糸と蜘蛛

犬若丸

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4章 闇底で交わす小指

胚羊水 6

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 回廊に響く脈打つ音は静かなもので、嫌に耳に残ってしまう。語る言葉はないものの、生きているのだと主張している。まるで、体内にいるみたいだ。
 白糸は便利なもので他人の居場所までもわかるらしい。
 清音を思い浮かべれば、赤い糸が瑠璃の目に移り、清音がいる場所を示してくれる。
 その糸を頼りに回廊を進むとナースステーションに着く。棟を隔てる連絡通路の扉に瑠璃が手をかける。
 「開かない」
 呟くように言った。
 「鍵を探さないとな」
 あるとしたらナースステーションだろう。瑠璃は先にそちらへと向かったが、カンダタはある病室に意識を向けていた。
 カンダタを呼ぶ声がする。それは赤子の泣き声で言葉すら持っていない。不確かな声は病室から聞こえてくる。
 脈打つ音。それが胎動だと認識したのは赤子の泣き声がその部屋から聞こえてきたからだった。
 導かれるように歩くカンダタに瑠璃は怪訝に呼ぶかけるも、その声は耳に入らなかった。
 病室の戸からは一筋の光が漏れている。戸を開くと溢れる光に包まれた。
 廃病院とは思えない暖かな空気が病室に流れていた。小さな寝台が並び、その中で赤子が安らかな寝息をたてている。
 出産直後の赤子たちの足首には名札が巻かれ、母親に抱かれるのを夢の中で待つ。
 カンダタを呼ぶ泣き声の主は部屋の奥にいた。
 花丸紋の赤い着物と濡烏色の長髪。大事に抱えている子は母に縋るようにして泣いている。
 彼女は笑みを称え、泣く赤子をカンダタに差し出す。
 その笑みが幸福に満たされていたのでカンダタも幸福に満たされ、ほくそ笑む。
 差し出された赤子を抱こうと腕を伸ばす。泣いている赤子もカンダタを求めているようにも見えた。
 「カンダタ!」
 耳を劈いたのは瑠璃の怒声だった。
 白昼夢から覚めたような感覚だ。光はなくなり、胎動する暗い静寂がカンダタの視覚と聴覚に戻ってくる。
 瑠璃は目の前の赤子に向けて消火器という鈍器を叩きつけた。赤子の頭が潰れ、女性と共に床に崩れ落る。
 短い悲鳴がカンダタから上がった。瑠璃の蛮行を止めようと肩を掴む。それすらも瑠璃は振り払い、消火器の底をカンダタの顎にぶつけた。
 「しっかりして!」
 痛覚よりも衝撃が先にきた。眩んだ脳は暗くなった周囲を明確にとらえる。
 赤子も彼女もいない。目と鼻、皮がない小さな人の形をした物体が寝台から起き上がり、カンダタと瑠璃に集ろうとしていた。
 カンダタの前にいるのは看護婦の格好した屍人であり、人とは思えない咆哮をその屍人はあげた。
 看護婦が覚束ない足取りで、赤子の物体は這いながら、カンダタたちに集ってくる。屍人に囲まれてしまう前に走り出していた。
 病室を抜け、ナースステーションまで走る。瑠璃は振り返り、密集した群れを見据える。
 赤子と看護婦の屍人の群れ。何かを求めるように迫ってくる。その異形に計り知れない恐怖を感じた。
 カンダタは連絡通路の戸に手をかける。瑠璃では開かなかったはずの戸が簡単に開かれた。
 同時に廃病院内の全ての戸が開かれ、中から屍人が溢れてくる。
 目玉が抜けた2つの穴はカンダタではなく、瑠璃を見つめていた。赤子に似た物体たちは生体を持つ者を求めているのだ。
 産まれるはずだった命。産まれるのを望んだ子供たち。
 今もそれを望んでいる。だから、唯一「生」を持っている瑠璃を求める。
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