか。でも私だけ愛称というのも……では私が考えてもいいか?」
しばらく考え込んだジャンルイジ大公がちらっとルドヴィカに目配せして提案した。
「はい。構いません」
「よし……ルドヴィカをルイーゼと呼ぶこともあるらしいが、別の呼び方を考えたい。ルド……単純すぎるな。ルヴィ……ルフィと似た感じになるからダメと。ヴィカ、ヴィーチェ……ルの音も入れたい」
ジャンルイジ大公はぶつぶつと必死に考えた。
ルドヴィカはルルが注いでくれたワインを口に入れて彼の様子を眺めた。
これだけ考え込む彼の姿は珍しく感じられる。
それが自分の愛称を考える為などと思わず笑みが零れ落ちそうだ。
「よし、ルカだ。ルカというのはどうだ」
3分程で思いついた名前であるがジャンルイジ大公は達成感のある笑顔をみせてきた。
「素敵ですね。気に入りました」
どんな呼ばれ方でも構わなかった。ジャンルイジ大公が必死に考え与えてくれるものであればルドヴィカは喜んで受け入れよう。
「それとルカ、今後の為に用意したものがあるのだ」
首を傾げるルドヴィカにパルドンがそっとルドヴィカの前に資料を提示した。
何か事業の提案だろうか。
確認するとルドヴィカの執務を補佐する女官の候補者の資料であった。
大公家に仕える貴族出身の令嬢、夫人の名の情報がびっちりと記載されていた。20人程である。
「お前の仕事量の多さも問題だと気づき補佐するものを募集かけた。パルドンが既に面談を終えて、信頼できる者たちだ。その中から自由に選ぶがいい。勿論全員雇ってもいい」
「いえ、そんな……私に補佐官は必要ありませんよ」
ジャンルイジ大公の仕事に比べれば、責任の大きいものはわずかである。ライフラインに関するものはジャンルイジ大公に伺い立てて彼の補佐官に依頼するので十分だろう。むしろジャンルイジ大公の補佐官を増やすべきだろう。
「私が必要と判断したのだ。拒否するというのであれば、お前の仕事量を物理的に減らす」
元々ジャンルイジ大公がしていた仕事がほとんどなので、自分の手元に戻っても問題ないと彼は言った。
そうなれば折角ジャンルイジ大公の負担を減らしたのに意味がなくなってしまう。
「わ、わかりました。この中から選びます」
しかし、20人からどうやって選べばいいのやら。
「母の女官だった者も候補に入れてあるが、母と比べられると休まらないかもしれない。それならいっそその娘の世代の方がいいかもしれんな。お前のやり方はちょっと前衛的だし」
新しい方法を受け入れられる女官の方が確かによさそうだ。だが、大公領には大公領のやり方があるし、前任まで良かった点はおさらいしておきたい。
ルドヴィカはぱらぱらと資料を睨みつけてどうしようと悩んでいた。
パルドンがさっとルドヴィカから奪うように取り去った。
「明日、改めて届けさせる。決めるのは明日以降でいい」
「それなら何で今見せたのです」
おかげで女官選定のことで頭がいっぱいになってしまった。
「お、お前が……無理をしすぎるから、無理をしなくても良いと言うためだ」
ジャンルイジ大公は困ったようにつぶやいた。
単純にそれを言うのもなかなかうまくいかず、きっかけのようなものを作りたかった。
今日の休暇も実はルドヴィカの為に用意したかったものだと今更知る。
何て不器用な方だ。
「殿下……いえ、ジジ。お気遣いありがとうございます」
ルドヴィカは改めて彼に感謝した。
「でも、私は大丈夫です。まだまだやりたいことはありますし、やらなければならないし」
「心配をかけまいと無理をして元気に振る舞うのもどうかと思う」
ジャンルイジ大公の言葉にルドヴィカは首を傾げた。
彼の言っている意味が理解できなかった。
「仕事量が日々増えていっているのが心配になる」
ルルとオリンドの報告でルドヴィカの仕事量を聞かされてジャンルイジ大公はようやく彼女の無理に気づいてしまった。
よくみれば目の下に隈ができているときもあり、昨日にオリンドに頼んで軽い睡眠魔法を依頼した。
「ですが、私は……」
「何故そんなに自分を追い込もうとする。何がそうさせている」
