召喚した勇者がクズでした。魔王を討伐して欲しいのに、勇者が魔王に見えてきた。助けて

自ら

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第1部:神の来訪期

第3話「王女、恋に落ちる」

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朝の光が王女フィリアの部屋に差し込んでいた。侍女リーゼ・フォン・メルツは、いつものように王女の身支度を手伝うため部屋に入ったが、そこで見た光景に少し驚いた。フィリアは既に起きており、鏡の前に座って自分の髪を撫でていた。

「おはようございます、王女様」

リーゼは丁寧に挨拶をした。彼女は十九歳、王女に仕えて三年になる真面目な侍女だった。

「あら、リーゼ。おはよう」

フィリアは振り向き、微笑んだ。その笑顔には、いつもより明るい輝きがあった。

「今日は良い天気ね」
「はい、素晴らしい朝でございます」

リーゼは王女の髪を整え始めた。しかし、作業をしながら、王女の様子に違和感を覚えていた。フィリアは鏡を見つめながら、何度も小さく微笑んでいる。

「リーゼ」

フィリアが唐突に言った。

「勇者様は、今日も城にいらっしゃるかしら」
「おそらく。勇者様方は城内で休息を取られているはずです」

リーゼは答えた。

「そう...」

フィリアは頬を染めた。

「今日こそ、勇者様とお話しできるかしら」

リーゼは手を止めた。王女様、と呼びかけようとしたが、フィリアの表情を見て言葉を飲み込んだ。あの目は――恋をする乙女の目だった。

身支度が終わり、リーゼが部屋を出ると、廊下で同僚の侍女たちが待っていた。

「リーゼ、王女様のご様子はいかが?」

年配の侍女が尋ねた。

「...おかしいのです」

リーゼは小声で言った。

「朝から上機嫌で、勇者様のことばかり」
「まあ」

侍女たちが顔を見合わせた。

「もしかして、王女様、恋をなさったのでは?」
「しかし――」

リーゼは言葉を濁した。彼女は村の惨劇の噂を聞いていた。勇者たちが村を救った、という公式の発表とは別に、密かに広まっている別の噂――村が破壊されたという話。真偽は分からないが、もしそれが本当なら、あの勇者たちは――。

「リーゼ?」
「いえ、何でもありません」

リーゼは首を振った。今は、王女様のお世話に集中しなければ。しかし、胸の奥に小さな不安が芽生えていた。



昼過ぎ、フィリアは城内を散策していた。リーゼが付き添っているが、王女の目的は明らかだった。勇者を探しているのだ。図書館、食堂、訓練場――様々な場所を見て回るが、勇者の姿はない。

「王女様、お疲れではございませんか」

リーゼが心配そうに尋ねた。

「大丈夫よ」

フィリアは笑顔で答えたが、その目にはわずかな焦りが浮かんでいた。

そして、城の東棟の廊下を歩いていた時――。

「あ、どうも」

前から歩いてきた人物と目が合った。黒い短髪、整った顔立ち、異界の衣服を着た青年――勇者ハルだった。フィリアの心臓が、大きく跳ねた。

「王女さん、こんにちは」

ハルは軽く手を上げた。その仕草は気さくで、まるで友人に挨拶するかのようだった。

「あ、あの...!」

フィリアは声を震わせた。

「勇者様、お元気でいらっしゃいますか?」
「ああ、元気っす。この城、マジ広いっすね。迷いそうで」

ハルは苦笑した。

「さっきも、自分の部屋に戻れなくて」
「あ、あの、もしよろしければ――」

フィリアは勇気を振り絞る。

「私が、城内をご案内させていただけませんか?」
「マジっすか!」

ハルの顔が明るくなった。

「助かります! じゃ、お願いしていいっすか?」
「はい! 喜んで!」

フィリアは満面の笑みを浮かべた。

リーゼはその様子を後ろで見ながら、複雑な思いを抱いていた。王女様は本当に嬉しそうだ。しかし、勇者ハルの態度は――あまりにも軽い。まるで、王女を同年代の友人としか見ていないような。



