545 / 644
6章 盤上の外で蜘蛛喰い蝶は笑う
それは薄明のような赤い記憶 7
しおりを挟むいつの間にか死んでいたようだ。
呼吸が苦しくない。指も動く。頬、額に髪がかかる。頭皮から生えてきたようだ。
苦しくなくなった呼吸で目一杯に空気を吸い、うつ伏せから立ち上がる。なるべく血の沼から離れ、影が濃い方へと向かい、その中に隠れた。
目を瞑り、闇に身を任せる。考えるのは清音が言い残した言葉だ。
思考に耽ろうとするとそれを邪魔するように天井から這いずりやってくるものがあった。
あの巨大な影が戻ってきたのだ。あれに見つからないよう岩の裏に移動する。
天井から降りているようだ。巨大な影が沼の液体をすすっているのが気配でわかった。
こんな所では考えることもできない。岩の影から出ないよう、カンダタは四つん這いに近い体勢で移動する。
巨大な影はカンダタに気づいてもいない。だからといって焦りもせず、慎重にその場から離れようとした。
巨大な影から逃げようとはしているものの、カンダタは未だにその正体を見ていない。
好奇心が勝り、カンダタは立ち上がったが、間抜けにも足を踏み外した。すぐそこが断崖になっていたとも知らず、転がり落ちた。
行き着くとこまで転がり、終着点は平たい土の上だった。
回転して脳が揺らぐ頭を抑えながら立ち上がり、見渡すも洞窟内の暗闇しかない。
色々と痛い目にあったが、清音たちからは逃げられた。
洞窟の外に出たところであの濃霧と巨大な影によって、洞窟の中に戻っされるだろう。
洞窟の中で逃げ続けながらこの層を脱出方法を見つけなければならない。
逃げる。それしかないのだとわかっているが、後ろ髪を引かれる思いになるのはなぜなのか。
それは清音のせいだ。彼女の残した言葉がカンダタを躊躇わせる。瑠璃がどこにいるのか知っているような口ぶりだった。
カンダタを動揺させる為の挑発だとわかっている。清音が、つまりは蝶男が、瑠璃の行方を知っている可能性がある。
カンダタの目的は瑠璃との合流だ。その為の地獄脱出である。その先に彼女がいる確信はない。
岩山の中で鬼ごっこする羽目になるかと気落ちしそうになったが、その鬼たちを出迎えるべきではないか。
待っていても良かったが、カンダタは断崖のような斜面を降り始めた。
地下深くを進み、明かりを求め迷宮のような入り組んだ道を行く。
僅かに道が広くなり、心なしか明るくなった頃、前方にうっすらと人の影が浮かぶ。
目を凝らせば人影に鮮明な線が入り、その姿を捉えられる。
制服を着た女子高生だ。頭が扇風機でも雛鳥の集合体にもなっていない。人が着るものはまとっている。だが、肉体が半液体化となった泥人間であった。
顔の輪郭は曖昧で、手足は2本ずつ揃っているが、長さは伸びたり縮んだりしている。女物を着ているから女性だろう。彼女が一歩進むと泥の足跡が地面につく。
歩調は遅く、動作も鈍い。足の速さでは勝てそうだ。
それは鬼役側も理解しているのだろう。カンダタの背後から白い刀を岩壁に当て、洞窟内を響かせながらケイが近づいてきた。
「会話ができる奴が来てくれたほうがよかったな」
つい小言を漏らす。
よりによってケイだ。鬼役としては適任だろうが、清音かあるいは光弥であって欲しかった。彼らなら無視はしなかっただろう。
耳は聞こえているが、答えてくれるつもりはないだろう。泥の女子高生は耳があるかもわからない。
わざと捕まってみるのも一つの案だ。
ケイの様子を伺えば隠すつもりのない強烈な殺気が溢れている。
八つ裂きにされる。もしくは四肢を切断し、生きたまま連れていかれる。倫理を失くしたケイならばそれもあり得る。
「聞きたいんだが、手足を斬られて意識を持ったまま連れていかれるのか?」
どうせ、答えてくれないと思っていたが、首を傾げながらケイは口を開く。
「なぜわかった?」
目が点となり、ケイを凝視した。無視され続けたのに返答したのも驚いたが、カンダタの予感が的中してしまったのも驚いた。
「そうか。なら、捕まるわけにはいかないな」
前方に向き直るとケイが身を屈める。走る前の姿勢だ。
カンダタが走る寸前の、拳を作ろうとする指が曲げ始めた直前の、必要な空気を入れる為の大きくする直前にケイも走り出した。
泥女子は見た目通り、鈍感であり、ほぼ同時に動いたカンダタとケイに戸惑っているようだった。
戸惑い、狼狽える泥女子を一瞬だけ観察する。顔はないものの、身体は若干右側を向いている。対面しているカンダタが右にいるからだろう。
カンダタは顔を右に向けたまま、足は左側に踏み出した。泥人間の左側には隙がある。
それを狙っていたカンダタは一気に左側に向き、凹凸のある岩肌の壁を3.4歩分伝う。そのぐらいあれば泥女子を通り抜けることもできた。
急な方向転換についていけず、泥女子は捕まえようと道を伸ばすのそのまま転んでしまった。走るケイの前方に泥女子が転倒し、ケイはその上を軽く跳んで跨いだ。
ケイは真っ直ぐにカンダタを追いかけ、カンダタは高低の激しい道を跳ねながら逃げる。
明かりが強くなった。生臭い鉄の臭いもする。迷わずに光が強いところへと向かう。
後方を振り返ればケイがいる。すぐには捕まらない距離だ。
一定の距離を保っているようだ。カンダタを追い込ませたいのだろう。
それでもいい。カンダタが逃げ続ければ清音が痺れを切らして現れる。
足の速度が上がると自然と心音も高くなる。自分の呼吸音がうるさくなるが、カンダタとは別の呼吸音が重なって聞こえてきた。
走りながらも振り返り、視線を向ければ金の瞳と目が合う。鋭い目で睨んでくる鬼がいた。
鬼がこちらに向かってくる。鬼の皮膚は黒とは真逆の白色をしていた。
0
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写はすべて架空です。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる