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怯える仔犬と不機嫌な彼
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バルコニーには丁度涼しくて心地よい風が吹いていた。緊張から解放され、私は大きくため息をついた。
確か、宰相殿は話が長いお方だ。暫くヴァルタが帰って来ることは無いだろう。
とはいえ、特段バルコニーで一人やることもない。手すりにもたれ掛かりグラスに注がれたワインを飲みながら、ぼんやり夜空を眺めるばかりである。
すると、後ろから足音がした。
「誰かと思ったら、エミリア様ではないですか!!」
振り向くと、見覚えのある若い男性が立っていた。
「あら、貴方確か、腕を怪我された……」
「はい、あの時はお世話になりました」
私は魔力で人を癒すことができるため、戦時中は自ら志願して野戦病院で負傷者の治療にあたっていた。その時対応した一人が、彼であった。
騎士であるにも関わらず、あどけなさの残る可愛らしい顔立ちと艶やかな黒髪は、当時とても印象的だったのを今でも覚えている。
不名誉な呼び名ではなく名前で呼んでくれたことを嬉しく思いつつ、私はにこやかに笑い返した。
「お久しぶりね、お元気にしてましたか?」
「はい、お陰様でこの通り。それにしてもこんなところでお一人でいるなんて、どうされたのですか?」
「ふふっ、主人が歓談中だから、ちょっと外の空気を吸ってたの」
「ああ、成程。団長も大変だ」
宰相と話しているヴァルタを窓越しに手で指し示すと、彼も納得したように頷く。どうやら、宰相の話が長いのは有名なことらしい。
「ところで、その額の傷……」
「ああ、失敬。訓練の際怪我してしまって。軽いかすり傷なので、すぐ治りますよ」
そう言って、彼は困ったように笑った。仔犬のような愛嬌は、きっと彼の生まれ持った魅力なのだろう。
短い前髪の下、額の隅に赤いかすり傷が出来上がっていた。確かに自然治癒するにはさほど時間はかからないだろうが、跡が残ってしまう可能性もある。それでは、折角の美形が台無しだ。
「ちょっと、失礼するわね」
「え、あ、エミリア様?」
「大丈夫、すぐ終わるから」
彼の額に触れ、ゆっくりと目を閉じる。力を使うのは久しぶりだった。
リリスに力を譲り渡した後も、癒しの力は完全に消えた訳ではない。軽い傷程度であれば、朝飯前であった。
軟膏を塗り込めるように、傷跡を優しく撫でる。そしてちくりとした痛みが指先にはしった後、傷跡はすっかり消え去ったのである。
「はい、治ったわ」
「あ、ありがとうございます」
「ふふっ」
やはり、人の役に立つのは気分が良い。そう思っていると、彼は何かに気付いたように手を叩いた。
「あ! そのドレス、聖女選びの結果発表の時のですよね? もしかして、今日の装いはあの時の一式ですか?」
「あら、よく覚えてるわね」
実は今日の夜会では、聖女選び最終日に着ていたドレスを着用していた。
薔薇の刺繍が施された、真珠色のドレス。聖女選びに敗れた際着ていたものなので縁起が良くないと言えばそれまでだが、個人的にはお気に入りの一着だった。
「とてもお似合いです。ドレスもジュエリーも、全部」
「ふふっ、ありがとう」
「話は終わったか?」
突然低い声が、会話に割り込んできた。驚くと、横には腕を組んで仁王立ちしたヴァルタの姿があった。
苛々しているのか、とても不機嫌に眉を寄せている。
「ヴァルタ様、……その、ご歓談はもう良かったのですか?」
「ああ、無事終わった。ルーフェン、代わりに妻といてくれて悪かったな」
「い、いえ……とんでもない」
よく考えたら、二人は何方も騎士団に所属する者。つまりは顔見知りなのだろう。そしてもっと言えば、上司と部下に当たる。
彼は鉄壁というよりも……絶壁から人を突き落としそうな、殺意を込めた表情をしていた。
ヴァルタに気圧されるように、ルーフェンは後ずさる。怯える仔犬を見ているようで、何だか可哀想になってきてしまった。
確かに、既婚者に話しかけるのは良くないことかもしれない。しかし、この態度はあんまりだ。
「では、戻るか。それと、ルーフェン」
「は、はい?」
「ドレスは聖女選びの時のものだが、それ以外は違う」
「え、あ、そうなんですか?」
困惑するルーフェンを置いて、ヴァルタは私の手を引いた。そのまま引き摺られるようにして、私と彼はバルコニーを後にした。
確かに、ドレス以外のジュエリーや靴は、当時のものでは無かった。
けれども、なんで彼がそんなことを知っているのだろう?
