糸と蜘蛛

犬若丸

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7章 赤い珠が映す空想未来

命の重さ 4

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 朝夜関係なく外は寒い。だからといって戸を閉めたままでは空気が淀む。
 朝の空気に耐えながら換気のために縁側の戸を開いた。
 庭は朝露に覆われて現実の風景がぼんやりと映る。
 日が昇りきっていない薄暗闇の中、現実離れした花々の真ん中で男が一人立っている。
 見覚えのある背格好の男に私はまだ夢の中にいるのではないかと疑った。けど、驚いて飲み込んだ空気が鋭く冷たかったからこれは現実なのだと知る。
 私は歓喜して花々の真ん中に立つ白蓮に駆け寄ろうとしたが、腹のことを思い出してゆっくりと縁側を降りて、喜びたい感情を抑えながら歩いて近寄った。
 近づけば近づくほど彼の顔がはっきりと見える。
 白蓮だ。私が見間違うはずがない。
 「はくはくっ会いたかったのよっすごく会いたかった」
 花畑に入って彼の頬を両手で包むように触れた。私の手よりも冷たい頬に現実に戻された。
 白蓮は死んだ。これは魂のない抜け殻が立っているだけだ。
 首筋の大きく開いた切り傷には覚えがある。
 私の目の前にいるこれは白蓮の身体だろう。ふらふらと揺れていて真っ直ぐに立てない二本脚は今にも転びそうだが、立っている。
 私は振り向いた。そこに奴がいると確信があった。
 「君の為に用意したんだ」
 蝶男は縁側に腰掛けて、私に微笑みかけていた。
 「身重では不便だ。だがいつでも僕が傍にはいられるわけではないからね。これから腹も大きくなる。自由に使うといい」
 親切心からくるお節介だと言っているように聞こえるのは気のせいか。
 落胆を超えた絶望が私の足元を崩そうとする。
 冷たい空気が私の肺を刺して、魂の奥底から熱い憎悪を生んで、鬼が持つ金切り声を上げた。
 腕足を切り落として、奴の腹を切り裂いて臓器を全て取り出す。
 鬼になりかけた私の腕を白蓮の冷たい手が掴んだ。
 咄嗟に見上げれば濁って乾燥した目玉が私を見ていた。
 死人の目だ。私が好きになった色は失われて二度と私を見る事はない。
 「止めたほうがいい。腹の子に障る」
 再び絶望がやってきて立っていられなくなった。崩れ落ちそうになった私を白蓮が支えた。密着した身体から心音は聞こえなかった。
 死んだ魂は大体二ヶ月でハザマに流れる。
 その理を無理矢理逆らって、死体の中に魂を閉じ込めた。
 蝶男は白蓮に混ぜた黒蝶を通して彼の身体を操っている。身体は死んでいるから血を流ないし、五感も死んでる。
 魂は蝶男に囚われているから白蓮の自我は失ったまま。蝶男の言う通りに動くし、腹が大きくなる私の代わりに屋敷を掃除する。
 自由に使えと蝶男は言ったが、死んだ身体は筋力が衰えているのかよく転ぶし、洗った衣服を地面に落とす。
 井戸から水を運ぶも困難で、縁側の前の庭で桶をひっくり返した。
 縁側の柱にもたれかけていた私はそんな白蓮の様子を眺めていた。
 「はく」
 弱々しく名前を呼んでも反応がないからもう一度呼ぶ。
 「はく、何もしなくて、いいから傍に来て」
 すると白蓮は桶を放っておいたまま、土足で縁側に上がり、私の傍で膝をついた。
 近くまで来ると死に様がよくわかる。首の切り傷は見事に脈を切断しているし、黄ばんだ骨まで見えている。
 目玉は萎んで沈むように奥に行き、水分がなくなった肌は縮んで爪が伸びていた。
 私が頭を撫でると髪の毛が抜けた。
 それでも私が送った髪結いは何とか残っている。
 あの髪結いは白蓮の幸せを祈って編んだものだ。今も祈っている。
 私は白蓮の手を取り、それなりに大きくなった腹に当てた。
 「感じるかな。今お腹を蹴ったのよ」
 この子が生きていることを白蓮に伝えたかったが、伝わるはずがない。
 子供は順調に大きくなっている。それを喜べば良いのか目の前の白蓮に悲しめばいいのかわからなくなる。
 ごちゃまぜになった感情に泣きそうになるも顔を俯かせて涙を堪えた。
 彼を通して蝶男が私を監視している。だから、彼の前で泣くのは蝶男に涙を見せるのと同様だった。
 「私は大丈夫よ。この子を産むから」
 涙を引っ込めて顔を上げ、白蓮に笑いかけた。
 彼には何も伝わっていない。それでもどこかで伝わると良いと信じた。
 私が手を離すと彼は腹から手をどかして、ふらふらとした歩調で落とした桶を拾いに行く。
 私を慰めるように腹の子が蹴った。
 大丈夫よ。安心して生まれてきて。
 蝶男に聞こえないように、白蓮と腹の子にしか伝えないように誓う。
 私があなたの形見でもあるこの子を守る。
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