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今まで見てきた中で一番美形な人だと思う。
「重山さん、か。二年生なんだね。学校楽しい?」
曖昧な反応しか返せない愚純な小娘。自分だったら雇わない。
「ウチ、いま三人しか居なくってね。今月一人辞めるから今すぐにでも来て貰いたいな。週何回入れそう?」
「四、五ですかね。試験前以外でしたら毎日でも」
「おっ、結構行くね」
大学通わせてる時点でお金はかかっている。小遣いは自力で稼ぐべし。
家から一歩も出ない……大学を休んでいた時期があった時点で、親には心配をかけている。
これ以上の負担はかけられない。
「そっかそっか。じゃー採用!」
そんな簡単で良いのか。
そして、どう見てもヤン上がりだ。元ヤン。
焼き肉屋の店長やるより、ホストが似合ってそうだ、失礼ながら。
思考惑うあたしをさておき、彼は席を立ち、
「よろしくね、重山さん」
久しぶりに触れる男性の手だった。
予想していたほど怖くはなくて、例えば彩夏の手よりは骨っぽくて大きいけど、そう思えばそれだけのことで、ほっとした。
テーブルの下の足が震えていたのは隠せていたと信じたい。
「ほーら、さっさと運ぶ」
今まで見てきた大人の中で一番厳しい人かもしれない。
「こことここ、お皿溜まってるでしょ。で、どうすれば良かったか、分かる? 先ずね、一番最初に出てきた大皿出さないと、カウンター埋まっちゃうでしょ」
甘いマスクに騙された女の子が何人いたことか。
「往復してる途中にお客さんに呼ばれたら、『ごめんなさーい、少々お待ち下さーい』って、彼氏にやるみたく笑ってごらん? 後は平子(ひらこ)に投げとけ」
「うえっ? 僕っすか、重野さん」
いません、と突っ込む間も無かった。
しかも、妻子持ちだ。
別に、惚れた、などではないのだが、恐怖を感じさせなかった男性は久しぶりだった。
多少あるかもしれない。
というか、焼き肉屋のバイトがこんなに大変だとは知らなかった。
テーブル全卓、真ん中に炭火コンロが埋め込まれている。
これが、厄介物。
適宜奥にお水を足さねばならないし、客が変わる度に炭を総とっかえ。
入れ方にも、コツがある。
円形の火の元を、一度火のついた炭、消し炭で囲う。空気の通るスペースを空けつつ、黒い炭を足していく。
順番、バランスを間違えると、火は上手く燃えない。
テーブルを片す際も捨てず、消し壺に保管。灰になるまで何度も再利用。
当初は貧乏臭く思えたのだが、そんな事情があったらしい。割高な紀州備長炭、無駄には出来ない。
網の交換も頻繁。一組あたり1、2回が平均。
塩物から焼かない輩は、網を替えろと直ぐ言いつける。
こちらは注文内容から察しているから、笑顔で応対する。
上ミノタレから焼くなんて、お前は馬鹿かと思いつつ。
一万円おごるとは、健気な男だと思った。
焼き肉後にホテルなんざ行ってたら、失笑もの。
「お先に失礼します」
あたしは一番最初にこの店をあとにする。時刻は11時を過ぎた。
怖いのは終電ではない。たった一駅、1時前まで平気。最悪、タクる。
恐ろしいのは、闇。
駅からアパートまで徒歩8分。
自意識過剰。幾度も振り返り、辺りをしつこく見まわす。
後ろを歩くカップルと目が合った。なにこいつ、って視線を浴びた。
帰宅後どちらかの部屋で睦みあうであろう、彼らには分かるまい。
この道筋がどれだけ恐ろしいか。
裏道を避け、明かり多い表通りを選ぶ。
足音に過敏。男が歩く。一人。大きいヘッドホンをつけた大学生風。足を速める。携帯をぎゅっと握りしめる。
一時は走っていた。夜道を歩けなかった。
だが人間は慣れるもので、また、思いのほか疲れるから、全速力は続かなかった。
鍵を開けて扉を閉めると、毎度寄りかかり、安堵の息を吐く。
鼓動が異様に速い。背を預けたままずる、ずる、としゃがみこむ。
見あげた天井はあの部屋と似ている。吐き気をもよおす。
口許を覆い、思考を閉ざす。
すると突然、瞼の奥に自分を見た。
歯ぁ立てるなよ、と髪を掴まれたこと。
剥がされ、浅岡がしたようにまさぐられたこと。
うわ、べっとべと、と楽しげに引っ張られたこと。
よくも正体を知らないもので頬を叩かれたこと。
白濁した液を飲まされたこと。
部屋の中心にはいつも、なされるがままに服従するあたしの姿がある。
おぞましい。
知らぬ間にあたしは膝頭を付いていた。汚いコンクリートに支える手。
一つ一つを覚えている。今すぐ記憶喪失になりたい。
誰か、あたしを殺してはくれないか。
叫ぶこと一つ出来なかった自分が情けない。
あいつらに抵抗出来なかった己が呪わしい。
女であるこのからだが疎ましい。
「うっ……」
喉の気管が狭まる。暗まる視界の奥で、白んだ単語が浮かんでくる。
――フラッシュバック。
からだを引きずりながら、左手のトイレに向かう。
頭からビニール袋を被り、二酸化炭素を吸う。生憎紙袋は切らしている。
どうにも治まらない。便座を抱えながら、自分という存在を考える。
――何故、女になど生まれた?
吐きも出来ないのに、喉の奥に指を突っ込むためか?
近所迷惑な流水音をバスルームに響かせるためか?
