23 / 58
23話・意外な一面
しおりを挟むリヒャルトの屋敷に一晩泊めてもらったルーナとティカは、どこからか聞こえてくる物音で目を覚ました。カーテンの隙間から陽光が射し込んでいる。寝室内の空気はひんやりとしていて早朝だと分かる。二人は寝台から降りて上衣を羽織り、恐る恐る客室の扉を開けて廊下を覗いた。
物音の発生源は斜向かいにある厨房や水場だ。複数の人の気配を感じる。昨夜はいなかった使用人がやってきて仕事を始めているのだろう。ホッと安堵の息をついて扉を閉める。
「アタシ、ご挨拶がてらお手伝いしてきます」
言いながら、ティカは手早く身支度を整えた。慌ててルーナも寝衣から着替える。
「私も行くわ。なにかお手伝いを……」
「いえ。お嬢様はお部屋でお待ちください」
「でも」
「いいから。ね?」
「…………はい」
厨房に立たせればまた調味料や鍋を床に散乱させるかもしれない。簡素な台所ですら大惨事と化したのだから、瓶や壺、陶器などが多い厨房ではどうなるか。手伝いたいという意思を尊重したくても周りに迷惑をかけては元も子もない、という圧を込めて言い聞かせる。ルーナも自分が不慣れで役に立たないと自覚しているからか、渋々了承した。
挨拶に同行させるくらいは構わないのではないかとも考えたが、使用人がどのような人物かが分からない以上、ルーナと接触させたくはない。とりあえず自分が先に様子を見てからにしよう、とティカは考えていた。
ティカが一人で厨房に向かった後、手持ち無沙汰になったルーナは窓際に移動して外を眺めた。
昨日は夜遅い時間に連れてこられたため、暗くて周りがよく見えていなかった。窓の外には庭園が広がっており、ちらほらと花が咲いていた。綺麗に整備された石畳みの道の左右には背の低い生垣があり、陽に照らされた葉が朝露に濡れてきらきらと光を放っている。屋敷の玄関の真裏だが、客室から見える位置にあるからか景観には気を使っているようだった。
「あら、あれは……」
生垣の向こうに人影を見つけ、ルーナは目を凝らした。黒くて背の高い人物が略式武装の騎士と話をしている。距離があるため会話の内容までは分からないが、騎士に何やら指示を出しているようだ。しばらくして、騎士は踵を返して去っていった。
客室は一階にあり、庭に面したテラスがある。硝子扉を押し開いて一歩外へと踏み出せば、朝の冷たい空気がルーナの頬を撫でた。
「リヒャルト様」
黒い人物はリヒャルトだ。呼ばれて振り向いた彼は目を見開き、ルーナを凝視している。ルーナは気にせず庭との仕切りであるテラスの手すりまで歩み出た。
「昨夜はお世話になりました。泊めていただき、ありがとうございます」
「あ、いや。別に」
リヒャルトの視線は先ほどからずっとルーナに固定されている。受け応えは何故かぎこちない。はて、と思いながらもルーナは感謝の意を伝えるために頭を下げた。長い銀の髪が一筋さらりと落ちる。
「あっ」
頬に触れた自分の髪の感触に、ルーナはようやく気がついた。スカーフで髪を隠さず人前に出てしまったことに。
昨夜、髪を拭く際に外して浴室の衝立にスカーフを掛けたままだったと思い出す。客室内にいるのはティカだけで、他の使用人は一切出入りしていない。だから、完全に油断していた。
「し、失礼いたしました!」
慌てて両手で頭を押さえて隠そうとするが、当然全てを覆えるわけがない。そのままテラスの屋根を支える柱の後ろに身を隠す。
一連のルーナの動きに呆気に取られた後、リヒャルトは思わず噴き出した。いつもの不機嫌そうな硬い表情ではない。肩を震わせながら笑いを堪える彼の姿に、ルーナは目を丸くした。こんな反応は予想外で、なんだか可笑しくなって口元がゆるむ。
── やっぱり、リヒャルト様は怖くないわ。
気が付けば、リヒャルトとルーナは声を上げて笑い合っていた。
「ごめんなさい。お見苦しい姿を」
「いや。俺こそ笑ってすまん」
髪色がどうこうではなく、人前、しかも男性の前で結い上げていない髪のまま姿を見せるなど礼を欠いている。ルーナは己の迂闊さを恥じた。一旦部屋に戻り、髪紐とスカーフで手早く銀の髪を隠してから再度テラスに出る。
「このこと、ティカには黙っておいてください」
「何故だ」
「ええと、叱られてしまいますので」
「はは、そうか。わかった」
テラスに置かれた椅子に腰掛け、そんな話をしているうちにティカが客室に戻ってきた。
「リヒャルト様とお話してらしたんですね」
「ええ。窓からお姿が見えたので声を掛けたの」
ちらりと目配せしてから、ルーナは簡単に経緯を説明した。リヒャルトは先ほど黙っているようにと約束させられたため、へたに口を開かないようにしている。話す前ならば、唇を真一文字に引き結んだ顔を見れば『機嫌が悪いのでは』と疑うところだが、彼が怖い人ではないとルーナは既に知っている。
「そうそう、朝食の支度ができたから食堂に来るようにって料理長さんから言伝です」
急な来客であるルーナたちのぶんも用意があるということは、リヒャルトが使用人たちに通達を出しておいてくれたのだろう。昨夜は夜中だったため、朝早くに使いを出したに違いない。
ティカの言葉に頷き、椅子から立ち上がりかけたところでルーナがリヒャルトに向き直る。
「そういえばラウリィ様のお姿が見えませんが、昨夜はこちらに泊まられたのでは?」
「あの後、夜の巡回任務に向かった。今ごろは宿屋か騎士団の詰め所で休んでいるはずだ」
「まあ、あれからお仕事に?」
「巡回は持ち回り制だからな」
堅物のリヒャルトと並ぶと軽い印象を受けるが、ラウリィは真面目な騎士である。追っ手からルーナを助けた際も定食屋の客たちから慕われていた。人当たりが良く優しいからだけではない。これまで積み重ねてきた実績から来る信頼なのだ。
仕事があるにも関わらず、ルーナたちを追ってこの都市までやって来たのだ。先ほどリヒャルトとやりとりをしていた騎士も、きっと任務の引き継ぎやら何やらのために訪れていたに違いない。
自分の浅はかな行動で迷惑を掛けてしまったと気付き、ルーナは大いに反省した。
225
あなたにおすすめの小説
乙女ゲームの悪役令嬢の兄の婚約者に転生しましたが傷物になったので退場を希望します!
ユウ
恋愛
平凡な伯爵令嬢のリネットは優しい婚約者と妹と穏やかで幸福な日々を送っていた。
相手は公爵家の嫡男であり第一王子殿下の側近で覚えもめでたく社交界の憧れの漆黒の騎士と呼ばれる貴族令息だった。
結婚式前夜、婚約者の妹に会いに学園に向かったが、そこで事件が起きる。
現在学園で騒動を起こしている第二王子とその友人達に勘違いから暴行を受け階段から落ちてしまう…
その時に前世の記憶を取り戻すのだった…
「悪役令嬢の兄の婚約者って…」
なんとも微妙なポジション。
しかも結婚前夜で傷物になる失態を犯してしまったリネットは婚約解消を望むのだが、悪役令嬢の義妹が王子に婚約破棄を突きつける事件に発展してしまう。
「君以外を愛する気は無い」と婚約者様が溺愛し始めたので、異世界から聖女が来ても大丈夫なようです。
海空里和
恋愛
婚約者のアシュリー第二王子にべた惚れなステラは、彼のために努力を重ね、剣も魔法もトップクラス。彼にも隠すことなく、重い恋心をぶつけてきた。
アシュリーも、そんなステラの愛を静かに受け止めていた。
しかし、この国は20年に一度聖女を召喚し、皇太子と結婚をする。アシュリーは、この国の皇太子。
「たとえ聖女様にだって、アシュリー様は渡さない!」
聖女と勝負してでも彼を渡さないと思う一方、ステラはアシュリーに切り捨てられる覚悟をしていた。そんなステラに、彼が告げたのは意外な言葉で………。
※本編は全7話で完結します。
※こんなお話が書いてみたくて、勢いで書き上げたので、設定が緩めです。
十年間虐げられたお針子令嬢、冷徹侯爵に狂おしいほど愛される。
er
恋愛
十年前に両親を亡くしたセレスティーナは、後見人の叔父に財産を奪われ、物置部屋で使用人同然の扱いを受けていた。義妹ミレイユのために毎日ドレスを縫わされる日々——でも彼女には『星霜の記憶』という、物の過去と未来を視る特別な力があった。隠されていた舞踏会の招待状を見つけて決死の潜入を果たすと、冷徹で美しいヴィルフォール侯爵と運命の再会! 義妹のドレスが破れて大恥、叔父も悪事を暴かれて追放されるはめに。失われた伝説の刺繍技術を復活させたセレスティーナは宮廷筆頭職人に抜擢され、「ずっと君を探していた」と侯爵に溺愛される——
召喚とか聖女とか、どうでもいいけど人の都合考えたことある?
浅海 景
恋愛
水谷 瑛莉桂(みずたに えりか)の目標は堅実な人生を送ること。その一歩となる社会人生活を踏み出した途端に異世界に召喚されてしまう。召喚成功に湧く周囲をよそに瑛莉桂は思った。
「聖女とか絶対ブラックだろう!断固拒否させてもらうから!」
ナルシストな王太子や欲深い神官長、腹黒騎士などを相手に主人公が幸せを勝ち取るため奮闘する物語です。
冷酷騎士団長に『出来損ない』と捨てられましたが、どうやら私の力が覚醒したらしく、ヤンデレ化した彼に執着されています
放浪人
恋愛
平凡な毎日を送っていたはずの私、橘 莉奈(たちばな りな)は、突然、眩い光に包まれ異世界『エルドラ』に召喚されてしまう。 伝説の『聖女』として迎えられたのも束の間、魔力測定で「魔力ゼロ」と判定され、『出来損ない』の烙印を押されてしまった。
希望を失った私を引き取ったのは、氷のように冷たい瞳を持つ、この国の騎士団長カイン・アシュフォード。 「お前はここで、俺の命令だけを聞いていればいい」 物置のような部屋に押し込められ、彼から向けられるのは侮蔑の視線と冷たい言葉だけ。
元の世界に帰ることもできず、絶望的な日々が続くと思っていた。
──しかし、ある出来事をきっかけに、私の中に眠っていた〝本当の力〟が目覚め始める。 その瞬間から、私を見るカインの目が変わり始めた。
「リリア、お前は俺だけのものだ」 「どこへも行かせない。永遠に、俺のそばにいろ」
かつての冷酷さはどこへやら、彼は私に異常なまでの執着を見せ、甘く、そして狂気的な愛情で私を束縛しようとしてくる。 これは本当に愛情なの? それともただの執着?
優しい第二王子エリアスは私に手を差し伸べてくれるけれど、カインの嫉妬の炎は燃え盛るばかり。 逃げ場のない城の中、歪んだ愛の檻に、私は囚われていく──。
初恋を諦めたあなたが、幸せでありますように
ぽんちゃん
恋愛
『あなたのヒーローをお返しします。末永くお幸せに』
運命の日。
ルキナは婚約者候補のロミオに、早く帰ってきてほしいとお願いしていた。
(私がどんなに足掻いても、この先の未来はわかってる。でも……)
今頃、ロミオは思い出の小屋で、初恋の人と偶然の再会を果たしているだろう。
ロミオが夕刻までに帰ってくれば、サプライズでルキナとの婚約発表をする。
もし帰ってこなければ、ある程度のお金と文を渡し、お別れするつもりだ。
そしてルキナは、両親が決めた相手と婚姻することになる。
ただ、ルキナとロミオは、友人以上、恋人未満のような関係。
ルキナは、ロミオの言葉を信じて帰りを待っていた。
でも、帰ってきたのは護衛のみ。
その後に知らされたのは、ロミオは初恋の相手であるブリトニーと、一夜を共にしたという報告だった――。
《登場人物》
☆ルキナ(16) 公爵令嬢。
☆ジークレイン(24) ルキナの兄。
☆ロミオ(18) 男爵子息、公爵家で保護中。
★ブリトニー(18) パン屋の娘。
絶望?いえいえ、余裕です! 10年にも及ぶ婚約を解消されても化物令嬢はモフモフに夢中ですので
ハートリオ
恋愛
伯爵令嬢ステラは6才の時に隣国の公爵令息ディングに見初められて婚約し、10才から婚約者ディングの公爵邸の別邸で暮らしていた。
しかし、ステラを呼び寄せてすぐにディングは婚約を後悔し、ステラを放置する事となる。
異様な姿で異臭を放つ『化物令嬢』となったステラを嫌った為だ。
異国の公爵邸の別邸で一人放置される事となった10才の少女ステラだが。
公爵邸別邸は森の中にあり、その森には白いモフモフがいたので。
『ツン』だけど優しい白クマさんがいたので耐えられた。
更にある事件をきっかけに自分を取り戻した後は、ディングの執事カロンと共に公爵家の仕事をこなすなどして暮らして来た。
だがステラが16才、王立高等学校卒業一ヶ月前にとうとう婚約解消され、ステラは公爵邸を出て行く。
ステラを厄介払い出来たはずの公爵令息ディングはなぜかモヤモヤする。
モヤモヤの理由が分からないまま、ステラが出て行った後の公爵邸では次々と不具合が起こり始めて――
奇跡的に出会い、優しい時を過ごして愛を育んだ一人と一頭(?)の愛の物語です。
異世界、魔法のある世界です。
色々ゆるゆるです。
旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~
榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。
ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。
別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら?
ー全50話ー
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる