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雨は女の涙
第百八十九話 幕引き
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ここら辺一帯で一番高いマンションの最上階の一室のベランダ。
ベランダと言っても人一人くらい寝そべることが出来るほどの奥行きがあり、ちょっとした中庭のほどの広さがある。実際に観葉植物がセンス良く置かれ日の光の下で見れば住人の気持ちを癒やしてくれる。
だが残念なことに時は深夜。部屋の電気は消され月明かりは雲に遮られベランダは暗く輪郭は闇にぼやけてしまっている。
それでも目を凝らしてみれば明らかに床の一部が人間大の芋虫のように膨らんでいるのが分かる。膨らんでいる黒い芋虫から何か筒状の物が飛び出て、ベランダの柵の下の隙間から外に伸ばされている。
黒い芋虫は時々もぞもぞと動きカチカチと小さな音がするだけであったが、動いた。
「なんだっあれは!?」
黒い芋虫が勃起するかのように盛り上がっていき黒い布がはらりと落ちた。
そして晒されるのは片手に望遠鏡、片手にタブレットを装備した男だった。
男のタブレットには、潜ませたセンサーの役割を担った部下達からの送られてくる情報が写しだされている。
例えばチョウバエ。
例えば山田清掃会社の平社員。
例えば合谷達メンバーの名も無き運転手。
例えば検問を実施する一警察官。
続々と送信される情報を的確に分析しつつ伏せておいた手駒を盤上に晒して仕掛けていく。その姿は100手先を読むプロの棋士のようであり、次々と用意した豊富な手駒を的確なタイミングで繰り出し果無を追い詰め王手を掛けた。
その一方で本来ならどこか遠く離れた部屋でふんぞり返っていれば事足りるというのに、出来るだけ生の臨場感を味わいたいと前線を見渡せるマンションに陣取り、望遠鏡で生み出され紡がれていく人間劇場を楽しんでいた。
右脳と左脳で別々のことを同時に出来るような超人的男が驚愕の声を上げたのだ。魔というのはそれだけの衝撃があるというのか、この男ですら魔に接触したことがないというのか。
この男の闇は決して浅くはない。底なし沼のように深く、変質的なまでに人間に興味を抱いている。
いや言い換えよう、人間の闇に興味を抱いている。
恋人同士を策略を用いて別れさせその愛憎劇を楽しんでみたかと思えば、力尽くで彼女を寝取り自分に向けられる男の憎悪に身悶えてみる。
誰も相手されないような女に徹底的に尽くして骨の髄から自分に惚れさせてから、冷たく捨てて、その女が壊れる顔を記録したり。
何の才能も無い画家のパトロンになって、その画家を褒めて煽てて支援して、その自尊心が破裂する瞬間を見て感動したり。
人間の闇を見るためにありとあらゆることをしてきた。その過程で洗脳技術も手にしたし、大金や権力も手に入れていった。そしてその得た力で更に大がかりな仕掛けを施し更なる人間の闇を見る。
最近ではクズどもにクズ行為の競争をさせて、どこまでクズになって行くか見ていた。その過程で裏の高級会員制サイトに動画を上げてクズがクズ行為に何処まで熱狂するか見つつ利益も得ていた。
そんな人間の闇に取り付かれた男が、幸か不幸か元々魔人の数が少ないこともあり今まで出会ったことがなかったが、人間の闇を求める男が人間の闇の極地にとも言える魔人に出会うのは時間の問題であり必然だった。
まさにこの出会いは運命。
男は世界が広がった気分で、思わず感嘆の声を上げてしまったのだ。
最近ではもう少しで人間の闇の深淵に到達出来ると思っていたが、とんだ思い上がりだったと己を恥じる。
人間に更なる底があることに知って感動し、新たなる出会いに心躍っていた。
だが、そこで浮かれてばかりいないのがこの男。
魔に歓喜し一部体の興奮を抑えられないでいたが、左脳が別人のように状況を分析し次の手を模索させる。
