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第5章
本の中の少女と本を読んだ少女
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足を一歩進めるごとに、吹雪はその激しさを増す。
あの男の姿は見えない。
自分の方が早いのを祈りつつ、一歩、また一歩とミンディは足を進めていく。
それは死に向かっているとしか思えない無謀な行軍だった。
フォルティにあの商品をつかまされたときは、本当に腹が立った。悔しさのあまり、スクラップ・ブックを壁に投げつけた。それだけでは飽き足らず、壁に当たって跳ね返ってきたそれを、びりびりに裂いてやろうと思った。
本をぱかりと割り、力を込めて真ん中から裂こうとしたその時、本の中の少女と目が合った。
黒い髪の、目の大きな女の子。
彼女の唇は真一文字にぎゅっと結ばれ、砂鉄でできた黒い瞳は、じっとミンディを見つめている。それが、妙に気になった。
ミンディは椅子に座って、それを読み始めた。そして読むにつれ、こう思うようになった。
(なんてかわいそうな子だろう)
小さいころから酒浸りの父を健気にも支えてきたのに、父親はそんな彼女に優しくしてやるどころか、ますますつらく当たる。そして、多額の借金を作るだけ作って、自分はとっとと死んでしまうのだ。借金取りに追われ、いつも怖い思いをしているレティアを、誰も助けてはくれない。助けてと言うことすら、バルバザンは許さない。好きになった男の子にはすげなくされ、最後には、レティアは王妃殺害未遂の罪で、バルバザンによって死ねないという呪いをかけられて、生きながら土に埋められてしまう。
彼女は、一体何のために生まれてきたのか。
最初は彼女のあまりに救いのない人生に涙するだけのミンディだったが、何度もスクラップ・ブックを読むうちに、レティアへの憐れみよりも、バルバザンへの怒りが勝るようになってきた。
本当に、なんという精霊だろう。
レティアを守るという使命を授かりながら、バルバザンはレティアのために何もしてあげない。それどころか、いつもレティアに心無い言葉を浴びせかけるのだ。
『どうしてお前はそうなんだ』
『なぜ、こんな女がおれが護るべき人間なんだ』
『お前なんかに、おれはもったいない。早く死んで、おれを契約の鎖から解き放ってくれ』
バルバザンはとにかく、レティアが嫌いで嫌いで仕方なかったのだ。
ある日、レティアは涙ながらにこう尋ねた。
『どうして、そんなにわたしが嫌いなの?』
バルバザンは、ぞっとするような冷たい笑みを浮かべて言った。
『ゴキブリが好きな人間がいるか?』
レティアはその時、生まれて初めてこう思ったのだ。――死にたいと。
確かに、レティアはバルバザンが好きになるアンナと違って、特別きれいな女の子でも、素敵な女の子でもない。いじめられたって、何も言い返せないような気の弱い女の子だ。
だけど、バルバザンは精霊だ。レティアの、精霊なのだ。
レティアが産まれたからこそ、彼は存在できる。
だからこそ、彼は自分の義務を全力で果たさなければならない。
精霊と人間の垣根を越えた結婚に酔いしれている暇があるのなら、寒い場所で凍えているレティアを温めに行くべきだったのだ。
(――寒い)
かつてレティアが通った道を、ミンディも通っている。
たった一本の剣を頼りに、レティアは膝まで埋まる雪道を歩いた。
砦から出るときに抱いていた復讐心は消えていた。
残酷なほどの白に、レティアは夢を見る。
この白に埋もれ、冷たい死に染まりゆく自分を。
そして、思う。
本当はわかっていた。
自分は一生幸せになれないと。誰にも愛されないと。
だから――。
自分はいつだって、安らかに、そして、速やかに死んでいきたかったのだということを。
レティアは、真っ白な雪の上にゆっくりと倒れて行った。
絶え間なく降り積もる雪は柔らかい。そして、温かい。
レティアの唇に笑みが浮かんだ。
右の頬に霜が張る。唇がみるみるその色を失っていく。レティアの全身を、青い死がしずしずと、しかし驚くほどの速さで覆っていく。
そのとき、レティアの腕をぐいと引くものがあった。
死は狡猾で、臆病だ。
すべての生き物を生からこちらに引き寄せようとするくせに、生があわてて駆け戻ってくるやいなや、さっと手を引く。まるで、いたずらをした猫が、そのいたずらをごまかすかのように。
そして、彼の人はやって来た。
『少女よ』
レティアのもとに現れたのは、彼だった。
レティアと自分を重ねて、同じように倒れたミンディのもとには、彼女がやって来た。常冬の女王、レティア・モリガンが。
『少女よ。あなたは誰ですか?』
体が動かない。かろうじて頭を持ち上げたミンディは、懸命に唇を動かそうとする。真っ青な唇は、音を発してくれない。心の中で、ミンディは叫んだ。
(常冬の女王様、あたし、あたし、ミンディです。ミンディ・ポルター……)
四角い視界の四隅が、上下ななめに、ぐらぐら揺れる。
『ミンディ……』
常冬の女王はゆっくり頭を巡らせ、記憶を探る。名前に聞き覚えはない。
別のことを問うた。
『ミンディ。あなたは、なぜ、ここに来たのですか?』
答えてくれた……。
ミンディの胸に喜びが広がる。彼女は残された力で、懸命に呼び掛ける。
(常冬の女王様、あたし、あなたに会いに来ました)
『わたくしに?』
不思議そうに、常冬の女王は尋ねる。
(はい! わたし、スクラップ・ブックを読みました!)
『……スクラップ・ブックを』
動かない体で、ミンディは懸命に呼び掛ける。
(女王様、わたし……)
『読んだ』
はしゃいでいた胸が、さっと静まった。
(女王様?)
常冬の女王は思い出す。
あのスクラップ・ブックが手元にやってきたときのことを。
あの男の言葉を。
――人々がいつか、もっと大きな死を望んだときに、これの意味がわかるよ。
『そうか。そうなのですね。いまが、その時』
淡々としたその声は、確信に満ちている。
『わかりました。ミンディ』
限りない優しさと、憐れみを込めて。
『あなたの望み通り、この地に生きる者たちに、あまねく、安らかな死を』
(違う! あたしは、そんなつもりじゃ……)
ミンディの声は、女王の強烈な意志の前に掻き消えた。
『まずは、ミンディ・ポルター。あなたから。さ、この腕の中へおいでなさい』
違う、違う、そうじゃない。
遠ざかる意識の中、ミンディは心の中で懸命に叫んだ。
あたしが言いたいのは、そうじゃない。
常冬の女王様、いいえ、レティア・モリガン。
あなたは誰にも愛されなかった。誰にも受け入れられることがなかった。
だから、あたしはここに来た。
あなたを理解し、愛している人がここにいる。
だから、人に安らかな死を与えるなんて、そんなこと。
精霊になってまで、そんな嫌われるようなこと、しなくていいのよ――。
ミンディの叫びは、届かない。
彼女の意識は暗い闇の中へまっさかさまに落ちていった。
あの男の姿は見えない。
自分の方が早いのを祈りつつ、一歩、また一歩とミンディは足を進めていく。
それは死に向かっているとしか思えない無謀な行軍だった。
フォルティにあの商品をつかまされたときは、本当に腹が立った。悔しさのあまり、スクラップ・ブックを壁に投げつけた。それだけでは飽き足らず、壁に当たって跳ね返ってきたそれを、びりびりに裂いてやろうと思った。
本をぱかりと割り、力を込めて真ん中から裂こうとしたその時、本の中の少女と目が合った。
黒い髪の、目の大きな女の子。
彼女の唇は真一文字にぎゅっと結ばれ、砂鉄でできた黒い瞳は、じっとミンディを見つめている。それが、妙に気になった。
ミンディは椅子に座って、それを読み始めた。そして読むにつれ、こう思うようになった。
(なんてかわいそうな子だろう)
小さいころから酒浸りの父を健気にも支えてきたのに、父親はそんな彼女に優しくしてやるどころか、ますますつらく当たる。そして、多額の借金を作るだけ作って、自分はとっとと死んでしまうのだ。借金取りに追われ、いつも怖い思いをしているレティアを、誰も助けてはくれない。助けてと言うことすら、バルバザンは許さない。好きになった男の子にはすげなくされ、最後には、レティアは王妃殺害未遂の罪で、バルバザンによって死ねないという呪いをかけられて、生きながら土に埋められてしまう。
彼女は、一体何のために生まれてきたのか。
最初は彼女のあまりに救いのない人生に涙するだけのミンディだったが、何度もスクラップ・ブックを読むうちに、レティアへの憐れみよりも、バルバザンへの怒りが勝るようになってきた。
本当に、なんという精霊だろう。
レティアを守るという使命を授かりながら、バルバザンはレティアのために何もしてあげない。それどころか、いつもレティアに心無い言葉を浴びせかけるのだ。
『どうしてお前はそうなんだ』
『なぜ、こんな女がおれが護るべき人間なんだ』
『お前なんかに、おれはもったいない。早く死んで、おれを契約の鎖から解き放ってくれ』
バルバザンはとにかく、レティアが嫌いで嫌いで仕方なかったのだ。
ある日、レティアは涙ながらにこう尋ねた。
『どうして、そんなにわたしが嫌いなの?』
バルバザンは、ぞっとするような冷たい笑みを浮かべて言った。
『ゴキブリが好きな人間がいるか?』
レティアはその時、生まれて初めてこう思ったのだ。――死にたいと。
確かに、レティアはバルバザンが好きになるアンナと違って、特別きれいな女の子でも、素敵な女の子でもない。いじめられたって、何も言い返せないような気の弱い女の子だ。
