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3章 死神が誘う遊園地
カンダタ、生前 11
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遊女は俺の名を呼ぶ。久しく呼ばれていなかったのに懐かしさはなかった。それもそのはずで、俺は最近、紅柘榴にそう呼ばれていることに気付く。そうなると無性に彼女に会いたくなった。
「幸せにおなり」
優しく切ない笑みを浮かべた遊女が囁く。その声色が切なく、消えてしまいそうだった。
洞窟の天井から滴る雫が俺の頰に落ちた。冷たい雫によって頭が冴えわたり、目蓋を開き、身体を起こす。
夢から醒めた俺は洞窟を見渡した。珍しく月明かりが差し込んでいる。今夜は満月なのだろう。
遊女がいた岩肌の壁には誰もいない。月光だけが佇んでいる。
俺は岩陰に隠した包みを開いた。そこにあるのは捨てきれず手元に残して置いたものがある。持ち物はないほうがいい。追われる時があれば身一つだけ持っていけばいい。余計なものは重くするだけだ。
わかってはいるが、捨て切れない。惨めな執着の表れだ。
その包みの中に大切に保管されていったのは硯、筆、掃墨だ。これらは別れ際に遊女がくれたものだ。形見として持ち続けていたが、字を書くことはしなかった。死んだ彼女と向き合うのが怖かったのだ。
今、俺が向き合おうとしているのは赤い着物の彼女とこれから綴ることになる字だ。
これは遊女を裏切る行為だ。それを聞けば遊女はまた小馬鹿にして笑そうだ。
俺の筆を優しく握り締めて心を決める。
まずは字を綴る板か布が必要だ。後は水。海水では掃墨は磨けない。
それらを調達する為、天井の抜け穴を登り始める。身体の気怠さはなくなっていた。
どこまでも澄んでいて、それでいて深い影を灯す赤い瞳を想う。
人との付き合い方を私は知らない。人に好かれる方法も嫌われる方法も知らない。だから、彼が私を嫌い、二度と訪れないことを願う。
昼間の言動に後悔はない。1人の命を救い、守った。その結果に後悔があるはずがない。ないはずなのに胸が痛い。
痛みで憂いた私の瞳からひと雫の涙が落ちた。彼が訪れないことを願っておきながら、その逆のことを祈っている。
不意に黒い蝶が私の肩に止まる。模様のない一羽の蝶。私は花が好きだ。花の上で遊ぶ虫も蝶も。けれど、この蝶は好きになれそうにない。むしろ、怒りのままに黒色の羽を毟りたい。
「泣いているのかい?」
背後から声が響く。聞き慣れた仇の声だ。あいつがあちら側から現世に来たのだ。
「塵が入っただけ」
私は黒蝶を払い振り返る。月光に照らされた蝶男が私に微笑む。
「随分と遅かったのね。珠玉を投げたのは朝だったじゃない」
屋敷の裏にある井戸はあちら側と現世が繋がっている。その紅榴石と水が一緒に汲まれたということは蝶男があちら側から珠玉を投げたということだ。
それは蝶男からの「紅柘榴に会いに来る」という伝言。
「僕がいない間に変わったことは?」
「誰も来なかったわ」
いつもの問いかけに素っ気なく答える。
「うぅん、困ったな。そろそろ人材が欲しいのに。君が殺さなければ研究も進んでいたんだが」
「人食い塀って呼ばれているみたいよ。もう誰も来ないかもね」
「そうか。まぁ人材は後で考えよう。準備ができたら離れに来てくれ」
そう言うと蝶男は寝床から出て行く。
「幸せにおなり」
優しく切ない笑みを浮かべた遊女が囁く。その声色が切なく、消えてしまいそうだった。
洞窟の天井から滴る雫が俺の頰に落ちた。冷たい雫によって頭が冴えわたり、目蓋を開き、身体を起こす。
夢から醒めた俺は洞窟を見渡した。珍しく月明かりが差し込んでいる。今夜は満月なのだろう。
遊女がいた岩肌の壁には誰もいない。月光だけが佇んでいる。
俺は岩陰に隠した包みを開いた。そこにあるのは捨てきれず手元に残して置いたものがある。持ち物はないほうがいい。追われる時があれば身一つだけ持っていけばいい。余計なものは重くするだけだ。
わかってはいるが、捨て切れない。惨めな執着の表れだ。
その包みの中に大切に保管されていったのは硯、筆、掃墨だ。これらは別れ際に遊女がくれたものだ。形見として持ち続けていたが、字を書くことはしなかった。死んだ彼女と向き合うのが怖かったのだ。
今、俺が向き合おうとしているのは赤い着物の彼女とこれから綴ることになる字だ。
これは遊女を裏切る行為だ。それを聞けば遊女はまた小馬鹿にして笑そうだ。
俺の筆を優しく握り締めて心を決める。
まずは字を綴る板か布が必要だ。後は水。海水では掃墨は磨けない。
それらを調達する為、天井の抜け穴を登り始める。身体の気怠さはなくなっていた。
どこまでも澄んでいて、それでいて深い影を灯す赤い瞳を想う。
人との付き合い方を私は知らない。人に好かれる方法も嫌われる方法も知らない。だから、彼が私を嫌い、二度と訪れないことを願う。
昼間の言動に後悔はない。1人の命を救い、守った。その結果に後悔があるはずがない。ないはずなのに胸が痛い。
痛みで憂いた私の瞳からひと雫の涙が落ちた。彼が訪れないことを願っておきながら、その逆のことを祈っている。
不意に黒い蝶が私の肩に止まる。模様のない一羽の蝶。私は花が好きだ。花の上で遊ぶ虫も蝶も。けれど、この蝶は好きになれそうにない。むしろ、怒りのままに黒色の羽を毟りたい。
「泣いているのかい?」
背後から声が響く。聞き慣れた仇の声だ。あいつがあちら側から現世に来たのだ。
「塵が入っただけ」
私は黒蝶を払い振り返る。月光に照らされた蝶男が私に微笑む。
「随分と遅かったのね。珠玉を投げたのは朝だったじゃない」
屋敷の裏にある井戸はあちら側と現世が繋がっている。その紅榴石と水が一緒に汲まれたということは蝶男があちら側から珠玉を投げたということだ。
それは蝶男からの「紅柘榴に会いに来る」という伝言。
「僕がいない間に変わったことは?」
「誰も来なかったわ」
いつもの問いかけに素っ気なく答える。
「うぅん、困ったな。そろそろ人材が欲しいのに。君が殺さなければ研究も進んでいたんだが」
「人食い塀って呼ばれているみたいよ。もう誰も来ないかもね」
「そうか。まぁ人材は後で考えよう。準備ができたら離れに来てくれ」
そう言うと蝶男は寝床から出て行く。
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