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4章 小さな世界に集いしモノ
狭間の物語 ◇◇◇ グラストン公爵家 離邸にて
しおりを挟む―――時は遡って学院入学より2年ほど前のとある一日―――
ひっそりと静けさが辺りを満たす離邸に、本邸からの使いが来たと、乳兄弟として共に育ち今は従者として仕えてくれているシディルが、クリストファの元へやってきた。
「ジール、これ」
「ん? あぁ、ありがとう」
読んでいた本から顔を上げ、シディルを見上げる。
シディルは『ジール』と呼んだが、別に間違ってはいない。
――クリストファ・ライエンジール・フォン・グラストン
これがクリストファの正式な名前だ。
だが『ライエンジール』と言う名は普段使われない。それには細やかなものだが理由がある。まぁ人によっては大げさなと言いたくなるような理由なので、今はまだライエンジールと言う名は、親しい者にしか伝えられる事はないとだけ言っておこう。
差し出されたのは、巻いて紐で止められた羊皮紙。クリストファはそれを受け取ると、あっさりと読み終え、傍にあった屑入れに無言で放り込んだ。
そのまま再び本へと目を戻そうとするのを、シディルは慌てて止める。
「おい、待てって。何だったんだよ。本邸からわざわざこんな手紙なんて、今まで来たことないだろう?」
ここグラストン公爵家は現王弟リムジールが臣籍降下した家だ。細君は現王ホックスの元婚約者であるシャーロット・フォン・ベルモールことシャーロット・フォン・グラストン夫人。
二人とも現王夫妻に比べれば、まだ良識ある人物だし言葉も通じる。もっとも貴族と言う枠から良くも悪くもはみ出していない。
現王ホックスの不貞による婚約破棄等と言う醜聞の当事者となってしまったシャーロットは、自分が傷つきながらも気高くあろうと振る舞っていた。
リムジールもそんなシャーロットを救い出そうとする程度には高潔であった。
現王夫妻が公務をまともに行えず、仕方なしに手助けしているうちに、なし崩し的にそのまま公務を行わなければならない羽目になっていく。特にリムジールが見捨てる事も出来ず甘い態度を取り続けているうちに、最早抜け出せない公務の泥沼に陥ってしまったのだ。
そうする事で愚かな現王夫妻に対し留飲を下げていたのかもしれないが、結果として誰もかれもが『助けてくれ』と言っては『優秀な』王弟夫妻に仕事を持ち込んでくるようになり、自分たちの首を絞める事になって行った。
そんな中、授かった子はグラストン公爵夫妻にとっても公務から離れる良い口実となり、二人して自邸に引き籠って出産を迎えたのだが、生まれた子の身体が弱かった。
それを切っ掛けにして公務から手を引けばよかったのに、リムジールはシャーロットがやんわりと止めるのも聞かず、請われるまま少しずつまた関わるようになっていった。だがその反動かチャズンナートと名付けた嫡男には、シャーロットも苦笑を漏らすほど過保護どころか過干渉になって行く。
普段は使用人達に丸投げなのに、時間があって気が向いた時は猫可愛がりをするのだ。
その後、第2子で次男のクリストファ、第3子で長女となるコフィリーと、3人の子宝に恵まれたが、やはり跡継ぎというだけでなく体が弱いという理由も相まって、嫡男に一番の関心が向かうのだろう。リムジールは特に自覚がないままチャズンナートに大きく愛情を割いていた。
家を継ぐ嫡男に関心を寄せる……確かに貴族らしい貴族と言える。男性至上主義、嫡男優遇……自分が育った環境常識を繰り返す。そこに疑念が入る余地はない。
シャーロットも時折何か言いたげにしていて思う所はあったようだが、苦笑を零すにとどまっていた。まぁ女性はモノ扱いという世界で、貴族の令嬢が男性に物申す事等ありえないというのが普通だから、ある意味仕方なかったかもしれない。
兄弟の中で家長である父にただ一人可愛がられているとなれば、我儘傲慢になるなという方が無理と言うもの……ただ、流石は公爵家の使用人の面目躍如と言えるのか、かなり控えめにすることには成功していた。
とは言え、あくまで『控えめ』というだけで、我儘で傲慢で自己中で……わかりやすい貴族のボンボンにチャズンナートは育って行った。
そんなある日、やっと歩き始めたコフィリーが体調を崩した。咳き込んで熱を出し、とても苦しそうなのに、病弱なチャズンナートに悪いモノが入ってはいけないと、コフィリーは離邸に移される。
リムジールの決定に、シャーロットもこの時ばかりは流石に意見をしてくれたのだが、決定が覆る事はなかった。
チャズンナートは病弱だから……
コフィリーもただの風邪だしすぐに良くなる……
医師も使用人達も居るから大丈夫……
そうして離邸に移送されたその日の夜、病状の悪化したコフィリーは、クリストファと使用人だけに看取られて、儚くこの世を去った。
この時からクリストファは、コフィリーが追いやられた離邸に移った。手のかからない自分は本邸に居る必要はないと、乳母のニーナと乳兄弟で後にクリス専属従者となるシディルだけを連れて本邸を出た。
コフィリーが元気で、クリストファ自身ももっと幼かった頃は、父母に見て欲しくて良い所を見せようと頑張っていたが、リムジールは無自覚のまま適当にあしらい、シャーロットは引っかかりを覚えている様子なのに口を噤み、曖昧な笑みで誤魔化してしまった。
いや、擁護するなら彼らもそれしか知らなかった、自分達もそうして育てられてきたから。
そして何よりクリストファが、その年齢以上に聡い子供過ぎた。
この世界の価値観、慣習、そして父母の立場を、苦労を知り、考え、兄の苦悩にも気づいてしまう。そして気遣いの果てに諦めて、自分から手放した。
いずれ自分はこの家から出て行く身。スペアとしての必要がなくなれば平民として一人生きていくのだと。
そして以降、クリストファは勉強も剣術も魔法も何もかも、ただ自分の為だけに磨いていく。いつか一人ぼっちになる自分の為だけに。
だから誰にも見せる必要がなくなった。
だから誰かに褒めてもらう必要がなくなった。
結果、一見やる気のない冷淡な天使が出来上がってしまった。
シディルの声にふっと表情が緩む。
仕方ないなぁと屑入れから羊皮紙を拾い上げ、開いてからシディルに渡した。
「…………ぉぃ、これ……ライ、まさか従うつもりじゃないだろうな!?」
「そう、だね……従いたいわけではないけど、まだ僕には抗うだけの力なんてないのだから仕方ないだろう?」
「俺は嫌だからな! 俺が仕えるのはジールだけなの! わかる? なんで糞チャズなんかに」
手紙には父リムジールの文字。
―――クリストファは暫く北の辺境に行く事
―――その間、シディルをチャズンナートにつける事
自分の為に一度辺境へ行かせてほしいと頼んでいたのはクリストファ本人。いずれ騎士を目指すにしろ、冒険者を目指すにしろ、脅威が身近にあるという空気感を知っておきたかった。だから希望として伝えてはいたのだが……。
「シディ、ここでは構わないけど、本邸でそれ言っちゃダメだからね?」
だが何の力もない子供が大人に、ましてや保護者に逆らえるはずもなく、クリストファは髪は黒く、瞳も緑に変えて、更に声も少しだけ変えて北の辺境へ一人向かう事になった。
そこで出会いが待っている事等知りもしないまま。
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