ルドヴィカは困った。
口で言うのも悩んでしまう。
言って信じてもらえる内容ではないし。
ルドヴィカの前世、1周目のルドヴィカは自暴自棄になり大公妃の仕事を一切せず、部屋に引きこもり贅沢三昧の日々を過ごしていた。商人や服飾デザイナーを呼び寄せては華美なドレス、装飾品を集めて自分を慰めて空しい日々を送っていた。
本当に何もしていなかった。
何もせず、気づかなかった。
ジャンルイジ大公の負担を、その中でも彼がルドヴィカのことを気遣っていたか。
夫婦なのだから少しでも距離を縮めるようにすればいいのだが、呪いのようについてしまったジャンルイジ大公はルドヴィカの前に出ることができなかった。何も見えなかったルドヴィカは自分のことしか考えられなかった。
だから今世は変えなければならない。
せめてジャンルイジ大公の未来だけでも、変えたかった。
彼の仕事の負担をできる限り減らして、彼の食生活をできるだけ変えて、彼が元の生活に近づけるように、彼の寿命が少しでも延びるようにと必死だった。
「……あれ」
ルドヴィカの頬に生暖かいものが零れ落ちた。雨でも降ったのだろうかと思うが日差しはよく、ここはガセボだから濡れるはずもない。
「パルドン」
ジャンルイジ大公がテーブルを支えに立ち上がり、執事の名を呼んだ。パルドンは彼の傍に寄り添い、支えとなった。オリンドがじっと二人の様子をみつめて、いざとなれば魔法でサポートしようとしていた。
ゆっくりとルドヴィカの方へと近づく。その間にルルはルドヴィカの傍に別の椅子を配置させた。
ルドヴィカのすぐ隣まで近づき、ジャンルイジ大公はルルの用意した椅子にすとんと腰をかけた。
ポケットに入っていたハンカチを取り出して、ルドヴィカの頬でそれをぬぐってやる。
「自分でわかっていないようだが、自分を相当追い込んでいるようだな。理由を教えてくれないか」
「理由……理由なんて、いったら気を悪くしてしまいます」
くぐもったルドヴィカの言葉にジャンルイジ大公は周りに目配せをした。
しばらく席を外すようにと。
ルルは心配そうにルドヴィカの方をみつめたが、今は大公に任せた方がいいとパルドンが肩をかけて諭す。
ルルとパルドン、オリンドがガセボから姿を消した。
ジャンルイジ大公は再びルドヴィカに声をかけた。
「私は怒らない。お前を怒ったことは……あったな一度」
ビアンカ公女暗殺未遂事件で、犯人の元へ突撃して、自分を囮にしようとした件に関してである。あれは怒るのも仕方ないだろう。
「今からお前が言うことに私は気を悪くしない。だから教えてほしい」
「殿下がこのままだと死んじゃうから……だから急がないと」
ルドヴィカから出た言葉にジャンルイジ大公は困惑した。
しかし、冷静に考えれば自分もその心配はしていた。
ルドヴィカに出会う前、あの生活ではいずれは自分は惨めに死んでしまうだろうと考えていた。その前にビアンカ公女のことをどうしようか、今からくる妻の処遇をどうしようかと悩んでいた。
「私が、死ぬのか?」
「今年中に、殿下が死んでしまう」
「どうして死ぬのか聞いてもいいか」
「病気です。1日の間に急に。何の病気かわからなくて、だから死なないように急ぎたい。少しでもあなたがよくなるように、何かあってもすぐに対処できるように……」
ルドヴィカの行動を思い出す。医務室の件で最近は意見を出すようになっていた。
必要なさそうな異国経由の薬剤、器具を取り寄せを依頼していた。
血流循環を改善させる薬剤、感染症に対する抗生物質、血栓ができたときの治療薬など。点滴や排尿の最先端の器具も積極的に取り入れたがっていた。
ルフィーノの見解ではいざとなれば盗賊討伐、害獣退治で負傷した騎士たちの治療にも役立てそうだから、新しい治癒魔法使いたちに対してルドヴィカの意見を後押ししていた。
「わかった。お前のしたいようにするがいい。治癒魔法使いにも協力するように伝えておこう」
「殿下……」
ルドヴィカはじっと横にいるジャンルイジ大公を見つめた。
まだ瞳から涙があふれ出ようとしていた。
