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レモンの憂愁
03 ー 冬将軍と銀狼
しおりを挟む日本酒は醸造酒だ。ウイスキー等のように途中で蒸留作業を行わないので、アルコール発酵されたままの状態で飲まれる。酒粕は日本酒を圧搾した後に残る白い固形物で、当たり前だがほんのりと日本酒の香りがする。
アレクセイにはスコッチウイスキーを出したことがあるが、レビ達はビールだ。ビールは醸造酒だから日本酒はセーフだろうか。けれど日本酒の方がアルコール度数が強く、匂いも強い物もある。けれど喜んで米を食べているから大丈夫だろうか。
誠は少し悩んだが、酒粕の袋を開けた。結果、鼻が良い彼らの顔が歪んだ。
慣れないと、そういうふうになるのだろう。酒粕はそこまで匂いがキツいわけではないが、流石は犬系と熊だということらしい。唯一無事だったオスカーだけは気になったらしく、袋を押しては粘土のようだと楽しんでいた。
しかしこれでは彼らの酒粕のイメージが悪くなる。誠としても御神酒のお裾分けを貰う身だ。日本酒のイメージを向上させるべく、バッグからとっておきを取り出した。
「まあ、一献」
食器棚から小さなグラスを人数分取ってくると、日本酒を注ぐ。誠は辛口の方が好きなので、用意した日本酒も辛口だ。温燗にしても良いのだが、温めると余計に匂いが立ち込めるので常温の状態で勧めた。
「この酒の残り滓が、さっきの酒粕なんだ。元は米だよ。いつも食べてる米とは種類が違うけど」
「はー…いろいろあるんだな」
まだ酒粕の袋を揉んでいたオスカーが今度は一番乗りだ。アレクセイは昼間から酒かと言っていたが、興味はあるようだ。確かに休日と言えどいつ魔獣の亜種が出現するかは分からない。食前酒代わりだと何とか言いくるめると、アレクセイは少し尾を揺らしながらグラスを空けた。
「…美味いな」
「うん。スッキリしてる。美味しい」
アレクセイとオスカーが美味いと称賛したので、ようやく立ち直ったレビ達も恐る恐るグラスを鼻に近付けた。少し眉を寄せていたが、少しずつ飲むとその顔は一瞬で晴れやかなものになった。
「うっま。何これ」
「美味しいですね。ちょっと匂いが気になりますが」
「僕も美味しいと思います」
お替わりと突き出されたグラスを回収しながら、誠は得意気になった。
「ワインと同じく、日本酒も醸造酒だよ?匂いは慣れだと思うけど、今日は日本酒じゃなくて酒粕がメインだから。ちょっと待ってて」
誠はまたアレクセイに手伝いを頼み、甘酒を作ることにした。生姜を入れても良いのだが、三十分も煮込んでいたら彼らを待たせ過ぎてしまうので今回はシンプルなものにした。
入れる砂糖もグラニュー糖ではなく、黒糖を使うことにする。
実は世界的には砂糖と言えばグラニュー糖のことを言うのだと知ったのは、製菓学校に入ってからだ。まさか和三盆や上白糖が日本だけの砂糖だとは知らなかった。
アレクセイは黒砂糖を見て驚いていたが、中世ヨーロッパだと十一~十三世紀には十字軍がサトウキビを持ち帰っているはずだ。ヨーロッパ内で普及したのは十六世紀以降なのだが、なぜだかこの国では当たり前のようにグラニュー糖が普及している。
原材料は黒糖もグラニュー糖もサトウキビなのだが、グラニュー糖は搾り汁から不純物を取り除いて煮詰め、その結晶を遠心分離して…と、まだまだ手をかけなければ、あの綺麗な色と結晶にはならない。
この世界のどこで製造されて、サトウキビの産地はどこだと調べてみたい衝動に駆られてしまうが、それはまた今度の話だと誠は好奇心を鎮めていた。
誠は黒糖の小さな塊をアレクセイの手に乗せつつ、これはサトウキビの絞り汁にあまり手を加えずに作った砂糖だと説明してやった。黒糖の方がミネラルやビタミンが豊富に含まれているので体にも良い。少しでも体に良いものをと考えているので、こちらの方が良いだろう。
マグカップに甘酒を注ぎ、またデシャップに戻る。先程の食前酒で余計に腹が減ったのか、待ちきれないとレビ達は甘酒に飛びついた。
「おお…さっきのニホンシュと何か似てるけど違うな」
独特の匂いが立ち上るが、レビはもう気にならないようだ。アレクセイもゆるく尾を振っていて、ご機嫌な様子でこちらまで嬉しくなる。この様子なら粕汁も気に入ってもらえるかもしれない。
誠は小さくガッツポーズをすると、昼食の準備に取り掛かった。
と言っても、途中まで用意している。あとは火を通すだけだ。四つの土鍋に火をかけると、誠はその間にパン生地を捏ねることにした。
