糸と蜘蛛

犬若丸

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3章 死神が誘う遊園地

カンダタ、生前 5

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   一先ずは囲炉裏から身体を起こす。少しずつ冷静さを取り戻していた。
   すると、彼女が横から手を伸ばし、俺の頬を捕らえる。水仕事を終えたばかりの両手は冷気が含まれており、熱で火照った肌には心地よかった。
   人並みよりも用心深い俺が彼女の両手を払い除けられずにいた。目前まで迫まった彼女の黒い瞳に見つめられ、緊張で頭が真っ白になったからだ。
   「その瞳の色綺麗ね」
   俺の緊張も知らずに彼女は呑気だ。互いの鼻先が当たってしまいそうな距離、彼女の吐息が頬を掠める。俺は口を半開きにさせて、硬直した。真っ白になった思考は未だに回復しない。
   「あなたの名前、知らないの。私は紅柘榴べにざくろよ」
   彼女があまりにも楽しそうに煌めいた音色で聞いてくるものだから思わず、俺の舌から真名が滑り落ちた。
   「可愛い名前ね」
   目を細めて笑う彼女に卑下した心はなかった。彼女は純粋な関心で俺を「可愛い」と言ったのだ。
   「揶揄うな」
   我に返って彼女の手を払おうとした。しかし、脳を揺らされたような感覚に陥り、起き上がらせていた上半身を支えるのが難しくなった。
   視界がぐらついたかと思えば、次に映ったのは外の庭が横向きになった風景だった。俺は倒れてしまったらしい。軒下から覗く青空が嫌味な程、綺麗に映える。
   彼女は切迫したように話しかけるが、朧げになった俺の意識は熱と夢の世界へと引きずり戻されていった。

   それから三日間。完全に夢には落ちず、熱に支配された身体は自由が効かず、中途半端に残された意識は矜持を傷つけた。
   紅柘榴はこれ以上ないほど看病をしてくれた。噴き出す汗を手ぬぐいで拭き、身体を抱くようにして起き上がらせると薬湯を飲ませた。時折、刀傷の痛みで魘される俺の額を撫でては安らぎを与えた。
   そういった善意がよくなかった。
   孤独を貫き、嘲りを貰いながらも死線を潜った若い青年が今、同じ年頃の娘に飯を食わされて身体を清められている。惨めな経験はいくつもあった。ただ、抵抗もできず、なされるがままに紅柘榴の介抱を受けるのは屈辱的だ。
   彼女に悪意があれば傷ついた矜持を憎悪として生かせた。そして、乗り越えた困難をひと欠片の自信として経験の塵山に重ねられた。そうして出来た塵山を矜持として俺を保っていた。
   だと言うのに、紅柘榴は純真な善意で大事に積み上げたくだらない塵山を呆気なく崩した。
   まるで俺を幼子ような扱いは手厚く優しい。そこに憎悪は抱けなかった。寧ろ、いつぶりかにくれた人の温もり安らぎを得て、撫でる手と春の匂い惹かれつつあった。
   そうした自分と対峙し、俺は恐怖覚えた。彼女は何者かと。
   人食い塀の中に住む彼女は妖や鬼の類ではないか。紅柘榴に触れられ心踊らされる度に疑惑の念が湧いてくる。
    その疑惑が警鐘を鳴らす。「彼女は妖だ」と俺に危険だと知らせる。
   俺は紅柘榴に惹かれる一方で彼女に恐怖を抱いていた。
   そんな葛藤を他所に紅柘榴は誘惑的な笑みを浮かべて、俺の疑惑を取り除こうとする。
   紅柘榴を妖と断言できない。彼女は人間らしいのだ。
   例えば、年中冷え性なのにこの時季になると更に冷たくなって困ると俺に愚痴を溢したり、朝が苦手なのに寝惚け半分で朝餉を用意して危うく盆をひっくり返そうになったりもした。
   「朝餉は用意しなくていい。腹も減らない」
   朝餉を食べる習慣がないのだ。それなのに無理して起きる紅柘榴を見ていると申し訳なくなってくる。
   「病人は食べないと」
   欠伸をしてから言うとまた欠伸をする。寝惚けならがら着付けた襟が崩れている。谷間の端が見えたので目を逸らす。
   紅柘榴には苦手とするものがあり、無防備なところもある。
   それが策略かもしれない。だが、その策に溺れそうになっている自分がいる。
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