555 / 644
6章 盤上の外で蜘蛛喰い蝶は笑う
改変 8
しおりを挟む
水鳥の土産を咥えて桂の森林を駆ける。立派な土産を自慢する為に早くか影弥がいる家に帰りたい。
木造の瓦屋根が見えている。森林の草木に見え隠れする小さな家へと4本足は速度を上げる。
もう少しで着くのにどんなに走っても遠くにある家は大きくならない。寧ろ遠ざかっている。
帰りたいのに帰れないもどかしさは不安になり、その心象は森林に影響される。
昼間の光はなくなり、黄昏のほろ暗さ覆われる。周囲の桂がケイを追いかけてくる。そんな妄想さえあった。
いや妄想ではなく、実際に追ってきているのだ。足がない代わりに根を伸ばし、手の代わりに枝を伸ばす。
枝の先端が黒猫の尻尾に触れる。土から出た根が足を絡ませにくる。
意識を持って触れてくる植物に得体の知れない悍ましさがあり、心臓が跳ねる。
影弥に会えると期待し高揚する心臓は気づけば恐怖で興奮し、身体が冷える感覚がした。
あの家に向かう。無我夢中で走る。彼が待つ家は帰る場所ではなく、逃げる場所となっていた。
森そのものがケイを追い詰めていた。蹴って踏まれる土ですら意地悪に柔らかくなり、ぬかるんで走りづらくなった。
簡単に足を滑らせ転んでしまう。土から生えて根が倒れた黒猫に絡みついていく。チクチクと刺さる根の感触は不快で、振り払い起きようとしても固い。
桂の葉っぱは天からの光を遮り、周囲を囲む枝と幹は逃げ道を塞ぐ。根は黒猫ごと土の中へと戻ろうとし、土は泥状になってそれを促す。
ケイが目指していた家はまだあんなに遠い。
「ケイ、起きて、ケイ」
清音の呼びかけにより、眠気で揺れていた頭が上がる。どうやら寝ていたようだ。
薄く水が張った地面に両膝をつき、腕は力が抜け垂れている。そんなケイを清音が見下ろしている。
「また怖い夢を見たの?」
声では答えず、頷いた。ちょっとした仕草にも迷いがあった。
怖い夢であった。しかし、身体の一部を失った心残りもある。できるならあの夢に戻り、失ったものを取りに行きたい。
沈黙するケイを見つめ、清音は隣に入り腰を下ろす。地面は水浸しなので尻や足に湿った冷気が伝わり、深いであったが清音は構わない素振りをしてケイに寄り添う。
「手、握る?」
そう問えば必ず頷いて手を差し出す。今回も清音の予想通りにケイは黙って手を差し出した。
ケイへの注射は定期的に必要だ。彼を薬漬けにしても時間が経てば効力は薄まる。本来の存在理由を思い出してしまう。
余分に薬を持ってきたのにたった今最後の一本を使ってしまった。
カンダタに会わせるべきではなかった。彼と会ってからケイの様子は変化した。
清音はケイに悪夢を見せるたびにその悪夢から守るようにケイを包んだ。自作自演の行為をケイは疑わずに悪夢から逃げようと清音にしがみついた。
それが自ら悪夢を望むような兆しがある。悪夢の中に自分が望む答えがあるのだと確信しつつある。
その確信から目を逸らさないといけない。
清音はケイの手を更に強く握る。握りすぎてケイの手が赤く変色している。そうでもしないと清音の存在を示せない。ケイは痛覚に鈍いのでそれに対して嫌な顔はしない。
「静か。ずっとこんな日が続けばいいのにね」
清音とケイの周囲には白鬼が食い荒らした塊人の残骸がある。塊人は死体が残らない。息絶えた身体は光る球体となり、蛍火のような粒たちは地下へと吸い込まれる。
水面の上で漂いゆく光の粒たちは美しい。残骸が美しい風景の一部になる様子を清音はうっとりとした口調で呟いた。
蝶男から命じられたか塊人たちの殲滅は迅速に行われ、苦労も困難もなく驚く程にあっさりと終わった。
ほとんどの塊人は抵抗も逃げもしなかった。
中身がない人の究極体みたいだと美しい風景を眺めながら冷徹に達観していた。
ケイの目には美しい風景しか見えていない。そこら辺に転がっている塊人など彼は見えていない。
穏やかに漂う静寂。ケイも静かだ。
