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【第一部】国家転覆編
7)睡眠不足の働きすぎ、それすなわち発熱
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遠くでノックの音がする。起きて対応しなければ、とグレンが重い瞼を何とか開けようとしている間に、木製の扉が軋んだ音を立てながら開かれた。
まだ部屋主が応答を返していないのに勝手に入ってくるだなんて、そのような無礼をするメイドはクランストン辺境家には勤めていないはず。……執事のじいやとメイド長のばあやは別として。
起きなければ、ともがくグレンの耳に、低い男の声が入ってきた。――ドーヴィが何やら喋っている。
その事に気が付いたら、グレンは急に体の力が抜けて布団に沈み込んだ。そう言えば夜中に何度か目を覚ましてはドーヴィに寝かしつけられたような気もするし、寝る前にドーヴィに「一晩見張る」と言われてた気がする。
ひどい悪夢を見て飛び起きて……その後、ドーヴィにベッドまで運んでもらってからはあまり夢を見なかったように思う。
「グレン、起きられるか?」
ドーヴィの大きな手がグレンの肩にかかり、ゆさゆさと揺さぶられた。グレンが薄っすら目覚めつつあるのを気づいていたらしい。
その問いかけにはグレンは何とも言えない唸り声で返す。起きなければいけない、と思いつつも、抜けない眠気と暖かい布団がグレンをまた眠りの世界に全力で誘ってくる。
……それを、グレンはドーヴィへの「甘え」だとは気づいていない。
普段、自分だけであればメイドが呼びに来る前の早い時間に起床して、時間があれば魔法の訓練をするか執務室から持ち込んだ書類を処理してると言うのに。
自分が夜中に起きるたびにドーヴィが優しく声をかけてまた布団を肩まで引き上げて寝かしつけてくれる。それだけで、グレンはぐずぐずに溶けてしまったようだった。
「ん、お前……ちょいと熱っぽいな」
ひんやりとしたドーヴィの男らしい手が額に当てられ、グレンはぎゅっと目を瞑った。薄っすら目を開けるとドーヴィが苦笑いを浮かべている。
「もう少し寝てろ。じいやに言って医者を呼んでもらおう」
そう言われて、グレンはパッと目を開いた。慌てて、起き上がろうとするとドーヴィがその肩を押してベッドに戻そうとする。
「ドーヴィ、ちょっと熱があっても別に私は平気だ!」
「バカ、拗らせたら大変だろうが。大人しく寝ろ、この病人め」
「何を言うか、今日も私には仕事が……」
口応えをするグレンに対してドーヴィはニヤリと笑った。
「ないぞ」
「……え?」
ドーヴィが体をずらすと、壁際のデスクが目に入った。積み上がった紙の束から上のものを数枚、ぺらりとドーヴィが手に取ってグレンの元へ持ってくる。
「お前の見張りだけで一晩無駄にできるかよ。暇だったから、代わりにある程度はやっておいた」
まあ、数字のチェックと誤字脱字の確認だけだがな、とドーヴィは飄々と言う。確かに、ドーヴィの手にある紙にはペンでチェックが入っていた。
数字や誤字脱字のチェックだけ、と言う割には元の書類からかなり見やすく書き直されているものもある。ドーヴィの字は、グレンよりとても上手で綺麗だった。
「……文字の読み書き、できるのか」
「なんだよその目は、この野郎。……空き時間にじいやに手本を貰って練習したさ」
ドーヴィは言わなかった……いや、グレンには明かせなかったが、この世界は別世界をベースにして作られた「テンプレート品」である。たまたま、ドーヴィはここと同じ他のテンプレート異世界に召喚されたことがあったため、こちらの世界の文字についても習得が容易であった。
