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畑中までの新幹線に乗るのは生まれて初めてだ。
その昔、石川県は新幹線が開通していなかった。石川県民が新幹線に乗りたいのならば、隣の富山県か福井県に行くしか手段がなかった。
畑中より更に北の、能登半島の先端にある、辺境の港町・緑川に至っては、陸の孤島だ。
一応、羽田から一日二便の飛行機は飛んでいる。極端に朝が早いか、それとも、お昼をとった後にゆっくり行くかのいずれかだ。とてもお隣さんの富山や福井とは比較にならない。わたしが生まれる前は、能登には空港すらなかったというから、車で三時間もかけて畑中まで行って、更に一時間かけて石川県の南にある空港に行くしか手がなかった。本当に僻地である。念のためジャンプは月曜に届く。
飛行機はプライベートジェットのようにとても小さくて、こんな小さな飛行機で? と不安になるレベル。なのに、いつも、飛行機のなかは帰省や外国人観光客でいっぱいで、通路も席も狭く、せせこましい思いをしたものだ。まぁ、――私が最後に帰省したのなんて、大学を卒業した年が最後だった。パンデミックが起こる前で、自由に行き来出来たあの頃。それを思うと、……もう少し、ちゃんと、帰ってやるべきだったなと思う。こうして新幹線に乗ってみると案外快適で、スムーズに畑中まで行けるし、後はここから三時間のバス移動が残るのみで。
大切なものの本当の価値が分かるのは、いつも、失ってから。失ってみて初めて、私たちは、そのものの大切さが分かる。いつも……遅すぎる。
実家よりも先に用件を済ませることを優先した。今回私は一旦は緑川まで行き、そこから、船で、海野小島へと移動する。
長い旅路となる。目を瞑り、すこしでも休もうとは思うものの、緊張がいまだに抜けていない。初めて池水恋乃と出会った、いや、十五年ぶりに再会した高揚感がまだからだのなかに残っている。相変わらず美しかった。彼女が緑の帽子を被った五尻禅雨……。
となると、私は、青い帽子を被った存国理生に恋をしていたはず。
別に、今更、合宿の行われた海野小島に行ったとて、なにが分かるでもないのだが、とにかく、行ってみないことには始まらない。途中でアユちゃんにメールを打ち、例の合宿を主催したひとのうちのひとりが海野小島にいると聞き、早速会う約束を取り付けた。よし、これでなにか分かれば……。
窓の外は暗い。暗いトンネルのなか。今頃あなたはなにをしているだろう。すました顔で、スーツ姿で仕事をしている?
呑気な私の身分。不安定な立場。恋生とそんなに……一夜を共にしたとて、生涯の相手になりうるかなんて、未来のことは誰にも分からないというのに、私のこころは妙に浮き立っている。先を急ぐ、そんな感じ。
ああ、こんなとき……無性にあなたに会いたい。
会って、抱き締めて、いつものようにキスをして。
おそらくあなたに言えば大概の願いは叶う。けども、自分の手を頭を使ってあがいてみたかった。自分がペーパードライバーなのが痛手で、石川県内で移動するとなると車が基本だから。Uberやタクシーのお世話になることが想定され、懐は痛い。
ま、なんとかなるさ。冬のボーナスだってなにも買わなかった。買えなかった。デスマーチに挑む一介の兵士たる自分には尊厳も理由もなにもなかった。毎日毎晩仕事に明け暮れて自分を見失い……。
ううん。考えたってどうにもならない。
いや、考えることに意味がある。
頭のなかはぐるぐるである。恋乃。視野。視界。握手。煩雑。連想。妄想。一夜。盲目……。
身勝手にも恋に溺れ過去を探る私をあなたは許してくれるだろうか。もう少し、……ちゃんと覚悟を固めて調べられる限りのことは調べたうえで、あなたに向き合いたい。そのための旅だもの。
深い、深いトンネルのなかに居続けると自分が埋まってしまう連想をしてしまい、ちょっぴり不安は過ぎるが、大丈夫。あなたに向き合うことからもう逃げないよ。恋生。
この手のひらのなかにはあなたとの自由が詰まっている。ちゃんと、辿って、出来る限りのことを思い出してみるから、ほんのちょっとね。勇気をちょうだい。あなたに向き合うための勇気を。
「……落ち着け」手の震えを逆の手で手首を掴み、抑えようとする。あなたが緊張したときにする仕草。研修ルームのプレゼンであなたは一番に発表で、裏で、ふるえを押し隠し完璧なるプレゼンテーションを披露した。けど、あなたの後ろ姿が目に焼き付いて、離れない。
――落ち着け、落ち着け……。
こっそり手首を握るあなたは、神宮寺財閥の御曹司だけれど、血の通った人間なのだとあのとき感じた。神宮寺くんでも緊張するんだ? と驚いたけれど、更に驚いたのは、あなたのプレゼンの素晴らしさにだった。目線の動き、聴衆を魅了する声音、風貌、落ち着いた話し方。ただマイクの前に立っているだけなのに、存在感があって、堂々としていて、けど、ベンチャーにありがちな押しつけがましさが皆無で。聴衆に寄り添いつつ、自らのアイデアをお披露目する。一番湧いたのはあなたの班だった。悔しかったけどね。
「帰ったら……あなたに伝えるよ……恋生」
行く前に買ったノートを開いてメモを残す。そのとき感じたなにかを、大切に取っておきたい。後から読み返して分かるように。
一旦休職した私は、急な暇を持て余し、ジャーナリングへと行き着いた。自分の思っていることや、感じていることを、こころのままに書き連ねる。ペンを持って紙に書くと不思議と自分がデトックスされたみたいに気持ちがいい。瞑想のような作用があると思う。
十月十日、昼。新幹線のなかにて。
勝手に手がふるえるのを、研修時代の恋生を思い出しながら手首を握る。
彼の気持ちが分かったかのような彼女面。いいのかな。まぁいいか。彼女なんだし。
恋生と一緒に買った服は夏物で、上着を着ないと、この冷房の効いた室内ではすこし寒い。
帰ったら秋物をたくさん買いたい。
帰省は久しぶりだ。四年ぶりくらい?
被災した故郷を見るのに恐怖を伴うが、現地で暮らしているひとは懸命に戦っている。
私も、母と向き合いたい。
「よし。今日はここまで」とペンとノートをバッグに仕舞い、バッグを床に戻すと目を閉じる。自然と、あなたと行った横浜の香りが思い出された。私をこんなにも大切に愛してくれるあなたのために、ちゃんと、覚悟を固めたい。
*
その昔、石川県は新幹線が開通していなかった。石川県民が新幹線に乗りたいのならば、隣の富山県か福井県に行くしか手段がなかった。
畑中より更に北の、能登半島の先端にある、辺境の港町・緑川に至っては、陸の孤島だ。
一応、羽田から一日二便の飛行機は飛んでいる。極端に朝が早いか、それとも、お昼をとった後にゆっくり行くかのいずれかだ。とてもお隣さんの富山や福井とは比較にならない。わたしが生まれる前は、能登には空港すらなかったというから、車で三時間もかけて畑中まで行って、更に一時間かけて石川県の南にある空港に行くしか手がなかった。本当に僻地である。念のためジャンプは月曜に届く。
飛行機はプライベートジェットのようにとても小さくて、こんな小さな飛行機で? と不安になるレベル。なのに、いつも、飛行機のなかは帰省や外国人観光客でいっぱいで、通路も席も狭く、せせこましい思いをしたものだ。まぁ、――私が最後に帰省したのなんて、大学を卒業した年が最後だった。パンデミックが起こる前で、自由に行き来出来たあの頃。それを思うと、……もう少し、ちゃんと、帰ってやるべきだったなと思う。こうして新幹線に乗ってみると案外快適で、スムーズに畑中まで行けるし、後はここから三時間のバス移動が残るのみで。
大切なものの本当の価値が分かるのは、いつも、失ってから。失ってみて初めて、私たちは、そのものの大切さが分かる。いつも……遅すぎる。
実家よりも先に用件を済ませることを優先した。今回私は一旦は緑川まで行き、そこから、船で、海野小島へと移動する。
長い旅路となる。目を瞑り、すこしでも休もうとは思うものの、緊張がいまだに抜けていない。初めて池水恋乃と出会った、いや、十五年ぶりに再会した高揚感がまだからだのなかに残っている。相変わらず美しかった。彼女が緑の帽子を被った五尻禅雨……。
となると、私は、青い帽子を被った存国理生に恋をしていたはず。
別に、今更、合宿の行われた海野小島に行ったとて、なにが分かるでもないのだが、とにかく、行ってみないことには始まらない。途中でアユちゃんにメールを打ち、例の合宿を主催したひとのうちのひとりが海野小島にいると聞き、早速会う約束を取り付けた。よし、これでなにか分かれば……。
窓の外は暗い。暗いトンネルのなか。今頃あなたはなにをしているだろう。すました顔で、スーツ姿で仕事をしている?