清音の近くで悪夢に魘されているカンダタの声も揺れる水音と重なり、緩やかな音楽に聞こえてくる。
「無理だ無理だ、べにいや、べにべに、しんじて」
繰り返す小さな言葉をよく聞けばそんなことを言っている。昔の、小さな檻に閉じ込められた思い出でも見ているのだろう。
怯えた寝言が止めば歯と歯を鳴らし、手足は惨めに痙攣している。顔を覗いて様子を伺えば眉間に深い皺を刻み、冷や汗で濡れた可愛そうな男の寝顔がある。
目蓋が上下に揺れている。眠りが浅いみたいだ。
注射を追加したいところだが、手持ちのものはない。蝶男から貰いに行かないとない。新しいのをもらうにしても蝶男たちは忙しそうだ。
「仕方がない、のかな。ケイ、お願いがあるんだけどこれ漂流場に置いてきて欲しいの」
カンダタを指差しケイに指示を出す。穏やかな休憩はこの指示で終わりの合図となり、ケイは返事せずに立ち上がる。
カンダタの後ろ襟をつかみ、引きずりながら薄い水面を歩く。
清音は適当に指示しただけで「漂流場」というものは知らない。蝶男から説明を聞いたが、覚えていない。なんとなく、物を捨てるには最適と言うのは記憶している。
ケイが仕事をするなら清音も休んではいられない。
塊人からもいだ頭をボールにして遊ぶ白鬼に向け、指笛を吹く。楽しそうにしていた白鬼は即座に切り替え、頭のボールを池に投げ捨てると清音の所まで駆け寄った。
2体の鬼はお座りのポーズをする。ボール遊びを止めてすぐに来たことを褒めてほしいと頭を下げる。
「ふふ、犬みたい。かわいい」
見た目は恐ろしいのに中身は従順な犬。そんなギャップに清音は堪らず、2体の頭を撫でる。白鬼もまんざらではないと気持ち良さそうに目を細めた。
そんな光景を遠くでケイが眺めていた。
清音と白鬼の周りにはまだ形が残っている塊人の残骸がある。無残に打ちひしがれた塊人の遺体は誰かを連想させるようだった。
木造の瓦屋根が見えている。森林の草木に見え隠れする小さな家へと4本足は速度を上げる。
もう少しで着くのにどんなに走っても遠くにある家は大きくならない。寧ろ遠ざかっている。
帰りたいのに帰れないもどかしさは不安になり、その心象は森林に影響される。
昼間の光はなくなり、黄昏のほろ暗さ覆われる。周囲の桂がケイを追いかけてくる。そんな妄想さえあった。
いや妄想ではなく、実際に追ってきているのだ。足がない代わりに根を伸ばし、手の代わりに枝を伸ばす。
枝の先端が黒猫の尻尾に触れる。土から出た根が足を絡ませにくる。
意識を持って触れてくる植物に得体の知れない悍ましさがあり、心臓が跳ねる。
影弥に会えると期待し高揚する心臓は気づけば恐怖で興奮し、身体が冷える感覚がした。
あの家に向かう。無我夢中で走る。彼が待つ家は帰る場所ではなく、逃げる場所となっていた。
森そのものがケイを追い詰めていた。蹴って踏まれる土ですら意地悪に柔らかくなり、ぬかるんで走りづらくなった。
簡単に足を滑らせ転んでしまう。土から生えて根が倒れた黒猫に絡みついていく。チクチクと刺さる根の感触は不快で、振り払い起きようとしても固い。
桂の葉っぱは天からの光を遮り、周囲を囲む枝と幹は逃げ道を塞ぐ。根は黒猫ごと土の中へと戻ろうとし、土は泥状になってそれを促す。
ケイが目指していた家はまだあんなに遠い。
「ケイ、起きて、ケイ」
清音の呼びかけにより、眠気で揺れていた頭が上がる。どうやら寝ていたようだ。
薄く水が張った地面に両膝をつき、腕は力が抜け垂れている。そんなケイを清音が見下ろしている。
「また怖い夢を見たの?」
声では答えず、頷いた。ちょっとした仕草にも迷いがあった。
怖い夢であった。しかし、身体の一部を失った心残りもある。できるならあの夢に戻り、失ったものを取りに行きたい。
沈黙するケイを見つめ、清音は隣に入り腰を下ろす。地面は水浸しなので尻や足に湿った冷気が伝わり、深いであったが清音は構わない素振りをしてケイに寄り添う。
