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act.08
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櫻井と吉岡が、マンションの管理業者に確かめてみると、やはり加賀見は引っ越した後だった。すぐに新しい男が手続きに訪れたという。あのマンションの男だろう。契約書によると『南川直志』とある。
念のため、管理人に加賀見の消息を尋ねてみたが、やはり判らないという返事が返ってきた。
「やっぱ振り出しに戻っちゃったかぁ・・・」
署に帰るタクシーの課で吉岡が呟いた。
確かに、現在の状態では加賀見の消息はプッツリと途絶えてしまった。
いや寧ろ、加賀見は、いずれ自分の元に捜査の手が及ぶのを察知していたのではないか。そうでなければ、態々残しておいた写真の裏に『助けて』とは書かないだろう。
── 助けて・・・。
櫻井は、声に出さず、口の中で呟いた。
助けてとは、誰に対するメッセージなのだろう。
我々、警察に対してか。
だとしたら加賀見は、自分の意志で行方を眩ましたのか。
いいや。
第三者が他にいて、無理やりそうさせられたのだとしたら? ── むしろそちらの方が、より自然に筋が通りそうだ。
加賀見は誰かに操られ、犯人二人と接触した。そして捜査の手が伸びると察知するや、自分を操る第三者に隠れて、あのメッセージを残した。その後、彼女は再び第三者の手によって闇の世界に戻された。
── 彼女を操る“第三者”とは、犯人二人が繰り返し呟く“あの男”に違いない・・・。
その話したら、吉岡も同じことを考えていた、と言った。
一体、“あの男”とは、誰なんだろう。
人間の一番弱い心を突いてきて、自分の手を汚さず殺人を楽しむ卑怯な人間。
櫻井は、井手の言っていた言葉を再度思い出した。
許せない、と思う。
一体、何の目的があって。
本当に、ただ人が殺されるのが楽しいのか。
それとも、殺人を犯さざるをえなくなった人間の不幸が、快楽と感じるのか。
── 絶対に、捕まえてやる。
タクシーの窓から見える何気ない風景を静かに見つめる櫻井の瞳は、静かな闘志が漲っていた。
しかし、二人が署に帰ると、刑事課の様子は一変していた。
橘が、新たな証言をしたというのだ。
吉岡が、たまたま課内に残っていた戸塚に事情を訊くと、あの井手靜が再度署を訪れ、橘に接見したと言う。
まさに異例のことだった。
一人の犯罪者の鑑定を行っている最中は、他の鑑定を行わないのが普通である。双方の鑑定結果に影響を及ぼす可能性があったからだ。
更に驚くことに、井手を署に連れてきたのは、大石だった。大石が、井手と坂出、そして警視庁のお偉方を説得して回ったのだそうだ。
「へぇ~、眼鏡君、案外やるね」
それを聞いて、吉岡は呟いた。
それは正直な感想だろう。
大石は、今回の一件で、彼なりの“危ない橋”を渡ったのだ。
新しい証言が得られたからよかったものの、これで何も出なければ、間違いなくそこを突かれて出世コースに暗雲が垂れ込めていただろう。
「おい! 早く報告に来んか!」
ミーティングルームから、本庁の間城が怒鳴った。「へいへい」と吉岡が肩を竦める。
ミーティングルームに入ると、なぜかそこに高橋の姿があった。
高橋は一番奥の席に座り、いつものように煙草を吹かしていた。その斜め隣に大石が腰掛けている。
大石は不可解な表情で、高橋を見つめていた。
奇妙な雰囲気だった。
「マンションの管理会社に加賀見真実の行方を確かめてみましたが、結局不発に終わりました」
高橋と大石の様子に躊躇いつつ、櫻井は報告をした。
吉岡が後を続ける。
「えー、加賀見真実の後に入居していた男は、南川直志、30歳。職業は劇団員だそうです。なんでも、両親の遺産を引き継いで、あの部屋に越してきたとか。・・・こいつはどうやら無関係ですね」
そうか・・・と間城が呟く。
「管理官、どうされますか」
大石は、ん?と気のない返事をして頭を間城の方に向けた。その視界に、櫻井の姿を捉える。
「櫻井。ちょっと取調室に来い」
突如高橋が、口を開いた。
捜査本部の連中が、意味も分からずきょとんとしている中、高橋が立ち上がって、部屋を出て行く。大石が、椅子に座って腕組みをしたまま、複雑な表情で櫻井を見た。
櫻井は、混乱するばかりである。
「おい、何してる」
ドアの向こうで、高橋の声が聞こえた。
「はい!」
櫻井は、奇妙な雰囲気を背にしつつ、高橋の後を追った。
取調室に入ると、戸口に立っていた高橋が、椅子に座るように指示をした。
櫻井が座るのを確認して、高橋は取調室のドアを閉め、向かいの席に座った。
「櫻井、お前は、このヤマを降りろ」
まったく唐突な言葉だった。
あまりに唐突過ぎて、一体何を言われているのか判らなかったぐらいだ。
「・・・・え、 ── え?」
戸惑う櫻井に、再度高橋は同じ台詞を繰り返した。ヤマを降りろと。
「どうして・・・。どうしてですか。自分が、大石管理官に食ってかかったから・・・」
自分でそう言っていて、しっくり来なかった。
捜査本部での大石の表情は、明らかに高橋に反発の感情を示していたからだ。
案の定、「大石の指示ではない」との返事が返ってきた。「俺の、判断だ」と。
「理由は、何ですか」
「このヤマは、お前の手に余り過ぎる。お前がこのまま、このヤマに関わるのは危険だ」
「どうして! ── 新証言のせいですか? それが、何か関係があるんですか?」
櫻井が、身を乗り出す。
高橋は、黙っている。
「課長!!」
「くどい!」
高橋の怒鳴り声に、櫻井は一瞬怯んだ。
高橋が怒鳴るのは、本当に珍しいことだった。
高橋は、部下がミスをしても、怒鳴り散らすことはない。きわめて冷静に穏やかに、その間違いを正す。
こんな理不尽な態度を見せる高橋は、まるで高橋らしくなかった。
「 ── 納得、できません・・・」
ようやく、櫻井はそれだけを呟く。
高橋が、初めて櫻井の目を見た。
「お前の見てはならん世界が、そこにあるからだ」
高橋の目は、怖いほど力強い輝きを放っていた。
結局、櫻井の後任は戸塚に決まった。
事件から外された櫻井は、もう遅い時間だったこともあり、帰宅を許された。
高橋の判断結果を聞いて、怒りを露にした吉岡だったが、高橋に食って掛かっても、所詮及ばなかった。
相手はあの高橋だ。
食おうとしても食いきれる相手ではない。
結局大石も深くは語らず、吉岡は高橋の胸の内を読むことはできなかった。
櫻井が外された理由は、明らかに橘の新証言に原因があるに違いなかった。でなければ、高橋もそんなことを急に言い出すはずがない。聞けば高橋も、井手と橘の接見にマジックミラー越しに立ち会っていたそうだ。
── 一体、どんな証言が出たというのか。
待機所に帰れと言われても、「はい、そうですか」と思えるような心情ではなかった。
高橋の下す判断は常に正しいことは判っている。
高橋が、「お前の見てはならん世界が、そこにあるからだ」と言えば、本当にそうなのだろう。
だが、それで素直に納得しているような櫻井ではなかった。
そんな男では、今頃こうして刑事なんて割に合わない仕事をやっているはずがない。
高橋と大石がダメだとしたら、残りは一人。
── 井手靜だ。
ダメで元々。
櫻井はスーツも脱がず、そのままの恰好で麻布のマンションへと向かった。
念のため、管理人に加賀見の消息を尋ねてみたが、やはり判らないという返事が返ってきた。
「やっぱ振り出しに戻っちゃったかぁ・・・」
署に帰るタクシーの課で吉岡が呟いた。
確かに、現在の状態では加賀見の消息はプッツリと途絶えてしまった。
いや寧ろ、加賀見は、いずれ自分の元に捜査の手が及ぶのを察知していたのではないか。そうでなければ、態々残しておいた写真の裏に『助けて』とは書かないだろう。
── 助けて・・・。
櫻井は、声に出さず、口の中で呟いた。
助けてとは、誰に対するメッセージなのだろう。
我々、警察に対してか。
だとしたら加賀見は、自分の意志で行方を眩ましたのか。
いいや。
第三者が他にいて、無理やりそうさせられたのだとしたら? ── むしろそちらの方が、より自然に筋が通りそうだ。
加賀見は誰かに操られ、犯人二人と接触した。そして捜査の手が伸びると察知するや、自分を操る第三者に隠れて、あのメッセージを残した。その後、彼女は再び第三者の手によって闇の世界に戻された。
── 彼女を操る“第三者”とは、犯人二人が繰り返し呟く“あの男”に違いない・・・。
その話したら、吉岡も同じことを考えていた、と言った。
一体、“あの男”とは、誰なんだろう。
人間の一番弱い心を突いてきて、自分の手を汚さず殺人を楽しむ卑怯な人間。
櫻井は、井手の言っていた言葉を再度思い出した。
許せない、と思う。
一体、何の目的があって。
本当に、ただ人が殺されるのが楽しいのか。
それとも、殺人を犯さざるをえなくなった人間の不幸が、快楽と感じるのか。
── 絶対に、捕まえてやる。
タクシーの窓から見える何気ない風景を静かに見つめる櫻井の瞳は、静かな闘志が漲っていた。
しかし、二人が署に帰ると、刑事課の様子は一変していた。
橘が、新たな証言をしたというのだ。
吉岡が、たまたま課内に残っていた戸塚に事情を訊くと、あの井手靜が再度署を訪れ、橘に接見したと言う。
まさに異例のことだった。
一人の犯罪者の鑑定を行っている最中は、他の鑑定を行わないのが普通である。双方の鑑定結果に影響を及ぼす可能性があったからだ。
