後宮に咲く毒花~記憶を失った薬師は見過ごせない~

二位関りをん

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第6話 動き出す

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「君の純粋な姿はよくわかった。だが、無理はするなよ」
「! 朝日さん……」

 美雪の左肩へ朝日の右手がぽんと触れる。ごつごつした触感からはぬくもりが伝わっては身体全身へと広がっていった。

「朝日さん……」
「朝日様」

 振り返ると中年くらいの宦官が2名ほど、朝日を呼びにやってきていた。顔はどちらも冷静沈着そのものと言っていいくらい。

「皇后様がお呼びでございます」
「わかった。すぐに参ると伝えてくれ」
「御意」

 朝日の視線に射抜かれた美雪はごくりと唾を飲み込んだ。

「焦るなよ。絶対に。いつかは思い出す時が来るかもしれないし、来ないかもしれない」
「朝日さん?」
「俺は君が元気に暮らせるなら、それで良い。だから無茶はするなよ」
「お気遣いありがとうございます……」

 くるりと背中を向け、先に歩き出していた宦官を追うように進みだした朝日へ、美雪は手を伸ばした。

「朝日さん!」
「また会おう、美雪」

 伸ばした手は届かない。彼の姿は小さくなりきえていった。

「朝日さん……また、会えますよね……」

 いつの間にか、腰の鈍い痛みが消えていた。美雪は頭の中で、先ほど朝日が放った言葉を繰り返す。

「また会おう、美雪……か」

 ここで先に洗濯場へ向かっていた新葉と花音が美雪の元へと戻って来た。

「美雪さん、朝日様と会話されていらっしゃったのですか?」
「あっそうなんです新葉さん」
「美雪さん、きっとまた会えますよ。朝日様は後宮にいらっしゃいますから」
「そうですよね、花音さん。よし……」

 少しばかり胸の中にある霧が晴れたような感覚が訪れる。
 美雪は胸の上に手を置いて、朝日が消えていった方角を見つめていた。

(今度また会ったらあれこれお話したい……)

◇ ◇ ◇

 すっかり日が暮れて夕食の時間が来たので花音らと共に大部屋でいただく。

「いただきます」

 食事内容はご飯に白身魚を焼いたものと野菜の煮付け、鳥肉と根菜の汁物。どれも食べやすい素朴な味付けだ。
 
「美雪さん、今お話よろしいでしょうか?」

 衝立越しに聞こえてきた花音の問いに対し、飲み込んでからいいですよ。と答える。

「明日夜勤、お願いできます?」
「閨の準備ですか?」

 閨。それは一言で言えば皇帝と妃が子を成す為の重要な場である。そして妃達からすれば、閨に招かれる事こそ、妃として最も重要なものだ。
 そして閨に配置された寝具の準備もまた、洗濯担当の宮女達が担う仕事なのだ。

「わかりました、行きます」
「私も行くから、何かあったらいつでも言ってくださいね~」
「お願いします」
 
 美雪にとって、花音はまだ話しやすい部類だとは感じている。そんな彼女が同行してくれるのは頼もしい。

「じゃあ、美雪さん、明日の朝はゆっくり過ごしましょう」
「夜勤だから、朝は遅めって事ですよね?」
「あ、美雪さん夜勤の形式ご存じなんですね」
「私もよくわからないけど、一応は……」

 鳥肉を頬張ると、花音のじゃあ、よろしくお願いしますね! と言う朗らかな声が響いてきた。

◇ ◇ ◇

 翌日の夜。夕食を軽く食べた後はいよいよ綺麗に洗濯された寝具を携えて閨の準備へと向かう。
 白い敷布団を大事に抱えて建物から一歩外へ踏み出すとひやりとした夜風が肌に突き刺さった。
 暗闇が辺りを支配しているのは変わらない。だが松明の光が点在しているおかげで、視界に支障はないだろう。

「こちらです」

 花音の背中をついていく。他にも3人の宮女が同行しているが、いずれもまだそこまで会話した事がない。
 静かな空気の中、石畳の地面を歩いていくと左側からざわつく声が聞こえてきた。

(なんでしょう……?)

 すかさず立ち止まって耳を澄ましてみる。

「ねぇ、リン才人様が殺されていたって本当なの!?」
「えっ、林才人様ってあの? ご懐妊の噂があった方の」
「そうそう! さっき夜食を食べていらしたら突然血を吐いて倒れたそうよ!」

 これは毒殺だ。しかも即効性のあるトリカブトだろう。美雪に残された知識が脳内で輝いた。
 
「美雪さん!?」

 両手で抱えた敷布団を花音に預け、美雪は声がした方へと走り出す。ここは己の目で確かめなければならないと言う責任感が、彼女の足を動かした。
 話をしていた宮女達が視界に入る。すみません! と大きな声をかける。彼女達は肩を跳ね上げながら美雪の方へと振り返った。

「あの、林才人が殺されたって話……詳しく聞かせてくださいますか?」
「え、えぇ……」

 目を点にして驚く若い宮女達の襟元には緑色の刺繍が見え隠れしている。これは二十七世婦の位の妃付きを表しているのは即座に理解できた。

「わかったわ、私達、現場に居合わせた訳ではないんだけど……」

 話をまとめる。
 林才人は後宮入りして半年ほどの新人妃。南方出身ではっきりとした濃いめの目鼻立ちをした容姿をしており、すぐに皇帝の目に止まった。
 才人は二十七世婦の一番下。お世辞にも位が高いとは言えないが、それでも寵愛を得たのは彼女の容姿とおおらかな人柄が大きい模様。
 そんな林才人は、ここ3日前くらいから体調を崩していたと宮女は語った。

「それで、懐妊されたと噂が」
「そう。私達はチン才人様付きだから又聞き程度なんだけどね」
(実際に見てみないと判断出来ませんね……)
「あの、林才人様のお部屋までご案内してもらっても構いませんか?」

 宮女は渋々首を縦に振ってくれた。案内してもらうと部屋の前には既にたくさんの宦官達が詰めかけてきている。医者達の姿は見えない。

(才人だから、夜勤対応の医者を呼んでいる最中かもしれませんね。中に入れたら……!)

 強引に間を縫って前へと進む。すると茶色い漆塗りの架子台の上には、桃色や橙色が使われた衣服を身に纏う若い女性が仰向けに寝かされていた。
 机には彼女が食べていたと思わしきお粥が確認出来る。

(あれが……林才人……!)

 部屋の灯りに照らされた彼女の顔には確かに外傷はない。まるで眠っているようだ。
 しかし、右口角には血の跡が残っている。

(亡くなってまだ時間は経っていないようですね。附子毒の類いか……)

 附子毒は即効性と強力さを兼ね備えた毒。要人が毒殺されるか、皇帝から死を賜る際に送られる毒は大抵附子毒だと相場が決まっている。

(多分誰かかが教えてくれた。誰かがわからないけど)

 部屋の辺りを宦官達が観察しているのも気になったので、美雪も彼らに加わった。
 彼らは何か粉を拾ったらしい。ちらりと見てみると白い無臭の粉だ。しかも宦官はその粉を右手のひらに乗せている。

「それ、素手で触ってはなりません! 附子毒です!」

 考えるよりも先に声と足が出た。宦官がえ!? と口にした瞬間、彼はぐらりと倒れ気を失う。

「!? しっかり……! どなたか、使わない布と毒消し用の薬と水を用意してください!」

 毒薬をただ水で拭っても効能は残り続ける。完全に拭い去るには毒消しを水に染み込ませてから拭う必要があるのだ。
 この知識、果たして誰が教えてくれたんだろうと疑問も湧くが、今はそれどころではない。宦官が急いで医者へと毒消しを持って来るように伝えたのを見て、早く持ってきてほしいと焦りと共に願う。
 倒れた宦官には直接触れられない。袖の袂で手を隠し、肩を軽く叩いて刺激を与えるが、彼は口元から泡を吹き始めている。

(これは……! 早くしないと、間に合いません!)
「なっ、美雪?」

 数分後。後ろを振り返ると、そこには部下と思わしき男の薬師達を引き連れている朝日の姿があった。朝日の手には毒消しが入った白い瓶が握られている。

「朝日さん?」
「美雪。君は、なんでここにいるんだ」

 明らかに怒りと動揺を孕んでいる低い声。美雪はまずい。と悟り、急いでその場を離れる。
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