「ルカ、ジジだ」
先ほど決めた呼び名についてジャンルイジ大公は注意する。
「ジジ、死なないでください」
「……」
「死なないでください。あなたには幼い公女様がいます。だから……」
彼女を一人にしてはいけない。そう口にしようとしたが、ジャンルイジ大公はルドヴィカの髪を撫でた。思った以上にふわふわとして猫の毛を思わせる。
「わかった。死ねないな。お前とビアンカを残しては死ねない」
ジャンルイジ大公はようやく答えた。
彼女の髪を撫でて落ち着かせるように彼女に宣言した。
一見奔放にみえたルドヴィカの心のうちが今は少しふれられたような気がした。
夫婦の在り方が話題だったのでてっきり夜の過ごし方だと思っていた。
「まず余所余所しい呼び方をやめようと……」
ジャンルイジ大公は悩みながらも自分が提案したいことを伝えた。
公式場であれば大公殿下、大公妃殿下と呼ぶのは当然だろうが、私的な場所であればもう少しくだけた呼び名がいいのではないか。
「お許しいただけるのであれば……何とお呼びすればいいのでしょう」
「ジジと呼んでほしい」
ジジというのは何度かルフィーノの口から聞いたことがある呼び名だ。
ルフィーノは彼の幼馴染で、かつては同じ師のもとで勉学を共にした。
身分の上下はあるものの、幼い間柄ではジャンルイジのことはジジ、ルフィーノはルフィと呼び合う間柄だった。そしてもう一人の幼馴染、巡礼中のフランチェスカはフランと呼ばれていた。
「私がその名でお呼びしても」
「良い。お前は私の妻である。いつまでも私的な場で殿下と他人行儀にさせるのはどうかとも思うしな」
これはジャンルイジ大公なりの意志表示である。
夫婦として親しい間柄になりたいという。
「わかりました。ジジ」
早速呼んでみると妙にむずむずした感覚になってしまう。まだ慣れないが直に気安く呼べるようになるだろう。
「それでお前のことを何と呼べばいい?」
妃、大公妃、またはルドヴィカとそのまま呼びであった。
愛称があれば自分もそのように呼びたいと願った。
「私に愛称はありません」
「親からは」
「そういった親ではなかったので」
ルドヴィカは思わず苦笑いしてしまった。
実は母親はアリアンヌのことをアリーと呼んで溺愛していた。
よく買い物も一緒に連れまわし、彼女の着るものは全て母親がコーディネートしていた。社交界の知識も十分あり、当時の流行を押さえていた母の選んだものに間違いはなかった。
アリアンヌは社交界デビューする前より貴族の世界で持て囃された美しい令嬢であった。
皇帝家と同じ金髪と、紫の瞳の高貴なる存在の特徴も押さえていたので一層愛された。
対してルドヴィカは忌み嫌われる鼠色(ブルーグレイ)の髪、少しきつめの赤い瞳と敬遠されがちな印象であった。母はルドヴィカを視界に入れるのを嫌がり、家族の食卓以外では接触したことがない。ルドヴィカの目の前でアリアンヌばかり話しかけていた。
「そのままルドヴィカとお呼びしていただいて構いません」
「そうか。でも私だけ愛称というのも……では私が考えてもいいか?」
しばらく考え込んだジャンルイジ大公がちらっとルドヴィカに目配せして提案した。
「はい。構いません」
「よし……ルドヴィカをルイーゼと呼ぶこともあるらしいが、別の呼び方を考えたい。ルド……単純すぎるな。ルヴィ……ルフィと似た感じになるからダメと。ヴィカ、ヴィーチェ……ルの音も入れたい」
ジャンルイジ大公はぶつぶつと必死に考えた。
ルドヴィカはルルが注いでくれたワインを口に入れて彼の様子を眺めた。
これだけ考え込む彼の姿は珍しく感じられる。
それが自分の愛称を考える為などと思わず笑みが零れ落ちそうだ。
「よし、ルカだ。ルカというのはどうだ」
3分程で思いついた名前であるがジャンルイジ大公は達成感のある笑顔をみせてきた。
「素敵ですね。気に入りました」
どんな呼ばれ方でも構わなかった。ジャンルイジ大公が必死に考え与えてくれるものであればルドヴィカは喜んで受け入れよう。
「それとルカ、今後の為に用意したものがあるのだ」
