51 / 58
51話・血まみれの床
しおりを挟む全ての悪事を暴かれたインテレンス卿は顔を真っ赤にして立ち上がった。
「あの悪女、いや魔女を捕らえよ! 人心を惑わし、国を乱す大罪人だ! アルケイミアの国儀を愚弄した罪を償わせるのだァ!」
唾を撒き散らかしながら怒鳴る宰相の姿に誰もが怯んだ。大広間内にいた警備の騎士は一応ルーナを取り囲みはするが、流石にもう剣を向けることはできない。先ほどのやり取りは全員聞いており、どちらが悪者か一目瞭然である。
だが、インテレンス卿は現国王の次に権力を持っており、アルケイミアの騎士たちには逆らうという選択肢すらない。逆らえない対象は騎士だけではなく、過去に悪事に加担した貴族も当然含まれていた。
「帳簿が公開されたらどうなるか分かっておるのか? どのみち待つのは身の破滅だ。ならば今こそ動けぃ!」
インテレンス卿の父や祖父、更に前の当主の時代から裏取引の記録を残した理由は、内政や外交の方針を決める時に足並みを揃えるため。そして、宰相の地位を磐石とするための切り札なのだ。
数人のアルケイミア貴族が反応し、みな必死の形相で掴みかかろうとした。貴族相手に剣を向けるわけにもいかず、リヒャルトはルーナを背に庇うしかできない。だが、リヒャルトが迷っている間に彼らは突然床に倒れ込んだ。ディルクが当て身を喰らわせ、気絶させたのである。
「えーと……つい殴っちゃったけど、コレ後で外交問題とかにならないですよね? 殿下」
「さあ、どうだろうな」
「え、ちょっと! 擁護してくださいよ!」
ディルクとグレイラッドの会話を聞き流しながら、気を失ってぐったりしているアルケイミア貴族たちの体を引きずって隅に寄せるゼトワール隊の騎士たち。あまりにも容赦のない扱いに、周囲にいた客人たちは恐れをなして後退していく。
「護衛部隊は各国の貴人を安全な位置まで下がらせよ。これ以上の怪我人を出すな!」
「はっ」
グレイラッドの指示を受け、護衛部隊数名が近隣諸国からの客人たちを誘導して大広間の後方へと避難させた。
「……チッ、役立たずめが」
気絶させられた貴族たちを一瞥してから、インテレンス卿はルーナたちから距離を取った。周りを警備兵で固め、守らせている。
「宰相、悪足掻きはやめよ。おまえの悪行は既に多くの者の知るところとなった」
ディールモントがこれ以上の抵抗をやめるよう声を掛けると、インテレンス卿は細い目を更に細め、微笑んだ。その表情からは嘘偽りない敬愛の念が滲み出ている。
「……嗚呼、お可哀想な殿下。何も知らずにおれば辛い思いをせずに済んだでしょうに」
するりと出てきた気遣いの言葉に、誰もがぞっと背筋が凍る感覚を覚えた。
インテレンス卿は王族を心から敬いながら同時に利用している。自分の一族が何百年もの長きに渡って干渉し、作り上げてきた現在の王族に愛着があるのだろう。ただ、『君主に従う家臣』ではなく『愛玩動物の管理者』くらいの感覚なのかもしれない。
インテレンス卿の異常性を垣間見て、ディールモントは何も言えなくなってしまった。
大広間内にいる人々の視線がインテレンス卿へと集中している中、密かに動く影があった。目立たぬよう、じりじりと標的に近付いてゆく。そして、床を蹴って一気に距離を詰めた。
「アンタのせいで!」
背後から飛び掛かってきたのは髪を振り乱したアトラだった。手に何か光る物を握っており、勢いのままに真っ直ぐルーナに振り下ろそうとしている。
護衛部隊もゼトワール隊も、貴族の令嬢に対しては全く警戒していなかった。故にルーナからはやや離れた位置におり、素早いディルクでも間に合わない。一番そばにいたリヒャルトが咄嗟にルーナを突き飛ばし、アトラとの間に割り込んだ。
「リヒャルト様ッ!」