そんな疑問が湧いたが、険しい表情の彼に聞ける訳が無い。
結局夜会が終わるまで、ヴァルタの機嫌が直ることは無かったのである。
確か、宰相殿は話が長いお方だ。暫くヴァルタが帰って来ることは無いだろう。
とはいえ、特段バルコニーで一人やることもない。手すりにもたれ掛かりグラスに注がれたワインを飲みながら、ぼんやり夜空を眺めるばかりである。
すると、後ろから足音がした。
「誰かと思ったら、エミリア様ではないですか!!」
振り向くと、見覚えのある若い男性が立っていた。
「あら、貴方確か、腕を怪我された……」
「はい、あの時はお世話になりました」
私は魔力で人を癒すことができるため、戦時中は自ら志願して野戦病院で負傷者の治療にあたっていた。その時対応した一人が、彼であった。
騎士であるにも関わらず、あどけなさの残る可愛らしい顔立ちと艶やかな黒髪は、当時とても印象的だったのを今でも覚えている。
不名誉な呼び名ではなく名前で呼んでくれたことを嬉しく思いつつ、私はにこやかに笑い返した。
「お久しぶりね、お元気にしてましたか?」
「はい、お陰様でこの通り。それにしてもこんなところでお一人でいるなんて、どうされたのですか?」
「ふふっ、主人が歓談中だから、ちょっと外の空気を吸ってたの」
「ああ、成程。団長も大変だ」
宰相と話しているヴァルタを窓越しに手で指し示すと、彼も納得したように頷く。どうやら、宰相の話が長いのは有名なことらしい。
「ところで、その額の傷……」
「ああ、失敬。訓練の際怪我してしまって。軽いかすり傷なので、すぐ治りますよ」
そう言って、彼は困ったように笑った。仔犬のような愛嬌は、きっと彼の生まれ持った魅力なのだろう。
短い前髪の下、額の隅に赤いかすり傷が出来上がっていた。確かに自然治癒するにはさほど時間はかからないだろうが、跡が残ってしまう可能性もある。それでは、折角の美形が台無しだ。
「ちょっと、失礼するわね」
「え、あ、エミリア様?」
「大丈夫、すぐ終わるから」
彼の額に触れ、ゆっくりと目を閉じる。力を使うのは久しぶりだった。
リリスに力を譲り渡した後も、癒しの力は完全に消えた訳ではない。軽い傷程度であれば、朝飯前であった。
軟膏を塗り込めるように、傷跡を優しく撫でる。そしてちくりとした痛みが指先にはしった後、傷跡はすっかり消え去ったのである。
「はい、治ったわ」
「あ、ありがとうございます」
「ふふっ」
やはり、人の役に立つのは気分が良い。そう思っていると、彼は何かに気付いたように手を叩いた。
「あ! そのドレス、聖女選びの結果発表の時のですよね? もしかして、今日の装いはあの時の一式ですか?」
「あら、よく覚えてるわね」
実は今日の夜会では、聖女選び最終日に着ていたドレスを着用していた。
薔薇の刺繍が施された、真珠色のドレス。聖女選びに敗れた際着ていたものなので縁起が良くないと言えばそれまでだが、個人的にはお気に入りの一着だった。
「とてもお似合いです。ドレスもジュエリーも、全部」
「ふふっ、ありがとう」
「話は終わったか?」
突然低い声が、会話に割り込んできた。驚くと、横には腕を組んで仁王立ちしたヴァルタの姿があった。
苛々しているのか、とても不機嫌に眉を寄せている。
「ヴァルタ様、……その、ご歓談はもう良かったのですか?」
「ああ、無事終わった。ルーフェン、代わりに妻といてくれて悪かったな」
「い、いえ……とんでもない」
よく考えたら、二人は何方も騎士団に所属する者。つまりは顔見知りなのだろう。そしてもっと言えば、上司と部下に当たる。
彼は鉄壁というよりも……絶壁から人を突き落としそうな、殺意を込めた表情をしていた。
ヴァルタに気圧されるように、ルーフェンは後ずさる。怯える仔犬を見ているようで、何だか可哀想になってきてしまった。
確かに、既婚者に話しかけるのは良くないことかもしれない。しかし、この態度はあんまりだ。
「では、戻るか。それと、ルーフェン」
「は、はい?」
「ドレスは聖女選びの時のものだが、それ以外は違う」
「え、あ、そうなんですか?」
困惑するルーフェンを置いて、ヴァルタは私の手を引いた。そのまま引き摺られるようにして、私と彼はバルコニーを後にした。
確かに、ドレス以外のジュエリーや靴は、当時のものでは無かった。
けれども、なんで彼がそんなことを知っているのだろう?
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