呑気な私の身分。不安定な立場。恋生とそんなに……一夜を共にしたとて、生涯の相手になりうるかなんて、未来のことは誰にも分からないというのに、私のこころは妙に浮き立っている。先を急ぐ、そんな感じ。
ああ、こんなとき……無性にあなたに会いたい。
会って、抱き締めて、いつものようにキスをして。
おそらくあなたに言えば大概の願いは叶う。けども、自分の手を頭を使ってあがいてみたかった。自分がペーパードライバーなのが痛手で、石川県内で移動するとなると車が基本だから。Uberやタクシーのお世話になることが想定され、懐は痛い。
ま、なんとかなるさ。冬のボーナスだってなにも買わなかった。買えなかった。デスマーチに挑む一介の兵士たる自分には尊厳も理由もなにもなかった。毎日毎晩仕事に明け暮れて自分を見失い……。
ううん。考えたってどうにもならない。
いや、考えることに意味がある。
頭のなかはぐるぐるである。恋乃。視野。視界。握手。煩雑。連想。妄想。一夜。盲目……。
身勝手にも恋に溺れ過去を探る私をあなたは許してくれるだろうか。もう少し、……ちゃんと覚悟を固めて調べられる限りのことは調べたうえで、あなたに向き合いたい。そのための旅だもの。
深い、深いトンネルのなかに居続けると自分が埋まってしまう連想をしてしまい、ちょっぴり不安は過ぎるが、大丈夫。あなたに向き合うことからもう逃げないよ。恋生。
この手のひらのなかにはあなたとの自由が詰まっている。ちゃんと、辿って、出来る限りのことを思い出してみるから、ほんのちょっとね。勇気をちょうだい。あなたに向き合うための勇気を。
「……落ち着け」手の震えを逆の手で手首を掴み、抑えようとする。あなたが緊張したときにする仕草。研修ルームのプレゼンであなたは一番に発表で、裏で、ふるえを押し隠し完璧なるプレゼンテーションを披露した。けど、あなたの後ろ姿が目に焼き付いて、離れない。
――落ち着け、落ち着け……。
こっそり手首を握るあなたは、神宮寺財閥の御曹司だけれど、血の通った人間なのだとあのとき感じた。神宮寺くんでも緊張するんだ? と驚いたけれど、更に驚いたのは、あなたのプレゼンの素晴らしさにだった。目線の動き、聴衆を魅了する声音、風貌、落ち着いた話し方。ただマイクの前に立っているだけなのに、存在感があって、堂々としていて、けど、ベンチャーにありがちな押しつけがましさが皆無で。聴衆に寄り添いつつ、自らのアイデアをお披露目する。一番湧いたのはあなたの班だった。悔しかったけどね。
「帰ったら……あなたに伝えるよ……恋生」
行く前に買ったノートを開いてメモを残す。そのとき感じたなにかを、大切に取っておきたい。後から読み返して分かるように。
一旦休職した私は、急な暇を持て余し、ジャーナリングへと行き着いた。自分の思っていることや、感じていることを、こころのままに書き連ねる。ペンを持って紙に書くと不思議と自分がデトックスされたみたいに気持ちがいい。瞑想のような作用があると思う。
十月十日、昼。新幹線のなかにて。
勝手に手がふるえるのを、研修時代の恋生を思い出しながら手首を握る。
彼の気持ちが分かったかのような彼女面。いいのかな。まぁいいか。彼女なんだし。
恋生と一緒に買った服は夏物で、上着を着ないと、この冷房の効いた室内ではすこし寒い。
帰ったら秋物をたくさん買いたい。
帰省は久しぶりだ。四年ぶりくらい?
被災した故郷を見るのに恐怖を伴うが、現地で暮らしているひとは懸命に戦っている。
私も、母と向き合いたい。
「よし。今日はここまで」とペンとノートをバッグに仕舞い、バッグを床に戻すと目を閉じる。自然と、あなたと行った横浜の香りが思い出された。私をこんなにも大切に愛してくれるあなたのために、ちゃんと、覚悟を固めたい。
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