床に投げ出されたルーナが上半身を起こし、振り向いた瞬間、リヒャルトの体がぐらりと揺れた。片膝をつき、蹲るリヒャルトの背中の向こうに茫然と立ち尽くすアトラの姿があった。彼女の手には給仕係が料理を切り分ける時に使用するナイフが握られており、刃の部分から赤い液体が滴り落ちている。あれでリヒャルトを刺したのだ、とすぐに分かった。
「リヒャルト様、血が!」
すぐさま駆け寄ろうとするルーナを、ラウリィが引き止める。リヒャルトのそばにはまだ凶器を持ったアトラがいるからだ。後から追い付いたティカがルーナのそばに座り、優しく肩を抱いて落ち着かせる。
「……私の大事な家臣を傷付けたな?」
シュベルトの王子から冷たい目で睨まれ、アトラは恐怖で体を強張らせた。
「あ、わたし、違うの。本当は、ルーナを」
アトラの手指はガタガタと震え、持っていた血まみれのナイフを取り落とした。慌てて必死に弁解するアトラのドレスの裾を、蹲ったままのリヒャルトが掴んだ。そのまま体重を掛けて引っ張り、アトラの身を屈めさせる。
「……ルーナ嬢に近付くな。次は容赦なく斬る」
「ひぃっ!」
怒気を孕んだ低い声。超至近距離から本気の殺意と威圧を喰らい、アトラは腰を抜かして床にへたり込んだ。駆け付けたディルクが手持ちの縄で両手を縛り上げて自由を奪う。
アトラを拘束した後、ようやくルーナはリヒャルトのそばへ行くことを許されたが、彼の周りには血だまりができていた。
200
あなたにおすすめの小説
乙女ゲームの悪役令嬢の兄の婚約者に転生しましたが傷物になったので退場を希望します!
ユウ
恋愛
平凡な伯爵令嬢のリネットは優しい婚約者と妹と穏やかで幸福な日々を送っていた。
相手は公爵家の嫡男であり第一王子殿下の側近で覚えもめでたく社交界の憧れの漆黒の騎士と呼ばれる貴族令息だった。
結婚式前夜、婚約者の妹に会いに学園に向かったが、そこで事件が起きる。
現在学園で騒動を起こしている第二王子とその友人達に勘違いから暴行を受け階段から落ちてしまう…
その時に前世の記憶を取り戻すのだった…
「悪役令嬢の兄の婚約者って…」
なんとも微妙なポジション。
しかも結婚前夜で傷物になる失態を犯してしまったリネットは婚約解消を望むのだが、悪役令嬢の義妹が王子に婚約破棄を突きつける事件に発展してしまう。
「君以外を愛する気は無い」と婚約者様が溺愛し始めたので、異世界から聖女が来ても大丈夫なようです。
海空里和
恋愛
婚約者のアシュリー第二王子にべた惚れなステラは、彼のために努力を重ね、剣も魔法もトップクラス。彼にも隠すことなく、重い恋心をぶつけてきた。
アシュリーも、そんなステラの愛を静かに受け止めていた。
しかし、この国は20年に一度聖女を召喚し、皇太子と結婚をする。アシュリーは、この国の皇太子。
「たとえ聖女様にだって、アシュリー様は渡さない!」
聖女と勝負してでも彼を渡さないと思う一方、ステラはアシュリーに切り捨てられる覚悟をしていた。そんなステラに、彼が告げたのは意外な言葉で………。
※本編は全7話で完結します。
※こんなお話が書いてみたくて、勢いで書き上げたので、設定が緩めです。
十年間虐げられたお針子令嬢、冷徹侯爵に狂おしいほど愛される。
er
恋愛
十年前に両親を亡くしたセレスティーナは、後見人の叔父に財産を奪われ、物置部屋で使用人同然の扱いを受けていた。義妹ミレイユのために毎日ドレスを縫わされる日々——でも彼女には『星霜の記憶』という、物の過去と未来を視る特別な力があった。隠されていた舞踏会の招待状を見つけて決死の潜入を果たすと、冷徹で美しいヴィルフォール侯爵と運命の再会! 義妹のドレスが破れて大恥、叔父も悪事を暴かれて追放されるはめに。失われた伝説の刺繍技術を復活させたセレスティーナは宮廷筆頭職人に抜擢され、「ずっと君を探していた」と侯爵に溺愛される——
召喚とか聖女とか、どうでもいいけど人の都合考えたことある?
浅海 景
恋愛
水谷 瑛莉桂(みずたに えりか)の目標は堅実な人生を送ること。その一歩となる社会人生活を踏み出した途端に異世界に召喚されてしまう。召喚成功に湧く周囲をよそに瑛莉桂は思った。
「聖女とか絶対ブラックだろう!断固拒否させてもらうから!」
ナルシストな王太子や欲深い神官長、腹黒騎士などを相手に主人公が幸せを勝ち取るため奮闘する物語です。
冷酷騎士団長に『出来損ない』と捨てられましたが、どうやら私の力が覚醒したらしく、ヤンデレ化した彼に執着されています
放浪人
恋愛
平凡な毎日を送っていたはずの私、橘 莉奈(たちばな りな)は、突然、眩い光に包まれ異世界『エルドラ』に召喚されてしまう。 伝説の『聖女』として迎えられたのも束の間、魔力測定で「魔力ゼロ」と判定され、『出来損ない』の烙印を押されてしまった。
希望を失った私を引き取ったのは、氷のように冷たい瞳を持つ、この国の騎士団長カイン・アシュフォード。 「お前はここで、俺の命令だけを聞いていればいい」 物置のような部屋に押し込められ、彼から向けられるのは侮蔑の視線と冷たい言葉だけ。
元の世界に帰ることもできず、絶望的な日々が続くと思っていた。
──しかし、ある出来事をきっかけに、私の中に眠っていた〝本当の力〟が目覚め始める。 その瞬間から、私を見るカインの目が変わり始めた。
「リリア、お前は俺だけのものだ」 「どこへも行かせない。永遠に、俺のそばにいろ」
かつての冷酷さはどこへやら、彼は私に異常なまでの執着を見せ、甘く、そして狂気的な愛情で私を束縛しようとしてくる。 これは本当に愛情なの? それともただの執着?
優しい第二王子エリアスは私に手を差し伸べてくれるけれど、カインの嫉妬の炎は燃え盛るばかり。 逃げ場のない城の中、歪んだ愛の檻に、私は囚われていく──。
初恋を諦めたあなたが、幸せでありますように
ぽんちゃん
恋愛
『あなたのヒーローをお返しします。末永くお幸せに』
運命の日。
ルキナは婚約者候補のロミオに、早く帰ってきてほしいとお願いしていた。
(私がどんなに足掻いても、この先の未来はわかってる。でも……)
今頃、ロミオは思い出の小屋で、初恋の人と偶然の再会を果たしているだろう。
ロミオが夕刻までに帰ってくれば、サプライズでルキナとの婚約発表をする。
もし帰ってこなければ、ある程度のお金と文を渡し、お別れするつもりだ。
そしてルキナは、両親が決めた相手と婚姻することになる。
ただ、ルキナとロミオは、友人以上、恋人未満のような関係。
ルキナは、ロミオの言葉を信じて帰りを待っていた。
でも、帰ってきたのは護衛のみ。
その後に知らされたのは、ロミオは初恋の相手であるブリトニーと、一夜を共にしたという報告だった――。
《登場人物》
☆ルキナ(16) 公爵令嬢。
☆ジークレイン(24) ルキナの兄。
☆ロミオ(18) 男爵子息、公爵家で保護中。
★ブリトニー(18) パン屋の娘。
絶望?いえいえ、余裕です! 10年にも及ぶ婚約を解消されても化物令嬢はモフモフに夢中ですので
ハートリオ
恋愛
伯爵令嬢ステラは6才の時に隣国の公爵令息ディングに見初められて婚約し、10才から婚約者ディングの公爵邸の別邸で暮らしていた。
しかし、ステラを呼び寄せてすぐにディングは婚約を後悔し、ステラを放置する事となる。
異様な姿で異臭を放つ『化物令嬢』となったステラを嫌った為だ。
異国の公爵邸の別邸で一人放置される事となった10才の少女ステラだが。
公爵邸別邸は森の中にあり、その森には白いモフモフがいたので。
『ツン』だけど優しい白クマさんがいたので耐えられた。
更にある事件をきっかけに自分を取り戻した後は、ディングの執事カロンと共に公爵家の仕事をこなすなどして暮らして来た。
だがステラが16才、王立高等学校卒業一ヶ月前にとうとう婚約解消され、ステラは公爵邸を出て行く。
ステラを厄介払い出来たはずの公爵令息ディングはなぜかモヤモヤする。
モヤモヤの理由が分からないまま、ステラが出て行った後の公爵邸では次々と不具合が起こり始めて――
奇跡的に出会い、優しい時を過ごして愛を育んだ一人と一頭(?)の愛の物語です。
異世界、魔法のある世界です。
色々ゆるゆるです。
旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~
榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。
ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。
別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら?
ー全50話ー
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる