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男子寮のミステリー
プロローグ/男子寮の事件簿
しおりを挟む男子寮の朝は、いつも喧騒に包まれている。
廊下を駆け抜ける足音、バスルームの順番を巡る声、トーストの香ばしい匂い。
その全てが絡み合い、一日の始まりを告げる音楽のように響き渡っていた。
しかし、この日の空気にはわずかな違和感があった。
普段なら笑い声で満ちる共用ラウンジが、妙に落ち着かずざわついていたのだ。
壁に掛けられていたはずの大きな時計──男子寮の象徴のようにそこにあった存在が、忽然と姿を消していた。
ただ白い壁にぽっかりと四角い跡が残され、その不自然な空虚さが場を支配していた。
「おい! 時計がねぇじゃん! これじゃランニングのタイミングがめちゃくちゃになる!」
額に汗をにじませた葵が、指差す先を食い入るように見つめる。
「スマホとかでも時間は分かるんじゃ……?」
輪廻が控えめに呟いたが、葵の真剣な眼差しに射すくめられ、言葉を途中で飲み込んだ。
「ふーん、いいじゃん、面白そう!」
桃瀬は唇を弧にし、楽しげに葵の肩を叩く。
「こういうの、絶対事件の匂いがするんだよね。僕が推理してあげようか?」
「ま、まさか……幽霊が持ってったとか……ないよな……?」
緑は目を丸くし、怯えたように後ろへ下がった。
壁を見上げる表情には、薄暗い想像が影を落としている。
葵の焦り、桃瀬の好奇心、緑の恐怖、輪廻の小さな疑問。
四人の思惑が交錯する中、男子寮のささやかな「事件」は始まりを告げた。
寮生たちは騒々しくも真剣に、ラウンジや廊下を隈なく調べ始めた。
ただの時計の行方を追うだけなのに、心臓が不思議と早鐘を打つ。
それは単なる探偵ごっこ以上の、妙な緊張感を孕んでいた。
「ほら見ろよ。この棚、なんか新しい傷ついてるだろ?」
葵が眉をひそめて指差す。
力強い声に、場の空気がきゅっと引き締まった。
「ねぇ、廊下にこれ落ちてたんだけど。」
桃瀬が屈んで拾い上げたのは、光を反射する小さなネジ。
「これ、絶対時計のパーツだよね。僕の推理、当たりでしょ?」
自信満々の笑みに、輪廻の胸がわずかにざわついた。
「むむむ……時計が勝手に歩いて行ったわけじゃ……」
緑の声が、かえって不安を煽る。
「でも……もし持ち出す理由があるなら、その人が犯人……かもしれない。」
輪廻の言葉は小さく、それでいて重く響いた。
一瞬、空気が揺れる。
ただのいたずらかもしれない──けれど、どこかに意図が潜んでいる気がしてならなかった。
沈黙を破ったのは、紫苑だった。
長い前髪を揺らしながら、彼はゆっくりと口を開く。
「時計を取り外すには技術が要る。雑に外せば壊れてしまうだろう。……つまり、計画性のある行為だ。」
穏やかな声なのに、不思議と背筋が粟立った。
「へぇ、さすが先生。じゃあ、これって本気の計画的犯行ってこと?」
桃瀬がにやりと笑い、挑発めいた視線を向ける。
「面白いじゃん。僕たちでその計画、暴いてやろうよ。」
「ほんとに……誰かがそこまでしてやる理由ってあるのかな……」
輪廻は唇をかすかに震わせ、壁に残された空白を見つめた。
その後の調査で、清掃スタッフの行動が怪しいという手がかりが浮上する。
葵は我慢できず、直接確かめに向かった。
「おばちゃん、時計のこと知らない?」
「ああ、それね。壊れてたから修理に出したのさ。言うの忘れちゃってごめんよ。」
彼女は申し訳なさそうに笑った。
「な、なんだよそれ! 最初から言ってくれりゃいいのに!」
桃瀬がむくれながら腕を組む。
「僕たち、無駄に推理ごっこしてたじゃん。」
「でも……戻ってくるなら、よかったじゃん。」
輪廻が小さく笑い、場を和ませた。
数日後。
修理を終えた時計は再びラウンジへ戻ってきた。
針が刻む規則正しい音が、寮生たちの胸に安心を運んでくる。
「よし! これでランニングもばっちりだ!」
葵は拳を握り、達成感に浸った。
「ふーん、でもさ。もっとスリルある事件がよかったな。」
桃瀬は頬を緩めつつ、ちらりと隣を見やる。
「次は、もっとドキドキするようなのがいいな。……ね?」
「やめてくれよ……俺はもうお腹いっぱいだ。」
緑はげっそりした顔で肩を落とした。
「こういう出来事にも、何か学べることがあるかもしれない……」
輪廻がぽつりと呟いたその言葉は、なぜか妙に胸に残った。
紫苑は微笑を浮かべながら最後に一言添える。
「物事は表面だけで判断しないこと。冷静に見極める目が大事だ。」
ラウンジに穏やかな時間が戻り、寮生たちの間に流れる絆はほんの少しだけ強くなった。
だが、心のどこかで予感が囁く。
──次の「事件」は、もっと彼らの心を大きく揺さぶるものになるのではないか、と。
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