触覚

国沢柊青

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| 第8章 |

 大石が、バサリと書類をテーブルの上に投げ置いた。
「中谷と橘の起訴が決まったぞ」
 その一言に会議室内の緊張の度合いがより深まった。 
「彼らが多少精神的に問題があったのは確かだ。おそらく弁護人は、そこをついてくる。だが、その点に問題があったとしても、善悪の判断はつけることが可能であったという鑑定結果が出た。中谷、橘双方ともだ。この鑑定結果を無駄にしないためにも、裏付け捜査並びに今後の新たな捜査方針について、各自しっかりと自覚を持って取り組んでもらいたい」
 大石が、会議室の戸口に腕組みをして立つ高橋をちらりと見た。
「今後我々は、『北原正顕』の行方を追う」
 捜査員が互いに顔を見合わせた。
 大石が、一番近くの捜査員に「資料を配ってくれ」と頼む。
 テーブルの上の資料が、素早く全員に回された。
「北原正顕とは、先日橘の口から出た新証言だ。これまでの事件のキーワードであった“あの男”の正体であるという線が濃厚である。この名前については、中谷についても橘と同様の反応を見せた」 
 会議室内がざわめく。
「北原正顕は、大変著名な心理学者だ。ただし、20年前に自分の息子に喉を刺され重症を負い、病院に入院して以来、表舞台から一切姿を消している」
「その事件での凶器は、まさか果物ナイフだった・・・って、そんなオチじゃないでしょうね」
 大石から一番離れた席に座る吉岡が、不機嫌そうな声を上げた。今日の彼は顔色も若干悪い。
 大石は、少しだけ吉岡を見やってから、全体を見渡して言った。
「事件の凶器は、吉岡の指摘通り、果物ナイフだ」
 会議室内がざわめく。吉岡の隣で、戸塚が「おいおい」と大げさな声を上げた。
 大石が、一際声を荒げる。
「まず諸君に頼みたいのは、北原正顕の生死を確認してもらいたい」
「ということは、その事件の段階で死んだという確証はないんですね?」
 間城が言う。その隣の三井が「バカ、生きているに決まってるじゃないか。それでなくて、今頃名前が出てくる筈がない」とちゃちゃを入れる。
 大石は咳払いした。
「思い込みで判断はしないでもらいたい。証拠を集めるんだ。判断は、それから行っても遅くはない。推測で判断し、間違った道を進むことの方が怖いからな。事件当時、北原は41歳。今生きていたとすると、61だ。資料の写真は、20年前のもので、北原に関する資料はその程度しかない。生きているにしろ、死んでいるにしろ、北原の消息を掴め」
 はいと男達の返事が室内に響く。
「あの、資料に娘がいたと書いてありますが・・・」
 戸塚が手を上げながら言う。「いい指摘だ」と大石が言うと、戸塚が得意そうな顔をして吉岡を見た。吉岡が死んだ魚のような顔をして、明後日の方を見やる。
「この娘が『加賀見真実』である可能性は高い。そうすると、北原と共に行動をしているとも考えられるが、確証はない。したがって引き続き、加賀見の周辺も洗いなおしてもらう必要はある」
「大石管理官」
 吉岡が再度声を上げた。
「何だ」
「この息子は? 北原を刺した息子。こいつは事件に関係してないんですかね」
 大石が、再度高橋を見る。そんな大石を吉岡が怪訝そうに見た。
 突如、皆の背後に立つ形の高橋が口を開く。
「息子の消息は確認済みだ。この事件には関与していない。それについては確証がとれているから、考えなくてもいい」
 吉岡が無理やり身体を振り返らせ、高橋を見上げる。
 高橋は普段と同じ顔つきで、「以上だ」と呟くと、会議室を出て行った。


 ── オヤジにしろ、あの大石とかいう若い管理官にしろ、何かを腹の中に隠し持っていやがる。
 吉岡は、車窓を流れる高速道の防音壁を眺めつつ、心の中で悪態をついた。
 隣では、三井が興奮を隠し切れない顔つきで手帳を開き、電話をかけている。
「ええ、ええ。確かに北原が当時入院していた病院では、死亡を確認されてはいませんでした。退院してますよ、ヤツは。それから以後の消息については、病院では判りませんでした。けれど、北原の住んでいた家はまだ残っているらしく、そちらには間城と戸塚が向かっています。あと、北原が勤務していた大学ですが、高柳の方で確認を・・・ええ、ええ。・・・はい。・・・・そうです。我々は一旦、東京に戻ります。北原の別れた女房が東京にいるらしいです。はい。はい。できれば、そちらで女の住所を照会してもらえますか。ええ・・・。名前は、北原美登里。おそらく旧姓に戻っている筈ですが、そこまでは判りませんでした。年齢は当時の病院に残されていた資料から計算して、49歳。生年月日は・・・」
「 ── 運ちゃん、法廷速度は守ってね。一応、俺たち、警察官だから」
 吉岡が、前のシートの肩を掴んで言う。タクシーの運転手は、刑事を乗せるのが初めてなのだろう、強張った表情で「はい、はい」と返事をした。
「別に怯えなくていいよ~。俺たち、交通課じゃないからね~」
 吉岡は呑気な声を上げたが、心はそれと裏腹で、重くくすんでいくのだった。


 北原の元女房の行方は直ぐに判った。
 女は今でも、北原の姓を名乗っていたからだ。ただし、仕事の上で。
 北原美登里 ── 本名、神津美登里は、離婚コンサルタントとしてセラピストのような仕事を生業としていた。自分の過去の経験と(彼女は、北原との離婚後も、3回ほど結婚に失敗しており、現在は最後の結婚相手が死去して未亡人となっている)元夫の有名な名前を利用した効果があったのか、商売は繁盛しているようだった。なんせ事務所兼自宅は、成城の高級住宅街の中にある。
 目的地に吉岡と三井が着いた時、神津美登里は出かける支度の最中だった。
 その日は丁度、事務所の定休日にあたったらしい。
 玄関に出てきた美登里は、華やかな色のスーツに身を包みながらも化粧っけのない顔で現れた。
「仕度をしながらでよければ、お相手いたしますけど」
 なかなか肝が据わっているらしい。
 50を目前にして、刑事が家を訪れているというのに、平然とスッピンの顔を晒し、今は黒塗りの大きなドレッサーの前に座って付け睫に接着剤を塗っている。
 だが、化粧っけのない顔でも美登里は美しい顔をしていた。年齢の割に。考えてみれば、例の『カガミナオミ』にどこか似ている。
「北原正顕さんが今何をされておられるか、ご存知ですか?」
 手帳を広げながら三井がだみ声で聞いても、美登里は振り返ることなく、こう言ってのけた。
「あら、もうくたばったんじゃないんですか?」
 よほど酷い別れ方をしたに違いない。
 吉岡と三井は顔を見合わせて苦笑した。
「それを我々も知りたいんですよ。北原正顕さんが、もう死んでいるのか、生きているのか」
「なぜ、そんなことが気になるの? 何かの事件と関係があって?」
 付け睫をつけた目を瞬かせながら美登里は言う。
「実は、ご主人には、二件の殺人事件に深く関与しているのではないかという疑いがかけられています」
「元、主人よ」
「あ、失礼」
 美登里が振り返った。
「二件の殺人事件といえば、この間からテレビで騒いでいるやつ? まったく手口が同じの。 ── 小型の刃物で喉を一刺ししたっていう・・・」
「ええ」
 三井が頷く。
 やっぱり、という表情を美登里がしたことを吉岡は見逃さなかった。美登里が再び鏡に向かう。
「でも、捕まったんでしょう? 犯人」
「ええ、まぁ・・・」
「しかし、あなたの元ご主人が、彼らを操った可能性があるんです。北原氏は、優れた心理学者であり、また精神科医だった。そういう人種が使う『洗脳』とかいう魔法を使って、人殺しをさせたかもしれない」
 饒舌に言う吉岡の腕を三井がつっついた。吉岡が横を向くと、不機嫌そうな三井が更に顔を顰めた。
「北原は、確かに優れた心理学者であり、精神科医でした。優れたというより、天才だったわね、彼は」
 美登里がカーマイン色の口紅を塗る。
「でも、あの人に洗脳は無理よ」
 ティッシュで唇を押えながら、美登里が続けた。
「むしろあの人は、支配される立場だった」
 吉岡が、その言葉の真意を訊こうとする前に、美登里が再び吉岡らの方に体を向けた。
「おそらくあの人は今も娘と一緒にいるはずよ。娘の居所さえ判れば、きっと簡単でしょう。残念ながら、私が話せるのはここまでね。本当に私は知らないのよ。20年前に、あの人達と関わる人生とはきっぱりと決別したの」
 吉岡には、毅然とした顔つきでそういう神津美登里が滑稽に見えて仕方がなかった。
 なぜなら、きっぱりと決別したはずなのに、今もこうして、決別した筈の男の苗字を借りて、商売をしているからだ。
 その点についての矛盾を、彼女は一生かけても解消するつもりはないのだろう。
 彼女は再度鏡に向き直り、化粧の出来具合をチェックすると、最後に細長い筆を取り、目尻の脇に付け黒子を乗せた。
 吉岡は、その行為に派手に顔を顰め、鏡に映る美登里を見つめた。
 美登里は、その視線に気がついたらしい。
「そんなに驚いて見るもの? 中世の時代では、これがおしゃれだったのよ」
 美登里は、そう言いながら、テキパキと化粧品を片付け始めたのだった。
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