あの娘のアジトを突き止める。
男はタブレットで新たなる指令を未だ伏せている手駒に指示しようとして、ばっと起き上がって振り返った。
そこには補助燈すら点いていない部屋の闇にあって闇を弾く犬鉄が立っていた。
「ちっばれたか、意外と鋭いな」
犬鉄は舌打してしまう。気付かれなければそのまま背後から一撃を加えるつもりだった目論見は大きく外された。
油断していたわけじゃない。夜のマンションの最上階のベランダというただでさえ発見されずらい位置取りをしてなお黒の布を被って身を隠す。神経質なまでに己の危険には気を遣う男を相手にするんだ、気配を極力消したというのに察知された。
犬鉄は、この男に対する認識を改めた。
この男、隠れて策を巡らすだけじゃない。実戦を知っている。
「私とて最初からふんぞり返っていたわけじゃない。これでも若い頃は第一線で体を張っていたものだ。
それよりも、なぜここが分かった?」
この部屋は事前に用意していたわけじゃない。
状況の進行からここが一番見渡せると判断してから、拝借した部屋。
オートロックだろうが電子錠だろうが所詮人間が作った物であり、掻い潜るのは簡単なことだった。いきなり部屋に入り込み、部屋の住人達には一切の説明無く暴力で蹂躙し、前菜代わりにとその理不尽さに困惑する顔を堪能した。堪能した後の片付けも忘れていない。後で片付けやすいようにきちんと風呂場に放り込んでおいた。
だから万が一にも住人が助けを呼んだ可能性はない。ならば速やかに蹂躙したが、気付かないうちに不審な音を立ててしまい通報された。その可能性ならゼロじゃない。
男は犬鉄と対峙しつつも己のどこにミスがあったか検証していく。
「別に俺の手柄ではないな。アドバイス通りここいら辺一体の高い建物の上を虱潰しに探していただけだ。
それよりもこの血臭。ここ本来の住人はどこにいった?」
犬鉄はこの作戦が始まると同時に、何があろうと一切この作戦には関わらずフォンの存在を探すことだけに専念するように果無に厳命されていた。
自分から指示したらフォンに動きを悟られる。果無は己の力がフォンに一歩及ばないことを勝負の前に認めた。それ故に犬鉄をジョーカーとして伏せて置くよりも、初めから自分とは完全に独立し思考するハンターにしたのであった。
決して自分を囮に犬鉄を本命にした作戦じゃない。どちらも隙あらばフォンの喉元を食い千切ろうとする猟犬。フォンは知らず、果無一派との戦いでなく、果無一派と犬鉄という個別の敵との戦いになっていたのである。
互いに情報の共有もなく助け合わない。協力し1+1が3にも4にもなることもない。
だが代わりに思考が一つになることもない。あくまで目的を同じくする、二つの別個の思考。
故にフォンは二つの思考を相手しなくてはならなくなり、ファンの1の力は0.5に減らされる。それでも下手すれば簡単に各個撃破されてしまう危険もある賭け。己が指示しなくても勝手に動いて成果を出してくれる犬鉄という己に匹敵する男に出会えたからこそ選ばれた作戦なのである。
実際、マンションの上部を探せとヒントを与えたところで並みの男では下から覗いたところでフォンの存在を見付けられなかったであろう。畳の目を数え切れるような根気と実戦を潜り抜け鍛えられ続けた嗅覚を持つ猟犬犬鉄だからこそ果たせたことである。
尤も協力と個別、どっちも一長一短成功の確率は同じくらい。己に匹敵する男に出会ったとき協力し合うより互いに勝手にやるを選び取ったのは、果無の最後は己一人と思っている心情に寄るところが大きいのかもしれない。
だが断っておくが果無は己一人の力だけを信じる独善ではない。
それが証拠に、マンションの上に陣取るという予測は入手した情報を余すこと無く伝え超感覚計算によって導き出されたもので、己で導き出したわけではない。他人の力を上手く利用するのも男の甲斐性と割り切り、甲斐性を見せるため果無は弓流からの色々な要求を甘んじて受けてもいる。
