糸と蜘蛛

犬若丸

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3章 死神が誘う遊園地

痛みの共鳴 2

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  「何を言ってる?娘なんていないだろ?」
   昌次郎の言う通り。私に娘はいない。
   「ママァ」
   なら、この声は?この泣き声は誰のもの?
   「エマ、君はエマだ」
   そうだ、私はエマ。昌次郎の妻。私に娘はいない。
   「復唱するんだ。“私はエマ” “娘はいない”」
   「わたし、は、エマ」
   電話の向こう側で女の子が泣き叫び母を呼ぶ。
   「むすめ、は、いな、い」
   「そうだ。さあ、もう一度言ってごらん」
   「私はエマ。娘はいない」
   さっきよりもスムーズに喋れた。
   「愛してるよ、エマ」
   「私も」
   愛してる。
   そう言おうとしたのに言葉が詰まった。
   「くっふふふふふ」
   電話の向こうで泣いていた女の子が笑い出した。
   「馬鹿だねぇ」
   ママ、ママと泣いて呼んでいた女の子と同じ声。なのに、全くの別物に聞こえた。
   「捨てたフリをして、独りが好きなフリをして、自分を偽ってまで。次は人格を捨てるの?」
   それは誰の言葉?どこかで言われた。
   オキテ。 
   見えない誰かが私に囁く。女の子のものではない。
   オキテ。
   この声を知っている。鬼みたいな姿で、不確かで、食い意地があって、安心する。あたしの白い隣人。
   オキテ、ルリ。
   泣いて縋るような囁き声。私は立ち上がって周囲を見渡す。けれど、白い隣人はどこにもいない。
   「どうしたんだ?」
   挙動不審になった私に彼が戸惑う。
   「行かないと」
   「どこに?」
   わからない。けれど、ここにいてはいけない。それだけはわかる。
   「探しに行かないと」
   内側から募る思いをそのまま口にして踵を返す。
   行かないと。待ってる人がいる。
   「待ってくれ!」
   彼が私の手首を掴む。どこかへ走っていきそうな私を止めた。
   「俺を独りにしないでくれ!」
   私を留まらせたい彼の手は強く握られていて、惨めに上目遣いで迫る。
   「愛してる、エマ」
   その言葉の一句一字、一呼吸が鳥肌を立たせた。腹の底から来る拒絶。それをそのまま態度で示す。
   「触らないで!」
   掴まれた手を振り払おうとしてみるも男性の力では敵わない。
   「エマ!愛してるんだ!エマ!」
   「違う!」
   「エマ!君はエマだ!」
   そう、私はエマ。
   彼がエマを肯定させるように言い聞かせ、脳がそれを同意する。しかし、奥底にある何かがそれを拒絶する。
   「放して!」
   否定も肯定もできずにいる。
   脳内が「私はエマだ」と叫ぶ。「エマ」が私を包もうとする。
   私はエマ。昌次郎の妻。私に娘はいない。私は彼を愛してる。私は、私?
   「エマ!」
   「やめて!」
   その手を離して欲しくてテーブルナイフを握った。
   「ママ!」
   どこからか女の子の泣き叫ぶ声が聞こえた。



   トタンの屋根を雨粒が叩く。湿気を含んだ畳の臭い。
   高級レストランの背景は一瞬の瞬きで入れ替わり、ボロアパートの狭い部屋に立ち尽くしていた。
   「エ、マ」
   目の前の男は昌次郎ではなくなっていた。青年の胸に赤く染みた液体。あたしが握っていたテーブルナイフはサバイバルナイフに形を変えていた。
   刃渡り15㎝のサバイバルナイフから青年と同じ液体が滴っている。
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