「手、握る?」
そう問えば必ず頷いて手を差し出す。今回も清音の予想通りにケイは黙って手を差し出した。
ケイへの注射は定期的に必要だ。彼を薬漬けにしても時間が経てば効力は薄まる。本来の存在理由を思い出してしまう。
余分に薬を持ってきたのにたった今最後の一本を使ってしまった。
カンダタに会わせるべきではなかった。彼と会ってからケイの様子は変化した。
清音はケイに悪夢を見せるたびにその悪夢から守るようにケイを包んだ。自作自演の行為をケイは疑わずに悪夢から逃げようと清音にしがみついた。
それが自ら悪夢を望むような兆しがある。悪夢の中に自分が望む答えがあるのだと確信しつつある。
その確信から目を逸らさないといけない。
清音はケイの手を更に強く握る。握りすぎてケイの手が赤く変色している。そうでもしないと清音の存在を示せない。ケイは痛覚に鈍いのでそれに対して嫌な顔はしない。
「静か。ずっとこんな日が続けばいいのにね」
清音とケイの周囲には白鬼が食い荒らした塊人の残骸がある。塊人は死体が残らない。息絶えた身体は光る球体となり、蛍火のような粒たちは地下へと吸い込まれる。
水面の上で漂いゆく光の粒たちは美しい。残骸が美しい風景の一部になる様子を清音はうっとりとした口調で呟いた。
蝶男から命じられたか塊人たちの殲滅は迅速に行われ、苦労も困難もなく驚く程にあっさりと終わった。
ほとんどの塊人は抵抗も逃げもしなかった。
中身がない人の究極体みたいだと美しい風景を眺めながら冷徹に達観していた。
ケイの目には美しい風景しか見えていない。そこら辺に転がっている塊人など彼は見えていない。
穏やかに漂う静寂。ケイも静かだ。
清音の近くで悪夢に魘されているカンダタの声も揺れる水音と重なり、緩やかな音楽に聞こえてくる。
「無理だ無理だ、べにいや、べにべに、しんじて」
繰り返す小さな言葉をよく聞けばそんなことを言っている。昔の、小さな檻に閉じ込められた思い出でも見ているのだろう。
怯えた寝言が止めば歯と歯を鳴らし、手足は惨めに痙攣している。顔を覗いて様子を伺えば眉間に深い皺を刻み、冷や汗で濡れた可愛そうな男の寝顔がある。
目蓋が上下に揺れている。眠りが浅いみたいだ。
注射を追加したいところだが、手持ちのものはない。蝶男から貰いに行かないとない。新しいのをもらうにしても蝶男たちは忙しそうだ。
「仕方がない、のかな。ケイ、お願いがあるんだけどこれ漂流場に置いてきて欲しいの」
カンダタを指差しケイに指示を出す。穏やかな休憩はこの指示で終わりの合図となり、ケイは返事せずに立ち上がる。
カンダタの後ろ襟をつかみ、引きずりながら薄い水面を歩く。
清音は適当に指示しただけで「漂流場」というものは知らない。蝶男から説明を聞いたが、覚えていない。なんとなく、物を捨てるには最適と言うのは記憶している。
ケイが仕事をするなら清音も休んではいられない。
塊人からもいだ頭をボールにして遊ぶ白鬼に向け、指笛を吹く。楽しそうにしていた白鬼は即座に切り替え、頭のボールを池に投げ捨てると清音の所まで駆け寄った。
2体の鬼はお座りのポーズをする。ボール遊びを止めてすぐに来たことを褒めてほしいと頭を下げる。
「ふふ、犬みたい。かわいい」
見た目は恐ろしいのに中身は従順な犬。そんなギャップに清音は堪らず、2体の頭を撫でる。白鬼もまんざらではないと気持ち良さそうに目を細めた。
そんな光景を遠くでケイが眺めていた。
清音と白鬼の周りにはまだ形が残っている塊人の残骸がある。無残に打ちひしがれた塊人の遺体は誰かを連想させるようだった。
0
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写はすべて架空です。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる