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第1部:神の来訪期
第2話「初任務、村の救援で村が消えた」
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召喚から三日が経った朝、王城の訓練場には騎士団長ガルフ・レドモンドの姿があった。五十を過ぎた歴戦の騎士は、剣の腕前において王国随一と謳われている。彼の指導を受けた騎士は数知れず、その厳格な訓練は「レドモンドの地獄」として恐れられていた。
しかし今日、ガルフの表情には珍しく緊張の色が浮かんでいた。彼が相手にするのは、騎士ではない。異界から召喚された、四人の勇者たちだ。
「では、始めるか」
ガルフは低い声で言った。訓練場には王国の騎士たちが並んでおり、皆が固唾を飲んで見守っている。
「はーい」
ハルが軽く手を挙げた。彼は相変わらず異界の衣服を着ており、その姿は訓練場に不釣り合いなほど軽薄に見えた。
「で、何すればいいんすか?」
「まずは基礎的な戦闘力の測定だ」ガルフは訓練用の木剣を差し出した。「これを使い、あちらの的を――」
「あー、いいっす。素手で」
ハルは木剣を手で制した。
「俺、武器とか使わないんで」
ガルフは眉をひそめた。
「素手で? しかし――」
「大丈夫っす。多分」
ハルは笑顔で的の方を向いた。訓練場の端には、藁で作られた人型の的が十体ほど並んでいる。距離にして三十メートルほどだろうか。
「じゃ、やってみますね」
ハルは軽く右手を振った。
次の瞬間――。
轟音が響き渡り、訓練場が揺れた。ハルの手から放たれた何か――それは衝撃波というべきか――が的に向かって飛び、着弾と同時に爆発した。的は粉々に砕け散り、その背後にあった石壁にまで亀裂が走る。
「――!?」
ガルフは言葉を失った。周囲の騎士たちも、呆然と立ち尽くしている。
「あ、やべ」
ハルは頭を掻いた。
「力入れすぎた? まあ、的は壊れたからいいか」
いい、のか? ガルフは心の中で呟いた。今の一撃は、明らかに常軌を逸している。あれは人間の力ではない。いや、そもそも――あの者は、力を制御できているのか?
「おい、ハル! 俺もやらせろよ!」
レンが前に飛び出してきた。筋骨隆々とした体格の彼は、目を輝かせて的を見つめている。
「俺の方が強いって証明してやる!」
「レン、お前――」
ガルフが止める間もなく、レンは拳を振るった。その拳が空を切り、轟音と共に衝撃が訓練場を襲う。今度は的だけでなく、訓練場の壁そのものに穴が開いた。
「っしゃー! 見たか! 俺、最強!」
レンが叫ぶ。
ガルフは額に冷や汗が滲むのを感じた。これは――化物だ。彼らは確かに強い。否、強すぎる。そして何より恐ろしいのは、彼らが自分の力を理解していないことだった。
「めんどくさ」
ミカが訓練場の端で欠伸をしていた。
「私、やんなくていい? 疲れるし」
「お、おい。勇者殿も一応――」
「無理。動きたくない」
ミカはその場に座り込み、例の四角い板を取り出した。
「あー、マジでスマホ使えないのつらい。暇すぎる」
「我が闇の力、今ここに解放せん!」
クロウが突然、大仰な動きで腕を掲げた。
「炎よ、我が意志に従い――燃えろ!」
小さな火球がクロウの手から放たれ――彼自身の服の裾に着火した。
「あちっ! あちちち!」
クロウが慌てて服を叩く。周囲の騎士たちが慌てて水を持ってくるが、クロウは
「大丈夫だ、これも運命の試練...」
とポエムを呟き続けていた。
ガルフは深く、深く息を吐いた。これが――神の使い。王国の希望。救世主。本当に、そうなのか?
同日の昼、謁見の間ではレオニス王とヴァルクが、ガルフからの報告を聞いていた。
「戦闘力は、間違いなく規格外です」
ガルフは慎重に言葉を選びながら述べた。
「おそらく、我が国の騎士百人を相手にしても、彼らは勝てるでしょう」
「それは心強い」
レオニスは言ったが、その声には力がなかった。
「しかし――」
ガルフは続けた。
「彼らは、力の制御ができていません。攻撃の威力、範囲、全てが予測不能です。そして何より...」
「何より?」
「自覚がありません。自分がどれほど危険な力を持っているか、理解していないようです」
ガルフの言葉に、謁見の間が静まり返った。ヴァルクが口を開いた。
「つまり、訓練が必要だと?」
「はい。しかし...彼らは訓練を嫌がります。特にミカ殿は、まともに動こうともしません」
レオニスは額に手を当てた。頭痛がする。いや、頭痛どころではない。これは――どうすればいいのだ?
その時、扉が開き、伝令が飛び込んできた。
「陛下! 北のルーンベル村から救援要請が!」
「魔物か?」
ヴァルクが即座に尋ねた。
「はい、オークの群れが村を襲撃しているとのことです。村は戦力が乏しく、このままでは――」
レオニスとヴァルクは顔を見合わせた。そして、同時に同じことを考えた。これは――好機ではないか?
「勇者たちを向かわせよう」
レオニスが言った。
「これを、彼らの初任務とする」
「陛下、しかし――」
ガルフが躊躇したが、レオニスは手を上げて制した。
「ガルフ、お前が同行しろ。護衛として騎士を数名連れていけ。そして――」
レオニスの目が鋭くなった。
「勇者たちを、よく見ておけ」
護衛、という名の監視だ。ガルフはそれを理解し、深く頭を下げた。
「御意」
ヴァルクは不安げに王を見た。
「本当に、大丈夫でしょうか」
「試すしかない」
レオニスは玉座に深く座り直した。
「彼らが本当に救世主なのか、それとも――」それとも、何なのか。その先の言葉を、レオニスは口にしなかった。
午後、王城の門前に勇者たちが集まった。彼らに同行するのは、騎士団長ガルフと従騎士五名。その中には、若い騎士エドワード・フィンレイの姿もあった。
エドワードは二十三歳、騎士としてはまだ若いが、真面目で誠実な性格から信頼されていた。今回の任務は彼にとって名誉であると同時に、大きな不安でもあった。勇者たちと共に戦う――それは光栄なことのはずだが、訓練場での噂を聞いていた彼は、素直に喜べなかった。
「初クエストじゃん! ワクワクする!」
ハルが笑顔で言った。その軽い調子に、エドワードは思わず眉をひそめた。
「ねえ、歩くの? 馬車ないの?」
ミカが不満そうに言う。
「馬で向かいます」
ガルフが答えた。
「村までは半日の道のりです」
「半日? マジ無理なんだけど」
ミカは露骨に嫌な顔をした。
「魔物倒せるの!? 最高!」
レンが拳を突き上げた。
「俺、もう無双していい?」
「無双...?」
エドワードが小声で呟いた。隣にいた先輩騎士が、肩を竦めた。
「あの方々の言葉は、半分も理解できん」
「運命の戦いが今、始まる...」
クロウが何かを呟いている。ガルフは深く息を吐き、馬にまたがった。
「では、出発する」
一行は城門を出て、北へと向かった。城下の民衆が、勇者たちに手を振っている。
「勇者様、頑張ってください!」
「神のご加護を!」
歓声が響く中、勇者たちは手を振り返していた。まるで、観光に行くかのように。エドワードは胸の奥に、言い知れぬ不安を感じていた。
森の道を進みながら、エドワードは勇者たちの会話を聞いていた。
「マジで異世界って感じだよな」
ハルが周囲の木々を見回しながら言った。
「木とか、めっちゃリアル」
「でも退屈」
ミカがため息をついた。
「スマホないし、やることない」
「魔物まだ? 早く戦いたい」
レンが前方を見据えている。
エドワードたち騎士は、黙々と馬を進めていた。彼らは村の危機を理解している。魔物の襲撃がどれほど悲惨なものか、知っている。しかし勇者たちは――まるで遠足にでも来たかのような態度だ。
「なあ」
先輩騎士がエドワードに囁いた。
「本当に大丈夫なのか、この者たちで」
「...分かりません」
エドワードは正直に答えた。
「でも、力は本物だと聞きました」
「力があっても、心がなければ意味がない」
先輩騎士は前を向いた。
「騎士としての誇りも、民を守る覚悟も――あの者たちには、何もないように見える」
エドワードは何も言えなかった。なぜなら、自分も同じことを感じていたからだ。
夕刻、一行はルーンベル村に到着した。村は小さく、百人ほどが暮らす農村だった。しかし今、その村は無惨な姿を晒していた。
家屋の一部が破壊され、柵が倒され、地面には血痕が残っている。村人たちは怯えた表情で家に籠もっており、広場には負傷者が横たわっていた。
「これは...」
エドワードは息を飲んだ。魔物の襲撃の痕だ。そして、まだ終わっていない。
村長が彼らの元に駆け寄ってきた。老人の顔には、恐怖と希望が入り混じった表情が浮かんでいた。
「騎士様! お願いします、魔物がまだ森に...夜になればまた襲ってきます!」
「落ち着いてください」
ガルフが馬から降り、村長の肩に手を置いた。
「我々が来たのは、それだけではありません」
彼は勇者たちを手で示した。
「こちらは、異界より召喚された勇者殿方です」
村長の目が見開かれた。
「ゆ、勇者...! 本当に...!」
彼は勇者たちに向かって深々と頭を下げた。
「神の使いが、我らを救いに...!」
「おお、リアルだなー」
ハルが村の惨状を見回しながら言った。その口調は、まるで展示物でも見ているかのようだった。
「マジで戦えるじゃん!」
レンが興奮した様子で拳を握りしめた。
「血、マジ無理なんだけど」
ミカは負傷者から目を逸らした。
「これが...戦場か」
クロウが何かを呟いている。
村人たちは勇者たちを見つめ、希望を抱いていた。「神の使いが来てくださった」「これで助かる」「村は救われる」その期待に満ちた目に、エドワードは胸が痛んだ。彼らは知らないのだ。この勇者たちが、どのような者たちなのか。
夜が訪れた。村の外れの森から、不気味な唸り声が響いてくる。魔物だ。ガルフは剣を抜き、騎士たちに号令をかけた。
「陣形を組め。村人を守るぞ」
「はい!」
エドワードたち騎士は素早く動き、村の入口に防衛線を張った。松明の明かりが揺れ、闇の中から複数の影が近づいてくる。
オークだ。身の丈二メートルを超える人型の魔物が、十体ほど現れた。醜悪な顔に鋭い牙、手には粗末な武器を握っている。彼らは村を見つめ、獰猛な咆哮を上げた。
村人たちが悲鳴を上げ、家の中に逃げ込む。エドワードは剣を構えながら、恐怖と戦っていた。オーク十体――決して楽な相手ではない。
「じゃ、やりますか」
ハルが前に出てきた。その声は相変わらず軽く、緊張感のかけらもない。
「よっしゃー!」
レンも前に飛び出した。
「勇者殿、しかし――」
ガルフが何か言いかけたが、レンは既に走り出していた。
「うおおおお!」
レンの拳が、最前列のオークに炸裂した。鈍い音と共に、オークの巨体が宙を舞い、背後の木に激突した。木が折れ、オークは動かなくなる。一撃だ。
「うおー! 強ぇー! 俺、強ぇー!」
レンが叫び、次のオークに向かっていく。
エドワードは呆然とその光景を見ていた。あの力は、何だ? 人間の腕力で、あれほどの巨体を吹き飛ばせるものなのか?
