糸と蜘蛛

犬若丸

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5章 恋焦がれ巡る地獄旅行

絡まる思慕 2

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 屎尿の沼は熱気を孕んだ泡を吹き、気温を上げる。
 弾ける泡に含まれていたのは熱気だけではない。小さくか弱い「助けて」の言葉を静寂の中から聞き取った。
 人の声にカンダタの意識は農夫から肥溜めに移る。あの声は気のせいかと、ぶくぶくと鳴る泡に視覚と聴覚を集中させた。
 泡が弾け、「苦しい」の細い声が耳に届く。1つ、2つ声が聞こえると無限に吹く泡から虫のような人の声が次々と聞こえる。
 上澄みと屎尿の底にあるものを想像しながら身を乗り出す。
「カンダタ」
 冷静な呼び声に我に返る。だが、遅かった。
 肥溜めの水面から細い腕が伸び、カンダタの足首を掴まれた。
 屎尿の底に沈んでいた囚人が泡と共に上がり、近くにいたカンダタを捕まえた。
 それは刹那の出来事であり、呆然としていたカンダタは反応できなかった。
 足元から均衡は崩れ野壺の縁に腰を打ち付け、そのまま肥溜めの中へと引きずり込もうとする。
 ケイはカンダタの襟首を掴み、上へと引っ張りながら刀を持った手で弧を描く。囚人の細腕では小枝の如く脆く、切断面は綺麗な円を作る。カンダタの足首には屎尿に塗れた囚人の手が残された。
 次の囚人が沼から上がってくる前にカンダタとケイは蔓へと急ぐ。
 腰が引いているものの引きずらなくてもいいとケイは判断し、手を離す。そして、カンダタよりも先に蔓に足をかけ、その軽い身のこなしでひょいひょいと昇っていく。
 カンダタもケイに続く。ケイほど速くは登れないが、木登りが得意なほうだ。
「瑠璃たちだ!」
 管にまで到達した光弥が声を張る。ケイとカンダタは反射的に目線を上げた。その先には管の上を走る瑠璃と清音がいた。走る姿はどこも支障はなく、元気を有り余しているようだ。
 無事であることに間違いはないのだが、カンダタには走る姿に不審になった。
 瑠璃たちは何かから逃げているのか?だから走っているのか?
 逃避というからには2人を追う者がいる。しかし、それがどこにもいない。ならば二人はなぜ走るのか?何を急かしているのか?
 瑠璃と清音は目の前のことにしか集中できず、光弥が大声で呼びかけるも反応が返ってこない。
 清音が先に立ち、振り返れば瑠璃を見て怯えた表情になる。瑠璃は清音に手を伸ばしながら鬼気迫った形相で走っている。
 清音は瑠璃から逃げている。遠くにいる2人の様子からそういった憶測をたてる。憶測と言うよりもどこからどう見てもそうとしか見れない。
 ケイは2人を捉えると人並み外れた速さで蔓を登りきり、管の上を走って瑠璃たちへと向かう。
 カンダタも急ごうと止めていた手足を動かし、目は瑠璃たちを追う。ただならぬ2人の様子から目を離してはいけないと汗が訴えていた。
 追う者と追われる者とでは前者のほうが早く、瑠璃は清音の肩を掴み、力任せに身体の向きを変えさせた。
 肩を掴んだまま瑠璃は怒鳴り散らかしている。かなり興奮しているのか、清音の肩を乱暴に振り、重心が大きく揺らされる。清音は首を左右に振り、何か拒絶しているようであった。
 瑠璃らしくもない横暴さに訝しむ。
 瑠璃は更に興奮すると空いているほうの手で首を狙う。それを拒もうとした清音が襲ってくる手を捕えた。
 そうなってくると2人の揉み合いは激しくなる。今更、冷静には戻れない。
 追い詰める瑠璃に対して清音はひたすら拒絶し、瑠璃から離れようとする。清音が一歩下がれば瑠璃が一歩追い詰める。互いが掴み合い、2人の足が絡む。
 絡まった脚は身体の支えを失くし、傾く。揉み合ったままの状態では均衡を直せるはずもなく、2人は管から滑り落ちる。
 清音を呼ぶケイの声が張り上がった。カンダタは唖然となってその光景を眺めていた。
 ケイの声が遠くに聞こえてくる。生々しい悪臭が漂う静寂に絶叫も悲鳴も上げない2人は静かに落ちていった。
 落下した2人は夢実草が生えている苔の上に叩きつけられた。
 ぶくぶくと泡吹く水面に大粒の雨粒が弾けたような衝撃が波紋を作る。
 唖然となったカンダタも我に返った。
 蔓から手を離し、野壺の縁に着地する。天井ではケイが管の上を走り、瑠璃たちがいた場所へと向かっていた。なのでカンダタは下から行こうとした。苔玉を跳んでいけば2人のもとに行けると判断した。
 「根っこに刺されるなよ!」
 苔玉に跳ぼうとしたカンダタの姿勢に光弥が察したのだろう。大声で警告する。
 野壺の縁から身体を跳ねて、間近にあった苔玉に着地した。浮いているだけの軽い玉はカンダタの重りで大きくぐらつく。茎に掴まり、身体の重心を傾け耐える。
 思わず、夢見草の茎に触れてしまったが、大丈夫だろうか。
 光弥は根のことしか言っていなかったので、茎や花粉に接触したとしても影響は無いのかもしれない。
 根に刺されるなと言っていたが、そうしたものは見当たらない。表面に苔の草が茂っているだけだ。これを掘らない限りは出てこないだろう。
 足元の凝視していると苔玉の内側から意思を持った触手のようなものが草の合間を縫いながらと這って出てきた。これが夢見草の根だと瞬時に理解する。
 地を這う根はカンダタの熱を感知し、足に絡みつこうとする。カンダタは蹴り払い、捕われる前に別の苔玉へと飛躍する。
 瑠璃たちの所まであと3、4つの苔玉を経由していかなければならない。
 落下した時の衝撃のせいか2人は気を失い、大玉の上で倒れたままだ。
 あの高さならば大きな怪我はしていないだろう。だが、気絶した2人をあの根が這い寄る。
 一刻も早く2人を助けなければならない。また1つカンダタの焦りが蓄積される。
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