暇を持て余しているレビ達にもパン作りの復讐だと促して手伝ってもらう。立っている者は諏訪でもアレクセイでも使う。それが遠野一族というものだ。焼けるだけオーブンに入れると、厨房内には良い匂いが充満していた。
「マコト、そろそろ良いのではないのか?」
アレクセイは平静を装っているが、尾の動きで誤魔化しきれていない。見ると、レビもルイージも元気に尾が揺れていた。分かりにくいが、良く見るとドナルドの尾も揺れている。オスカーだけは人型だと尾が無いのだが、こちらを見る視線が痛かった。
鍋敷きが無いので布巾を代用して、食堂のテーブルに鍋を全て置く。今日の昼食は鍋だ。
「おお…鍋だ。久し振り?」
「そうだっけ?」
蓋を開けるのを手伝ってくれたレビが、どれから食べようかと目移りしている。もう少し鍋もメニューに加えた方が良いかと聞くと、全員からそうしてくれと言われてしまった。
どうやら、もう一度食べたいと思っていたらしい。
鍋毎に味や具を変えているので、基本的には早いもの勝ちだ。最初こそアレクセイに譲っていたレビ達だが、途中からはそうも言っていられなくなるのがアレクセイ班というものだ。弱肉強食。その言葉が当てはまる。
一応おたまを各鍋に突っ込んでいるが、誠だけは菜箸でおたまを掻い潜り、ひょいひょいと取り皿に盛る。ずるいと言われようが、 箸の歴史はスプーンよりも古いのだ。途中で牛すじをアレクセイの取り皿に入れてやりながら、締めの雑炊まで完食すると、鍋には綺麗に空になってしまった。
夜は夜で、完全な和食尽くしにした。休肝日ならぬ休胃日と休舌日だ。寒鰤もしっかり購入していたので、塩焼きにして出した。牛肉ならぬミノタウロスの時雨煮も粕汁も気に入ってくれたらしく、どれもこれも翌日に持ち越すことはなかった。
夕食の片付けを終えたが、誠はまだ厨房に残っていた。小鍋や皿を確認していると、足音を響かせながらアレクセイが中に入って来た。
「…兄上か?」
作業台の上を見て確信したのだろう。あまり餌付けをしてくれるなと言われたが、フレデリクとは持ちつ持たれつなので、仕方が無い。
「うん。勇者のことも気になるし」
「先程兄上と連絡を取ったが、勇者一行は全員若者で、五人だということしかまだ分かっていないそうだ」
「そっか。相模さんにも伝えとくね」
「ああ。…兄上の後は、シャンディ侯爵領に行くつもりだろう?」
正確に言い当てられ、誠は一瞬動きを止めてしまった。アレクセイはそれを見逃さなかったのか、小さな溜息を吐いてから誠に近付いた。そしてぎゅっと抱きしめると、顎を誠の頭に乗せた。
「君の自由を奪いたくないのだが…離したくないな」
「そりゃどうも。でも、アレクセイと"約束"したじゃん。見たらすぐに戻って来るって」
「…ああ」
「神は約束を違えられない。俺も龍神の血が作用してるから、同じだよ。約束は破れないし、アレクセイとした約束なら尚更だ。破るつもりは無いよ」
誠がキッパリと言うと、初耳だとアレクセイは眉を顰めた。
「あれ…言ってなかったっけ」
「ああ、聞いてないな。だが、それは…重要事項なんじゃないのか?」
「うーん…別に神々やそれに近しいのなら誰でも知ってるし。それに、安易に約束をしないように気を付けてるよ」
「そうか…それなら良いが…」
また心配をさせてしまったのだろうか。やはり遠野の常識と、人間や獣人達の常識は違うようだ。
改めて気付かされた誠は、自分からアレクセイに抱きついた。
「俺に何かあったら、龍玉が知らせてくれる。逆にアレクセイに何かあったら、俺のことを強く想って。すぐに飛んで行くから」
「飛ぶと言うか、俺の影から出て来る…だろ?」
「…言葉の綾だっつーの」
顔を上げてむくれてみせると、アレクセイは笑いながら軽いキスを仕掛けてきた。
そうして暫く戯れあうと、どちらからともなく体を離した。なにも長い別れではないのだが、どうしてか離れがたくなってしまった。
全てはアレクセイのせいだ。誠はそう思うことにして、さっさとバッグに小鍋や皿をしまうことにした。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ああ。気を付けて」
アレクセイも同じなのか、いつものように触れてこようとはしない。誠はさっとその頬にキスをすると、素早く影に潜んだ。「マコト、戻ってきたら覚えておけよ」と恐ろしい言葉を聞いたような気がしたが、聞かなかったことにした。
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