フィリアはハルを連れて、城の様々な場所を案内した。まずは図書館へ。広大な部屋には、天井まで届く書架が並び、何千冊もの書物が収められている。

「おー、本いっぱい」

ハルが感嘆の声を上げた。

「でも読めないな。文字、全然分かんない」
「これらは、建国以来の歴史書や魔法の書です」

フィリアは説明した。

「勇者様は、本がお好きではないのですか?」
「いや、好きっすよ。でも、こっちの文字読めないから」

ハルは本を手に取り、ぱらぱらとめくった。

「なんか、難しそう」

フィリアはその様子を見つめ、心の中で思った。勇者様は謙虚な方だ。きっと、本の価値をご存知だからこそ、そのように仰るのだ。異界の知識をお持ちなのに、この世界の書物にも敬意を払ってくださる――。

次に、フィリアはハルを庭園に案内した。王城の庭園は王国随一の美しさを誇り、四季折々の花が咲き誇っている。今は春、色とりどりの花が陽光に照らされていた。

「庭、キレイっすね」

ハルが周囲を見回した。

「手入れ大変そう」

「はい、庭師たちが毎日手入れをしております」

フィリアは嬉しそうに答えた。

「勇者様は、花がお好きなのですか?」
「まあ、嫌いじゃないっすよ。キレイだし」

ハルは花に手を伸ばし、軽く触れた。

「でも、こういうのって管理が大変なんだろうなって思って」

フィリアの目が輝いた。勇者様は、自然の美しさに心を動かされる方なのだ。そして、それを維持する人々への感謝も忘れない――なんて優しい方なのだろう。

リーゼは二人の後ろを歩きながら、違和感を覚えていた。王女様は勇者の言葉を、何か特別なものとして受け取っている。しかし、リーゼには分かる。あれは――ただの感想だ。深い意味など、何もない。

最後に、フィリアはハルを城の礼拝堂に案内した。荘厳な建物の中には、神々の像が並び、祭壇には聖なる炎が灯されている。

「礼拝堂って、神様いるんすか?」

ハルが無邪気に尋ねた。

「神は、この世界を見守ってくださっています」

フィリアは敬虔な表情で答えた。

「そして、勇者様を我らの元に送ってくださいました」
「へー」

ハルは祭壇を見つめた。

「神様、か。よく分かんないけど、すごいっすね」

フィリアはその言葉を聞き、胸が熱くなった。勇者様は、神への理解が深いのだ。「よく分からない」と仰るのは、神の偉大さを前にした謙虚さの表れ――。

リーゼは、もはや何も言えなかった。



夕刻、庭園のベンチにフィリアとハルが座っていた。リーゼは少し離れた場所で待機している。二人は並んで、沈みゆく太陽を眺めていた。

「勇者様」

フィリアが静かに口を開いた。

「勇者様は、故郷が恋しくありませんか?」
「まあ、スマホとか欲しいっすけど」

ハルは空を見上げた。

「でも、ここも悪くないかな」
「...そうですか」

フィリアは微笑んだ。勇者様は、この国を気に入ってくださった。それが何より嬉しい。
「王女さんたちも優しいし」

ハルは続けた。

「飯もうまいし。まあ、Wi-Fi欲しいけど」
「ワイファイ...?」
「あ、いや、こっちの話っす」

ハルは笑った。

フィリアは、ハルの横顔を見つめた。夕陽に照らされたその姿は、神々しいまでに美しい。心が高鳴る。こんなにも近くに、勇者様がいる。神の使いが、自分の隣に座っている。

「私は...」

フィリアは勇気を振り絞った。

「勇者様にお会いできて、とても幸せです」
「あ、そっすか」

ハルは振り向き、笑顔を見せた。

「俺も、みんな優しくしてくれるんで嬉しいっす」

ハルは少し考え、そして付け加えた。

「王女さんも可愛いし」

フィリアは、固まった。

可愛い――。その言葉が、頭の中で何度も反響する。勇者様が、私のことを――。

「じゃ、俺そろそろ部屋戻りますわ」

ハルは立ち上がった。

「案内ありがとうございました」

そう言って、軽く手を振って去っていく。

フィリアはベンチに座ったまま、動けなかった。顔が熱い。心臓が激しく鳴っている。手が震えている。

「王女様?」

リーゼが心配そうに近づいてきた。

「...リーゼ」

フィリアは呟いた。

「勇者様が...私のことを...」

その顔は、真っ赤に染まっていた。



夜、王女の部屋でフィリアは窓の外を見つめていた。月が美しく輝いている。しかし、フィリアの目には月も、星も、何も映っていなかった。彼女の心を満たしているのは、ただ一つ――勇者ハルの言葉。

「可愛い...と仰ってくださった...」
「王女様、お休みにならないのですか?」

リーゼが心配そうに尋ねた。

「リーゼ」

フィリアは振り向いた。その目には、強い光が宿っていた。

「私...勇者様を、お慕いしているの」

リーゼは言葉を失った。

「あの方は、神の使い」

フィリアは続けた。

「この国を救ってくださる方。そして――私の、運命の方」
「王女様...」
「私は幸せよ、リーゼ」
フィリアは微笑んだ。

「神が、こんなにも素晴らしい方を、私の元に送ってくださったのだから」

リーゼは、王女の目を見て戦慄した。あれは、普通の恋する乙女の目ではない。何か、もっと深い――いや、危険な何かが宿っている。

「おやすみなさい、リーゼ」

フィリアは再び窓の外を見た。

「明日も、勇者様にお会いできるといいわ」

リーゼは部屋を出た。廊下で、彼女は深く息を吐いた。胸の中の不安が、確信に変わりつつあった。これは――良くない。何か、とても良くないことが起ころうとしている。



翌日、城の侍女たちの間で噂が広まった。

「王女様が勇者様に恋をなさった」
「勇者様が王女様に優しい言葉を」

そして、その噂は城を出て、城下町へと流れていった。

「聞いたか? 王女様が勇者様に!」
「なんて素晴らしい!」
「神の使いと王女様、お似合いだ!」

市場では、商人たちがその話で持ちきりだった。果物を売る商人が言った。

「これは商機だぞ。勇者様の肖像画を描いて売れば、飛ぶように売れる」
「いい考えだ」

別の商人が頷いた。

「勇者様のお守りも作ろう。勇者様の加護がある、と言えば」
「勇者様が王女様を救った、という話はどうだ?」
「ああ、それもいい。物語にして売ろう」

噂はさらに膨らんでいった。実際には何も起こっていないのに、人々は次々と美しい物語を作り上げていく。運命の出会い、神の導き、救世主と王女の愛――全ては、民衆の願望が生み出した幻想だった。

その日の夕方、市場の一角に勇者の肖像画を売る店が現れた。絵は稚拙だったが、人々は争うようにそれを買っていった。

「勇者様の絵を家に飾ろう」
「きっと、守ってくださる」

ある老婆が、肖像画の前で手を合わせて祈り始めた。「勇者様、どうか我が家に平安を」その姿を見て、他の人々も真似をし始める。

祈り――それは、もはや単なる尊敬ではなかった。それは、信仰だった。



数日後、王城の謁見の間でレオニス王とヴァルクが執務をしていた時、フィリアが入ってきた。彼女の表情は明るく、決意に満ちていた。

「父上」

フィリアは深々と礼をした。

「お話があります」
「何だ、フィリア」

レオニスは優しく尋ねた。

「私は――」

フィリアは顔を上げ、はっきりと言った。

「勇者ハル様を、お慕いしております」

謁見の間が静まり返った。
レオニスとヴァルクは顔を見合わせた。

「フィリア...」

レオニスは慎重に言葉を選んだ。

「それは、恋、ということか?」
「はい」

フィリアは頷いた。

「そして、勇者様は神の使いです。あの方の御心は、神の御心でございます」

ヴァルクが僅かに眉をひそめた。この言い方は――。

「私は、勇者様の教えを民に広めたいのです」

フィリアは続けた。

「勇者様こそが、この国の希望であると」
「フィリア、しかし――」

レオニスが何か言いかけたが、フィリアの目がまっすぐに父を見据えた。

「父上は、勇者様を信じていないのですか?」

その言葉に、レオニスは言葉を失った。信じていない――そう答えることは、できなかった。なぜなら、民衆の前で勇者を否定することは、国の希望を否定することだから。そして、王の娘が勇者を慕っているという事実は、既に城内に広まっている。ここで否定すれば、王家の内部分裂と取られかねない。

