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恋愛シミュレーションモード
紫苑と輪廻/深夜のティーパーティー
しおりを挟む夕暮れ時、寮の玄関口は昼間の喧騒を失い、柔らかな茜色の光に包まれていた。
そこに立っていた紫苑は、変わらぬ冷静な眼差しを湛えつつも、どこか期待を忍ばせているように見えた。
長い指先に握られているのは、美しい紙質の封筒。
「輪廻、今夜少し時間があるかい?」
低く穏やかな声が、夕暮れの空気を震わせた。
「えっと……特には。どうかしました?」
輪廻は小さく首をかしげる。
紫苑はわずかに微笑み、封筒を差し出した。
「実は、今夜の温室で特別なものが君を待っている。興味があれば、ぜひ来てほしい」
その声音は神秘的で、拒むことを許さない静かな力を帯びていた。
輪廻は胸が高鳴るのを感じながら封筒を受け取る。
開くとそこには、手書きで「深夜のティーパーティーへの招待」と綴られていた。
ほんの少し戸惑いながらも、胸の奥でわくわくとした感情が広がっていく。
夜が更け、校舎の灯りが静かに落ちていく頃。
輪廻は薄闇の廊下を抜け、寮の一階にある温室の扉へと向かった。
重い扉を押し開けた瞬間、ひやりとした夜気と共に幻想的な光景が目に飛び込んでくる。ガラス越しに月の光が降り注ぎ、温室はまるで異世界のように白く輝いていた。
紫苑はすでにテーブルに腰掛け、銀のポットと繊細なカップを並べて待っていた。
その背後には、月光を受けて白く妖しく輝く花──月下美人が咲き乱れている。
「すごい……これが月下美人ですか?」
輪廻は足を止め、息を呑んだ。
「そうだよ。年に一度、一晩だけ咲く花だ。その儚さが、人の心を惹きつけてやまない。」
紫苑の声は月光に溶けるように響いた。
輪廻は花に近づき、ほのかに漂う甘い香りに目を細める。
白い花びらが透きとおるように輝き、夜空から零れ落ちた光そのもののように見えた。
紫苑は輪廻を席へと招き、ティーカップに鮮やかな青の液体を注いだ。
「これは……何のハーブティーですか?」
輪廻は不思議そうに問いかける。
「バタフライピーだ。東南アジアでよく飲まれる花の茶で、色の変化が魅力なんだ」
紫苑は細長いレモンを静かに絞った。
その瞬間、青い液体がじわりと紫に染まっていく。
「本当に色が変わった!……不思議で、すごく綺麗ですね」
輪廻の瞳が子供のように輝く。
「見た目だけじゃない。強い抗酸化作用があって、心身を落ち着かせてくれる。──まるで今夜の月下美人のようにね。」
紫苑は柔らかく微笑み、輪廻にカップを差し出した。指先がかすかに触れ、輪廻の心臓が不意に跳ねる。
二人は花と月明かりに包まれながら、静かに言葉を交わした。
時折、紫苑は夜空を見上げ、低い声で語りかける。
「こうして自然の中に身を置いていると、都会の喧騒を忘れられる。月に照らされた花は、人の心を浄化してくれるようだ。」
「先生って都会に住んでるんですよね。やっぱり……こういう時間が必要になるんですか?」
「そうだね。便利さの裏にある息苦しさから逃れるために、僕はここに来る。温室は僕にとっての避難所でもあるんだ。」
紫苑の言葉は穏やかでありながら、どこか輪廻の心に深く沁み込んでくる。
やがて、月下美人の花がゆっくりとしぼみ始めた。
輪廻はその光景を見つめ、思わず小さな声を洩らす。
「花が……終わっちゃうんですね。」
「すべてには終わりがある。その儚さが美を際立たせるんだ。そして、終わりは次の始まりでもある。」
紫苑は優しく微笑みながら、輪廻の瞳をまっすぐに見つめる。
言葉以上の何かがその視線に宿っていて、輪廻は胸が熱くなるのを感じた。
まるで自分自身も、月下美人の花のように一夜の輝きを生きているのではないか──そんな錯覚さえ覚える。
最後の一杯を飲み干すと、紫苑はゆるやかに言葉を結んだ。
「次に咲く月下美人も、きっと美しいだろう。その時も、君と一緒に見たい。輪廻……また来てくれるかい?」
「はい……また来ます。」
輪廻は顔を上げ、迷いのない笑顔を返した。
温室を後にする輪廻の背中を、月の光が優しく照らし出していた。
見送る紫苑は静かに目を細め、その光景を胸の奥深くに刻みつけるのだった。
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