金は天下で回らない

希京

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序章~最期の別れ

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医師も看護師も空気を読んで、病室にはふたりしかいない。

「未知に…、全て…を託していくのは、申し…訳ない」
病床の男は、自分の手を握り続ける長女に、かすれる声で絞るように言った。

握りしめた手をひたいにつけて、未知は涙を流していた。長い髪で表情はよく見えないが、手に落ちる雫で泣いているのがわかる。仕事先で病院から連絡が来て、急いでかけつけたのでスーツのままだった。
もう父と自分をつなぐものは家業しかない。消えゆく命を目の前に覚悟を決めた。

嫌なら継がなくてもいい。
もう言葉を発する体力もないのか、父の目はじっと娘を見ていた。

言うならここしかない。
もうすぐ消える父の命を見守りながら、未知は手を握ったままうなだれた。

「私はあなたが好きでした。お父さん…」

娘の独白にぎゅ、と握りしめた手に力が込められた。

わかってる、父はそう伝えたかったのかもしれない。

違う。違うの。お父さんだからじゃないの。一人の男として好きなの。

父の体に繋がっている電気機器が命が尽きる警告音を出す。
だが延命を望まないと言っていた父に、これ以上苦しみを長引かせたくない。
医師を病室に招いて死亡を確認してもらう。

未知は手の甲で涙をぬぐった。

これで母から父を奪ったと思った。
母は闘病中一度も顔を出さず、ひたすら自分に入ってくるだろう遺産を計算してほくそ笑んでいるだろう。

「金子さん」
遺族ではない、直属の部下である角川が病室に入ってくる。
いつも髪を後ろに流してスマートにスーツを着ている男も、さすがに今日は乱れていた。それだけ母を中心に外野が金のことで揉めていたんだろう。

白銀直樹しろがねなおきが見舞いと称して来ています」
「たった今亡くなったと伝えてお帰り願ってください」
ライバルの様子を偵察しに来たんだろう。父を憎んでいるものはたくさんいる。

看護師が死体の処理をしている時、角川を押しのけた白銀しろがねが病室に足を入れた。
オーダーメイドの濃いグレーのスーツに封筒を持って、父の顔が見える位置で立ち止まる。
目の前の現実が信じられないという顔をして、しばらく呆然と立っていたが、我に返って未知に封筒を渡した。

「お見舞いの金だったんだけど、違う意味になってしまったね…。ご愁傷さまです」
深々と頭を下げて、病室を去っていく。

「敵ながらあっぱれってとこですか?」
横でやりとりを見ていた角川がつぶやく。
「うちにもあれくらいの度量がある人間がいれば…」
「あれ、目の前にいる男では力不足ですか」
小さな頃から未知に仕え、命令すれば人だって殺しそうな男がわざと明るく言う。
未知は何も言わず、看護師に手際よく着替えさせられて葬儀に向かう姿に変えられていた。


病院を出て自分のクルマを転がしながら白銀しろがねはこれからの事を考える。
父親より娘のほうがヤバい。この界隈ではそう言われていた。

拷問が得意、聞いた時は信じなかったが、前歯を全部折られた男がふがふがと自分がやられた事を白銀にわめいた人間を思い出した。
「裏の金借りて返せなかったらそうなるだろう。女だからってなめて飛ぼうとする人間が何人海に浮かんだことか」

病室で泣いていた女と、冷酷に借金回収をする金子にギャップを感じるが、人間はいろんな顔がある。
父が亡くなった今が金子を潰すチャンスにならない事は、白銀が身にしみてわかっていた。


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