「...私は、勇者たちを信じている」

レオニスは苦しげに言った。

「ならば、私の願いをお聞き入れください」

フィリアは深く頭を下げた。

「民衆に、勇者様の素晴らしさを伝えたいのです」

ヴァルクは静かにレオニスを見た。王は、深く目を閉じた。そして――頷いた。

「...好きにするがいい」
「ありがとうございます、父上!」

フィリアは嬉しそうに笑い、部屋を出て行った。部屋に残されたレオニスとヴァルクは、長い沈黙に包まれた。

「陛下...」

ヴァルクが口を開いた。

「分かっている」

レオニスは玉座に深く座った。

「しかし、止められぬ。娘の純粋な想いを、止められるわけがない」
「...このままでは」
「ああ」

レオニスは目を開けた。その目には、深い疲労が宿っていた。

「しかし、もはや――選択肢はないのだ」



その日の午後、城下広場に人々が集まっていた。王女フィリアが、民衆に向けて話をする、という知らせが広まったからだ。広場は人で埋め尽くされ、皆が王女の姿を待っていた。

城の塔の上から、ヴァルクがその光景を見下ろしていた。彼の顔には、不安の色が濃い。

やがて、フィリアが広場に姿を現した。純白のドレスに身を包み、その姿は天使のように美しかった。民衆から歓声が上がる。

「皆さま」

フィリアの声が、広場に響いた。

「本日は、お集まりいただきありがとうございます」

人々は静まり返り、王女の言葉を待った。

「私は、皆さまにお伝えしたいことがあります」

フィリアは続けた。

「それは――勇者様のことです」

民衆がざわめいた。

「勇者様は、神の使いです」

フィリアの声は、確信に満ちていた。

「あの方は、私たちを救うために、遥か異界より来てくださいました」
「勇者様万歳!」

誰かが叫び、その声が広場中に広がった。

「私は――」

フィリアは一瞬言葉を止め、そして続けた。

「私は、勇者様の御心を、神の御心として信じます」

民衆は熱狂した。

「王女様も勇者様を!」
「これこそ神の御業だ!」
「勇者様こそ、我らの救世主!」

フィリアの目は輝いていた。それは、恋する乙女の輝きではなかった。それは――狂信者の目だった。ヴァルクは、塔の上で戦慄した。これは――もはや後戻りできない。



その夜、城下町のある一角で、石工のギルドが集まっていた。彼らは、ある決断をしようとしていた。

「王女様の言葉を聞いたか」

親方が言った。

「勇者様は、神の使いだ」
「ならば、我々は勇者様の姿を、永遠に残すべきだ」

別の石工が提案した。

「像を作ろう」

全員が頷いた。

「勇者様の像を」

彼らは夜通し働いた。最高の石材を選び、最高の技術を注ぎ込んだ。モデルとなる勇者ハルの姿は、城下で何度も目撃されていたため、記憶を頼りに彫り上げていく。

しかし、彼らが作り上げた像は、実物のハルとは少し違っていた。より威厳があり、より神々しく、より美しく――人々の理想が投影された姿だった。

翌朝、広場の中央に像が完成した。三メートルを超える大きさの像は、天を見上げ、片手を掲げている。その姿は、まるで神が民を祝福しているかのようだった。

民衆が集まってきた。そして、像を見て――跪いた。

「勇者様...」
「どうか、我らをお救いください」
「我が家に、平安を」

祈りの声が、広場に響き渡った。もはや、それは単なる感謝や尊敬ではなかった。それは、神への祈りだった。



同日の午後、ハルは城下を散歩していた。レンとミカも一緒だったが、ミカは「暑い」と文句を言いながらついてきている。

「あ、なんかあそこに人集まってるな」

レンが広場を指さした。

「見に行ってみるか」

ハルは興味津々で広場に向かった。そして――自分の像を見た。

「え、マジ?」

ハルは目を丸くした。

「俺の像?」

民衆が、ハルの存在に気づいた。

「勇者様!」
「勇者様がおいでになった!」

瞬く間に、人々がハルの周りに集まってきた。ハルは戸惑いながらも、笑顔で手を振った。「いや、なんかすごいっすね。ありがとうございます」

その言葉を聞いた民衆は、感涙した。

「勇者様が我らに言葉を!」
「なんという慈悲深さ!」
「神の御言葉だ!」

ハルの謙虚な態度すら、神性の証として解釈された。ある老人が前に進み出て、ハルの足元に跪いた。

「勇者様、どうか我が孫の病を癒してください」
「え、病気?」

ハルは困惑した。

「いや、俺、医者じゃないんで...」

しかし、その言葉すら「神は試練を与えるもの」と解釈され、老人は「ありがとうございます。試練を与えてくださり」と感謝した。

レンは面白そうに見ていた。

「ハル、お前すっかり神様だな」
「やめてくれよ」

ハルは苦笑した。

ミカは「めんどくさ」と呟いていた。

民衆はハルを囲み、次々と祈りを捧げた。ハルは困りながらも、「まあ、喜んでもらえるなら」と軽く流した。その態度すら、「謙虚な神」として崇められた。



夜、王の執務室ではレオニスとヴァルクが、窓から城下の像を見下ろしていた。像の周りには松明が灯され、まるで神殿のように光り輝いている。

「陛下...」

ヴァルクが重々しく口を開いた。

「これは、もはや単なる期待ではありません」
「...分かっている」

レオニスは疲れた声で答えた。

「勇者信仰が、国教化しつつあります」

ヴァルクは続けた。

「民衆は勇者を神として崇め始めました」
「フィリアまでも...」

レオニスは娘のことを思い、胸が痛んだ。

「王女殿下は、最も熱心な信者となられました」

ヴァルクの声には、悲しみが滲んでいた。レオニスは頭を抱えた。

「私は...何を召喚してしまったのだ」
「陛下」
「勇者たちは、力を持っている。しかし、心がない」

レオニスは呟いた。

「彼らは、自分たちが崇められていることの意味すら理解していない」
「陛下、このままでは国が――」
「止められぬ」

レオニスは力なく言った。

「もはや、止められぬのだ」

窓の外では、像の周りに人々が集まり、祈りを捧げていた。その光景は、美しくも――恐ろしかった。

「ヴァルク」

レオニスが静かに言った。

「これから、我が国はどうなる?」

ヴァルクは答えなかった。答えられなかった。彼にも、未来が見えなかったから。

ただ一つ確かなのは――何かが、壊れ始めているということ。そして、それを止める術は、もはやないということだった。



深夜、城の礼拝堂に一人の人影があった。フィリアだった。彼女は祭壇の前に跪き、両手を組んで祈っていた。

リーゼは廊下から、その姿を見ていた。近づくべきか迷ったが、フィリアの祈りの言葉が聞こえてきて、足が止まった。

「勇者ハル様...」

フィリアが祈っているのは、神ではなかった。

「どうか、この国を、私を、お救いください」

フィリアの声は、敬虔で、熱烈で、そして――狂気を帯びていた。

「あなた様こそが、我らの神。あなた様こそが、我らの光」

リーゼは、恐怖を感じた。これは――恋ではない。これは――信仰ですらない。これは――。

「私は、あなた様のために生きます。あなた様のために、全てを捧げます」

フィリアの目は、闇の中で異様に輝いていた。

リーゼは、静かに廊下を離れた。走りたかったが、足が震えて思うように動かなかった。胸の中で、一つの確信が生まれた。

これは――もう、止められない。

王女は、もう戻ってこない。

そして、この国も――。

礼拝堂では、フィリアが祈り続けていた。神への祈りではなく、勇者への祈りを。彼女の影が、蝋燭の炎に揺れている。

その姿は――まるで、狂信者だった。
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