そうでなくても、そもそもハイスペックな悪魔であるドーヴィにとって、人間の文字の読み書き程度、少し本腰を入れて勉強すればすぐに習得できるものだ。
驚いたように目を丸くしたグレンは、次に何とも悔しそうな顔をしてドーヴィを見た。自分より字が上手で、計算も早ければ文字を読むのも早い。
デスクに積み上がった書類の山を見れば、いかにドーヴィの作業が早かったかがよくわかる。
「そんな顔すんなよ。お前と俺じゃ、生きてる年数が違うっつーの」
そう言いながらドーヴィはグレンから書類を取り返し、デスクに戻す。ついでに、ドアのところで様子を伺っていたメイドにグレンが発熱していることと、執事のアーノルドに医者を呼ぶように伝えて欲しいと声を掛けた。
言われたメイドは長身のドーヴィを見上げて、頬を染めながら上ずった声で返事をして、部屋を出て行った。
そのやり取りを、グレンはどことなく面白くない気持ちで見つめている。それがちょっとしたヤキモチであることに、本人は全く気付かない。
(おうおう、視線が妬いてら)
背中に刺さるグレンからの視線に、ドーヴィは面白いものを感じながら振り返った。
グレンは自分のことを「大人だ」と頻繁に言うが、それは裏を返せば言動が子供っぽい、という事でもある。
独りの人間として育っていくべき多感な時期を複雑な環境で過ごしたせいもあるだろう。グレンは大人の様な振る舞いをしつつも、素の状態では逆に実年齢よりもやや幼い言動が多いようにドーヴィには感じられた。
そのアンバランスさがまた良いんだよなぁ、とはドーヴィの心の中だけにしまっておいてある。
「ドーヴィは……」
「なんだ? とりあえず水でも飲んでろ」
メイドが持ってきたのか、それともドーヴィが魔法でどこからともなく取り出したのか。ひんやり冷えた水を差し出されて、グレンはコップを両手で持って口に運んだ。冷たい水が口の中を冷やし、とても気持ちがいい。……という事は、やはりドーヴィが言うように自分は発熱しているのだろう。
デスク前にあった椅子を勝手にベッドサイドに持ってきてドーヴィは座る。どうやら医者が来るまで、グレンを監視するつもりらしい。
「で、なんだって?」
「ドーヴィは、何歳なんだ? お前が私より相当年上だという事はわかるが……」
大人の男、なのはグレンにもわかる。グレンが持ちえない体の厚さ、頼りがいのありそうな背中に肩幅。すらりと伸びた足に、安心感をもたらしてくれる男の手。
「悪魔に年齢を聞くなよ。人間とは生きる時間が違うんだからな。……まあ、人間換算すれば20代中ごろってところか?」
「……それで、僕より仕事ができるのか」
「そういう意味での年齢なら……俺はもう数百年以上生きてるからなあ、たぶん」
「数百年!?」
グレンは驚いたようにドーヴィを見た、とてもマジマジと見た。ドーヴィが言うように、20代の成人男性にしか見えない。以前にいた、クランストン辺境騎士団の騎士ぐらいだなあとグレンは思っていたというのに。
ドーヴィはこの世界に昔からいるわけではない。別の世界から召喚によってこの世界に入り込んできた異物だ。
数多の異なる世界の間を飛び回って遊ぶ悪魔たちにとって、時間の流れはあまりにも意味をなさないものである。ゆえに、ドーヴィは「悪魔に年齢を聞くな」と言った。数百年以上、という数字もこの世界の歴史に反しない程度でグレンが納得してくれそうな適当な数字を言っただけだ。
「……ハッ、それもそうか、僕が悪魔の召喚陣を研究するときに参考にしたのも200年ほど前の書物であったし……」
すっかり自称が『私』から『僕』になったグレン。リラックスしているのは良いことだが――世界の理に触れるのは、危険だ。特にドーヴィがそばにいるのならば。
この世界以外にも複数の世界が存在している、という事実に触れられるわけにはいかない。
異世界が存在する、という事実を人間が知ってしまえば間違いなく天使がやってきて『天罰』を下す。知らなくても、予想するだけでも場合によっては命を取られるだろう。
世界の禁則事項を知るのは、世界を運営する天使や生み出した神、そしてそれらの監視の目を掻い潜ってちょっかいを出す悪魔のみ。それ以外の生き物は、それを知ってはならない。
ドーヴィは悩み始めたグレンに「熱が上がるからそれ以上難しい事を考えるのはやめろ」と無理に思考を断ち切らせるようにコップを口元に押し付けた。
「ぐむ」
「いいかグレン。医者が来たら大人しく診てもらうんだぞ。薬が出たら苦くてもちゃんと飲め」
「むっ、医者から逃げるなど、するわけがないだろう!」
薬だってしっかり飲むからな! とグレンは唇を尖らせてドーヴィに抗議する。すっかり、頭からはドーヴィを召喚した時の事は抜け落ちたようだ。
その事に、ドーヴィはひっそりと息を吐く。もし、世界の禁則事項に触れそうになったら、すぐにでも記憶を消す必要があっただろう。そうなれば、当然、ドーヴィはグレンの元を離れてこの世界から逃げ出さなければならない。天使達に襲われる前に。
そうしているうちに、焦った顔の執事のじいやとクランストン辺境家のお抱えの医者がやってくる。
医者はしっかりとグレンを診察した後に「これは過労でしょう」と言いおいて薬草を煎じた解熱剤を置いて帰って行った。
「坊ちゃま、熱が下がるまでは大人しくしていますよう……」
「う、うむ」
執事のアーノルドが泣きそうな声でそう懇願すれば、グレンは頷くしかない。
グレンが家族を全て失ったのと同じように、執事のアーノルドも仕えるべき一家を失ってしまった。アーノルドにとって、グレンは最後の主なのだ、過保護になるのも致し方なく。
そして、グレンも執事のじいやとメイド長のばあやには弱い。両親が亡くなり、兄も戦死してからは姉のセシリアとグレンにとっての親代わりでもあった。年老いたじいやとばあやが老骨に鞭打って働いているのを見ると、グレンも何も言えなくなってしまう。
「ドーヴィ殿、坊ちゃまの看病を任せてもよろしいですかな?」
「ああ。任せてくれ」
「……看病ではなくて監視なのではないか……?」
グレンが二人の会話に憮然と言葉を零す。もちろん、それは間違っていない。脱走するグレンを捕まえるのは、もはやドーヴィの仕事になっているのだ。
「とはいえ、グレンも暇は嫌だろ? 体調を見ながら、簡単な書類仕事でもやればいいんじゃないか。魔物対策についてなら、俺からもアドバイスはできるだろう」
「それは名案だな! じいや、魔物について確かオウス村から報告書が上がってなかったか?」
肩を落として拗ねたように唇を尖らせていたグレンが、ドーヴィの言葉に目を輝かせて顔を上げる。
その様子に、ドーヴィとアーノルドはこっそり視線を交わして頷きあった。
「ほっほ、ではその辺の書類をいくつか見繕って持ってきましょう。朝食も消化の良いものを作らせておりますから、こちらでお召し上がりください」
「うむ、そうさせて貰おう」
鷹揚に頷くグレンに領主としての貫禄……は、あまり無かったが。とにかく、グレンの機嫌が直ったことにアーノルドはホッとしたし、ドーヴィがいるなら無茶はさせないだろうと安堵の息も吐く。
最初に悪魔を召喚した、とグレンから打ち明けられたときは卒倒しそうになったが、その悪魔が予想以上に役立っている。
それどころか、悪魔を召喚してからグレンの明るい顔が増えた。ずいぶんと悪魔のドーヴィに懐いているようだった。
主であるグレンが健やかな生を送ることができるというなら、例え悪魔でも構わない、執事のアーノルドはそう思っている。
