糸と蜘蛛

犬若丸

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1章 神様が作った実験場

魂のプログラム 8

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  時間が進むにつれて胸の締め付けと冷や汗は治まったが、胃の捩じれだけはまだそこに残っている。
  胃痛に悩まされながらも、なんともない様子で寝転ぶ。カンダタは静かに待っていた。
  カンダタを処分するとしても、この牢ではやらないだろう。準備ができ次第、カンダタを移動させるはずだ。好機はそこしかない。
  狸寝入りを決め込んで見張りに背を向ける。しばらくすると、扉が開いて、見張りではない別の声が聞こえてくる。好機が来た。
  「そろそろ時間だ」
  入ってきた男が見張りとカンダタに告げる。
  カンダタは敢えて頭と肩を垂らして、ゆるりとした動作で身体を起こす。諦めて運命を悟った男になりきった。
  「早く来い」
  鈍間なカンダタに男が苛立つ。入ってきた男とカンダタが鉄格子越しに対峙する。その男は両目がなく、代わりに穴から生えていたのはいくつかの花で、不快感を抱かせた。
 その不快感も隠さずに表情に表して、怠く睨む。
 なんだよ、こっちはこれから頭蓋骨に穴を空けられるんだぞ。抵抗しないだけでもありがたいと思えよ。そういった言葉を態度で伝える。カンダタと花顔の間で執り行われた苛立ちの押し付け合いが警戒というものを薄めた。
 見張りが牢の鍵を取り出す。懐へと伸ばす手を一瞥して、目を逸らす。座敷牢を潜るくぐると花顔が手を差し出せと要求する。手枷をするようだ。
 渋々、手を突き出して、手錠をその手にかけようとする。その直前、カンダタは花顔の虚を突いた。
 縄がカンダタの手に触れた一瞬、さっと手を引いた。宙を掴んだ縄に花顔の思考は一時的に止まった。前かがみになった体勢の修正と状況整理をその一瞬で済ませようとする。たった一瞬の隙は拳を送るのに丁度よかった。握られた拳は花顔の鼻頭を潰し、痛みと混乱によって後ろの椅子へと凭れる。
  抵抗を始めたカンダタを見張りが見逃すはずもなく、捕えようと手を伸ばす。その魔の手を躱すと逆に見張りの手をカンダタが捕まえる。右腕で見張りの腕を絡ませ、左手で帯を掴む。そして、そのまま左回りで身体を回転させると見張りを牢の中へと放り込む。
  見張りが立ちあがって来る前に花顔の襟を掴んで、見張りの上へと投げる。重なってきた花顔に見張りがどくように怒鳴るも、彼は呻いてなかなか動けずにいた。折れたと花顔は訴える。そこまでやった覚えはないが、謝るつもりもない。
  あたふたと慌てる2人の様子に笑いながら、くすねた鍵で戸を閉じる。そして、その鍵を格子の中へと高く投げた。鈍色の弧を描く鍵は窓枠の池へと着いて、金の蓮の隣で水没した。今までの鬱憤を少しだけ返せた。
 その後の2人の行動を拝めなかったのは惜しかった。それも仕方がないだろう。脱走したからには素早く行動しなければならない。
  カンダタは唯一の入口である階段を駆け上がり、座敷牢と外を繋ぐ戸を開ける。薄暗かった座敷牢と比べてその回廊は眩しかった。天井の細長い電光を睨む。
 太陽を除いて強い光はしらない。空の穴は高く遠くにあったのに、この光は間近にある。近すぎて倦厭してしまう。
 人工的な光に目は慣れようとするも、そんな合間もなく、回廊の隅から隅へと警報が響く。どういうわけか脱走したのを悟られたらしい。
 帯刀した白い羽織の者たちが左側から走って来る。必然的に右へ逃げる。
 細長い電光、気でも石でもない白い壁、少しべたつく緑の床。あの座敷牢はカンダタの知っている世界だったのに、知らない素材でできたこの回廊は近未来そのものだ。古い時代人であるカンダタにとってはそう捉えられた。
   迫ってくる者たちは袴と小袖、白い羽織、刀といった馴染みがあるものなのに彼らを取り囲む壁や床は時代を越えてその場にいる人物を置き去りにする。
 いや、置き去りにされているのはカンダタだけだった。追手たちはそこに意識を持った時から時代錯誤の環境に順応し、寝殿内の構造も把握していた。
 だからこそ、彼らがすぐにカンダタを捕縛しなかったのは不可解であった。カンダタは知る由もないが、スマホという連携手段を彼らは持っていた。それを使えばカンダタを挟み撃ちにもできた。
 追手たちは敢えてそうした。少人数でカンダタをある場所へと誘導していたのだ。そうとも考えずに、カンダタは十字の角を右へとまがり、地下の奥へと誘われる。走って行くうちに倦厭していた電光が薄まり、光は足元を照らすだけで天井から降る白光は消えていく。
 カンダタが誘導されたのは一面がガラス張りとなった回廊だった。追われた身でありながらそこにあるものに目を奪われる。ガラス張りの向こうにある風景を眺める。
 巨大で人工的な一枚がそこに建っていた。鉄製の歯車を知らないカンダタにとってそれはより一層奇妙に回る平たい一枚岩に見えた。その岩間から浮かぶ光の玉が美しく、悍ましく飾り、カンダタはその光に魅かれる。
 ガラス張りに手をあてて、底と点を覗く。歯車の塔は凸凹の岩肌に囲まれて暗い天井へと続いている。底は対照的で、光で満たされる。光弥の話では現在地は地下にあり、瑠璃は地上にいる。大池の水上に建っているのならばカンダタは水中にいる。
  このガラスを破って水上へと行けないかと考えたが、岩肌には一滴の水がない。上につながっているのならば池の水が流れくるはずだ。それがないなら、岩肌を登っても無駄だろう。
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