「頑張れー」
ミカが後方で棒読みに言った。彼女は戦う気など全くないようだ。
「闇の炎よ、我が意志に従え!」
クロウが呪文を唱え、小さな火球がオークに向かって飛んでいく。火球はオークに命中し、毛皮を焦がした。オークが怯む――が、致命傷には至らない。
「じゃ、俺も」
ハルが手を掲げた。
「えーと、攻撃魔法って...こんな感じ?」
その手に、光が集まり始めた。エドワードは直感的に、危険を感じた。あれは――何かがおかしい。
「勇者殿、待って――」
ガルフが叫んだが、遅かった。
ハルの手から、光球が放たれた。それは美しいほどの輝きを放ちながら、オークの群れに向かって飛んでいく。エドワードは思わず目を細めた。あの光は――。
光球が着弾した。次の瞬間、世界が白く染まった。轟音。衝撃波。熱風。
エドワードは地面に叩きつけられ、耳が聞こえなくなった。何が起こったのか分からない。ただ、世界が揺れ、光と音が全てを覆い尽くした。
どれくらい時間が経ったのか。エドワードは体を起こし、前方を見た。そして――息を飲んだ。
オークは消えていた。いや、オークだけではない。森が消えていた。木々が倒れ、地面が抉れ、そして――村の半分が、崩壊していた。
「――嘘、だろ...」
エドワードは呟いた。
家屋が倒壊し、柵が吹き飛び、井戸が崩れている。土煙が舞い上がり、視界を遮っていたが、それが晴れるにつれて、惨状が明らかになっていく。
「何だ...これは...」
ガルフが震える声で言った。魔物は全滅していた。しかし、村も――。
「おー、すげー威力」
ハルが手を見ながら言った。
「魔物全滅じゃん」
エドワードは、その声を聞いて振り向いた。ハルは笑顔だった。満足そうな、何の曇りもない笑顔。
「やべー、ハル本気出したな!」
レンが興奮した様子で言った。
「え、村も吹っ飛んでない?」
ミカが崩壊した家屋を見て、初めて興味を示した。
「あ、マジ?」
ハルは村を見た。そして――笑った。
「あはは、やっちゃった」
やっちゃった。その言葉を、エドワードは信じられない思いで聞いていた。これが――神の使いの言葉か?
「俺、またなんかやっちゃいました?」
ハルが首を傾げて言った。その表情には、罪悪感のかけらもなかった。
村長が、崩れた家屋の前で立ち尽くしていた。老人の顔は蒼白で、膝が震えている。
「これは...これは一体...」
エドワードは村長の元に駆け寄った。
「村長!」
「我が家が...村が...」
村長は呆然と呟いた。
「神の使いが...我らの村を...」
村人たちが、崩壊した家から這い出してくる。泣き叫ぶ声、助けを求める声、悲鳴――それらが夜の闇に響き渡った。
負傷者が出ている。家の下敷きになった者もいる。エドワードは急いで救助に向かおうとしたが、足が震えて動けなかった。
「魔物倒したから、感謝されるっしょ?」
ハルが村人たちを見て言った。
「あれ? なんか怒ってね?」
レンが首を傾げた。
「知らね。帰ろ」
ミカがあくびをした。エドワードは、怒りとも恐怖ともつかない感情が込み上げてくるのを感じた。これが――勇者?
ガルフが静かにエドワードの肩に手を置いた。
「...救助だ。村人を助けろ」
その声は、震えていた。
夜通し、彼らは救助活動を続けた。騎士たちと村人たちが、倒壊した家屋から人々を救い出し、負傷者を手当てした。幸い、死者は出なかった。しかし、重傷者が数名、軽傷者は十名を超える。そして何より――村の三分の一が、完全に破壊されていた。
勇者たちは、その間ずっと村の端で座っていた。ハルは「疲れた」と言い、レンは「次はいつ?」と聞き、ミカは「早く帰りたい」と繰り返していた。クロウだけが、何かを呟き続けていたが、誰も聞いていなかった。
朝が来た。エドワードは一睡もしていなかった。彼の服は土埃にまみれ、手には血が付いている。救助の際についた、他人の血だ。
「...帰還する」
ガルフが重い口調で言った。彼の目には、深い疲労と――何か別の感情が宿っていた。
村長が、彼らを見送りに来た。「騎士様...ありがとうございました」その声には、感謝と共に、言いようのない悲しみが込められていた。
「すまない」
ガルフはただ、それだけを言った。
勇者たちは既に馬に乗っている。
「じゃ、行きますか!」
ハルが元気よく言った。
帰路についた一行を、村人たちは黙って見送った。彼らの目には、感謝はなかった。ただ――恐怖と、困惑があった。
「任務完了!」
ハルが馬上で伸びをした。
「初クエスト、成功だな」
「次はもっと強い敵がいいな」
レンが言った。
「早く帰ってお風呂入りたい」
ミカがため息をついた。
エドワードとガルフは、一言も話さなかった。他の騎士たちも、沈黙を保っていた。彼らは皆、同じことを考えていた。
これを――どう報告すればいいのか。
魔物は討伐した。それは事実だ。しかし、村は破壊された。村人は傷ついた。そして何より――。
勇者たちには、何の自覚もなかった。
エドワードは馬の手綱を握りしめた。拳が白くなるほど、強く。
王都に戻り、ガルフは謁見の間でレオニス王とヴァルクに報告した。その場には、他の貴族たちもいた。
「魔物は...全滅しました」
ガルフの声は震えていた。
「オーク十体、一体残らず」
「それは素晴らしい!」
貴族の一人が叫んだ。
「さすが勇者殿!」
「しかし――」
ガルフは続けた。
「村が、破壊されました」
謁見の間が静まり返った。
「...どういうことだ」
レオニスが低い声で尋ねた。
「勇者ハル殿の魔法が、村の三分の一を吹き飛ばしました。重軽傷者、合わせて十名以上。家屋の損壊、甚大です」
ヴァルクが息を飲んだ。レオニスは玉座の肘掛けを強く握りしめた。
「勇者殿は...何と?」
「『俺、またなんかやっちゃいました?』と」
ガルフは目を閉じた。
「笑いながら、そう言いました」
謁見の間に、重い沈黙が落ちた。
「...それで、勇者たちは今?」
「城内で、任務の成功を喜んでおります」
ガルフは苦々しい表情で答えた。
その時、謁見の間の扉が開き、フィリア王女が入ってきた。彼女の顔は明るく、笑顔に満ちていた。
「父上! 聞きましたわ! 勇者様が魔物を退治なさったと!」
「フィリア...」
「素晴らしいですわ! やはり勇者様は、神の使いなのですね!」
王女は興奮した様子で続けた。
「民衆も喜んでおります。城下では『勇者様万歳』の声が響いておりますわ!」
レオニスは娘を見た。彼女は何も知らない。村の惨状を知らない。勇者たちの無自覚な破壊を知らない。そして――知らない方が、幸せなのかもしれなかった。
「...そうか」
レオニスは力なく言った。
「では、私は勇者様にお祝いの言葉を!」
フィリアは去っていった。
謁見の間に残された者たちは、誰も何も言えなかった。
ヴァルクが、ゆっくりと口を開いた。
「陛下...これは」
「分かっている」
レオニスは目を閉じた。
「これは...神ではなく、災厄だ」
ヴァルクの言葉が、静かに響いた。
夜、レオニスは一人、執務室にいた。机の上には、ガルフからの詳細な報告書が置かれている。村の被害状況、負傷者の名前、破壊された家屋の数――全てが、克明に記されていた。
「これが...救世主の力か」
レオニスは呟いた。
確かに、魔物は倒された。勇者たちの力は本物だ。しかし――その力は、あまりにも無制御で、無自覚だった。
「あの者たちは、善悪の区別がないのか?」
レオニスは自問した。
「いや、それ以前に――力の使い方を知らない」
窓の外から、民衆の声が聞こえてくる。
「勇者様万歳!」
「神の使いが魔物を!」
「我らは救われる!」
彼らは喜んでいる。勇者が魔物を倒したことを。しかし、彼らは知らないのだ。その代償を。
レオニスは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。城下の明かりが、無数に輝いている。あの明かりの一つ一つが、人の命だ。人の暮らしだ。そして――それを守るのが、王の務めだ。
「このままでは...」
レオニスは拳を握りしめた。
窓ガラスに映る自分の顔を見つめる。そこには、深い恐怖が刻まれていた。
「魔王より先に、勇者が国を滅ぼす」
その言葉を口にした瞬間、レオニスは自分が何を言ったのか理解した。これは――王としてあってはならない考えだ。勇者は救世主として召喚された。神話に記された、希望の象徴だ。それを否定することは、国の根幹を揺るがすことになる。
しかし――。
事実は、目の前にある。
村は破壊された。民は傷ついた。そして勇者たちは、笑っていた。
「ヴァルク」
レオニスは振り返った。宰相は扉の前に立っており、いつからそこにいたのか分からなかった。
「お聞きになりましたか」
「ああ」
ヴァルクは静かに部屋に入ってきた。
「陛下の御心、理解しております」
「...お前も、同じ考えか」
「恐れながら」
ヴァルクは深く頭を下げた。
「あの者たちは、確かに強大な力を持っている。しかし――その力は、我々のためではなく、我々に向けられる可能性がある」
レオニスは窓の外を見た。祝祭の灯りは、まだ消えていない。
「しかし、民は勇者を信じている」
「はい」
「ならば、我々にできることは――」
「監視、です」
ヴァルクは言った。
「そして、可能な限り、被害を最小限に抑えること」
レオニスは頷いた。今は、それしかない。勇者たちを排除することなど、できるはずもない。民衆は彼らを崇拝している。そして何より――魔王という脅威は、依然として存在している。
「次の任務には、必ず監視役をつけろ」
レオニスが命じた。
「そして、被害が出た場合は、即座に報告を」
「御意」
「そして――」
レオニスは深く息を吐いた。
「民には、村の被害を知らせるな」
ヴァルクの目が見開かれた。
「陛下...それは」
「今、民の希望を奪うわけにはいかない」
レオニスは苦しそうに言った。
「魔王の脅威は現実だ。勇者への信仰を失えば、国の士気は崩壊する」
「...分かりました」
ヴァルクは重々しく頷いた。二人は、しばらく黙っていた。王の執務室に、重い沈黙だけが満ちていた。そして――遠くから、民衆の歓声が聞こえてくる。
「勇者様万歳!」
その声が、今のレオニスには――悲鳴のように聞こえた。
同じ夜、城の別の一角では――勇者たちが、部屋で寛いでいた。
「いやー、疲れた」
ハルがベッドに寝転がった。
「でも、初クエストクリアって感じで良かったな」
「次はボス戦みたいなのがいいな」
レンが窓の外を見ながら言った。
「もっと強い敵」
「私は戦わない」
ミカがきっぱりと言った。
「めんどくさいし」
「運命は我を導く...次なる戦場へ...」
クロウが相変わらずポエムを呟いていた。彼らは、何も気にしていなかった。村のことも、村人のことも、破壊のことも――何も。
ハルは天井を見つめながら、軽く笑った。
「でもさ、マジで異世界なんだよな。ゲームみたいで面白い」
「ゲームか...」
レンが呟いた。
「確かに、ゲームみたいだな。リセットできないけど」
「リセット? 必要なくね? 俺ら最強だし」
ハルは笑った。窓の外では、星が輝いていた。この世界の星は、地球とは違う配置をしている。
しかし、勇者たちはそれにも気づいていなかった。彼らにとって、この世界は――ただの遊び場だった。
遠く、ルーンベル村では――。
村人たちが、崩れた家の前で途方に暮れていた。老人が泣き、子供が怯え、大人たちが呆然と立ち尽くしている。
村長は、村の中央に立っていた。彼の背後には、崩壊した家々が広がっている。
「...神の使い、か」
村長は、夜空を見上げた。星が、冷たく輝いている。
「神とは...こういうものなのか」
その問いに、答える者は誰もいなかった。風が吹き、村に静寂が訪れた。救われたはずの村は――今、絶望に包まれていた。
しかし今日、ガルフの表情には珍しく緊張の色が浮かんでいた。彼が相手にするのは、騎士ではない。異界から召喚された、四人の勇者たちだ。
「では、始めるか」
ガルフは低い声で言った。訓練場には王国の騎士たちが並んでおり、皆が固唾を飲んで見守っている。
「はーい」
ハルが軽く手を挙げた。彼は相変わらず異界の衣服を着ており、その姿は訓練場に不釣り合いなほど軽薄に見えた。
「で、何すればいいんすか?」
「まずは基礎的な戦闘力の測定だ」ガルフは訓練用の木剣を差し出した。「これを使い、あちらの的を――」
「あー、いいっす。素手で」
ハルは木剣を手で制した。
「俺、武器とか使わないんで」
ガルフは眉をひそめた。
「素手で? しかし――」
「大丈夫っす。多分」
ハルは笑顔で的の方を向いた。訓練場の端には、藁で作られた人型の的が十体ほど並んでいる。距離にして三十メートルほどだろうか。
「じゃ、やってみますね」
ハルは軽く右手を振った。
次の瞬間――。
轟音が響き渡り、訓練場が揺れた。ハルの手から放たれた何か――それは衝撃波というべきか――が的に向かって飛び、着弾と同時に爆発した。的は粉々に砕け散り、その背後にあった石壁にまで亀裂が走る。
「――!?」
ガルフは言葉を失った。周囲の騎士たちも、呆然と立ち尽くしている。
「あ、やべ」
ハルは頭を掻いた。
「力入れすぎた? まあ、的は壊れたからいいか」
いい、のか? ガルフは心の中で呟いた。今の一撃は、明らかに常軌を逸している。あれは人間の力ではない。いや、そもそも――あの者は、力を制御できているのか?
「おい、ハル! 俺もやらせろよ!」
レンが前に飛び出してきた。筋骨隆々とした体格の彼は、目を輝かせて的を見つめている。
「俺の方が強いって証明してやる!」
「レン、お前――」
ガルフが止める間もなく、レンは拳を振るった。その拳が空を切り、轟音と共に衝撃が訓練場を襲う。今度は的だけでなく、訓練場の壁そのものに穴が開いた。
「っしゃー! 見たか! 俺、最強!」
レンが叫ぶ。
ガルフは額に冷や汗が滲むのを感じた。これは――化物だ。彼らは確かに強い。否、強すぎる。そして何より恐ろしいのは、彼らが自分の力を理解していないことだった。
「めんどくさ」
ミカが訓練場の端で欠伸をしていた。
「私、やんなくていい? 疲れるし」
「お、おい。勇者殿も一応――」
「無理。動きたくない」
ミカはその場に座り込み、例の四角い板を取り出した。
「あー、マジでスマホ使えないのつらい。暇すぎる」
「我が闇の力、今ここに解放せん!」
クロウが突然、大仰な動きで腕を掲げた。
「炎よ、我が意志に従い――燃えろ!」
小さな火球がクロウの手から放たれ――彼自身の服の裾に着火した。
「あちっ! あちちち!」
クロウが慌てて服を叩く。周囲の騎士たちが慌てて水を持ってくるが、クロウは
「大丈夫だ、これも運命の試練...」
とポエムを呟き続けていた。
ガルフは深く、深く息を吐いた。これが――神の使い。王国の希望。救世主。本当に、そうなのか?
同日の昼、謁見の間ではレオニス王とヴァルクが、ガルフからの報告を聞いていた。
「戦闘力は、間違いなく規格外です」
ガルフは慎重に言葉を選びながら述べた。
「おそらく、我が国の騎士百人を相手にしても、彼らは勝てるでしょう」
「それは心強い」
レオニスは言ったが、その声には力がなかった。
「しかし――」
ガルフは続けた。
「彼らは、力の制御ができていません。攻撃の威力、範囲、全てが予測不能です。そして何より...」
「何より?」
「自覚がありません。自分がどれほど危険な力を持っているか、理解していないようです」
ガルフの言葉に、謁見の間が静まり返った。ヴァルクが口を開いた。
「つまり、訓練が必要だと?」
「はい。しかし...彼らは訓練を嫌がります。特にミカ殿は、まともに動こうともしません」
レオニスは額に手を当てた。頭痛がする。いや、頭痛どころではない。これは――どうすればいいのだ?
その時、扉が開き、伝令が飛び込んできた。
「陛下! 北のルーンベル村から救援要請が!」
「魔物か?」
ヴァルクが即座に尋ねた。
「はい、オークの群れが村を襲撃しているとのことです。村は戦力が乏しく、このままでは――」
レオニスとヴァルクは顔を見合わせた。そして、同時に同じことを考えた。これは――好機ではないか?
「勇者たちを向かわせよう」
レオニスが言った。
「これを、彼らの初任務とする」
「陛下、しかし――」
ガルフが躊躇したが、レオニスは手を上げて制した。
「ガルフ、お前が同行しろ。護衛として騎士を数名連れていけ。そして――」
レオニスの目が鋭くなった。
「勇者たちを、よく見ておけ」
護衛、という名の監視だ。ガルフはそれを理解し、深く頭を下げた。
「御意」
ヴァルクは不安げに王を見た。
「本当に、大丈夫でしょうか」
「試すしかない」
レオニスは玉座に深く座り直した。
「彼らが本当に救世主なのか、それとも――」それとも、何なのか。その先の言葉を、レオニスは口にしなかった。
午後、王城の門前に勇者たちが集まった。彼らに同行するのは、騎士団長ガルフと従騎士五名。その中には、若い騎士エドワード・フィンレイの姿もあった。
エドワードは二十三歳、騎士としてはまだ若いが、真面目で誠実な性格から信頼されていた。今回の任務は彼にとって名誉であると同時に、大きな不安でもあった。勇者たちと共に戦う――それは光栄なことのはずだが、訓練場での噂を聞いていた彼は、素直に喜べなかった。
「初クエストじゃん! ワクワクする!」
ハルが笑顔で言った。その軽い調子に、エドワードは思わず眉をひそめた。
「ねえ、歩くの? 馬車ないの?」
ミカが不満そうに言う。
「馬で向かいます」
ガルフが答えた。
「村までは半日の道のりです」
「半日? マジ無理なんだけど」
ミカは露骨に嫌な顔をした。
「魔物倒せるの!? 最高!」
レンが拳を突き上げた。
「俺、もう無双していい?」
「無双...?」
エドワードが小声で呟いた。隣にいた先輩騎士が、肩を竦めた。
「あの方々の言葉は、半分も理解できん」
「運命の戦いが今、始まる...」
クロウが何かを呟いている。ガルフは深く息を吐き、馬にまたがった。
「では、出発する」
一行は城門を出て、北へと向かった。城下の民衆が、勇者たちに手を振っている。
「勇者様、頑張ってください!」
「神のご加護を!」
歓声が響く中、勇者たちは手を振り返していた。まるで、観光に行くかのように。エドワードは胸の奥に、言い知れぬ不安を感じていた。
森の道を進みながら、エドワードは勇者たちの会話を聞いていた。
「マジで異世界って感じだよな」
ハルが周囲の木々を見回しながら言った。
「木とか、めっちゃリアル」
「でも退屈」
ミカがため息をついた。
「スマホないし、やることない」
「魔物まだ? 早く戦いたい」
レンが前方を見据えている。
エドワードたち騎士は、黙々と馬を進めていた。彼らは村の危機を理解している。魔物の襲撃がどれほど悲惨なものか、知っている。しかし勇者たちは――まるで遠足にでも来たかのような態度だ。
「なあ」
先輩騎士がエドワードに囁いた。
「本当に大丈夫なのか、この者たちで」
「...分かりません」
エドワードは正直に答えた。
「でも、力は本物だと聞きました」
「力があっても、心がなければ意味がない」
先輩騎士は前を向いた。
「騎士としての誇りも、民を守る覚悟も――あの者たちには、何もないように見える」
エドワードは何も言えなかった。なぜなら、自分も同じことを感じていたからだ。
夕刻、一行はルーンベル村に到着した。村は小さく、百人ほどが暮らす農村だった。しかし今、その村は無惨な姿を晒していた。
家屋の一部が破壊され、柵が倒され、地面には血痕が残っている。村人たちは怯えた表情で家に籠もっており、広場には負傷者が横たわっていた。
「これは...」
エドワードは息を飲んだ。魔物の襲撃の痕だ。そして、まだ終わっていない。
村長が彼らの元に駆け寄ってきた。老人の顔には、恐怖と希望が入り混じった表情が浮かんでいた。
「騎士様! お願いします、魔物がまだ森に...夜になればまた襲ってきます!」
「落ち着いてください」
ガルフが馬から降り、村長の肩に手を置いた。
「我々が来たのは、それだけではありません」
彼は勇者たちを手で示した。
「こちらは、異界より召喚された勇者殿方です」
村長の目が見開かれた。
「ゆ、勇者...! 本当に...!」
彼は勇者たちに向かって深々と頭を下げた。
「神の使いが、我らを救いに...!」
「おお、リアルだなー」
ハルが村の惨状を見回しながら言った。その口調は、まるで展示物でも見ているかのようだった。
「マジで戦えるじゃん!」
レンが興奮した様子で拳を握りしめた。
「血、マジ無理なんだけど」
ミカは負傷者から目を逸らした。
「これが...戦場か」
クロウが何かを呟いている。
村人たちは勇者たちを見つめ、希望を抱いていた。「神の使いが来てくださった」「これで助かる」「村は救われる」その期待に満ちた目に、エドワードは胸が痛んだ。彼らは知らないのだ。この勇者たちが、どのような者たちなのか。
夜が訪れた。村の外れの森から、不気味な唸り声が響いてくる。魔物だ。ガルフは剣を抜き、騎士たちに号令をかけた。
「陣形を組め。村人を守るぞ」
「はい!」
エドワードたち騎士は素早く動き、村の入口に防衛線を張った。松明の明かりが揺れ、闇の中から複数の影が近づいてくる。
オークだ。身の丈二メートルを超える人型の魔物が、十体ほど現れた。醜悪な顔に鋭い牙、手には粗末な武器を握っている。彼らは村を見つめ、獰猛な咆哮を上げた。
村人たちが悲鳴を上げ、家の中に逃げ込む。エドワードは剣を構えながら、恐怖と戦っていた。オーク十体――決して楽な相手ではない。
「じゃ、やりますか」
ハルが前に出てきた。その声は相変わらず軽く、緊張感のかけらもない。
「よっしゃー!」
レンも前に飛び出した。
「勇者殿、しかし――」
ガルフが何か言いかけたが、レンは既に走り出していた。
「うおおおお!」
レンの拳が、最前列のオークに炸裂した。鈍い音と共に、オークの巨体が宙を舞い、背後の木に激突した。木が折れ、オークは動かなくなる。一撃だ。
「うおー! 強ぇー! 俺、強ぇー!」
レンが叫び、次のオークに向かっていく。
エドワードは呆然とその光景を見ていた。あの力は、何だ? 人間の腕力で、あれほどの巨体を吹き飛ばせるものなのか?
「頑張れー」
ミカが後方で棒読みに言った。彼女は戦う気など全くないようだ。
「闇の炎よ、我が意志に従え!」
クロウが呪文を唱え、小さな火球がオークに向かって飛んでいく。火球はオークに命中し、毛皮を焦がした。オークが怯む――が、致命傷には至らない。
「じゃ、俺も」
ハルが手を掲げた。
「えーと、攻撃魔法って...こんな感じ?」
その手に、光が集まり始めた。エドワードは直感的に、危険を感じた。あれは――何かがおかしい。
「勇者殿、待って――」
ガルフが叫んだが、遅かった。
ハルの手から、光球が放たれた。それは美しいほどの輝きを放ちながら、オークの群れに向かって飛んでいく。エドワードは思わず目を細めた。あの光は――。
光球が着弾した。次の瞬間、世界が白く染まった。轟音。衝撃波。熱風。
エドワードは地面に叩きつけられ、耳が聞こえなくなった。何が起こったのか分からない。ただ、世界が揺れ、光と音が全てを覆い尽くした。
どれくらい時間が経ったのか。エドワードは体を起こし、前方を見た。そして――息を飲んだ。
オークは消えていた。いや、オークだけではない。森が消えていた。木々が倒れ、地面が抉れ、そして――村の半分が、崩壊していた。
「――嘘、だろ...」
エドワードは呟いた。
家屋が倒壊し、柵が吹き飛び、井戸が崩れている。土煙が舞い上がり、視界を遮っていたが、それが晴れるにつれて、惨状が明らかになっていく。
「何だ...これは...」
ガルフが震える声で言った。魔物は全滅していた。しかし、村も――。
「おー、すげー威力」
ハルが手を見ながら言った。
「魔物全滅じゃん」
エドワードは、その声を聞いて振り向いた。ハルは笑顔だった。満足そうな、何の曇りもない笑顔。
「やべー、ハル本気出したな!」
レンが興奮した様子で言った。
「え、村も吹っ飛んでない?」
ミカが崩壊した家屋を見て、初めて興味を示した。
「あ、マジ?」
ハルは村を見た。そして――笑った。
「あはは、やっちゃった」
やっちゃった。その言葉を、エドワードは信じられない思いで聞いていた。これが――神の使いの言葉か?
「俺、またなんかやっちゃいました?」
ハルが首を傾げて言った。その表情には、罪悪感のかけらもなかった。
村長が、崩れた家屋の前で立ち尽くしていた。老人の顔は蒼白で、膝が震えている。
「これは...これは一体...」
エドワードは村長の元に駆け寄った。
「村長!」
「我が家が...村が...」
村長は呆然と呟いた。
「神の使いが...我らの村を...」
村人たちが、崩壊した家から這い出してくる。泣き叫ぶ声、助けを求める声、悲鳴――それらが夜の闇に響き渡った。
負傷者が出ている。家の下敷きになった者もいる。エドワードは急いで救助に向かおうとしたが、足が震えて動けなかった。
「魔物倒したから、感謝されるっしょ?」
ハルが村人たちを見て言った。
「あれ? なんか怒ってね?」
レンが首を傾げた。
「知らね。帰ろ」
ミカがあくびをした。エドワードは、怒りとも恐怖ともつかない感情が込み上げてくるのを感じた。これが――勇者?
ガルフが静かにエドワードの肩に手を置いた。
「...救助だ。村人を助けろ」
その声は、震えていた。
夜通し、彼らは救助活動を続けた。騎士たちと村人たちが、倒壊した家屋から人々を救い出し、負傷者を手当てした。幸い、死者は出なかった。しかし、重傷者が数名、軽傷者は十名を超える。そして何より――村の三分の一が、完全に破壊されていた。
勇者たちは、その間ずっと村の端で座っていた。ハルは「疲れた」と言い、レンは「次はいつ?」と聞き、ミカは「早く帰りたい」と繰り返していた。クロウだけが、何かを呟き続けていたが、誰も聞いていなかった。
朝が来た。エドワードは一睡もしていなかった。彼の服は土埃にまみれ、手には血が付いている。救助の際についた、他人の血だ。
「...帰還する」
ガルフが重い口調で言った。彼の目には、深い疲労と――何か別の感情が宿っていた。
村長が、彼らを見送りに来た。「騎士様...ありがとうございました」その声には、感謝と共に、言いようのない悲しみが込められていた。
「すまない」
ガルフはただ、それだけを言った。
勇者たちは既に馬に乗っている。
「じゃ、行きますか!」
ハルが元気よく言った。
帰路についた一行を、村人たちは黙って見送った。彼らの目には、感謝はなかった。ただ――恐怖と、困惑があった。
「任務完了!」
ハルが馬上で伸びをした。
「初クエスト、成功だな」
「次はもっと強い敵がいいな」
レンが言った。
「早く帰ってお風呂入りたい」
ミカがため息をついた。
エドワードとガルフは、一言も話さなかった。他の騎士たちも、沈黙を保っていた。彼らは皆、同じことを考えていた。
これを――どう報告すればいいのか。
魔物は討伐した。それは事実だ。しかし、村は破壊された。村人は傷ついた。そして何より――。
勇者たちには、何の自覚もなかった。
エドワードは馬の手綱を握りしめた。拳が白くなるほど、強く。
王都に戻り、ガルフは謁見の間でレオニス王とヴァルクに報告した。その場には、他の貴族たちもいた。
「魔物は...全滅しました」
ガルフの声は震えていた。
「オーク十体、一体残らず」
「それは素晴らしい!」
貴族の一人が叫んだ。
「さすが勇者殿!」
「しかし――」
ガルフは続けた。
「村が、破壊されました」
謁見の間が静まり返った。
「...どういうことだ」
レオニスが低い声で尋ねた。
「勇者ハル殿の魔法が、村の三分の一を吹き飛ばしました。重軽傷者、合わせて十名以上。家屋の損壊、甚大です」
ヴァルクが息を飲んだ。レオニスは玉座の肘掛けを強く握りしめた。
「勇者殿は...何と?」
「『俺、またなんかやっちゃいました?』と」
ガルフは目を閉じた。
「笑いながら、そう言いました」
謁見の間に、重い沈黙が落ちた。
「...それで、勇者たちは今?」
「城内で、任務の成功を喜んでおります」
ガルフは苦々しい表情で答えた。
その時、謁見の間の扉が開き、フィリア王女が入ってきた。彼女の顔は明るく、笑顔に満ちていた。
「父上! 聞きましたわ! 勇者様が魔物を退治なさったと!」
「フィリア...」
「素晴らしいですわ! やはり勇者様は、神の使いなのですね!」
王女は興奮した様子で続けた。
「民衆も喜んでおります。城下では『勇者様万歳』の声が響いておりますわ!」
レオニスは娘を見た。彼女は何も知らない。村の惨状を知らない。勇者たちの無自覚な破壊を知らない。そして――知らない方が、幸せなのかもしれなかった。
「...そうか」
レオニスは力なく言った。
「では、私は勇者様にお祝いの言葉を!」
フィリアは去っていった。
謁見の間に残された者たちは、誰も何も言えなかった。
ヴァルクが、ゆっくりと口を開いた。
「陛下...これは」
「分かっている」
レオニスは目を閉じた。
「これは...神ではなく、災厄だ」
ヴァルクの言葉が、静かに響いた。
夜、レオニスは一人、執務室にいた。机の上には、ガルフからの詳細な報告書が置かれている。村の被害状況、負傷者の名前、破壊された家屋の数――全てが、克明に記されていた。
「これが...救世主の力か」
レオニスは呟いた。
確かに、魔物は倒された。勇者たちの力は本物だ。しかし――その力は、あまりにも無制御で、無自覚だった。
「あの者たちは、善悪の区別がないのか?」
レオニスは自問した。
「いや、それ以前に――力の使い方を知らない」
窓の外から、民衆の声が聞こえてくる。
「勇者様万歳!」
「神の使いが魔物を!」
「我らは救われる!」
彼らは喜んでいる。勇者が魔物を倒したことを。しかし、彼らは知らないのだ。その代償を。
レオニスは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。城下の明かりが、無数に輝いている。あの明かりの一つ一つが、人の命だ。人の暮らしだ。そして――それを守るのが、王の務めだ。
「このままでは...」
レオニスは拳を握りしめた。
窓ガラスに映る自分の顔を見つめる。そこには、深い恐怖が刻まれていた。
「魔王より先に、勇者が国を滅ぼす」
その言葉を口にした瞬間、レオニスは自分が何を言ったのか理解した。これは――王としてあってはならない考えだ。勇者は救世主として召喚された。神話に記された、希望の象徴だ。それを否定することは、国の根幹を揺るがすことになる。
しかし――。
事実は、目の前にある。
村は破壊された。民は傷ついた。そして勇者たちは、笑っていた。
「ヴァルク」
レオニスは振り返った。宰相は扉の前に立っており、いつからそこにいたのか分からなかった。
「お聞きになりましたか」
「ああ」
ヴァルクは静かに部屋に入ってきた。
「陛下の御心、理解しております」
「...お前も、同じ考えか」
「恐れながら」
ヴァルクは深く頭を下げた。
「あの者たちは、確かに強大な力を持っている。しかし――その力は、我々のためではなく、我々に向けられる可能性がある」
レオニスは窓の外を見た。祝祭の灯りは、まだ消えていない。
「しかし、民は勇者を信じている」
「はい」
「ならば、我々にできることは――」
「監視、です」
ヴァルクは言った。
「そして、可能な限り、被害を最小限に抑えること」
レオニスは頷いた。今は、それしかない。勇者たちを排除することなど、できるはずもない。民衆は彼らを崇拝している。そして何より――魔王という脅威は、依然として存在している。
「次の任務には、必ず監視役をつけろ」
レオニスが命じた。
「そして、被害が出た場合は、即座に報告を」
「御意」
「そして――」
レオニスは深く息を吐いた。
「民には、村の被害を知らせるな」
ヴァルクの目が見開かれた。
「陛下...それは」
「今、民の希望を奪うわけにはいかない」
レオニスは苦しそうに言った。
「魔王の脅威は現実だ。勇者への信仰を失えば、国の士気は崩壊する」
「...分かりました」
ヴァルクは重々しく頷いた。二人は、しばらく黙っていた。王の執務室に、重い沈黙だけが満ちていた。そして――遠くから、民衆の歓声が聞こえてくる。
「勇者様万歳!」
その声が、今のレオニスには――悲鳴のように聞こえた。
同じ夜、城の別の一角では――勇者たちが、部屋で寛いでいた。
「いやー、疲れた」
ハルがベッドに寝転がった。
「でも、初クエストクリアって感じで良かったな」
「次はボス戦みたいなのがいいな」
レンが窓の外を見ながら言った。
「もっと強い敵」
「私は戦わない」
ミカがきっぱりと言った。
「めんどくさいし」
「運命は我を導く...次なる戦場へ...」
クロウが相変わらずポエムを呟いていた。彼らは、何も気にしていなかった。村のことも、村人のことも、破壊のことも――何も。
ハルは天井を見つめながら、軽く笑った。
「でもさ、マジで異世界なんだよな。ゲームみたいで面白い」
「ゲームか...」
レンが呟いた。
「確かに、ゲームみたいだな。リセットできないけど」
「リセット? 必要なくね? 俺ら最強だし」
ハルは笑った。窓の外では、星が輝いていた。この世界の星は、地球とは違う配置をしている。
しかし、勇者たちはそれにも気づいていなかった。彼らにとって、この世界は――ただの遊び場だった。
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村人たちが、崩れた家の前で途方に暮れていた。老人が泣き、子供が怯え、大人たちが呆然と立ち尽くしている。
村長は、村の中央に立っていた。彼の背後には、崩壊した家々が広がっている。
「...神の使い、か」
村長は、夜空を見上げた。星が、冷たく輝いている。
「神とは...こういうものなのか」
その問いに、答える者は誰もいなかった。風が吹き、村に静寂が訪れた。救われたはずの村は――今、絶望に包まれていた。
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