ひととおりを終えると、力は入らぬが腰を起こす。
鏡が露わにする、青白い亡霊。
この世で自分が一番不幸だと思っている女の顔。
叩き割りたくなった。
「重山さん、か。二年生なんだね。学校楽しい?」
曖昧な反応しか返せない愚純な小娘。自分だったら雇わない。
「ウチ、いま三人しか居なくってね。今月一人辞めるから今すぐにでも来て貰いたいな。週何回入れそう?」
「四、五ですかね。試験前以外でしたら毎日でも」
「おっ、結構行くね」
大学通わせてる時点でお金はかかっている。小遣いは自力で稼ぐべし。
家から一歩も出ない……大学を休んでいた時期があった時点で、親には心配をかけている。
これ以上の負担はかけられない。
「そっかそっか。じゃー採用!」
そんな簡単で良いのか。
そして、どう見てもヤン上がりだ。元ヤン。
焼き肉屋の店長やるより、ホストが似合ってそうだ、失礼ながら。
思考惑うあたしをさておき、彼は席を立ち、
「よろしくね、重山さん」
久しぶりに触れる男性の手だった。
予想していたほど怖くはなくて、例えば彩夏の手よりは骨っぽくて大きいけど、そう思えばそれだけのことで、ほっとした。
テーブルの下の足が震えていたのは隠せていたと信じたい。
「ほーら、さっさと運ぶ」
今まで見てきた大人の中で一番厳しい人かもしれない。
「こことここ、お皿溜まってるでしょ。で、どうすれば良かったか、分かる? 先ずね、一番最初に出てきた大皿出さないと、カウンター埋まっちゃうでしょ」
甘いマスクに騙された女の子が何人いたことか。
「往復してる途中にお客さんに呼ばれたら、『ごめんなさーい、少々お待ち下さーい』って、彼氏にやるみたく笑ってごらん? 後は平子(ひらこ)に投げとけ」
「うえっ? 僕っすか、重野さん」
いません、と突っ込む間も無かった。
しかも、妻子持ちだ。
別に、惚れた、などではないのだが、恐怖を感じさせなかった男性は久しぶりだった。
多少あるかもしれない。
というか、焼き肉屋のバイトがこんなに大変だとは知らなかった。
テーブル全卓、真ん中に炭火コンロが埋め込まれている。
これが、厄介物。
適宜奥にお水を足さねばならないし、客が変わる度に炭を総とっかえ。
入れ方にも、コツがある。
円形の火の元を、一度火のついた炭、消し炭で囲う。空気の通るスペースを空けつつ、黒い炭を足していく。
順番、バランスを間違えると、火は上手く燃えない。
テーブルを片す際も捨てず、消し壺に保管。灰になるまで何度も再利用。
当初は貧乏臭く思えたのだが、そんな事情があったらしい。割高な紀州備長炭、無駄には出来ない。
網の交換も頻繁。一組あたり1、2回が平均。
塩物から焼かない輩は、網を替えろと直ぐ言いつける。
こちらは注文内容から察しているから、笑顔で応対する。
上ミノタレから焼くなんて、お前は馬鹿かと思いつつ。
一万円おごるとは、健気な男だと思った。
焼き肉後にホテルなんざ行ってたら、失笑もの。
「お先に失礼します」
あたしは一番最初にこの店をあとにする。時刻は11時を過ぎた。
怖いのは終電ではない。たった一駅、1時前まで平気。最悪、タクる。
恐ろしいのは、闇。
駅からアパートまで徒歩8分。
自意識過剰。幾度も振り返り、辺りをしつこく見まわす。
後ろを歩くカップルと目が合った。なにこいつ、って視線を浴びた。
帰宅後どちらかの部屋で睦みあうであろう、彼らには分かるまい。
この道筋がどれだけ恐ろしいか。
裏道を避け、明かり多い表通りを選ぶ。
足音に過敏。男が歩く。一人。大きいヘッドホンをつけた大学生風。足を速める。携帯をぎゅっと握りしめる。
一時は走っていた。夜道を歩けなかった。
だが人間は慣れるもので、また、思いのほか疲れるから、全速力は続かなかった。
鍵を開けて扉を閉めると、毎度寄りかかり、安堵の息を吐く。
鼓動が異様に速い。背を預けたままずる、ずる、としゃがみこむ。
見あげた天井はあの部屋と似ている。吐き気をもよおす。
口許を覆い、思考を閉ざす。
すると突然、瞼の奥に自分を見た。
歯ぁ立てるなよ、と髪を掴まれたこと。
剥がされ、浅岡がしたようにまさぐられたこと。
うわ、べっとべと、と楽しげに引っ張られたこと。
よくも正体を知らないもので頬を叩かれたこと。
白濁した液を飲まされたこと。
部屋の中心にはいつも、なされるがままに服従するあたしの姿がある。
おぞましい。
知らぬ間にあたしは膝頭を付いていた。汚いコンクリートに支える手。
一つ一つを覚えている。今すぐ記憶喪失になりたい。
誰か、あたしを殺してはくれないか。
叫ぶこと一つ出来なかった自分が情けない。
あいつらに抵抗出来なかった己が呪わしい。
女であるこのからだが疎ましい。
「うっ……」
喉の気管が狭まる。暗まる視界の奥で、白んだ単語が浮かんでくる。
――フラッシュバック。
からだを引きずりながら、左手のトイレに向かう。
頭からビニール袋を被り、二酸化炭素を吸う。生憎紙袋は切らしている。
どうにも治まらない。便座を抱えながら、自分という存在を考える。
――何故、女になど生まれた?
吐きも出来ないのに、喉の奥に指を突っ込むためか?
近所迷惑な流水音をバスルームに響かせるためか?
ひととおりを終えると、力は入らぬが腰を起こす。
鏡が露わにする、青白い亡霊。
この世で自分が一番不幸だと思っている女の顔。
叩き割りたくなった。
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