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6章 盤上の外で蜘蛛喰い蝶は笑う
孤独な家の中 1
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冬を超えたばかりの涼しい風がさらさらと流れ、黒髪を揺らした。そよ風に流れて聞こえてくるのは赤子の笑い声。言葉にもならないそれに母親は声を弾ませて相槌をする。
冬超えの楽しい談笑に導かれるようにして縁側に立った。
彼女は庭に立ち、前後を揺らして赤子の機嫌をとっている。
懐かしい。縁側も移り変わる季節の風景も春の匂いも。
今までのものは悪夢だった。とても長い悪夢を見ていたのだ。
今、ここにいる彼女が現実だ。
胸に支える(つかえる)不安を取り消したい。紅柘榴と子供の顔を見て安心したい。
縁側から降り、腕を広げ2人を抱きしめようとした。名を呼ぶと紅柘榴は赤子を守るように抱きしめて泣き始めた。こちらを見る彼女の顔は春の笑みは欠片もなく、恨みをありありと露わにする。
涼しいだけの風は体温を奪う凍えたものになり、日差しは陰り夜を迎える。
「お前のせいだ」
紅柘榴の口から呪詛が吐かれた。
腕に抱いた赤子は黒く変色し、肉が腐り落ちる。
左右の北風が吹き荒れ、体温を削り、感情を削る。
「お前のせいだ」
それは繰り返し、呪いを重ねていく。
カンダタが目を覚ました時、凍える風はなかった。目に入るのは石の天井しかなく、仰向けとなって寝ていた。
夢の中の呪詛が耳に残り、カンダタの奥深くに刻まれている。
仰向けになったまま腕を広げ何かを抱きしめようとするが、大切なものはどこにもなく、腕は中途半端な高さで止まった。
細かい擦傷だらけの汚れた手だ。この手で抱きしめようとした人たちに拒絶された。原因はカンダタの業によるものだ。
視界に映る石の天井を隠すように手の平で目を覆い、作り出した暗闇に身を委ねながら深く息を落とす。
涙と嗚咽が流れそうになる。紅柘榴の呪詛が反復し、変色した赤子の姿が脳に焼き付いている。
病的な夢の回想に感情を奪われないように無心となり、数を唱えた。1から10まで時間をかけて数える。そうしているうちに目蓋裏にこびりついた夢の風景が薄れ、同時にカンダタの感情をなくしていった。
怠くなっていた身体を起き上がらせる。石で囲まれた四角い部屋の中にカンダタはいた。
気絶していたのだろうか。石の部屋に関連する記憶がない。
目覚める寝る前カンダタはどこにいたか。感情的になった思考を切り替えれば記憶を巡るのは速かった。
カンダタと瑠璃は地獄の第六層まで来ていたが、清音たちの妨害により瑠璃とはぐれてしまった。そして、奇妙な出来事が重なり、清音の背中から同じ年頃の少年となって現れたのが赤眼の子だった。
そこからどうなったかといえば、記憶が朧げだ。崩れる天井と崩れる床。視界が瓦礫だらけになる中、その隙間に瑠璃の後ろ姿。
記憶として残っているのはそのぐらいだ。
この場所は第6層なのだろうか。それにしては雰囲気が違う。
ビルの群生が続き、その先にあったのはシャンデリアで飾られたダンスホールであった。このような石の部屋はなかった。それに体感で伝わる気温も違う。冷気がない。
これまでの経験で言えば各層によって空気は違っていた。崩壊に巻き込まれ、その拍子に次の層に落ちた。それが出した結論だ。
瑠璃や光弥、清音、赤目の子もあの崩壊にいた。無事であることを願いながら石の部屋から出る。
一見、窓も扉もない絶望的な箱の部屋だ。だが、壁に手をつけ、入念に探ってみれば暗さのせいで見えなかった一本線のような凹みがあった。
そこを押し込んでみれば、壁の内側から引っ掛かりが取れる音が鳴り、隠れていた扉が開いた。
開いた隙間から冷たい液体が流れ、カンダタの足首を濡らす。唐突の冷気に吃驚するが、体温を奪う程ではない。
周囲は洞窟のように暗く、部屋の外は薄い水が張っており、水平線がどこまでも続いていた。石の部屋は外装が綺麗に切り取った飾り気のない四角い箱のようだった。
「瑠璃、どこにいる?」
声を上げてみれば反響して返ってくる。
名を呼び、あてもなく見渡す。返ってくるのは谺ばかりでカンダタは孤独であると知らせるだけだった。
