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婚約が整った当初のお嬢様は、とてもお幸せそうでした。
初恋の君と想いが通じ合ったのですもの。そりゃあ嬉しいに決まっています。ですが日が経つにつれ、アルベルト様は本性を現し始めました。
「その時のローゼマリー様のお顔といったら、とっても可笑しくて……」
「フィリーネ。君は随分、みっともない笑い方をするんだね。もっとお淑やかな子だと思っていたのに」
お茶会の席でご友人の面白いエピソードをお話ししていたお嬢様の言葉を遮って、彼はそんな事を言い放ちました。
みっともないですって!?何言ってんのかしら、この駄男。
お嬢様の天使のような笑みを、事もあろうにみっともないと言いましたか?
「君はもう14歳だろう?口を開けて笑うなんてはしたないよ」
「あ、はい……申し訳ございません、アルベルト様」
それからというもの、会う度にあの男はお嬢様のありとあらゆる事にケチをつけました。
「その服、胸が開き過ぎなのじゃないか?まるで娼婦のようだ。それに、俺は赤色が好きじゃない」
「乗馬?淑女が馬に乗るなんて、どうかしている。令嬢とは刺繍やカードゲームを好むものではないのか?」
服装や話し方、考え方に趣味嗜好、終いにはノルデン子爵家のことまで……。時には1時間近く、ぐちぐちとフィリーネ様を責め立てた事もあります。そして最後には必ず「君はもっと素晴らしい女性だと思っていたのに」と溜め息混じりに言うのです。
ええ、あの時はあの小憎らしい頭をかち割ろうとする拳を抑えるのに必死でしたわ。
徐々にお嬢様は元気がなくなっていきました。あの溌剌とした明るさがなくなり、口数が少なくなり、笑顔が減っていき……。心配した旦那様や奥様が問いただしても、フィリーネ様は「何でもありませんわ」と答えるだけでした。
「はあ……。今日もアルベルト様を怒らせてしまったわ。やっぱりいつもの髪飾りにしておけば良かったかしら」
「いいえ、フィリーネお嬢様。あの髪飾りはとてもよくお似合いでございました。それに例え本当に似合っていなくても、あのような言い方をするべきではございません。アルベルト様の振る舞いは貴族の男性としてあるまじきものですわ」
湯浴みをお済ませになったフィリーネ様の御髪を整えながら、私は力説致しました。
ああ、それにしてもお嬢様の髪の艶やかなこと。くせっ毛の私などと違い、櫛は一度も引っかかることなく、するすると通るのです。
「だいたい、こんなに清楚で美しくて気立てがよくて成績まで優秀でいらっしゃるお嬢様のどこに責められる要素があるのでしょう。むしろあの男は、お嬢様の婚約者になれた栄誉にひれ伏して感謝するべきです!」
「ふふ、ありがとう。冗談とはいえ、イルゼにそう言って貰えて少し気が楽になったわ」
本気で言ってますが?
「お嬢様、やはり一度アルベルト様のことを旦那様にご相談なさっては?」
「いいのよ。私が至らないところを、改めればいいだけなのだから」
お嬢様はああ仰いますが、こっそり旦那様か奥様に現状をお話しした方が良いだろうか……。そんなことに頭を悩ませていたある日のこと。いつもよりかなり遅い時間に、フィリーネお嬢様が学院からご帰宅なさいました。しかもびしょ濡れで。
「お嬢様!?どうなさったのですか、そのように濡れて……」
「そんなことよりすぐに湯浴みの用意を!」
急いで湯の準備を整えお嬢様の身体を温めながら、私は首を傾げました。
出迎えた家令によれば、フィリーネ様を送って下さったのはアーレンス侯爵家の馬車だったとのこと。
お嬢様の通う貴族学院は馬車での通学が規則となっています。以前はうちの馬車を使用していましたが、アルベルト様から「少しでもフィリーネと時間を持ちたい」との申し出があり、今はグラーツ伯爵家の馬車で送迎して頂いております。それがなぜアーレンス侯爵家の馬車で……?
「やっと人心地がついたわ。ありがとう、イルゼ」
湯から上がった後、熱々の紅茶をお飲みになったお嬢様がようやく口を開きました。帰宅直後は真っ青なお顔で、口を開く元気も無い様子でしたから……頬に赤みが増してきたとはいえ、まだ油断は出来ません。お風邪でも召されていないか心配です。
「念のため、医師をお呼びしましょうか」
「大丈夫よ。身体は問題ないわ」
「……お嬢様。なぜアーレンス侯爵家の馬車で?アルベルト様はどうなさったのですか」
フィリーネ様はなかなか口を割ろうとはなさりませんでしたが、私は根気よく聞き出しました。尋常ではない事態であろうことは察せられます。理由を聞き、場合によってはしかるべき対処をせねばなりません。
そしてようやく語られた内容に、私は髪の毛が逆立つほどの怒りを覚えました。
校門前でアルベルト様を待っていたお嬢様でしたが、いつまで待っても来ないため教室へ行ってみると既に帰宅したと言われたそうです。
学院には家の事情で馬車を使用できない生徒のために、貴族街を巡回する共用馬車もあります。慌てて共用馬車を探したものの、すでに最後の馬車が出てしまった後でした。
こうなっては、徒歩で帰宅するしかありません。折悪しく振り出した雨の中を歩いている所へフランツィスカ・アーレンス侯爵令嬢の馬車が通りかかり、フィリーネ様を拾って送り届けて下さったそうなのです。
アルベルト様が、何故約束を破ってお嬢様を置いていったのか。私にはその理由に思い当たる節があります。
この週末も、お嬢様はアルベルト様とお会いになりました。そこであの男は、お嬢様のご友人であるローゼマリー・ヴェルテ子爵令嬢とそのご実家を貶したのです。
ヴェルテ子爵は慈善に熱心な方で、平民の働ける場を増やすべく様々な事業を展開されています。それをあのクソ虫は「平民をこき使って儲けようなんて、性根が卑しい。そんな家の娘も性格が悪いに違いない」と吐き捨てました。
流石のお嬢様も、親友を貶されるのは我慢できなかったのでしょう。自分はともかく友人のことまで悪く言わないで欲しいと、苦言を呈しました。それがよほど気に入らなかったらしく、その後アルベルト様は一言も口を利かずに帰って行かれました。
恐らく、今回の件はその意趣返しでしょう。
何て子供っぽい男でしょうか。
あれだけ偉そうにご高説を垂れていたくせに、当の本人には思いやりも常識も見当たりません。
そもそも、なぜ学院が馬車通学を原則としているのか。学院の生徒ならばその理由を知らない筈はありません。
以前、徒歩で通学していた令嬢が拐かされるという事件が発生したのです。幸い現場を目撃した者がすぐに衛兵を呼び、令嬢はほどなく助け出されました。しかしその後良からぬ噂を立てられ、婚約を解消され……彼女は修道院へ入られたと聞きます。
その事件を踏まえ、例え家が近くても馬車で通学すべしという規則が追加されたのです。
フィリーネ様はあの通りお美しい容姿。歩いている途中で良からぬ輩に目を付けられ、拐かされていたら……。そんなこと、考えるだけで鳥肌が立ちます。
流石にこの件は旦那様からグラーツ伯爵家へ抗議を入れて頂きましたが「申し訳ない。先に帰ると伝えたつもりが、行き違いがあったようだ。息子も反省している」と手紙が戻ってきただけでした。
相手は格上の伯爵家です。向こうから謝罪があった以上、旦那様も矛を収めるしかありませんでした。
初恋の君と想いが通じ合ったのですもの。そりゃあ嬉しいに決まっています。ですが日が経つにつれ、アルベルト様は本性を現し始めました。
「その時のローゼマリー様のお顔といったら、とっても可笑しくて……」
「フィリーネ。君は随分、みっともない笑い方をするんだね。もっとお淑やかな子だと思っていたのに」
お茶会の席でご友人の面白いエピソードをお話ししていたお嬢様の言葉を遮って、彼はそんな事を言い放ちました。
みっともないですって!?何言ってんのかしら、この駄男。
お嬢様の天使のような笑みを、事もあろうにみっともないと言いましたか?
「君はもう14歳だろう?口を開けて笑うなんてはしたないよ」
「あ、はい……申し訳ございません、アルベルト様」
それからというもの、会う度にあの男はお嬢様のありとあらゆる事にケチをつけました。
「その服、胸が開き過ぎなのじゃないか?まるで娼婦のようだ。それに、俺は赤色が好きじゃない」
「乗馬?淑女が馬に乗るなんて、どうかしている。令嬢とは刺繍やカードゲームを好むものではないのか?」
服装や話し方、考え方に趣味嗜好、終いにはノルデン子爵家のことまで……。時には1時間近く、ぐちぐちとフィリーネ様を責め立てた事もあります。そして最後には必ず「君はもっと素晴らしい女性だと思っていたのに」と溜め息混じりに言うのです。
ええ、あの時はあの小憎らしい頭をかち割ろうとする拳を抑えるのに必死でしたわ。
徐々にお嬢様は元気がなくなっていきました。あの溌剌とした明るさがなくなり、口数が少なくなり、笑顔が減っていき……。心配した旦那様や奥様が問いただしても、フィリーネ様は「何でもありませんわ」と答えるだけでした。
「はあ……。今日もアルベルト様を怒らせてしまったわ。やっぱりいつもの髪飾りにしておけば良かったかしら」
「いいえ、フィリーネお嬢様。あの髪飾りはとてもよくお似合いでございました。それに例え本当に似合っていなくても、あのような言い方をするべきではございません。アルベルト様の振る舞いは貴族の男性としてあるまじきものですわ」
湯浴みをお済ませになったフィリーネ様の御髪を整えながら、私は力説致しました。
ああ、それにしてもお嬢様の髪の艶やかなこと。くせっ毛の私などと違い、櫛は一度も引っかかることなく、するすると通るのです。
「だいたい、こんなに清楚で美しくて気立てがよくて成績まで優秀でいらっしゃるお嬢様のどこに責められる要素があるのでしょう。むしろあの男は、お嬢様の婚約者になれた栄誉にひれ伏して感謝するべきです!」
「ふふ、ありがとう。冗談とはいえ、イルゼにそう言って貰えて少し気が楽になったわ」
本気で言ってますが?
「お嬢様、やはり一度アルベルト様のことを旦那様にご相談なさっては?」
「いいのよ。私が至らないところを、改めればいいだけなのだから」
お嬢様はああ仰いますが、こっそり旦那様か奥様に現状をお話しした方が良いだろうか……。そんなことに頭を悩ませていたある日のこと。いつもよりかなり遅い時間に、フィリーネお嬢様が学院からご帰宅なさいました。しかもびしょ濡れで。
「お嬢様!?どうなさったのですか、そのように濡れて……」
「そんなことよりすぐに湯浴みの用意を!」
急いで湯の準備を整えお嬢様の身体を温めながら、私は首を傾げました。
出迎えた家令によれば、フィリーネ様を送って下さったのはアーレンス侯爵家の馬車だったとのこと。
お嬢様の通う貴族学院は馬車での通学が規則となっています。以前はうちの馬車を使用していましたが、アルベルト様から「少しでもフィリーネと時間を持ちたい」との申し出があり、今はグラーツ伯爵家の馬車で送迎して頂いております。それがなぜアーレンス侯爵家の馬車で……?
「やっと人心地がついたわ。ありがとう、イルゼ」
湯から上がった後、熱々の紅茶をお飲みになったお嬢様がようやく口を開きました。帰宅直後は真っ青なお顔で、口を開く元気も無い様子でしたから……頬に赤みが増してきたとはいえ、まだ油断は出来ません。お風邪でも召されていないか心配です。
「念のため、医師をお呼びしましょうか」
「大丈夫よ。身体は問題ないわ」
「……お嬢様。なぜアーレンス侯爵家の馬車で?アルベルト様はどうなさったのですか」
フィリーネ様はなかなか口を割ろうとはなさりませんでしたが、私は根気よく聞き出しました。尋常ではない事態であろうことは察せられます。理由を聞き、場合によってはしかるべき対処をせねばなりません。
そしてようやく語られた内容に、私は髪の毛が逆立つほどの怒りを覚えました。
校門前でアルベルト様を待っていたお嬢様でしたが、いつまで待っても来ないため教室へ行ってみると既に帰宅したと言われたそうです。
学院には家の事情で馬車を使用できない生徒のために、貴族街を巡回する共用馬車もあります。慌てて共用馬車を探したものの、すでに最後の馬車が出てしまった後でした。
こうなっては、徒歩で帰宅するしかありません。折悪しく振り出した雨の中を歩いている所へフランツィスカ・アーレンス侯爵令嬢の馬車が通りかかり、フィリーネ様を拾って送り届けて下さったそうなのです。
アルベルト様が、何故約束を破ってお嬢様を置いていったのか。私にはその理由に思い当たる節があります。
この週末も、お嬢様はアルベルト様とお会いになりました。そこであの男は、お嬢様のご友人であるローゼマリー・ヴェルテ子爵令嬢とそのご実家を貶したのです。
ヴェルテ子爵は慈善に熱心な方で、平民の働ける場を増やすべく様々な事業を展開されています。それをあのクソ虫は「平民をこき使って儲けようなんて、性根が卑しい。そんな家の娘も性格が悪いに違いない」と吐き捨てました。
流石のお嬢様も、親友を貶されるのは我慢できなかったのでしょう。自分はともかく友人のことまで悪く言わないで欲しいと、苦言を呈しました。それがよほど気に入らなかったらしく、その後アルベルト様は一言も口を利かずに帰って行かれました。
恐らく、今回の件はその意趣返しでしょう。
何て子供っぽい男でしょうか。
あれだけ偉そうにご高説を垂れていたくせに、当の本人には思いやりも常識も見当たりません。
そもそも、なぜ学院が馬車通学を原則としているのか。学院の生徒ならばその理由を知らない筈はありません。
以前、徒歩で通学していた令嬢が拐かされるという事件が発生したのです。幸い現場を目撃した者がすぐに衛兵を呼び、令嬢はほどなく助け出されました。しかしその後良からぬ噂を立てられ、婚約を解消され……彼女は修道院へ入られたと聞きます。
その事件を踏まえ、例え家が近くても馬車で通学すべしという規則が追加されたのです。
フィリーネ様はあの通りお美しい容姿。歩いている途中で良からぬ輩に目を付けられ、拐かされていたら……。そんなこと、考えるだけで鳥肌が立ちます。
流石にこの件は旦那様からグラーツ伯爵家へ抗議を入れて頂きましたが「申し訳ない。先に帰ると伝えたつもりが、行き違いがあったようだ。息子も反省している」と手紙が戻ってきただけでした。
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