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一章
気に入られてるんだよ
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かまどの日に向かい、竹筒でふうふうと息を送り込むと、燃えた枝がぱちぱちと爆ぜた。
俺は、野営地の煮炊き場で、米を炊いていた。煙で、しょぼしょぼとする目を擦っていると、何かが、ぱちんと背中にぶつかった。
振り向くと、少し離れたところに、ずんぐりした体躯の男が一人と、その横についた二人の男がいた。
清之介と、その腰ぎんちゃくたちだ。俺は顔を顰めた
「よお、飯炊き女。昨日はどうだったんだ?」
清之助は俺と同じ雑兵だ。しかし、『自分の出自はもともと武士だった』と言って、いつも偉そうにしている。
なまじ力が強く、同じ地方出身の上位の武士に気に入られているため、周りも清之介の横暴を黙認している。
「前から情けないやつだと思っていたが、そっちの方の才能はあったんだな」
「――お前、あの時負けたのがそんなに悔しかったのかよ」
俺が、清之介を見据えたまま、そう言うと、清之助は、苦い物でも噛んだように顔を引きつらせる。
前回、清之助と弥次郎は掛かり稽古をした。そのとき弥次郎は攻撃を受ける側だったが、相手の顔や腹ばかり狙う陰湿な攻撃にすっかり嫌気がさしていた。そこで弥次郎は、試合が終る直前に、清之助の大ぶりな仕草をかいくぐり、胸に杖を突き立ててみせた。
それだけなら、稽古中の諍いで済む。だが、試合を見ていた上位の武士の一人が、俺の動きを褒めた。それは、雑兵にとっては、とびきりの栄誉であり、同時に清之助にとっては、最低の屈辱だった。
「あれは……お前の小細工に油断しただけだ」
「小細工って、俺がお前を、揶揄したことか? ええっと、『身体ばかりの木偶の棒』とか、『武士と名乗る割に太刀筋がわるい』とか言ったんだっけ? まあ仕方ねえよな、事実だから」
清之助の顔はみるみる赤くなり、仁王像のような顔になった。
何で、人の悪口を言うやつって、人に何か言われると、倍くらい怒るのだろう。
俺が米炊き場を離れようと立ち上がると、清之介は、俺に向かって来た。だが、最初からそれを予期していた俺は、清之助の拳をさっと躱した。
すると清之助はそのままつんのめって灰の中に突っ込んだ。
俺は眉を下げ、心配そうな声音で聞いた。
「大丈夫か? ああ、でも色男になったかも」
「この野郎……」
清之助が、鬼気迫った目で俺を睨みつけ、灰の中から起き上がったその時、のんびりとした声が響いた。
「まぁまぁ。落ち着け二人とも」
「源太」
俺は友人の名を呼んだ。源太は、がっしりした体を、俺と清之助の間に割り込ませる。
「陣の中で喧嘩したやつは、あとでしこたま殴られるってことを知らんわけじゃないだろ」
源太は俺の方を向いて、そう言った。しかし、むろん清之助に向けての言葉でもある。清之助は冷ややかな目で源太を見ていたが、手は出さなかった。
源太は医療兵だ。上位の武士たちからの信頼も厚い。源太に嫌われるのは、清之介としても避けたいところだろう。
清之介は、最後にひとこと加えてから、やがて地面に唾を吐き捨てて、踵を返した。
「は、意地汚え、孤児のくせによ」
清之助たちの姿が見えなくなってから、俺は、竹筒を地面に叩きつけた。
「あの野郎」
「まあ落ち着けよ」
源太は俺に向かって微笑む。源太の頬骨にある古い傷跡が、笑顔をすこし歪ませるが、俺はその具合が好きだった。
俺は、飯炊き場の竈の前に戻りながら、そっけなく言った、
「ああ、わあってるよ。余計な恨みを買うなってえんだろ」
「お前がそんなことしなくても、あいつもいつか身の程を知るときがくる」
「そりゃいつだよ」
「知らん。死ぬときかもな――そうだ。お前に、これをやるよ」
源太は、やおら思いついたように、懐を探る。それから俺の掌に、小さな紙きれを渡した。
「なんだ、これ?」
俺は、小さく折りたたまれた紙を開きながら訊いた。何か妙な文字が書いてある。
「経だよ」
「経~? お前が持ってろよ」
「俺は、もう覚えてるからいいんだよ。お前、一人で死にそうになったとき、ちゃんとこれを見て唱えるんだぞ。無理なら文字を眺めるだけでもいい。そうしたら、浄土に行ける」
「こんなもん、戦にゃ持ってけねえよ」
「服にでも縫い付けとけ」
「けっ、どうせ死んだあとだって碌なところへ行けやしねえさ。殺生三昧の日々だもんな」
俺はぶつぶつ言いながら、それでも、紙を懐に入れた。源太が自分に気をかけてくれていることは分かっていた。
「ところで、弥次郎、昨日は――」
俺は、源太の言葉にかぶせるように、素早く言った。
「寝所では、何にもなかった」
他の人間にどう思われているかはともかく、源太に誤解されるのは嫌だった。しかし源太は笑っている。
「寝所? ああ、あの噂は本当だったのか?」
やぶへびだった。俺はむきになって言った。
「本当だけど、違う。手を縛られて、そのへんに転がされてただけだ」
「べつに隠さないでいいぞ。別に珍しくもない」
「おい、お前、面白がってるだろ」
「だってよ」と源太はますます笑った。
「あの鉄仮面が、跳ねっ返りのお前をお召しなんて、面白いに決まってるじゃないか」
「面白くねえよ! 馬鹿にしてやがる」
「そうさなあ。お前、忠頼殿に憧れてたしな」
「そんなこたねぇよ!」
源太は、俺を無視し、暫く黙ってから言った。
「でも忠頼様は、お前を見張っていたのかもしれんぞ」
「は?」
「ほら、清之助たちと、お前が喧嘩しないようにだよ。清之助のやつ、いつかお前に、復讐してやるって、いろんなところで吹聴してたから。お前は匿ってもらった、ってわけだ」
俺は、源太の言葉に動揺して、眉根にしわを寄せた。
「なんでそこまでするんだ。雑兵の揉め事だぞ」
「さあな。ただ、あの方は、下の者たちをよく見ているだろ。お前は槍も巧いし、目立つ。清之助は、面倒なことで有名だ。単純に、揉め事は出来るだけ回避したい、そんなところじゃないか?」
源太の言葉を、俺は納得したような、しないような気持ちで聞いた。
ーー本当に、助けてくれたのだろうか。
「ま、気に入られてることは確かだろうよ」
俺は、困惑した。
源太に何か、言い返したかったが、その時、飯の時間を知らせる銅鑼の音がしたので、話はそこで終わってしまった。
俺は、野営地の煮炊き場で、米を炊いていた。煙で、しょぼしょぼとする目を擦っていると、何かが、ぱちんと背中にぶつかった。
振り向くと、少し離れたところに、ずんぐりした体躯の男が一人と、その横についた二人の男がいた。
清之介と、その腰ぎんちゃくたちだ。俺は顔を顰めた
「よお、飯炊き女。昨日はどうだったんだ?」
清之助は俺と同じ雑兵だ。しかし、『自分の出自はもともと武士だった』と言って、いつも偉そうにしている。
なまじ力が強く、同じ地方出身の上位の武士に気に入られているため、周りも清之介の横暴を黙認している。
「前から情けないやつだと思っていたが、そっちの方の才能はあったんだな」
「――お前、あの時負けたのがそんなに悔しかったのかよ」
俺が、清之介を見据えたまま、そう言うと、清之助は、苦い物でも噛んだように顔を引きつらせる。
前回、清之助と弥次郎は掛かり稽古をした。そのとき弥次郎は攻撃を受ける側だったが、相手の顔や腹ばかり狙う陰湿な攻撃にすっかり嫌気がさしていた。そこで弥次郎は、試合が終る直前に、清之助の大ぶりな仕草をかいくぐり、胸に杖を突き立ててみせた。
それだけなら、稽古中の諍いで済む。だが、試合を見ていた上位の武士の一人が、俺の動きを褒めた。それは、雑兵にとっては、とびきりの栄誉であり、同時に清之助にとっては、最低の屈辱だった。
「あれは……お前の小細工に油断しただけだ」
「小細工って、俺がお前を、揶揄したことか? ええっと、『身体ばかりの木偶の棒』とか、『武士と名乗る割に太刀筋がわるい』とか言ったんだっけ? まあ仕方ねえよな、事実だから」
清之助の顔はみるみる赤くなり、仁王像のような顔になった。
何で、人の悪口を言うやつって、人に何か言われると、倍くらい怒るのだろう。
俺が米炊き場を離れようと立ち上がると、清之介は、俺に向かって来た。だが、最初からそれを予期していた俺は、清之助の拳をさっと躱した。
すると清之助はそのままつんのめって灰の中に突っ込んだ。
俺は眉を下げ、心配そうな声音で聞いた。
「大丈夫か? ああ、でも色男になったかも」
「この野郎……」
清之助が、鬼気迫った目で俺を睨みつけ、灰の中から起き上がったその時、のんびりとした声が響いた。
「まぁまぁ。落ち着け二人とも」
「源太」
俺は友人の名を呼んだ。源太は、がっしりした体を、俺と清之助の間に割り込ませる。
「陣の中で喧嘩したやつは、あとでしこたま殴られるってことを知らんわけじゃないだろ」
源太は俺の方を向いて、そう言った。しかし、むろん清之助に向けての言葉でもある。清之助は冷ややかな目で源太を見ていたが、手は出さなかった。
源太は医療兵だ。上位の武士たちからの信頼も厚い。源太に嫌われるのは、清之介としても避けたいところだろう。
清之介は、最後にひとこと加えてから、やがて地面に唾を吐き捨てて、踵を返した。
「は、意地汚え、孤児のくせによ」
清之助たちの姿が見えなくなってから、俺は、竹筒を地面に叩きつけた。
「あの野郎」
「まあ落ち着けよ」
源太は俺に向かって微笑む。源太の頬骨にある古い傷跡が、笑顔をすこし歪ませるが、俺はその具合が好きだった。
俺は、飯炊き場の竈の前に戻りながら、そっけなく言った、
「ああ、わあってるよ。余計な恨みを買うなってえんだろ」
「お前がそんなことしなくても、あいつもいつか身の程を知るときがくる」
「そりゃいつだよ」
「知らん。死ぬときかもな――そうだ。お前に、これをやるよ」
源太は、やおら思いついたように、懐を探る。それから俺の掌に、小さな紙きれを渡した。
「なんだ、これ?」
俺は、小さく折りたたまれた紙を開きながら訊いた。何か妙な文字が書いてある。
「経だよ」
「経~? お前が持ってろよ」
「俺は、もう覚えてるからいいんだよ。お前、一人で死にそうになったとき、ちゃんとこれを見て唱えるんだぞ。無理なら文字を眺めるだけでもいい。そうしたら、浄土に行ける」
「こんなもん、戦にゃ持ってけねえよ」
「服にでも縫い付けとけ」
「けっ、どうせ死んだあとだって碌なところへ行けやしねえさ。殺生三昧の日々だもんな」
俺はぶつぶつ言いながら、それでも、紙を懐に入れた。源太が自分に気をかけてくれていることは分かっていた。
「ところで、弥次郎、昨日は――」
俺は、源太の言葉にかぶせるように、素早く言った。
「寝所では、何にもなかった」
他の人間にどう思われているかはともかく、源太に誤解されるのは嫌だった。しかし源太は笑っている。
「寝所? ああ、あの噂は本当だったのか?」
やぶへびだった。俺はむきになって言った。
「本当だけど、違う。手を縛られて、そのへんに転がされてただけだ」
「べつに隠さないでいいぞ。別に珍しくもない」
「おい、お前、面白がってるだろ」
「だってよ」と源太はますます笑った。
「あの鉄仮面が、跳ねっ返りのお前をお召しなんて、面白いに決まってるじゃないか」
「面白くねえよ! 馬鹿にしてやがる」
「そうさなあ。お前、忠頼殿に憧れてたしな」
「そんなこたねぇよ!」
源太は、俺を無視し、暫く黙ってから言った。
「でも忠頼様は、お前を見張っていたのかもしれんぞ」
「は?」
「ほら、清之助たちと、お前が喧嘩しないようにだよ。清之助のやつ、いつかお前に、復讐してやるって、いろんなところで吹聴してたから。お前は匿ってもらった、ってわけだ」
俺は、源太の言葉に動揺して、眉根にしわを寄せた。
「なんでそこまでするんだ。雑兵の揉め事だぞ」
「さあな。ただ、あの方は、下の者たちをよく見ているだろ。お前は槍も巧いし、目立つ。清之助は、面倒なことで有名だ。単純に、揉め事は出来るだけ回避したい、そんなところじゃないか?」
源太の言葉を、俺は納得したような、しないような気持ちで聞いた。
ーー本当に、助けてくれたのだろうか。
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俺は、困惑した。
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