糸と蜘蛛

犬若丸

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7章 赤い珠が映す空想未来

恋する鬼 5

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 日が上がりきる前に目が覚めた。
 蝶男がいつ来るかはわからない。神出鬼没の奴は明日来ると言っておいて深夜に来ることもあるし、朝餉の前に来ることもある糞野郎だ。
 だから、もしかしたら彼を一日中押し入れに閉じ込めておくかもしれないと思うと心が痛む。
 押し入れの布団を庭に干して、簡単な粥をささっと作ると彼の元へと運んだ。しかし、朝になったら夜よりも深いところに潜って、粥の匂いでも起きそうになかった。
 早々に食事を諦めて、厚手の布団で彼を包みくるみ、肩を軽く叩きながら大きな声で話しかけた。
 「これから移動するからね。身体を動かすよ」
 彼からの反応はない。
 それを「良し」と判断すると着ている衣服を脱いだ。
 鬼の姿になると鼻先で彼の横腹を軽くつつく。それでも彼は起きない。
 できることなら人の姿で運びたかったが、彼を運ぶのは無理だ。
 私の大きな爪が彼を傷つけるのは嫌だから布団でくるまってもらったが、兄を殺した自分の鉤爪が頭から離れない。
 大丈夫、りきまななければ彼を握り潰すこともない。だから大丈夫。
 赤子を抱くように彼を抱き上げる。そのゆっくりの衝動で彼が小さく寝言のようなものを呟いた。
 もし彼が目を覚ましてしまったらどうなるのだろう。
 起きたら化け物に抱き上げられていたらあの綺麗な瞳が恐怖で歪んでしまうのかな。それとも敵意かもしれない。
 綺麗な瞳をいつまでも見ていたいから起きないでと強く願った。
 押し入れまで来ると彼を降ろして急いで人の姿に戻った。
 この季節、押し入れの中は寒いから布団にくるまったままにしていつ目が覚めてもいいように握り飯を傍に置いた。
 後は自分の食事を済ませようと囲炉裏に戻る。そこで寒気を感じ、床に脱ぎ捨てた赤い着物が目に入った。私が全裸であることを思い出した。
 食事の前に服を着ようと拾って袖を通す。
 「まさか、一晩中、鬼の姿でいたのかい?」
 背後から聞きたくない声が聞こえてきた。
 今日は早い。気怠げに振り返ると蝶男がいた。
 平静を保ちつつ、頭の中で言い訳を考えていた。
 さっきまで鬼になっていた事は知られている。それがどうしてかと疑問を持てば辿り着くのは押し入れに隠した彼。
 蝶男と目を合わせて言い訳を考えれば見透かされてしまいそうで怖くなり、正面に向き直って襟を合わせた。
 「寒いからといって鬼のままでいるのは良くない。身だしなみは生活の乱れだ。規則正しく清潔に過ごしなさい」
 いつものうるさい小言を聞きながら、奴の不思議な言い分に内心首を傾げた。
 少し考えて、あぁそうかと納得した。鬼になると体質も変わってしまう。鬼になると体温が上がって寒さも感じにくい。だから私が寒い夜になると鬼になって過ごしていると勘違いしているのね。
 言い訳を考えなくても良いと安心すると私は腰紐を巻いて振り返った。
 「私の勝手でしょ」
 一言だけ返しても蝶男はそれだけでは満足してくれないようだった。
 「それにのなんだいその格好は。肌着じゃないか。日中が暖かくても着物を着て、帯を巻きなさい」
 「はいはい」
 うざったく蝶男の話を聞き流して「用は何」と蝶男を急かした。
 「そろそろ物資が減ってきただろう。その補充だよ」
 「あとは何」
 「最近の近況も聞きたい。あまり来れてないからね」
 暴力的な実験はなくなったけど、時々投薬をさせられる。その時によって体調の変化は様々で、なるべく薬も飲みたくなかった。
 「何も、何もないわよ。こんなところで何が起きるのよ」
 「平和、そのものだね」
 平和から程遠いような存在から聞く平和の言葉に私は軽い吐き気がした。
 「これ以上話すものないわ。早く帰って」
 「早く帰らせたいようだね」
 彼の心配ばかりしていた私は蝶男が去ってくれることしか考えていなかった。
 「顔を見たくないもの」
 素気なく言ってこれ以上追求してこないことを願った。
 蝶男は私の願い通りに追求はせず、代わりに天を仰いだ。空にはいつ降るかもわからない曇天がある。
 「布団は早くしまいなさい。雨が降るからね」
 「わかったから」
 物資を持ってきて話を聞くだけなら中には入ってこない。
 「炭も食料も早く中に入れるように。雨に濡れたら使い物にならない」
 「わかったからっ」
 早く帰ってと強い気持ちからつい怒鳴ってしまった。それでも蝶男は気持ち悪い笑みを保ったままだった。
 「そうだね。要は済んだし、僕は去るよ」
 あっさりとした蝶男の態度に私は肩透かしをくらったような気持ちになった。
 縁側に立っていた蝶男が庭に出る。
 本当に去るのかと疑念を捨てきれなくて、箸を置くと追いかけるようにして庭に出る。
 井戸の前に佇む蝶男の背中を去るまでを見守る。
 「服をきちんと着るように。乳房が垂れるのはみっともない」
 駄目押しと言わんばかりに蝶男が釘を刺す。自身の姿を見下ろすと合わせていたはずの襟がすでに崩れて、乳がはみ出ていた。
 「もういいでしょ」
 それが聞こえているのかいないのか背を向けたまま、身体は黒蝶の群れとなって散り散りになり、宙を飛ぶ黒い群れは吸い込まれるようにして井戸の中に消えていった。
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