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Phase 1(1)
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「らららららららー、らぁー、ら、ららら」
すぐそこの台所に立つ恋生のエプロン姿。エプロンが不格好に可愛くてなんだか高校生の調理実習みたいだ。童顔なのも相まって。
「ご機嫌だね」と話しかける。「宇多田ヒカルの『First Love』だっけ、それ」
おたまを手にして振り返った恋生は目を丸くして、
「本当に、……川瀬さんなにも覚えていないんだね」
「なんのこと?」
「いまはいい。……横になって。読書もほどほどに。目が疲れない程度にね」
まるでお母さんだ。「分かりました。ママ」
「花子。ご飯もうすぐ出来るからね」
びっくりした。女の声も出せるのか。本気で女が喋っているのかと思った。
既に前を向いて調理を再開したかに見えた神宮寺くんは、目を合わせると微笑み、
「ご飯は花子の大好きな卵のおかゆだからね」
駅で倒れた日。神宮寺くんが何故かその場にいて私を介抱してくれた。気分がよくなるまで駅員室で休む私に付き添ってくれた。仕事は? と聞くとそんなものはいい、と、冷たくなった私の手を握って温めてくれた。
翌日。無理そうですと会社に電話をすると神宮寺くんが私のアパートを訪れた。帰りに送ってくれて、しばらくしてから、インターホンが鳴った。
玄関のドアノブにはポカリやハイレモン、パウチの卵がゆやヴィックスののど飴の入ったエコバックがかけられていた。
「よくなりますように。恋生」
華美な封筒の中に入った洒落たギフトレターに書かれた達筆な字。
字面を見てもラブレターに見えてうっかり妄想した自分を恥じた。
「はい。あーん」
私の眠る布団に寄り添っておかゆをれんげですくってあげてくれる。これじゃ、お母さんじゃなくて彼氏だ。
神宮寺くんはとにかく優しい。
なんでも、既に、うちの会社は退職して数社経営する経営者となっており、ただし勤務時間はフレックスで一日六時間。それ以上働くと生産性が落ちるというのが彼の考えだ。
朝と夜。彼はうちのアパートに立ち寄って、掃除とか、おかゆや切り干し大根と人参の煮物、ひじきの煮物とか作ったり、お洗濯も下着以外してくれる。彼なりの配慮なのだろう。
何故、こんなによくしてくれているのかは分からない。
ただ、寝ているだけでやっとの自分にとってありがたいのは事実。
襲う目的ならいくらでもチャンスはあったし(いくら私が病人だからといって)、ここまでしてくれる彼を疑うのもかえって失礼な気がして。遠慮なくご厚意に甘えさせて頂いている。
「おいし。ちょっと熱い」
ふーふーしてまた一口よそった神宮寺くんは、「これでどう?」と聞いてくる。
研修時代に目にした神宮寺くんとはまたちょっと雰囲気が違う。あの頃は、華麗なる、実写版白馬に乗った王子様だった。みんなが憧れ、彼を見てきゃっきゃし、同期のなかで誰が最初の彼女になるのか。話題にしたものだった。
もっとも私はその会話に加わることなどなく、遠巻きに見たり、噂する同期女子を冷ややかに見る程度だったが。
半分ほど食べさせた神宮寺くんは、半分ほど残ったお椀を見て、「……結構食べたね。もうお腹いっぱい?」
なんでも彼にはばれる。「うん。ありがとう」
器を手に立つ前に私の頭を撫でて必ず言うのだ。
「大丈夫。ゆっくりお休み。お姫様」
神宮寺くんは私が眠るまで寄り添って私の手を握ってくれる。あの日、私を救ってくれた温かい手。
触れているだけで癒される。ひとの肌ってこんなにも心地がいい。
そっと、労わるように、私が眠りに落ちかける頃、神宮寺くんは、私の頭を撫でる。お父さんのように。
「おやすみ花子。――また明日」