「ふっ。本来こんな粗暴なことはしたくなかったんだが、だが昔に返った単純な暴力による蹂躙も、まあ悪くなかった。
拳が久方の肉を潰す感触に喜んでいる」
「貴様ッ」
犬鉄の怒りの声と共に部屋の明かりが点き、シャッター音が響く。
「ふっふ~ん。あんたの顔は取らせて貰ったわ。これで闇の底にじめじめ隠れているのは不可能ね」
勝ち誇った声を上げるのは完全に気配を断ち切り潜んでいた叢雲。存在がばれた時点で犬鉄は出来るだけ男の注意を引きつけ叢雲の存在を隠していたのである。
もし叢雲の存在に気付いていたら男はこうも無防備に顔を犬鉄の方に向けていなかったであろう。
「これは一本取られたのを認めないといけないのか。
だが何の捜査令状も通報もなく市民の部屋に無断で踏み込むのは違法ではないのか?」
この男の言う通り、一般市民の家に何の権限もなく踏み込めば違法。裁判でも無効にされる危険性がある。
更に言えば犬鉄はこのマンションのオートロックを突破出来ないので叢雲の力を借りて二階から侵入。この部屋の鍵も果無から供与された装置で突破しているなど、どれもばれれば逆に捕まってしまいそうな違法な方法である。
「確かにこんなのは違法捜査。逮捕なんか出来ないんだが、お前に警察内部に協力者がいるように、こちらにも黒を白にする味方がいるんだよ。
フォン、ここが年貢の納め時だ」
魔は全てに優先する。こんな裏技がなければ、とてもフォンにここまで迫れなかったであろう。
「それはどうかな。ようはここで二人、その存在を消すだけで無問題だ」
犬鉄はフォンと呼び、男も今更否定するようなことは言わない。
犬鉄の自信から、公判を崩せない裏技があることも察知する。
ならばこの状況打破するには、シンプルな暴力しかないと覚悟も決めた。
「お前に軽く言った人間二人の重みを叩き込んでやる」
追い詰め顔を晒させた。これでもう最低限の仕事は果たした。後は怒りをぶつけさせて貰うとばかりに犬鉄は男に飛び掛かっていく。
「久方の人間との格闘戦。堪能させて貰う」
フォンはカウンターを狙うように前に出ることはなく右構えに腰を落とす。
ここに男二人の格闘戦が始まるのであった。
犬鉄が間合いに入る寸前、フォンの牽制に伸ばされていた左の手の先に魔法のように銃が握られる。
「!」
騙し。フォンにまっとうな格闘戦などする気など全くなかった。拳云々とか言っていたのは犬鉄を挑発するのと同時に格闘戦をするものとミスリードする為のものだった。
「いい顔だ」
フォンが引き金を引こうとするより早く銀光煌めき銃が叩き落とされた。
「なにっ」
勝ち誇っていたフォンに生まれた一瞬の隙、その隙に間合いに入り込んだ犬鉄の拳がフォンの顔面にヒットしベランダまで吹っ飛ばした。
殴ってから犬鉄が何だか非難するように振り返ると叢雲は悪びれることなくぬけぬけと言い放つ。
「私、男同士の格闘戦なんかに興味ないから」
叢雲の手には銀光を放つホース状のものが握られていた。これを振るい犬鉄を助けたのである。
「礼は言っておく」
「パフェ、一週間分でいいわよ」
「分かった。給料が入ったらな」
叢雲への報酬が決まると犬鉄はベランダの柵に凭れるフォンに向き直す。
「さてと刑務所なら好きなだけお前の好きなクズ共を観察できるぞ」
「それは興味深い提案だな。
だがこの歳で自由を奪われるのは勘弁願おう」
フォンはベランダの柵に凭れながらも何とか立ち上がるが、その足は生まれたての子鹿のようにぷるぷると震え、もはや格闘戦など出来そうもない。
「お前に逃げ道はないぞ」
「あるさ。地獄で悪の神髄を堪能するさ」
フォンは犬鉄が止める間もなくベランダから飛び降りるのであった。
そして数秒後、暫く耳に残りそうなトマトが潰れるような音を犬鉄は聞く嵌めになるのである。
全てが終わった。
工藤達が逮捕しようとしていた犯罪組織の黒幕と思われるフォンは、その正体が不明のままに自殺。被疑者不明という後味の悪い幕切れとなった。
今一スッキリはしないが後日談。
警察と逃走劇を繰り広げていた獅子神達は無事警察の包囲を突破。その責任を取るという形で後日フォンと内通していた警察幹部は処分されることになる。
工藤達は合谷達のマンションから押収した証拠から合谷達と別の犯罪グループも検挙出来たことで工藤が当初目論んでいた程度の手柄は立てられた。
犬鉄にしても今回の上層部の不祥事を握ることで、ますます自分の独立捜査官の地位を固めることが出来た。
感情は兎も角実利は皆得ていた。
なによりこれ以上の犠牲者が出ることは防げたのだ良しとするべきだろう。
時を戻して今はフォンが飛び降りたマンションに警察車両が集まって現場検証を行い、いつの間にか叢雲には逃げられ犬鉄が一人状況の説明を行っている。
街の夜に静けさを取り戻されるには、まだまだ時間が掛かるようだ。
警察車両が集まっていくマンションとは裏腹に先程までの喧噪が嘘のように収まっていく工場は静まり返り、降り止んだ雨の滴が落ちる音だけが響く。
そこに水を踏む足跡が加わる。
ある意味台風の目の中にいて見事嵐をやり過ごした会計士が安全を確認しつつ一人工場の平屋から出てきたのだ。
会計士が感慨深く見渡せば。
もはや呻き声さえ上げなくなった山田清掃会社の社員達が地面に倒れ。
爆発の中心地のような黒焦げた地面には黒焦げた死体が転がっている。
強者共が己を賭けて戦った戦場に一人生き残った会計士。
その足は何処に向かうのか、一人夜の街に消えていくのであった。
ベランダと言っても人一人くらい寝そべることが出来るほどの奥行きがあり、ちょっとした中庭のほどの広さがある。実際に観葉植物がセンス良く置かれ日の光の下で見れば住人の気持ちを癒やしてくれる。
だが残念なことに時は深夜。部屋の電気は消され月明かりは雲に遮られベランダは暗く輪郭は闇にぼやけてしまっている。
それでも目を凝らしてみれば明らかに床の一部が人間大の芋虫のように膨らんでいるのが分かる。膨らんでいる黒い芋虫から何か筒状の物が飛び出て、ベランダの柵の下の隙間から外に伸ばされている。
黒い芋虫は時々もぞもぞと動きカチカチと小さな音がするだけであったが、動いた。
「なんだっあれは!?」
黒い芋虫が勃起するかのように盛り上がっていき黒い布がはらりと落ちた。
そして晒されるのは片手に望遠鏡、片手にタブレットを装備した男だった。
男のタブレットには、潜ませたセンサーの役割を担った部下達からの送られてくる情報が写しだされている。
例えばチョウバエ。
例えば山田清掃会社の平社員。
例えば合谷達メンバーの名も無き運転手。
例えば検問を実施する一警察官。
続々と送信される情報を的確に分析しつつ伏せておいた手駒を盤上に晒して仕掛けていく。その姿は100手先を読むプロの棋士のようであり、次々と用意した豊富な手駒を的確なタイミングで繰り出し果無を追い詰め王手を掛けた。
その一方で本来ならどこか遠く離れた部屋でふんぞり返っていれば事足りるというのに、出来るだけ生の臨場感を味わいたいと前線を見渡せるマンションに陣取り、望遠鏡で生み出され紡がれていく人間劇場を楽しんでいた。
右脳と左脳で別々のことを同時に出来るような超人的男が驚愕の声を上げたのだ。魔というのはそれだけの衝撃があるというのか、この男ですら魔に接触したことがないというのか。
この男の闇は決して浅くはない。底なし沼のように深く、変質的なまでに人間に興味を抱いている。
いや言い換えよう、人間の闇に興味を抱いている。
恋人同士を策略を用いて別れさせその愛憎劇を楽しんでみたかと思えば、力尽くで彼女を寝取り自分に向けられる男の憎悪に身悶えてみる。
誰も相手されないような女に徹底的に尽くして骨の髄から自分に惚れさせてから、冷たく捨てて、その女が壊れる顔を記録したり。
何の才能も無い画家のパトロンになって、その画家を褒めて煽てて支援して、その自尊心が破裂する瞬間を見て感動したり。
人間の闇を見るためにありとあらゆることをしてきた。その過程で洗脳技術も手にしたし、大金や権力も手に入れていった。そしてその得た力で更に大がかりな仕掛けを施し更なる人間の闇を見る。
最近ではクズどもにクズ行為の競争をさせて、どこまでクズになって行くか見ていた。その過程で裏の高級会員制サイトに動画を上げてクズがクズ行為に何処まで熱狂するか見つつ利益も得ていた。
そんな人間の闇に取り付かれた男が、幸か不幸か元々魔人の数が少ないこともあり今まで出会ったことがなかったが、人間の闇を求める男が人間の闇の極地にとも言える魔人に出会うのは時間の問題であり必然だった。
まさにこの出会いは運命。
男は世界が広がった気分で、思わず感嘆の声を上げてしまったのだ。
最近ではもう少しで人間の闇の深淵に到達出来ると思っていたが、とんだ思い上がりだったと己を恥じる。
人間に更なる底があることに知って感動し、新たなる出会いに心躍っていた。
だが、そこで浮かれてばかりいないのがこの男。
魔に歓喜し一部体の興奮を抑えられないでいたが、左脳が別人のように状況を分析し次の手を模索させる。
あの娘のアジトを突き止める。
男はタブレットで新たなる指令を未だ伏せている手駒に指示しようとして、ばっと起き上がって振り返った。
そこには補助燈すら点いていない部屋の闇にあって闇を弾く犬鉄が立っていた。
「ちっばれたか、意外と鋭いな」
犬鉄は舌打してしまう。気付かれなければそのまま背後から一撃を加えるつもりだった目論見は大きく外された。
油断していたわけじゃない。夜のマンションの最上階のベランダというただでさえ発見されずらい位置取りをしてなお黒の布を被って身を隠す。神経質なまでに己の危険には気を遣う男を相手にするんだ、気配を極力消したというのに察知された。
犬鉄は、この男に対する認識を改めた。
この男、隠れて策を巡らすだけじゃない。実戦を知っている。
「私とて最初からふんぞり返っていたわけじゃない。これでも若い頃は第一線で体を張っていたものだ。
それよりも、なぜここが分かった?」
この部屋は事前に用意していたわけじゃない。
状況の進行からここが一番見渡せると判断してから、拝借した部屋。
オートロックだろうが電子錠だろうが所詮人間が作った物であり、掻い潜るのは簡単なことだった。いきなり部屋に入り込み、部屋の住人達には一切の説明無く暴力で蹂躙し、前菜代わりにとその理不尽さに困惑する顔を堪能した。堪能した後の片付けも忘れていない。後で片付けやすいようにきちんと風呂場に放り込んでおいた。
だから万が一にも住人が助けを呼んだ可能性はない。ならば速やかに蹂躙したが、気付かないうちに不審な音を立ててしまい通報された。その可能性ならゼロじゃない。
男は犬鉄と対峙しつつも己のどこにミスがあったか検証していく。
「別に俺の手柄ではないな。アドバイス通りここいら辺一体の高い建物の上を虱潰しに探していただけだ。
それよりもこの血臭。ここ本来の住人はどこにいった?」
犬鉄はこの作戦が始まると同時に、何があろうと一切この作戦には関わらずフォンの存在を探すことだけに専念するように果無に厳命されていた。
自分から指示したらフォンに動きを悟られる。果無は己の力がフォンに一歩及ばないことを勝負の前に認めた。それ故に犬鉄をジョーカーとして伏せて置くよりも、初めから自分とは完全に独立し思考するハンターにしたのであった。
決して自分を囮に犬鉄を本命にした作戦じゃない。どちらも隙あらばフォンの喉元を食い千切ろうとする猟犬。フォンは知らず、果無一派との戦いでなく、果無一派と犬鉄という個別の敵との戦いになっていたのである。
互いに情報の共有もなく助け合わない。協力し1+1が3にも4にもなることもない。
だが代わりに思考が一つになることもない。あくまで目的を同じくする、二つの別個の思考。
故にフォンは二つの思考を相手しなくてはならなくなり、ファンの1の力は0.5に減らされる。それでも下手すれば簡単に各個撃破されてしまう危険もある賭け。己が指示しなくても勝手に動いて成果を出してくれる犬鉄という己に匹敵する男に出会えたからこそ選ばれた作戦なのである。
実際、マンションの上部を探せとヒントを与えたところで並みの男では下から覗いたところでフォンの存在を見付けられなかったであろう。畳の目を数え切れるような根気と実戦を潜り抜け鍛えられ続けた嗅覚を持つ猟犬犬鉄だからこそ果たせたことである。
尤も協力と個別、どっちも一長一短成功の確率は同じくらい。己に匹敵する男に出会ったとき協力し合うより互いに勝手にやるを選び取ったのは、果無の最後は己一人と思っている心情に寄るところが大きいのかもしれない。
だが断っておくが果無は己一人の力だけを信じる独善ではない。
それが証拠に、マンションの上に陣取るという予測は入手した情報を余すこと無く伝え超感覚計算によって導き出されたもので、己で導き出したわけではない。他人の力を上手く利用するのも男の甲斐性と割り切り、甲斐性を見せるため果無は弓流からの色々な要求を甘んじて受けてもいる。
「ふっ。本来こんな粗暴なことはしたくなかったんだが、だが昔に返った単純な暴力による蹂躙も、まあ悪くなかった。
拳が久方の肉を潰す感触に喜んでいる」
「貴様ッ」
犬鉄の怒りの声と共に部屋の明かりが点き、シャッター音が響く。
「ふっふ~ん。あんたの顔は取らせて貰ったわ。これで闇の底にじめじめ隠れているのは不可能ね」
勝ち誇った声を上げるのは完全に気配を断ち切り潜んでいた叢雲。存在がばれた時点で犬鉄は出来るだけ男の注意を引きつけ叢雲の存在を隠していたのである。
もし叢雲の存在に気付いていたら男はこうも無防備に顔を犬鉄の方に向けていなかったであろう。
「これは一本取られたのを認めないといけないのか。
だが何の捜査令状も通報もなく市民の部屋に無断で踏み込むのは違法ではないのか?」
この男の言う通り、一般市民の家に何の権限もなく踏み込めば違法。裁判でも無効にされる危険性がある。
更に言えば犬鉄はこのマンションのオートロックを突破出来ないので叢雲の力を借りて二階から侵入。この部屋の鍵も果無から供与された装置で突破しているなど、どれもばれれば逆に捕まってしまいそうな違法な方法である。
「確かにこんなのは違法捜査。逮捕なんか出来ないんだが、お前に警察内部に協力者がいるように、こちらにも黒を白にする味方がいるんだよ。
フォン、ここが年貢の納め時だ」
魔は全てに優先する。こんな裏技がなければ、とてもフォンにここまで迫れなかったであろう。
「それはどうかな。ようはここで二人、その存在を消すだけで無問題だ」
犬鉄はフォンと呼び、男も今更否定するようなことは言わない。
犬鉄の自信から、公判を崩せない裏技があることも察知する。
ならばこの状況打破するには、シンプルな暴力しかないと覚悟も決めた。
「お前に軽く言った人間二人の重みを叩き込んでやる」
追い詰め顔を晒させた。これでもう最低限の仕事は果たした。後は怒りをぶつけさせて貰うとばかりに犬鉄は男に飛び掛かっていく。
「久方の人間との格闘戦。堪能させて貰う」
フォンはカウンターを狙うように前に出ることはなく右構えに腰を落とす。
ここに男二人の格闘戦が始まるのであった。
犬鉄が間合いに入る寸前、フォンの牽制に伸ばされていた左の手の先に魔法のように銃が握られる。
「!」
騙し。フォンにまっとうな格闘戦などする気など全くなかった。拳云々とか言っていたのは犬鉄を挑発するのと同時に格闘戦をするものとミスリードする為のものだった。
「いい顔だ」
フォンが引き金を引こうとするより早く銀光煌めき銃が叩き落とされた。
「なにっ」
勝ち誇っていたフォンに生まれた一瞬の隙、その隙に間合いに入り込んだ犬鉄の拳がフォンの顔面にヒットしベランダまで吹っ飛ばした。
殴ってから犬鉄が何だか非難するように振り返ると叢雲は悪びれることなくぬけぬけと言い放つ。
「私、男同士の格闘戦なんかに興味ないから」
叢雲の手には銀光を放つホース状のものが握られていた。これを振るい犬鉄を助けたのである。
「礼は言っておく」
「パフェ、一週間分でいいわよ」
「分かった。給料が入ったらな」
叢雲への報酬が決まると犬鉄はベランダの柵に凭れるフォンに向き直す。
「さてと刑務所なら好きなだけお前の好きなクズ共を観察できるぞ」
「それは興味深い提案だな。
だがこの歳で自由を奪われるのは勘弁願おう」
フォンはベランダの柵に凭れながらも何とか立ち上がるが、その足は生まれたての子鹿のようにぷるぷると震え、もはや格闘戦など出来そうもない。
「お前に逃げ道はないぞ」
「あるさ。地獄で悪の神髄を堪能するさ」
フォンは犬鉄が止める間もなくベランダから飛び降りるのであった。
そして数秒後、暫く耳に残りそうなトマトが潰れるような音を犬鉄は聞く嵌めになるのである。
全てが終わった。
工藤達が逮捕しようとしていた犯罪組織の黒幕と思われるフォンは、その正体が不明のままに自殺。被疑者不明という後味の悪い幕切れとなった。
今一スッキリはしないが後日談。
警察と逃走劇を繰り広げていた獅子神達は無事警察の包囲を突破。その責任を取るという形で後日フォンと内通していた警察幹部は処分されることになる。
工藤達は合谷達のマンションから押収した証拠から合谷達と別の犯罪グループも検挙出来たことで工藤が当初目論んでいた程度の手柄は立てられた。
犬鉄にしても今回の上層部の不祥事を握ることで、ますます自分の独立捜査官の地位を固めることが出来た。
感情は兎も角実利は皆得ていた。
なによりこれ以上の犠牲者が出ることは防げたのだ良しとするべきだろう。
時を戻して今はフォンが飛び降りたマンションに警察車両が集まって現場検証を行い、いつの間にか叢雲には逃げられ犬鉄が一人状況の説明を行っている。
街の夜に静けさを取り戻されるには、まだまだ時間が掛かるようだ。
警察車両が集まっていくマンションとは裏腹に先程までの喧噪が嘘のように収まっていく工場は静まり返り、降り止んだ雨の滴が落ちる音だけが響く。
そこに水を踏む足跡が加わる。
ある意味台風の目の中にいて見事嵐をやり過ごした会計士が安全を確認しつつ一人工場の平屋から出てきたのだ。
会計士が感慨深く見渡せば。
もはや呻き声さえ上げなくなった山田清掃会社の社員達が地面に倒れ。
爆発の中心地のような黒焦げた地面には黒焦げた死体が転がっている。
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中岡いち
ホラー
『 99.9%幽霊なんか信じていない。だからこそ見える真実がある。 』
幼い頃から霊感体質だった萌江は、その力に人生を翻弄されて生きてきた。その結果として辿り着いた考えは、同じ霊感体質でパートナーの咲恵を驚かせる。
総てを心霊現象で片付けるのを嫌う萌江は、山の中の古い家に一人で暮らしながら、咲恵と共に裏の仕事として「心霊相談」を解決していく。
やがて心霊現象や呪いと思われていた現象の裏に潜む歴史の流れが、萌江の持つ水晶〝火の玉〟に導かれるように二人の過去に絡みつき、真実を紐解いていく。それは二人にしか出来ない解決の仕方だった。
しかしその歴史に触れることが正しい事なのか間違っている事なのかも分からないまま、しだいに二人も苦しんでいく。
やがて辿り着くのは、萌江の血筋に関係する歴史だった。
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