苦い薬から嫌そうに顔を背けるグレンに、ドーヴィが飲むように迫っている。本当にあの青年は悪魔なのだろうか、と首をひねりながら、アーノルドは部屋を後にした。
---
唐突に世界設定をぶっ放していく
これがあるので最初は「異世界」タグつけてました
平和回はたぶんもうちょっとだけ続く
まだ部屋主が応答を返していないのに勝手に入ってくるだなんて、そのような無礼をするメイドはクランストン辺境家には勤めていないはず。……執事のじいやとメイド長のばあやは別として。
起きなければ、ともがくグレンの耳に、低い男の声が入ってきた。――ドーヴィが何やら喋っている。
その事に気が付いたら、グレンは急に体の力が抜けて布団に沈み込んだ。そう言えば夜中に何度か目を覚ましてはドーヴィに寝かしつけられたような気もするし、寝る前にドーヴィに「一晩見張る」と言われてた気がする。
ひどい悪夢を見て飛び起きて……その後、ドーヴィにベッドまで運んでもらってからはあまり夢を見なかったように思う。
「グレン、起きられるか?」
ドーヴィの大きな手がグレンの肩にかかり、ゆさゆさと揺さぶられた。グレンが薄っすら目覚めつつあるのを気づいていたらしい。
その問いかけにはグレンは何とも言えない唸り声で返す。起きなければいけない、と思いつつも、抜けない眠気と暖かい布団がグレンをまた眠りの世界に全力で誘ってくる。
……それを、グレンはドーヴィへの「甘え」だとは気づいていない。
普段、自分だけであればメイドが呼びに来る前の早い時間に起床して、時間があれば魔法の訓練をするか執務室から持ち込んだ書類を処理してると言うのに。
自分が夜中に起きるたびにドーヴィが優しく声をかけてまた布団を肩まで引き上げて寝かしつけてくれる。それだけで、グレンはぐずぐずに溶けてしまったようだった。
「ん、お前……ちょいと熱っぽいな」
ひんやりとしたドーヴィの男らしい手が額に当てられ、グレンはぎゅっと目を瞑った。薄っすら目を開けるとドーヴィが苦笑いを浮かべている。
「もう少し寝てろ。じいやに言って医者を呼んでもらおう」
そう言われて、グレンはパッと目を開いた。慌てて、起き上がろうとするとドーヴィがその肩を押してベッドに戻そうとする。
「ドーヴィ、ちょっと熱があっても別に私は平気だ!」
「バカ、拗らせたら大変だろうが。大人しく寝ろ、この病人め」
「何を言うか、今日も私には仕事が……」
口応えをするグレンに対してドーヴィはニヤリと笑った。
「ないぞ」
「……え?」
ドーヴィが体をずらすと、壁際のデスクが目に入った。積み上がった紙の束から上のものを数枚、ぺらりとドーヴィが手に取ってグレンの元へ持ってくる。
「お前の見張りだけで一晩無駄にできるかよ。暇だったから、代わりにある程度はやっておいた」
まあ、数字のチェックと誤字脱字の確認だけだがな、とドーヴィは飄々と言う。確かに、ドーヴィの手にある紙にはペンでチェックが入っていた。
数字や誤字脱字のチェックだけ、と言う割には元の書類からかなり見やすく書き直されているものもある。ドーヴィの字は、グレンよりとても上手で綺麗だった。
「……文字の読み書き、できるのか」
「なんだよその目は、この野郎。……空き時間にじいやに手本を貰って練習したさ」
ドーヴィは言わなかった……いや、グレンには明かせなかったが、この世界は別世界をベースにして作られた「テンプレート品」である。たまたま、ドーヴィはここと同じ他のテンプレート異世界に召喚されたことがあったため、こちらの世界の文字についても習得が容易であった。
そうでなくても、そもそもハイスペックな悪魔であるドーヴィにとって、人間の文字の読み書き程度、少し本腰を入れて勉強すればすぐに習得できるものだ。
驚いたように目を丸くしたグレンは、次に何とも悔しそうな顔をしてドーヴィを見た。自分より字が上手で、計算も早ければ文字を読むのも早い。