首を傾げるルドヴィカにパルドンがそっとルドヴィカの前に資料を提示した。
何か事業の提案だろうか。
確認するとルドヴィカの執務を補佐する女官の候補者の資料であった。
大公家に仕える貴族出身の令嬢、夫人の名の情報がびっちりと記載されていた。20人程である。
「お前の仕事量の多さも問題だと気づき補佐するものを募集かけた。パルドンが既に面談を終えて、信頼できる者たちだ。その中から自由に選ぶがいい。勿論全員雇ってもいい」
「いえ、そんな……私に補佐官は必要ありませんよ」
ジャンルイジ大公の仕事に比べれば、責任の大きいものはわずかである。ライフラインに関するものはジャンルイジ大公に伺い立てて彼の補佐官に依頼するので十分だろう。むしろジャンルイジ大公の補佐官を増やすべきだろう。
「私が必要と判断したのだ。拒否するというのであれば、お前の仕事量を物理的に減らす」
元々ジャンルイジ大公がしていた仕事がほとんどなので、自分の手元に戻っても問題ないと彼は言った。
そうなれば折角ジャンルイジ大公の負担を減らしたのに意味がなくなってしまう。
「わ、わかりました。この中から選びます」
しかし、20人からどうやって選べばいいのやら。
「母の女官だった者も候補に入れてあるが、母と比べられると休まらないかもしれない。それならいっそその娘の世代の方がいいかもしれんな。お前のやり方はちょっと前衛的だし」
新しい方法を受け入れられる女官の方が確かによさそうだ。だが、大公領には大公領のやり方があるし、前任まで良かった点はおさらいしておきたい。
ルドヴィカはぱらぱらと資料を睨みつけてどうしようと悩んでいた。
パルドンがさっとルドヴィカから奪うように取り去った。
「明日、改めて届けさせる。決めるのは明日以降でいい」
「それなら何で今見せたのです」
おかげで女官選定のことで頭がいっぱいになってしまった。
「お、お前が……無理をしすぎるから、無理をしなくても良いと言うためだ」
ジャンルイジ大公は困ったようにつぶやいた。
単純にそれを言うのもなかなかうまくいかず、きっかけのようなものを作りたかった。
今日の休暇も実はルドヴィカの為に用意したかったものだと今更知る。
何て不器用な方だ。
「殿下……いえ、ジジ。お気遣いありがとうございます」
ルドヴィカは改めて彼に感謝した。
「でも、私は大丈夫です。まだまだやりたいことはありますし、やらなければならないし」
「心配をかけまいと無理をして元気に振る舞うのもどうかと思う」
ジャンルイジ大公の言葉にルドヴィカは首を傾げた。
彼の言っている意味が理解できなかった。
「仕事量が日々増えていっているのが心配になる」
ルルとオリンドの報告でルドヴィカの仕事量を聞かされてジャンルイジ大公はようやく彼女の無理に気づいてしまった。
よくみれば目の下に隈ができているときもあり、昨日にオリンドに頼んで軽い睡眠魔法を依頼した。
「ですが、私は……」
「何故そんなに自分を追い込もうとする。何がそうさせている」
ルドヴィカは困った。
口で言うのも悩んでしまう。
言って信じてもらえる内容ではないし。
ルドヴィカの前世、1周目のルドヴィカは自暴自棄になり大公妃の仕事を一切せず、部屋に引きこもり贅沢三昧の日々を過ごしていた。商人や服飾デザイナーを呼び寄せては華美なドレス、装飾品を集めて自分を慰めて空しい日々を送っていた。
本当に何もしていなかった。
何もせず、気づかなかった。
ジャンルイジ大公の負担を、その中でも彼がルドヴィカのことを気遣っていたか。
夫婦なのだから少しでも距離を縮めるようにすればいいのだが、呪いのようについてしまったジャンルイジ大公はルドヴィカの前に出ることができなかった。何も見えなかったルドヴィカは自分のことしか考えられなかった。
だから今世は変えなければならない。
せめてジャンルイジ大公の未来だけでも、変えたかった。
彼の仕事の負担をできる限り減らして、彼の食生活をできるだけ変えて、彼が元の生活に近づけるように、彼の寿命が少しでも延びるようにと必死だった。
