ただの雑兵が、年上武士に溺愛された結果。

みどりのおおかみ

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五章

幾日 遠い日暮れ

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――お前といると、柄にもないことを考えてしまうな。
 優しい目に、見守られていた。寛いだ声と、俺の背中をなでる指先とを、俺は幸せな気持ちで感じていた。
……それは、どんな?



 俺はふと、夢から目覚め、目を開いた。木陰になった地面が見えた。そこから燕が数羽、ばさばさと飛び立った。俺は重い頭をゆっくりと起こし、軽く振った。
 俺は目の前の狭い道を、ぼうっと見詰めた。右は山で、左は谷。目線の先には、青々とした田んぼと、山が見えた。
――いけねえ、しっかりしねえと。
 俺は意識をはっきりさせるために、肩を回し、首を傾ける。
 俺はまだ、旅の途上にいた。しかし、歩き疲れた俺は、道の脇で暫し休むことにして――それで、暫しの間、居眠りをしてしまったのだった。
  俺は空を見上げる。まだ、四半刻(十五分)も経っていないようだ。俺はいささかほっとして、再び、目の前の道を、登り始める。
 俺が保沢村を出てから、すでに七日が過ぎていた。
 目的地は、この山裾の道を辿った向こうにある寺だ。もう、先は見えている。
 しかし、俺の気持ちには、今も迷いがあった。ここまでやって来ながら、俺は未だに少し、逡巡していた。
 それでも、俺が歩を進めてこれたのは、この陽気のお陰だった。
 田に目を向けると、雲雀たちが、さも楽しそうに歌いながら飛び回っている。冬には引き攣り、うずいていた、腹や手足の古傷も、この気温で大分ましになった。 
 通りがかりの商人や参拝者の存在も大きかった。
「あともうすこし。頑張んなさい」
「もう、すぐそこですよ」
「今日は暑いから、気を付けてね」
 もう足を止めてしまおうかと俺が思うたび、様々な人間が、旅の労をねぎらってくれたり、励ましの声を掛けてくれた。その声は、文字通り、俺が再び前に進む為の力をくれた。 柄でもない、と思いながらも、俺は旅中に何度も、しみじみとした感謝の気持ちを噛み締めていた。
――戦に明け暮れていた頃、俺は確かに『天下の中心』にいる、とどこかで思っていた。
 しかし、それがいくら中心であっても、ほんの爪の先ほどの狭い世界の出来事であることには変わりがなかった。
 世の中は俺が思ったより、ずっと広かったのだ。土地を変え、沢山の人に出会うたび、俺は、その思いを強く、新たにする。
 ちょうど正午ごろのことだった、強い日差しの中、その寺は、急に、山の中に急に姿を現した。
 寺門は、見上げるほどに大きく、重厚だった。近所のものが言うには、創建から、ゆうに二〇〇年は経っているらしい。
 寺には既に、たくさんの参拝者が往来していた。近所の者や、俺の様に遠方から来たものなど、荷物の量や貧富の差なども様々だ。
 俺はとりあえず本堂に手を合わせると、三万坪はありそうな敷地を、恐る恐る歩いた。坊主に墓のある場所を訊ね、寺の北側へ向う。しかし、たどり着いた墓場の敷地は広く、墓は百基ほどもあった。
 俺は一つ息を吐く。ここから目的の墓所を捜すのは、骨が折れそうだった。
 本堂から、くぐもった読経の声と、太鼓の音が、響いていた。俺はゆっくりと、玉砂利の道を練り歩く。
 墓の状態は様々だった。真新しい線香が添えられ、今朝飾られたばかりの花が置いてある立派な墓。石が朽ちて、掘られた文字も分からなくなっているような墓。
――山。やまだ。
――ほそ木……ほそき。
 俺は額に滲む汗を拭いながら、墓石に書いてある苗字と、場合によっては卒塔婆の戒名を、苦労しながら読んでいく。
 日差しが少し傾き、新しい参拝客が数人、墓を訪れては去って行く。姉妹と思われる女たちが、静かに話しながら、俺の横を通り過ぎる。
 商人の成りをした男が、古びた墓を掃除し、線香を灯していた。
 老夫婦とその子供が、小さな墓に手を合わせ、経を読んでいた。
――西。にし。尾、お。
――宮。みや……あ、くそ、読めねえ。
 大人になってから文字を習った俺は、読むのが早くない。だが俺はひたすら、文字を読み続けた。
――本当にここにあるのだろうか?
 ふと疑念が湧き、俺は立ち止まる。手拭で首の汗を拭きながら、俺は一つ息を吐く。
――いや、どれだけかかっても、見つけてやる。
 それからまた、半刻ほど、俺は墓標を読み続けた。そして、もう読むのにも嫌気がさしたときだった。俺の目は入り口から一番奥の、左端に吸い寄せられた。
 三尺ほどの、黒く、艶のある石に彫り込まれた文字。俺は即座に、いくつも並んだ卒塔婆の戒名を読みはじめた。
 日吉家――――清孝院武道忠頼院居士。
 俺はついに求めていたものを見つけ、言葉を失う。しばらくその場に立ち尽くしていたが、周りの人間の目線に気が付き、俺はふと我にかえる。
 俺は懐に手を入れて、少し折れてしまった線香と、道中で摘んだ花を墓前に供えた。
 しかし、立派な墓石と、しおれかけた花では、不釣り合いにもほどがあった。
――まあ、お前の前で、格好つけたところで、仕方ないしな。
 俺は苦笑し、手を合わせると、経を唱え始める。
 経を唱えながら、俺はここまでこれた縁を、しみじみと不思議に思った。
 泰蔵に手紙を託したのは、五郎兵衛の妻、お峰だった。
 ともに戦った兵である五郎兵衛は、俺に、遺髪を託していた。『妻が遺髪を受け取らないから、渡してほしい』と、最後の戦の前に、五郎兵衛は俺に言った。
 だが、俺はしばらく、丹波の国に寄り付くことはなかった。そもそも生きていくのに精一杯だったし、討ち死にしているはずの俺が、おめおめと国に帰ることもできなかった。
  だが、泰蔵のお陰で、俺はお峰の居場所を知った。お峰は既に、日吉郡を出て、隣村に暮らしていた。
 五郎兵衛の遺髪について、ずっと気になっていた俺は、手紙を読むとすぐに、お峰のいる村へと向かった
 俺はお峰とその子を訪ね、遺髪を届けるのが遅くなったことを詫びた。お峰は遺髪を受け取って涙を流した。そして、俺が村を出る際に、忠頼が葬られている寺のことを教えてくれた。
 俺は、足元の石を転がしながら、呟いた。
「……ごめんな。いままでこれなくて。いろいろ、あってよ」
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