だけど、バルバザンは精霊だ。レティアの、精霊なのだ。
レティアが産まれたからこそ、彼は存在できる。
だからこそ、彼は自分の義務を全力で果たさなければならない。
精霊と人間の垣根を越えた結婚に酔いしれている暇があるのなら、寒い場所で凍えているレティアを温めに行くべきだったのだ。
(――寒い)
かつてレティアが通った道を、ミンディも通っている。
たった一本の剣を頼りに、レティアは膝まで埋まる雪道を歩いた。
砦から出るときに抱いていた復讐心は消えていた。
残酷なほどの白に、レティアは夢を見る。
この白に埋もれ、冷たい死に染まりゆく自分を。
そして、思う。
本当はわかっていた。
自分は一生幸せになれないと。誰にも愛されないと。
だから――。
自分はいつだって、安らかに、そして、速やかに死んでいきたかったのだということを。
レティアは、真っ白な雪の上にゆっくりと倒れて行った。
絶え間なく降り積もる雪は柔らかい。そして、温かい。
レティアの唇に笑みが浮かんだ。
右の頬に霜が張る。唇がみるみるその色を失っていく。レティアの全身を、青い死がしずしずと、しかし驚くほどの速さで覆っていく。
そのとき、レティアの腕をぐいと引くものがあった。
死は狡猾で、臆病だ。
すべての生き物を生からこちらに引き寄せようとするくせに、生があわてて駆け戻ってくるやいなや、さっと手を引く。まるで、いたずらをした猫が、そのいたずらをごまかすかのように。
そして、彼の人はやって来た。
『少女よ』
レティアのもとに現れたのは、彼だった。
レティアと自分を重ねて、同じように倒れたミンディのもとには、彼女がやって来た。常冬の女王、レティア・モリガンが。
『少女よ。あなたは誰ですか?』
体が動かない。かろうじて頭を持ち上げたミンディは、懸命に唇を動かそうとする。真っ青な唇は、音を発してくれない。心の中で、ミンディは叫んだ。
(常冬の女王様、あたし、あたし、ミンディです。ミンディ・ポルター……)
四角い視界の四隅が、上下ななめに、ぐらぐら揺れる。
『ミンディ……』
常冬の女王はゆっくり頭を巡らせ、記憶を探る。名前に聞き覚えはない。
別のことを問うた。
『ミンディ。あなたは、なぜ、ここに来たのですか?』
答えてくれた……。
ミンディの胸に喜びが広がる。彼女は残された力で、懸命に呼び掛ける。
(常冬の女王様、あたし、あなたに会いに来ました)
『わたくしに?』
不思議そうに、常冬の女王は尋ねる。
(はい! わたし、スクラップ・ブックを読みました!)
『……スクラップ・ブックを』
動かない体で、ミンディは懸命に呼び掛ける。
(女王様、わたし……)
『読んだ』
はしゃいでいた胸が、さっと静まった。
(女王様?)
常冬の女王は思い出す。
あのスクラップ・ブックが手元にやってきたときのことを。
あの男の言葉を。
――人々がいつか、もっと大きな死を望んだときに、これの意味がわかるよ。
『そうか。そうなのですね。いまが、その時』
淡々としたその声は、確信に満ちている。
『わかりました。ミンディ』
限りない優しさと、憐れみを込めて。
『あなたの望み通り、この地に生きる者たちに、あまねく、安らかな死を』
(違う! あたしは、そんなつもりじゃ……)
ミンディの声は、女王の強烈な意志の前に掻き消えた。
『まずは、ミンディ・ポルター。あなたから。さ、この腕の中へおいでなさい』
違う、違う、そうじゃない。
遠ざかる意識の中、ミンディは心の中で懸命に叫んだ。
あたしが言いたいのは、そうじゃない。
常冬の女王様、いいえ、レティア・モリガン。
あなたは誰にも愛されなかった。誰にも受け入れられることがなかった。
だから、あたしはここに来た。
あなたを理解し、愛している人がここにいる。
だから、人に安らかな死を与えるなんて、そんなこと。
精霊になってまで、そんな嫌われるようなこと、しなくていいのよ――。
ミンディの叫びは、届かない。
彼女の意識は暗い闇の中へまっさかさまに落ちていった。
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