不可思議カフェ百鬼夜行は満員御礼

一花カナウ

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不可思議カフェ百鬼夜行の業務日誌【短編集】

ひなまつりの前日に

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 今日は三月二日だ。
 俺はカウンター席に置かれた御内裏雛に気づいて、目を瞬かせる。
 いつの間にこんなものが? 客の忘れ物……というわけじゃなさそうだな。
 遅めの昼休憩からホールに戻ってみたらこれだ。数十分もしないうちにオヤツを求めにお客が立ち寄ることだろう。片付けるか否か。

「――なあ、店長」
「なんだい、獅子野(ししの)くん」

 俺はキッチンに居た店長に声を掛けてカウンターを指し示した。

「それ、あんたのか?」
「いいや。そもそも僕は男性だし、子もいないからね」

 それなりに立派な風格の内裏雛だ。こうした飲食店で飾るような代物ではない。自分は男性で子はいないと店長が答えたのはそういう理由だ。

「俺が昼休みに入る前にはなかった」

 昼食に来た客が退店したのを確認してから俺は休憩に入っている。スタッフも使用する男女兼用のトイレも使った後だから、この時間は俺と店長の二人しかいなかったはずだ。

「誰かからの預かり物、とか?」

 自分のものではないと答えていたが、なんでもできる店長のことだ。預かり物の可能性はある。
 俺が尋ねれば、彼は首を横に振った。ふわりと結んだ黒髪が左右に揺れる。

「残念ながら、預かり物ではないね」
「じゃあなんでこんなところに……片付けちまっても問題ないのか?」

 三つあるカウンター席のど真ん中に置かれている。ここにあったら店の邪魔だ。
 触れてみようかと思って、俺はハッとする。

「あ。それとも、客、なのか?」
「その発想はなかったねえ、明日が桃の節句だから」

 なるほどと手を打って、店長がカウンター側に回ってきた。自身の眼鏡のつるに触れてじっと雛人形を見つめる。
 お内裏様もお雛様も二人並んで澄まし顔。人形ではあるようだ。

「ふむ。客ではないようだが、悪いものを持っているわけでもない。どうも持ち主がいたことのない子たちのようだね」
「新品ってことか」
「生まれたてではないにせよ、誰かのものとしてあったわけではなさそうだ」

 雛人形は持ち主である女性の穢れや厄を引き受けるものだと聞く。悪いものを持たないことから、持ち主がいなかったと考えるのは自然だろう。
 俺は頷くが、問題はそこじゃない。

「だが、そこにあったら仕事の邪魔になる。飾るならレジの横がいいんじゃねえか?」

 俺が提案すれば、彼は首を横に振る。

「僕らのものでもないのだから、気安く触るものではないよ。飾る目的で動かしてしまったら、僕たちの所有物になってしまう」
「一時的でも?」
「ああ。これはそういうものだ」

 店長がそういうのだから触らないほうが良いのだろう。

「じゃあ、これ、どうすんだよ」
「そうだね」

 困ったような顔をして、店長はホール内にある古時計に目をやる。

「次の客が来る時間だ」
「そうじゃなくて」

 苛立つ俺を見て、店長は長い人差し指を自身の口元に当てて静かにと示した。
 ドアベルが鳴る。
 俺は心の中で舌打ちをした。

「いらっしゃいませ」

 客を見やると、大きなお腹をした若い女性が立っていた。身重のようだ。

「デカフェは扱っていますか?」
「デカフェはないが、妊婦でも飲めるハーブティーなら」

 俺が店長に視線を向ければ、彼は頷いた。

「蜂蜜入りのカモミールティーはいかがでしょう?」
「なら、それを」
「承知いたしました」

 客をテーブル席の一つに案内する。
 動くたびに大きく呼吸が乱れるようで、苦しそうだ。

「おい、大丈夫か?」
「臨月で、健診を終えたところなんです。まだ大丈夫だからって」
「そうか……無理すんなよ。つらくなったら声掛けていいからよ」
「ありがとう」

 彼女は視線を御内裏雛に向けた。優しく微笑む。

「とても綺麗ね。ひなまつりは明日だものね」
「ああ。……そだ、ひなあられ、カモミールティーに合わねえかもしれねえけど、茶請けにどうだ?」
「いただけたら嬉しいわ」
「じゃ、ごゆっくり」

 俺は棚にしまっているひなあられを取りにテーブル席から離れた。




 カモミールティーを楽しんでいる間もずっと彼女は御内裏雛を見て穏やかに笑っていた。彼女がいる間に他に客は訪ねて来ず、彼女はご馳走様と告げて帰っていった。

「――無事に産まれるといいな」
「そうだね、獅子野くん」

 彼女を見送ってテーブル席の片付けをしてから振り返ると、御内裏雛がなくなっていた。

「店長」
「うん?」
「人形が」
「ああ、そうだね」

 動揺している俺とは違って、店長は当然だとばかりに落ち着きを放っている。

「……知っていたのか?」
「知っていたというよりは」

 店長は自身のために淹れたコーヒーを啜る。ふぅと息を吐いて、御内裏雛がいた場所を見やる。

「あの人形はお腹の子の物になる予定だからね。今晩が危機なんだ」
「え、じゃあ」
「無事に産まれてくるよ。その厄を引き受けるためにここに来たのさ」

 それを聞いてほっとしかけて、俺はあることがよぎった。

「……待て」
「それ以上は何も言ってはならないよ、獅子野くん」

 彼の長い人差し指が自身の唇に当たった。

「僕らができることは、産まれる子の健康を祈ることくらいだ。なに、君が彼女に一足早くひなあられをあげただろう? ひなあられにも厄祓いの効果がある。運が巡るように願うといい」
「……ああ」

 彼女がまたこの店を訪ねることはないのかもしれない。
 少しでもお産がラクでありますように。どうかこの縁が長く続きますように。
 俺には知識も異能もないけれど、何もしないよりは願うことに意味はあるのだろう――そうであってくれと、俺は強く思いを込めた。

《終わり》
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