糸と蜘蛛

犬若丸

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6章 盤上の外で蜘蛛喰い蝶は笑う

それは薄明のような赤い記憶 7

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 いつの間にか死んでいたようだ。
 呼吸が苦しくない。指も動く。頬、額に髪がかかる。頭皮から生えてきたようだ。
 苦しくなくなった呼吸で目一杯に空気を吸い、うつ伏せから立ち上がる。なるべく血の沼から離れ、影が濃い方へと向かい、その中に隠れた。
 目を瞑り、闇に身を任せる。考えるのは清音が言い残した言葉だ。
 思考に耽ろうとするとそれを邪魔するように天井から這いずりやってくるものがあった。
 あの巨大な影が戻ってきたのだ。あれに見つからないよう岩の裏に移動する。
 天井から降りているようだ。巨大な影が沼の液体をすすっているのが気配でわかった。
 こんな所では考えることもできない。岩の影から出ないよう、カンダタは四つん這いに近い体勢で移動する。
 巨大な影はカンダタに気づいてもいない。だからといって焦りもせず、慎重にその場から離れようとした。
 巨大な影から逃げようとはしているものの、カンダタは未だにその正体を見ていない。
 好奇心が勝り、カンダタは立ち上がったが、間抜けにも足を踏み外した。すぐそこが断崖になっていたとも知らず、転がり落ちた。
 行き着くとこまで転がり、終着点は平たい土の上だった。
 回転して脳が揺らぐ頭を抑えながら立ち上がり、見渡すも洞窟内の暗闇しかない。
 色々と痛い目にあったが、清音たちからは逃げられた。
 洞窟の外に出たところであの濃霧と巨大な影によって、洞窟の中に戻っされるだろう。
 洞窟の中で逃げ続けながらこの層を脱出方法を見つけなければならない。
 逃げる。それしかないのだとわかっているが、後ろ髪を引かれる思いになるのはなぜなのか。
 それは清音のせいだ。彼女の残した言葉がカンダタを躊躇わせる。瑠璃がどこにいるのか知っているような口ぶりだった。
 カンダタを動揺させる為の挑発だとわかっている。清音が、つまりは蝶男が、瑠璃の行方を知っている可能性がある。
 カンダタの目的は瑠璃との合流だ。その為の地獄脱出である。その先に彼女がいる確信はない。
 岩山の中で鬼ごっこする羽目になるかと気落ちしそうになったが、その鬼たちを出迎えるべきではないか。
 待っていても良かったが、カンダタは断崖のような斜面を降り始めた。
 地下深くを進み、明かりを求め迷宮のような入り組んだ道を行く。
 僅かに道が広くなり、心なしか明るくなった頃、前方にうっすらと人の影が浮かぶ。
 目を凝らせば人影に鮮明な線が入り、その姿を捉えられる。
 制服を着た女子高生だ。頭が扇風機でも雛鳥の集合体にもなっていない。人が着るものはまとっている。だが、肉体が半液体化となった泥人間であった。
 顔の輪郭は曖昧で、手足は2本ずつ揃っているが、長さは伸びたり縮んだりしている。女物を着ているから女性だろう。彼女が一歩進むと泥の足跡が地面につく。
 歩調は遅く、動作も鈍い。足の速さでは勝てそうだ。
 それは鬼役側も理解しているのだろう。カンダタの背後から白い刀を岩壁に当て、洞窟内を響かせながらケイが近づいてきた。
 「会話ができる奴が来てくれたほうがよかったな」
 つい小言を漏らす。
 よりによってケイだ。鬼役としては適任だろうが、清音かあるいは光弥であって欲しかった。彼らなら無視はしなかっただろう。
 耳は聞こえているが、答えてくれるつもりはないだろう。泥の女子高生は耳があるかもわからない。
 わざと捕まってみるのも一つの案だ。
 ケイの様子を伺えば隠すつもりのない強烈な殺気が溢れている。
 八つ裂きにされる。もしくは四肢を切断し、生きたまま連れていかれる。倫理を失くしたケイならばそれもあり得る。
 「聞きたいんだが、手足を斬られて意識を持ったまま連れていかれるのか?」
 どうせ、答えてくれないと思っていたが、首を傾げながらケイは口を開く。
 「なぜわかった?」
 目が点となり、ケイを凝視した。無視され続けたのに返答したのも驚いたが、カンダタの予感が的中してしまったのも驚いた。
 「そうか。なら、捕まるわけにはいかないな」
 前方に向き直るとケイが身を屈める。走る前の姿勢だ。
 カンダタが走る寸前の、拳を作ろうとする指が曲げ始めた直前の、必要な空気を入れる為の大きくする直前にケイも走り出した。
 泥女子は見た目通り、鈍感であり、ほぼ同時に動いたカンダタとケイに戸惑っているようだった。
 戸惑い、狼狽える泥女子を一瞬だけ観察する。顔はないものの、身体は若干右側を向いている。対面しているカンダタが右にいるからだろう。
 カンダタは顔を右に向けたまま、足は左側に踏み出した。泥人間の左側には隙がある。
 それを狙っていたカンダタは一気に左側に向き、凹凸のある岩肌の壁を3.4歩分伝う。そのぐらいあれば泥女子を通り抜けることもできた。
 急な方向転換についていけず、泥女子は捕まえようと道を伸ばすのそのまま転んでしまった。走るケイの前方に泥女子が転倒し、ケイはその上を軽く跳んで跨いだ。
 ケイは真っ直ぐにカンダタを追いかけ、カンダタは高低の激しい道を跳ねながら逃げる。
 明かりが強くなった。生臭い鉄の臭いもする。迷わずに光が強いところへと向かう。
 後方を振り返ればケイがいる。すぐには捕まらない距離だ。
 一定の距離を保っているようだ。カンダタを追い込ませたいのだろう。
 それでもいい。カンダタが逃げ続ければ清音が痺れを切らして現れる。
 足の速度が上がると自然と心音も高くなる。自分の呼吸音がうるさくなるが、カンダタとは別の呼吸音が重なって聞こえてきた。
 走りながらも振り返り、視線を向ければ金の瞳と目が合う。鋭い目で睨んでくる鬼がいた。
 鬼がこちらに向かってくる。鬼の皮膚は黒とは真逆の白色をしていた。
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