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第38話 白雪
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晩秋に季節は差し掛かり、いよいよ冬の到来が間近まで迫っている。
美雪は薬師として働きながら、自分に関する出来事を思い出そうとしていた。例えば誰かに記憶をなくす前の自分について話かけてみたり仕事道具を調べて回ってみたり。
しかし一向に全て戻る気配はなかった。先輩方からもあまり具体的な反応は返ってこないし、朝日に至っては当然の如く教えてさえもくれない。
そんな美雪だが、仕事にはだいぶ慣れてきた。難しい仕事も任されるようになり、仲間との信頼関係も深いものになってきていると感じている。
朝日との関係も、肝心な部分が未だに隠されているような気はするが、華南の地への旅をはじめに、距離は縮まってきている。具体的には結構な頻度で昼食に誘われたり、と言った所か。
朝から冷気を纏った雨が降りしきる中、詰所で普段あまり作り慣れていない種類の丸薬を製作途中だった美雪は配合書を探している。
「よいしょ、とりあえず片っ端から読んでいかなければ……」
目についた配合書を5冊ほど机の上に並べた。そのうち一番上の本に目が留まる。
水色がかった藤色の表紙はどことなく幻想的で、女性らしさも感じられる。表題も女性らしい繊細な字だ。
「配合指南覚書……著・白雪……」(これまで見てきた薬系の書籍の中では、なんか浮世離れしていると言いますか……)
とはいえ読んでみなければ真の評価は下せないと言うもの。ぺらりと表紙をめくった時だった。
「美雪さん、それ! どこから取り出したの?!」
「……え?」
先輩である中年くらいの女性薬師2人が後ろから配合指南覚書を指差している。
「あ、あちらの棚から取り出したのですが」
「あ、ああ、そうだったの。だったら大丈夫よ」
「ま、あんな所に置いてあったのがいけなかったわ、美雪さんは何にも悪くない」
2人の先輩は顔を引きつらせて何かを言っているが、聞き取れないし意味が理解できない。何を仰っているのですか? と問うと、なんでもないわ! とはぐらかされてしまった。
(……これ以上追及するのはやめておいた方が良いかもしれませんね。とりあえず読んでみましょう)
もしかしたら彼女達が不穏な様子を見せる理由が、本の中にあるのかもしれない。
1枚ずつペラペラと頁をめくってみるが、不審な点は見られない。むしろ薬草の配合についてわかりやすくて丁寧にまとめられている。
(これまで読んできたものの中では1番わかりやすい。白雪と言うお方は一体どのようなお方だったのでしょうか……)
このまま時間をも忘れてしまいそうになるほど、引き込まれていく。
最後の頁をめくると、そこには白雪についてこう記されていた。
――姜皇后付き薬師、白雪著
「この方! 皇后様付きの薬師だったのですね!」
周囲にいた薬師達から一斉に視線を向けられ、自分の声が如何に大きかったかを認識させられる。
「美雪さん、どうかしたのか?」
「あっ……! 皆様すみません! 急に大きな声を出してしまって……!」
「いや、気にしないで」
「あの、白雪さんて皆様ご存じでしょうか? こちらの書には皇后様付きの薬師だと書いてありまして」
ピシリ。と凍てついた空気が詰所中に広がる。ただならぬ冷たい空気が美雪の全身を容赦なく貫いた。
「あ、あ~」
「白雪……」
「俺は知らないなぁ、他のみんなは?」
「私も、よく知らないんですよねぇ……」
明らかに知っている。池のほとりで目を覚まし朝日と出会ったあの時に感じた直感に似たものを知覚した。
しかし美雪は言葉を吐き出せない。
「そ、そうでございましたか、失礼いたしました……」
やっとの思いで言葉を絞り出した後は硬く唇を閉ざす。冷たい空気は未だに流れ、肌を刺し続けていた。
(……口に出してはいけないお方なのでしょうね、でも会えるなら会ってみたい、けど……)
後宮は一度入れば死ぬまで出られない。出るには華南へ赴いた時のように、皇帝からの許可が必要だ。
即ち白雪は後宮を後にしているか、故人の2択が考えられる。
(口に出すのが憚られる空気なのに、会いたいと言う欲が湧いて出てきているのは、なぜ……?)
それからと言うもの、白雪への興味は美雪の中で膨らむばかりとなった。
彼女に諦めない言葉はないも同然。時間を縫って白雪が後宮ではどんな人物だったのかなどを先輩薬師に尋ねるのを繰り返す。だが何度聞いてもあまりよくない反応が返って来るだけ。
(あの人については知らない方が良い、と今日も言われてしまいました……)
彼らがそう言うのならそうなのだろう。なのに配合指南覚書からは、彼女が無能なようには見受けられない。
(仕事が出来ない方ではないはず。これだけの種類の配合をわかりやすくまとめてくださっているのだから)
薬師から情報は得られない。そう悟った美雪は暁華殿で働く宮女にも話を伺ってみる事にした。
「白雪? 薬師の? あぁ、聞いた事あるような、ないような……」
今声をかけているのは、白髪が目立つ60代くらいの宮女だ。彼女は腕を組み、警戒心を露わにした瞳を見せている。
「はい。もし可能でしたら白雪さんについて教えて欲しいのです」
「聞いてどうするの?」
「配合についての書を書いた方でございますから、ぜひ知りたいなと思いまして」
「まぁ、見た事はあるわよ。美雪さんみたいな黒い髪をしていたわね」
黒髪は暁月国では最も知られた髪色なので、有力な手がかりとはならない。
とはいえ、美雪が思い浮かべる姿とは共通している。
その時、朱美が後ろから美雪の右肩を軽く叩いた。
「美雪さん、皇后様がお呼びよ」
「え?」
「お茶会にご招待するって」
美雪は薬師として働きながら、自分に関する出来事を思い出そうとしていた。例えば誰かに記憶をなくす前の自分について話かけてみたり仕事道具を調べて回ってみたり。
しかし一向に全て戻る気配はなかった。先輩方からもあまり具体的な反応は返ってこないし、朝日に至っては当然の如く教えてさえもくれない。
そんな美雪だが、仕事にはだいぶ慣れてきた。難しい仕事も任されるようになり、仲間との信頼関係も深いものになってきていると感じている。
朝日との関係も、肝心な部分が未だに隠されているような気はするが、華南の地への旅をはじめに、距離は縮まってきている。具体的には結構な頻度で昼食に誘われたり、と言った所か。
朝から冷気を纏った雨が降りしきる中、詰所で普段あまり作り慣れていない種類の丸薬を製作途中だった美雪は配合書を探している。
「よいしょ、とりあえず片っ端から読んでいかなければ……」
目についた配合書を5冊ほど机の上に並べた。そのうち一番上の本に目が留まる。
水色がかった藤色の表紙はどことなく幻想的で、女性らしさも感じられる。表題も女性らしい繊細な字だ。
「配合指南覚書……著・白雪……」(これまで見てきた薬系の書籍の中では、なんか浮世離れしていると言いますか……)
とはいえ読んでみなければ真の評価は下せないと言うもの。ぺらりと表紙をめくった時だった。
「美雪さん、それ! どこから取り出したの?!」
「……え?」
先輩である中年くらいの女性薬師2人が後ろから配合指南覚書を指差している。
「あ、あちらの棚から取り出したのですが」
「あ、ああ、そうだったの。だったら大丈夫よ」
「ま、あんな所に置いてあったのがいけなかったわ、美雪さんは何にも悪くない」
2人の先輩は顔を引きつらせて何かを言っているが、聞き取れないし意味が理解できない。何を仰っているのですか? と問うと、なんでもないわ! とはぐらかされてしまった。
(……これ以上追及するのはやめておいた方が良いかもしれませんね。とりあえず読んでみましょう)
もしかしたら彼女達が不穏な様子を見せる理由が、本の中にあるのかもしれない。
1枚ずつペラペラと頁をめくってみるが、不審な点は見られない。むしろ薬草の配合についてわかりやすくて丁寧にまとめられている。
(これまで読んできたものの中では1番わかりやすい。白雪と言うお方は一体どのようなお方だったのでしょうか……)
このまま時間をも忘れてしまいそうになるほど、引き込まれていく。
最後の頁をめくると、そこには白雪についてこう記されていた。
――姜皇后付き薬師、白雪著
「この方! 皇后様付きの薬師だったのですね!」
周囲にいた薬師達から一斉に視線を向けられ、自分の声が如何に大きかったかを認識させられる。
「美雪さん、どうかしたのか?」
「あっ……! 皆様すみません! 急に大きな声を出してしまって……!」
「いや、気にしないで」
「あの、白雪さんて皆様ご存じでしょうか? こちらの書には皇后様付きの薬師だと書いてありまして」
ピシリ。と凍てついた空気が詰所中に広がる。ただならぬ冷たい空気が美雪の全身を容赦なく貫いた。
「あ、あ~」
「白雪……」
「俺は知らないなぁ、他のみんなは?」
「私も、よく知らないんですよねぇ……」
明らかに知っている。池のほとりで目を覚まし朝日と出会ったあの時に感じた直感に似たものを知覚した。
しかし美雪は言葉を吐き出せない。
「そ、そうでございましたか、失礼いたしました……」
やっとの思いで言葉を絞り出した後は硬く唇を閉ざす。冷たい空気は未だに流れ、肌を刺し続けていた。
(……口に出してはいけないお方なのでしょうね、でも会えるなら会ってみたい、けど……)
後宮は一度入れば死ぬまで出られない。出るには華南へ赴いた時のように、皇帝からの許可が必要だ。
即ち白雪は後宮を後にしているか、故人の2択が考えられる。
(口に出すのが憚られる空気なのに、会いたいと言う欲が湧いて出てきているのは、なぜ……?)
それからと言うもの、白雪への興味は美雪の中で膨らむばかりとなった。
彼女に諦めない言葉はないも同然。時間を縫って白雪が後宮ではどんな人物だったのかなどを先輩薬師に尋ねるのを繰り返す。だが何度聞いてもあまりよくない反応が返って来るだけ。
(あの人については知らない方が良い、と今日も言われてしまいました……)
彼らがそう言うのならそうなのだろう。なのに配合指南覚書からは、彼女が無能なようには見受けられない。
(仕事が出来ない方ではないはず。これだけの種類の配合をわかりやすくまとめてくださっているのだから)
薬師から情報は得られない。そう悟った美雪は暁華殿で働く宮女にも話を伺ってみる事にした。
「白雪? 薬師の? あぁ、聞いた事あるような、ないような……」
今声をかけているのは、白髪が目立つ60代くらいの宮女だ。彼女は腕を組み、警戒心を露わにした瞳を見せている。
「はい。もし可能でしたら白雪さんについて教えて欲しいのです」
「聞いてどうするの?」
「配合についての書を書いた方でございますから、ぜひ知りたいなと思いまして」
「まぁ、見た事はあるわよ。美雪さんみたいな黒い髪をしていたわね」
黒髪は暁月国では最も知られた髪色なので、有力な手がかりとはならない。
とはいえ、美雪が思い浮かべる姿とは共通している。
その時、朱美が後ろから美雪の右肩を軽く叩いた。
「美雪さん、皇后様がお呼びよ」
「え?」
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