このアパートを出る前に必ず私の頬に口づける。その、甘ったるくて切ない感情を胸のなかで抱き締めながら私は眠りに落ちる。
すぐそこの台所に立つ恋生のエプロン姿。エプロンが不格好に可愛くてなんだか高校生の調理実習みたいだ。童顔なのも相まって。
「ご機嫌だね」と話しかける。「宇多田ヒカルの『First Love』だっけ、それ」
おたまを手にして振り返った恋生は目を丸くして、
「本当に、……川瀬さんなにも覚えていないんだね」
「なんのこと?」
「いまはいい。……横になって。読書もほどほどに。目が疲れない程度にね」
まるでお母さんだ。「分かりました。ママ」
「花子。ご飯もうすぐ出来るからね」
びっくりした。女の声も出せるのか。本気で女が喋っているのかと思った。
既に前を向いて調理を再開したかに見えた神宮寺くんは、目を合わせると微笑み、
「ご飯は花子の大好きな卵のおかゆだからね」
駅で倒れた日。神宮寺くんが何故かその場にいて私を介抱してくれた。気分がよくなるまで駅員室で休む私に付き添ってくれた。仕事は? と聞くとそんなものはいい、と、冷たくなった私の手を握って温めてくれた。
翌日。無理そうですと会社に電話をすると神宮寺くんが私のアパートを訪れた。帰りに送ってくれて、しばらくしてから、インターホンが鳴った。
玄関のドアノブにはポカリやハイレモン、パウチの卵がゆやヴィックスののど飴の入ったエコバックがかけられていた。
「よくなりますように。恋生」
華美な封筒の中に入った洒落たギフトレターに書かれた達筆な字。
字面を見てもラブレターに見えてうっかり妄想した自分を恥じた。
「はい。あーん」
私の眠る布団に寄り添っておかゆをれんげですくってあげてくれる。これじゃ、お母さんじゃなくて彼氏だ。
神宮寺くんはとにかく優しい。
なんでも、既に、うちの会社は退職して数社経営する経営者となっており、ただし勤務時間はフレックスで一日六時間。それ以上働くと生産性が落ちるというのが彼の考えだ。
朝と夜。彼はうちのアパートに立ち寄って、掃除とか、おかゆや切り干し大根と人参の煮物、ひじきの煮物とか作ったり、お洗濯も下着以外してくれる。彼なりの配慮なのだろう。
何故、こんなによくしてくれているのかは分からない。
ただ、寝ているだけでやっとの自分にとってありがたいのは事実。
襲う目的ならいくらでもチャンスはあったし(いくら私が病人だからといって)、ここまでしてくれる彼を疑うのもかえって失礼な気がして。遠慮なくご厚意に甘えさせて頂いている。
「おいし。ちょっと熱い」
ふーふーしてまた一口よそった神宮寺くんは、「これでどう?」と聞いてくる。
研修時代に目にした神宮寺くんとはまたちょっと雰囲気が違う。あの頃は、華麗なる、実写版白馬に乗った王子様だった。みんなが憧れ、彼を見てきゃっきゃし、同期のなかで誰が最初の彼女になるのか。話題にしたものだった。
もっとも私はその会話に加わることなどなく、遠巻きに見たり、噂する同期女子を冷ややかに見る程度だったが。
半分ほど食べさせた神宮寺くんは、半分ほど残ったお椀を見て、「……結構食べたね。もうお腹いっぱい?」
なんでも彼にはばれる。「うん。ありがとう」
器を手に立つ前に私の頭を撫でて必ず言うのだ。
「大丈夫。ゆっくりお休み。お姫様」
神宮寺くんは私が眠るまで寄り添って私の手を握ってくれる。あの日、私を救ってくれた温かい手。
触れているだけで癒される。ひとの肌ってこんなにも心地がいい。
そっと、労わるように、私が眠りに落ちかける頃、神宮寺くんは、私の頭を撫でる。お父さんのように。
「おやすみ花子。――また明日」
このアパートを出る前に必ず私の頬に口づける。その、甘ったるくて切ない感情を胸のなかで抱き締めながら私は眠りに落ちる。
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