更に驚くことに、井手を署に連れてきたのは、大石だった。大石が、井手と坂出、そして警視庁のお偉方を説得して回ったのだそうだ。
「へぇ~、眼鏡君、案外やるね」
それを聞いて、吉岡は呟いた。
それは正直な感想だろう。
大石は、今回の一件で、彼なりの“危ない橋”を渡ったのだ。
新しい証言が得られたからよかったものの、これで何も出なければ、間違いなくそこを突かれて出世コースに暗雲が垂れ込めていただろう。
「おい! 早く報告に来んか!」
ミーティングルームから、本庁の間城が怒鳴った。「へいへい」と吉岡が肩を竦める。
ミーティングルームに入ると、なぜかそこに高橋の姿があった。
高橋は一番奥の席に座り、いつものように煙草を吹かしていた。その斜め隣に大石が腰掛けている。
大石は不可解な表情で、高橋を見つめていた。
奇妙な雰囲気だった。
「マンションの管理会社に加賀見真実の行方を確かめてみましたが、結局不発に終わりました」
高橋と大石の様子に躊躇いつつ、櫻井は報告をした。
吉岡が後を続ける。
「えー、加賀見真実の後に入居していた男は、南川直志、30歳。職業は劇団員だそうです。なんでも、両親の遺産を引き継いで、あの部屋に越してきたとか。・・・こいつはどうやら無関係ですね」
そうか・・・と間城が呟く。
「管理官、どうされますか」
大石は、ん?と気のない返事をして頭を間城の方に向けた。その視界に、櫻井の姿を捉える。
「櫻井。ちょっと取調室に来い」
突如高橋が、口を開いた。
捜査本部の連中が、意味も分からずきょとんとしている中、高橋が立ち上がって、部屋を出て行く。大石が、椅子に座って腕組みをしたまま、複雑な表情で櫻井を見た。
櫻井は、混乱するばかりである。
「おい、何してる」
ドアの向こうで、高橋の声が聞こえた。
「はい!」
櫻井は、奇妙な雰囲気を背にしつつ、高橋の後を追った。
取調室に入ると、戸口に立っていた高橋が、椅子に座るように指示をした。
櫻井が座るのを確認して、高橋は取調室のドアを閉め、向かいの席に座った。
「櫻井、お前は、このヤマを降りろ」
まったく唐突な言葉だった。
あまりに唐突過ぎて、一体何を言われているのか判らなかったぐらいだ。
「・・・・え、 ── え?」
戸惑う櫻井に、再度高橋は同じ台詞を繰り返した。ヤマを降りろと。
「どうして・・・。どうしてですか。自分が、大石管理官に食ってかかったから・・・」
自分でそう言っていて、しっくり来なかった。
捜査本部での大石の表情は、明らかに高橋に反発の感情を示していたからだ。
案の定、「大石の指示ではない」との返事が返ってきた。「俺の、判断だ」と。
「理由は、何ですか」
「このヤマは、お前の手に余り過ぎる。お前がこのまま、このヤマに関わるのは危険だ」
「どうして! ── 新証言のせいですか? それが、何か関係があるんですか?」
櫻井が、身を乗り出す。
高橋は、黙っている。
「課長!!」
「くどい!」
高橋の怒鳴り声に、櫻井は一瞬怯んだ。
高橋が怒鳴るのは、本当に珍しいことだった。
高橋は、部下がミスをしても、怒鳴り散らすことはない。きわめて冷静に穏やかに、その間違いを正す。
こんな理不尽な態度を見せる高橋は、まるで高橋らしくなかった。
「 ── 納得、できません・・・」
ようやく、櫻井はそれだけを呟く。
高橋が、初めて櫻井の目を見た。
「お前の見てはならん世界が、そこにあるからだ」
高橋の目は、怖いほど力強い輝きを放っていた。
結局、櫻井の後任は戸塚に決まった。
事件から外された櫻井は、もう遅い時間だったこともあり、帰宅を許された。
高橋の判断結果を聞いて、怒りを露にした吉岡だったが、高橋に食って掛かっても、所詮及ばなかった。
相手はあの高橋だ。
食おうとしても食いきれる相手ではない。
結局大石も深くは語らず、吉岡は高橋の胸の内を読むことはできなかった。
櫻井が外された理由は、明らかに橘の新証言に原因があるに違いなかった。でなければ、高橋もそんなことを急に言い出すはずがない。聞けば高橋も、井手と橘の接見にマジックミラー越しに立ち会っていたそうだ。
── 一体、どんな証言が出たというのか。
待機所に帰れと言われても、「はい、そうですか」と思えるような心情ではなかった。
高橋の下す判断は常に正しいことは判っている。
高橋が、「お前の見てはならん世界が、そこにあるからだ」と言えば、本当にそうなのだろう。
だが、それで素直に納得しているような櫻井ではなかった。
そんな男では、今頃こうして刑事なんて割に合わない仕事をやっているはずがない。
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