先に目が覚めて行ってしまったのだろうか。
独りでいることに不安があるわけではない。ただ隣いると心強くなれる、気がする。
「瑠璃」
水平線に向けてまた呼ぶ。結果は同じだ。
冬超えの楽しい談笑に導かれるようにして縁側に立った。
彼女は庭に立ち、前後を揺らして赤子の機嫌をとっている。
懐かしい。縁側も移り変わる季節の風景も春の匂いも。
今までのものは悪夢だった。とても長い悪夢を見ていたのだ。
今、ここにいる彼女が現実だ。
胸に支える(つかえる)不安を取り消したい。紅柘榴と子供の顔を見て安心したい。
縁側から降り、腕を広げ2人を抱きしめようとした。名を呼ぶと紅柘榴は赤子を守るように抱きしめて泣き始めた。こちらを見る彼女の顔は春の笑みは欠片もなく、恨みをありありと露わにする。
涼しいだけの風は体温を奪う凍えたものになり、日差しは陰り夜を迎える。
「お前のせいだ」
紅柘榴の口から呪詛が吐かれた。
腕に抱いた赤子は黒く変色し、肉が腐り落ちる。
左右の北風が吹き荒れ、体温を削り、感情を削る。
「お前のせいだ」
それは繰り返し、呪いを重ねていく。
カンダタが目を覚ました時、凍える風はなかった。目に入るのは石の天井しかなく、仰向けとなって寝ていた。
夢の中の呪詛が耳に残り、カンダタの奥深くに刻まれている。
仰向けになったまま腕を広げ何かを抱きしめようとするが、大切なものはどこにもなく、腕は中途半端な高さで止まった。
細かい擦傷だらけの汚れた手だ。この手で抱きしめようとした人たちに拒絶された。原因はカンダタの業によるものだ。
視界に映る石の天井を隠すように手の平で目を覆い、作り出した暗闇に身を委ねながら深く息を落とす。
涙と嗚咽が流れそうになる。紅柘榴の呪詛が反復し、変色した赤子の姿が脳に焼き付いている。
病的な夢の回想に感情を奪われないように無心となり、数を唱えた。1から10まで時間をかけて数える。そうしているうちに目蓋裏にこびりついた夢の風景が薄れ、同時にカンダタの感情をなくしていった。
怠くなっていた身体を起き上がらせる。石で囲まれた四角い部屋の中にカンダタはいた。
気絶していたのだろうか。石の部屋に関連する記憶がない。
目覚める寝る前カンダタはどこにいたか。感情的になった思考を切り替えれば記憶を巡るのは速かった。
カンダタと瑠璃は地獄の第六層まで来ていたが、清音たちの妨害により瑠璃とはぐれてしまった。そして、奇妙な出来事が重なり、清音の背中から同じ年頃の少年となって現れたのが赤眼の子だった。
そこからどうなったかといえば、記憶が朧げだ。崩れる天井と崩れる床。視界が瓦礫だらけになる中、その隙間に瑠璃の後ろ姿。
記憶として残っているのはそのぐらいだ。
この場所は第6層なのだろうか。それにしては雰囲気が違う。
ビルの群生が続き、その先にあったのはシャンデリアで飾られたダンスホールであった。このような石の部屋はなかった。それに体感で伝わる気温も違う。冷気がない。
これまでの経験で言えば各層によって空気は違っていた。崩壊に巻き込まれ、その拍子に次の層に落ちた。それが出した結論だ。
瑠璃や光弥、清音、赤目の子もあの崩壊にいた。無事であることを願いながら石の部屋から出る。
一見、窓も扉もない絶望的な箱の部屋だ。だが、壁に手をつけ、入念に探ってみれば暗さのせいで見えなかった一本線のような凹みがあった。
そこを押し込んでみれば、壁の内側から引っ掛かりが取れる音が鳴り、隠れていた扉が開いた。
開いた隙間から冷たい液体が流れ、カンダタの足首を濡らす。唐突の冷気に吃驚するが、体温を奪う程ではない。
周囲は洞窟のように暗く、部屋の外は薄い水が張っており、水平線がどこまでも続いていた。石の部屋は外装が綺麗に切り取った飾り気のない四角い箱のようだった。
「瑠璃、どこにいる?」
声を上げてみれば反響して返ってくる。
名を呼び、あてもなく見渡す。返ってくるのは谺ばかりでカンダタは孤独であると知らせるだけだった。
先に目が覚めて行ってしまったのだろうか。
独りでいることに不安があるわけではない。ただ隣いると心強くなれる、気がする。
「瑠璃」
水平線に向けてまた呼ぶ。結果は同じだ。
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