デスクに積み上がった書類の山を見れば、いかにドーヴィの作業が早かったかがよくわかる。
「そんな顔すんなよ。お前と俺じゃ、生きてる年数が違うっつーの」
そう言いながらドーヴィはグレンから書類を取り返し、デスクに戻す。ついでに、ドアのところで様子を伺っていたメイドにグレンが発熱していることと、執事のアーノルドに医者を呼ぶように伝えて欲しいと声を掛けた。
言われたメイドは長身のドーヴィを見上げて、頬を染めながら上ずった声で返事をして、部屋を出て行った。
そのやり取りを、グレンはどことなく面白くない気持ちで見つめている。それがちょっとしたヤキモチであることに、本人は全く気付かない。
(おうおう、視線が妬いてら)
背中に刺さるグレンからの視線に、ドーヴィは面白いものを感じながら振り返った。
グレンは自分のことを「大人だ」と頻繁に言うが、それは裏を返せば言動が子供っぽい、という事でもある。
独りの人間として育っていくべき多感な時期を複雑な環境で過ごしたせいもあるだろう。グレンは大人の様な振る舞いをしつつも、素の状態では逆に実年齢よりもやや幼い言動が多いようにドーヴィには感じられた。
そのアンバランスさがまた良いんだよなぁ、とはドーヴィの心の中だけにしまっておいてある。
「ドーヴィは……」
「なんだ? とりあえず水でも飲んでろ」
メイドが持ってきたのか、それともドーヴィが魔法でどこからともなく取り出したのか。ひんやり冷えた水を差し出されて、グレンはコップを両手で持って口に運んだ。冷たい水が口の中を冷やし、とても気持ちがいい。……という事は、やはりドーヴィが言うように自分は発熱しているのだろう。
デスク前にあった椅子を勝手にベッドサイドに持ってきてドーヴィは座る。どうやら医者が来るまで、グレンを監視するつもりらしい。
「で、なんだって?」
「ドーヴィは、何歳なんだ? お前が私より相当年上だという事はわかるが……」
大人の男、なのはグレンにもわかる。グレンが持ちえない体の厚さ、頼りがいのありそうな背中に肩幅。すらりと伸びた足に、安心感をもたらしてくれる男の手。
「悪魔に年齢を聞くなよ。人間とは生きる時間が違うんだからな。……まあ、人間換算すれば20代中ごろってところか?」
「……それで、僕より仕事ができるのか」
「そういう意味での年齢なら……俺はもう数百年以上生きてるからなあ、たぶん」
「数百年!?」
グレンは驚いたようにドーヴィを見た、とてもマジマジと見た。ドーヴィが言うように、20代の成人男性にしか見えない。以前にいた、クランストン辺境騎士団の騎士ぐらいだなあとグレンは思っていたというのに。
ドーヴィはこの世界に昔からいるわけではない。別の世界から召喚によってこの世界に入り込んできた異物だ。
数多の異なる世界の間を飛び回って遊ぶ悪魔たちにとって、時間の流れはあまりにも意味をなさないものである。ゆえに、ドーヴィは「悪魔に年齢を聞くな」と言った。数百年以上、という数字もこの世界の歴史に反しない程度でグレンが納得してくれそうな適当な数字を言っただけだ。
「……ハッ、それもそうか、僕が悪魔の召喚陣を研究するときに参考にしたのも200年ほど前の書物であったし……」
すっかり自称が『私』から『僕』になったグレン。リラックスしているのは良いことだが――世界の理に触れるのは、危険だ。特にドーヴィがそばにいるのならば。
この世界以外にも複数の世界が存在している、という事実に触れられるわけにはいかない。
異世界が存在する、という事実を人間が知ってしまえば間違いなく天使がやってきて『天罰』を下す。知らなくても、予想するだけでも場合によっては命を取られるだろう。
世界の禁則事項を知るのは、世界を運営する天使や生み出した神、そしてそれらの監視の目を掻い潜ってちょっかいを出す悪魔のみ。それ以外の生き物は、それを知ってはならない。
ドーヴィは悩み始めたグレンに「熱が上がるからそれ以上難しい事を考えるのはやめろ」と無理に思考を断ち切らせるようにコップを口元に押し付けた。
「ぐむ」
「いいかグレン。医者が来たら大人しく診てもらうんだぞ。薬が出たら苦くてもちゃんと飲め」
「むっ、医者から逃げるなど、するわけがないだろう!」
薬だってしっかり飲むからな! とグレンは唇を尖らせてドーヴィに抗議する。すっかり、頭からはドーヴィを召喚した時の事は抜け落ちたようだ。
その事に、ドーヴィはひっそりと息を吐く。もし、世界の禁則事項に触れそうになったら、すぐにでも記憶を消す必要があっただろう。そうなれば、当然、ドーヴィはグレンの元を離れてこの世界から逃げ出さなければならない。天使達に襲われる前に。
そうしているうちに、焦った顔の執事のじいやとクランストン辺境家のお抱えの医者がやってくる。
医者はしっかりとグレンを診察した後に「これは過労でしょう」と言いおいて薬草を煎じた解熱剤を置いて帰って行った。
「坊ちゃま、熱が下がるまでは大人しくしていますよう……」
「う、うむ」
執事のアーノルドが泣きそうな声でそう懇願すれば、グレンは頷くしかない。
グレンが家族を全て失ったのと同じように、執事のアーノルドも仕えるべき一家を失ってしまった。アーノルドにとって、グレンは最後の主なのだ、過保護になるのも致し方なく。
そして、グレンも執事のじいやとメイド長のばあやには弱い。両親が亡くなり、兄も戦死してからは姉のセシリアとグレンにとっての親代わりでもあった。年老いたじいやとばあやが老骨に鞭打って働いているのを見ると、グレンも何も言えなくなってしまう。
「ドーヴィ殿、坊ちゃまの看病を任せてもよろしいですかな?」
「ああ。任せてくれ」
「……看病ではなくて監視なのではないか……?」
グレンが二人の会話に憮然と言葉を零す。もちろん、それは間違っていない。脱走するグレンを捕まえるのは、もはやドーヴィの仕事になっているのだ。
「とはいえ、グレンも暇は嫌だろ? 体調を見ながら、簡単な書類仕事でもやればいいんじゃないか。魔物対策についてなら、俺からもアドバイスはできるだろう」
「それは名案だな! じいや、魔物について確かオウス村から報告書が上がってなかったか?」
肩を落として拗ねたように唇を尖らせていたグレンが、ドーヴィの言葉に目を輝かせて顔を上げる。
その様子に、ドーヴィとアーノルドはこっそり視線を交わして頷きあった。
「ほっほ、ではその辺の書類をいくつか見繕って持ってきましょう。朝食も消化の良いものを作らせておりますから、こちらでお召し上がりください」
「うむ、そうさせて貰おう」
鷹揚に頷くグレンに領主としての貫禄……は、あまり無かったが。とにかく、グレンの機嫌が直ったことにアーノルドはホッとしたし、ドーヴィがいるなら無茶はさせないだろうと安堵の息も吐く。
最初に悪魔を召喚した、とグレンから打ち明けられたときは卒倒しそうになったが、その悪魔が予想以上に役立っている。
それどころか、悪魔を召喚してからグレンの明るい顔が増えた。ずいぶんと悪魔のドーヴィに懐いているようだった。
主であるグレンが健やかな生を送ることができるというなら、例え悪魔でも構わない、執事のアーノルドはそう思っている。
苦い薬から嫌そうに顔を背けるグレンに、ドーヴィが飲むように迫っている。本当にあの青年は悪魔なのだろうか、と首をひねりながら、アーノルドは部屋を後にした。
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