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1章 神様が作った実験場
ずれ 3
しおりを挟む安全を確認しながら、時にはカンダタが鬼を殺したりして進む。思いのほか役に立ったのはハクだった。ハクはあたしやカンダタよりも感覚が鋭く、聴覚や嗅覚はあたしに危険を知らせ、その情報をカンダタと共有する。ハクが見えないカンダタからしてみれば、あたしが超感覚の持ち主と思われていたかもしれない。
カンダタが賛美と畏れの表情をする度にあたしは言った。人に尊敬されるより、近寄りがたい畏怖対象になりたかった。
道中、カンダタは地獄について、まだ錆が残っている喉で教えてくれた。
カンダタ以外の人はいないようであたしが初めて出会った人だということ、鬼は休息する時は光を避ける、死んだり、寝たりすると目覚めた場所に戻る、何度も挑んだが空の穴には着けない、彼の待ち人は赤い花柄の着物を着てそれ以外は思い出せない。彼の妄想癖は酷いようね。
そうして、何時間も歩いているとあたしの脚が限界を迎える。
「さすがに疲れたわ。休みましょう」
またかとカンダタは呆れていた。隣にいるハクも同じような反応ね。
「あのね、あたしはあんたたちみたいに化け物じみていないの。そんな歩けるはすないでしょ」
あたしの言い分は正しい。2度目の休憩から3、4時間ぐらい経っている。時間が計れないけれど、体感ではそのぐらい経っている。なのに、こいつらは疲弊した様子もない。
仕方がないといった様子でカンダタは休める場所へと連れて行く。
それなりに大きいビルの百貨店。そこの正面玄関のベンチに座り、脚の負担がなくなった解放感を味わう。カンダタも少しの間だけなら休めばいいのにガラスに寄りかかって物思いに耽る。
この百貨店は来たことがある。ここの出入り口はひとつしかなく、その玄関口は四方がガラス張りになっているからどこからでも外の光が注がれている。
その分、百貨店は暗かった。最上階以外の窓がなくて、電光も付いていないから暗くなるのは当然よね。
「ねぇ、最長でどこまで行ったの?」
カンダタには色々と教えてもらったけれど、距離に関してまだ聞いていなかった。
「さ、あ?」
彼の返答は素っ気なかった。あたしが色々と質問したお陰で拙い発音や声量が低いといったことは少なくなった。短い返答がきたのは単にわからないのね。
数字が計れないって案外、不便よね。この百貨店には来たことがあるからあたしたちの位置は知れたけれど、時計がないから時間経過も鈍く感じるし、どこまで行けばいいのかも把握できない。
カンダタから建築物の特徴を聞いて行けばどこまで行ったかわかるかも。
あたしはまたカンダタに聞いてみた。彼は首を傾げて拙い説明で見た目の特徴や覚えている限りの地名を教えてくれた。
そこがどこなのかと大体の位置を把握して、底知れない絶望があたしを覆う。カンダタの言っていることが正しければ徒歩で行けば半月は経つ。
「眠ったり、気絶したりするといちから戻るって言ったわよね。それだと半月も寝ていないことになるわよ」
「ねむけは、ない、しょくよく、も。じっと、していると、ねむく、はなる」
「そういうのを眠気って言うんじゃないの。実際にあたしはこんなに疲れてる」
「それは、き、みの、かって」
「あたしはね、まともなことを言ってるのよ。人が半月も寝ずに食わずに歩き続けられるはずがないでしょ。あなた痴呆だけじゃなく体感も狂ってるんじゃないの」
ここまでの道のりで口の悪さには慣れてしまったみたいで、これ以上は言い返さなかった。
半月も歩き通し。いや、半月経ってもたどり着けなかったからそれ以上になるわね。それをカンダタが繰り返していたの。すごい根性ね。
「ここに、くる、まえは、どんなだった?」
カンダタが話を振ってきたのは初めてね。あたしに背を向けたままでその感情は読み取れなった。
「何よ、いきなり」
「はなし、をして、いないとねむって、しまいそうで」
「ふうん」
やっぱり、眠いんじゃない。
プライベートについて話す気はなかった。でも、カンダタが眠って戻ってしまうのは困る。そこであたしは現世の時代について話すことにした。
「そうね、カンダタがいつの時代の人かわからないけれど、豊かになったわよ。科学が進んで経済がいっきに成長して、いろんなことが起きた」
「いろんなこと?」
「それは、えっと、東京でオリンピックが開催されたり」
なるべく、歴史を語った。カンダタに現代を教えるのは難しいと判断した。
「とうきょって」
ああ、もう。東京がわからないのね。日本史は苦手なのに。授業や教科書に書いてあったものを引き出す。確か、明治時代に首都にしたから。
「首都、都よ。明治の前が江戸だから、江戸はわかるわね」
「ごめん」
「あんたいつの時代人なのよ!」
江戸も知らないとしたら100年どころの話じゃない。この男は本当の意味で悠久を過ごしていたのね。名前も言葉も忘れるのも納得がいく。
声を荒げたあたしにカンダタは驚いていた。100年以上過ごした彼にとって大した問題でもないみたいね。
そんな大きなずれに沈黙が流れた。あたしの薄っぺらい知識では彼が生きた時代を聞き出せない。カンダタも生前の記憶が曖昧だ。
あれ、だったら、その土地名も覚えていないんじゃない?東京も江戸も忘れるだけ?
カンダタから何か聞き出せないかとあたしは口を開く。しかし、カンダタは人差し指を唇に当てて合図を送る。
ハクもカンダタも何かを察知していたようだったけれど、あたしにはそんな危険感知はなかった。
沈黙の中で次第に聞こえたのはピシリピシリと響く謎の音。この音の正体を想像してみる。
この透き通った響きはヒビが入る音。ハクが空を仰いで吠え出す。
「ねぇ!上に!」
あたしが伝えてカンダタが見上げる。鬼はガラスの天井に四つん這いになっていた。
金属音の吠え声を放って、両の鉤爪でガラスに圧をかける。老朽化が進んだガラスにヒビが広がる。
カンダタはあたしの腕を掴み、百貨店の中へと逃げる。ガラスが砕けて破片と共に鬼が降りたつ。
逃がさないと雄叫びが空気を揺らす。その声を背にしてカンダタが立ち止まる。
光が遮断されているせいで活気良く繁盛していたのに百貨店はその真逆のものが支配していた。途方もなく、続く暗闇にあたしたちはたじろぐ。
「あ、」
カンダタから痛恨の念が漏れる。
「1体ぐらい余裕でしょ」
「いや」
闇しかないはずのその中にいくつもの眼光が狂気じみた星空のように煌めく。
「いっ、たい、じゃない」
背後には鬼、目前には散らばった餓鬼の眼光。あたしたちは袋小路に追い詰められていた。
逃げ場がないように思えたけれど、ハクがひと声鳴く。影が深く構内なのに、白い姿がはっきりと捉えられた。
ついて来い、と言わんばかりに鳴いて、エスカレーターを駆けあがる。こんな状況では選択肢もない。あたしは迷わずにハクを追う。カンダタからしてみればあたしが一人先走ったようにしか見えていなかった。
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