「……あれ」
ルドヴィカの頬に生暖かいものが零れ落ちた。雨でも降ったのだろうかと思うが日差しはよく、ここはガセボだから濡れるはずもない。
「パルドン」
ジャンルイジ大公がテーブルを支えに立ち上がり、執事の名を呼んだ。パルドンは彼の傍に寄り添い、支えとなった。オリンドがじっと二人の様子をみつめて、いざとなれば魔法でサポートしようとしていた。
ゆっくりとルドヴィカの方へと近づく。その間にルルはルドヴィカの傍に別の椅子を配置させた。
ルドヴィカのすぐ隣まで近づき、ジャンルイジ大公はルルの用意した椅子にすとんと腰をかけた。
ポケットに入っていたハンカチを取り出して、ルドヴィカの頬でそれをぬぐってやる。
「自分でわかっていないようだが、自分を相当追い込んでいるようだな。理由を教えてくれないか」
「理由……理由なんて、いったら気を悪くしてしまいます」
くぐもったルドヴィカの言葉にジャンルイジ大公は周りに目配せをした。
しばらく席を外すようにと。
ルルは心配そうにルドヴィカの方をみつめたが、今は大公に任せた方がいいとパルドンが肩をかけて諭す。
ルルとパルドン、オリンドがガセボから姿を消した。
ジャンルイジ大公は再びルドヴィカに声をかけた。
「私は怒らない。お前を怒ったことは……あったな一度」
ビアンカ公女暗殺未遂事件で、犯人の元へ突撃して、自分を囮にしようとした件に関してである。あれは怒るのも仕方ないだろう。
「今からお前が言うことに私は気を悪くしない。だから教えてほしい」
「殿下がこのままだと死んじゃうから……だから急がないと」
ルドヴィカから出た言葉にジャンルイジ大公は困惑した。
しかし、冷静に考えれば自分もその心配はしていた。
ルドヴィカに出会う前、あの生活ではいずれは自分は惨めに死んでしまうだろうと考えていた。その前にビアンカ公女のことをどうしようか、今からくる妻の処遇をどうしようかと悩んでいた。
「私が、死ぬのか?」
「今年中に、殿下が死んでしまう」
「どうして死ぬのか聞いてもいいか」
「病気です。1日の間に急に。何の病気かわからなくて、だから死なないように急ぎたい。少しでもあなたがよくなるように、何かあってもすぐに対処できるように……」
ルドヴィカの行動を思い出す。医務室の件で最近は意見を出すようになっていた。
必要なさそうな異国経由の薬剤、器具を取り寄せを依頼していた。
血流循環を改善させる薬剤、感染症に対する抗生物質、血栓ができたときの治療薬など。点滴や排尿の最先端の器具も積極的に取り入れたがっていた。
ルフィーノの見解ではいざとなれば盗賊討伐、害獣退治で負傷した騎士たちの治療にも役立てそうだから、新しい治癒魔法使いたちに対してルドヴィカの意見を後押ししていた。
「わかった。お前のしたいようにするがいい。治癒魔法使いにも協力するように伝えておこう」
「殿下……」
ルドヴィカはじっと横にいるジャンルイジ大公を見つめた。
まだ瞳から涙があふれ出ようとしていた。
「ルカ、ジジだ」
先ほど決めた呼び名についてジャンルイジ大公は注意する。
「ジジ、死なないでください」
「……」
「死なないでください。あなたには幼い公女様がいます。だから……」
彼女を一人にしてはいけない。そう口にしようとしたが、ジャンルイジ大公はルドヴィカの髪を撫でた。思った以上にふわふわとして猫の毛を思わせる。
「わかった。死ねないな。お前とビアンカを残しては死ねない」
ジャンルイジ大公はようやく答えた。
彼女の髪を撫でて落ち着かせるように彼女に宣言した。
一見奔放にみえたルドヴィカの心のうちが今は少しふれられたような気がした。
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結末は短編と違いがございますので、最後まで楽しんで頂ければ幸いです。
※毎日更新、全3部構成 全81話。(2020年3月7日21時完結)
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