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110話・侮辱
しおりを挟む庭園の一角にある四阿で、僕はアンナルーサ様と向かい合って座っている。
すぐに召使いの女性たちがお茶とお菓子をテーブルに用意してくれたけど、とても手を伸ばす気にはなれなかった。ゼルドさんは彼女を気難しい性格だと言っていた。貴族のマナーなんか分からないし、怒らせてしまったらどうしよう。ゼルドさんに迷惑かけたくないのに。
「あの、どうして僕を連れ出したんですか」
震える声で問うと、アンナルーサ様は小さく息をつき、周りに誰もいないことを確認してから口を開いた。
「マーセナー家の来客対応は私が全て取り行っているの。今日は何の予定も入っていなかったはずなのに客間に誰かを通したと知って慌てて来たのよ。まさかゼルディスが戻っているなんて思いもしなかったものだから」
正妻として、お客様に挨拶をするために客間に駆け付けたのだ。フォルクス様やヘルツさんはわざとアンナルーサ様に知らせなかったのかな。
「フォルクスもハンナも考えていることがすぐ顔に出るから貴族同士のやり取りには向かないの。すぐ相手に侮られてしまって。だから私がやらなくては」
ハンナというのはフォルクス様の第二夫人の名前。言い方はアレだけど、先ほど客間で声を掛けた時にも気遣いを感じたし、アンナルーサ様は第二夫人を疎んでいるどころか大事にしているように思えた。自分より先に男児を産んだ女性を嫌うか妬むのが普通だろうに、そういった負の感情は一切ない。
「せっかく出向いたのに何もせずに戻るなんて格好がつかないでしょう?そこに他家の紋章をつけてる貴方がいたから引っ張り出したのよ。一応おもてなしするつもりで連れてきたのだから、もっと楽にしていいのよ」
僕が今こんな状況に置かれているのはバルネア様のせいだった。
「それで、貴方はゼルディスの従者か何か?」
「えっ」
なんと答えたものかと一瞬固まる。
さっきもゼルドさんを『ゼルディス』と呼び捨てにしていた。かなり年下ではあるけれど元婚約者だし、十五年ほどの付き合いなのだから不思議ではないのかもしれない。ちょっと複雑。
冒険者の支援役は、貴族で言うところの従者のような役割に該当するのだろうか。少し悩んでから、僕は「似たようなものです」と愛想笑いを浮かべて答えた。
「ゼルディスは随分と貴方を気に掛けている様子だったわ。ただの従者にあんな顔を向けるかしら?」
「……えーと」
さすがに答えられず、黙り込む。
ただ話し掛けられているだけなのに、じりじりと精神が削られていく。全てを見透かされているようで、気持ちが落ち着かない。
「ライル様はゼルディス様の『従者』ではありませんよ、奥様」
突然声を掛けられ、驚いて振り返ると、いつの間にかヘルツさんが後方に立っていた。緊張で身体が強張る。
「現在ゼルディス様は剣一本で生計を立てる冒険者、ライル様は支援役として共に活動しておられます」
ヘルツさんは張り付けたような笑みを浮かべ、僕たちのことをアンナルーサ様に説明した。四阿の内には入らず、一定の距離を保っている。
「貴方がフォルクスのそばから離れるなんて珍しいわね、ヘルツ」
アンナルーサ様もヘルツさんの行動をやや不審に思っているようだった。
「ライル様に大事なお話があったものですから。ちょうど良い。奥様にも聞いていただきましょう」
「僕に?」
「私も聞いていいの?」
僕に話って何?
嫌な予感しかしない。
「ゼルディス様には、後でライル様から話を通していただこうかと」
回りくどく前置きをしてから、ヘルツさんは僕に向かってこう言い放った。
──「マーセナー家に囲われるつもりはありませんか」と。
意味が理解できずに固まっていると、アンナルーサ様が勢いよく席を立った。先ほどまでの高貴で落ち着いた空気は消し飛び、恐ろしいほどの威圧感を放っている。
「ヘルツ、それはどういうつもりで言っているの。このかたは今、私のお客さまなのよ。失礼な物言いは控えなさい」
「言葉の通りですよ奥様。フォルクス様はゼルディス様にマーセナー家に戻ってほしいと切に願っております。その願いを手っ取り早く叶える方法です」
僕をこの家に縛り付ければ、ゼルドさんも戻らざるを得ないと考えてのことか。
「いかがでしょう。危険と隣り合わせのダンジョンに潜って日銭を稼ぐより、綺麗な部屋で何不自由なく暮らしていくほうが賢い選択ではありませんか」
「……そんなこと」
「ライル様がゼルディス様と組まれたのは『強者からおこぼれを貰うため』では?迷う必要などありませんよね?」
「なっ……」
こんな提案に喜んで飛びつくと思われているのか、と愕然とした。支援役とはそこまで下に見られる職業なのかと悲しくなった。
僕がゼルドさんと組んだのは、マージさんから紹介されたことがきっかけだけど、彼が支援を必要としていたからだ。誰かの役に立つ存在になりたかったからだ。一人の人間として、対等な相手として並び立ちたかったからだ。お金目当てで近付いたと思われていたなんて心外だ。
貴族のお屋敷で怒りを露わにするわけにはいかない。唇を噛み、膝の上に置いた拳を握りしめ、必死に気持ちを鎮める。
すぐに言葉を返せない僕を見て、迷っていると思ったのだろう。ヘルツさんは口角を上げ、目を細めた。
「ヘルツ……!」
怒りに震える声に顔を上げると、アンナルーサ様は険しい表情でヘルツさんを睨みつけていた。
「貴方はゼルディスがようやく手にした自由を奪おうというのですか!」
アンナルーサ様の言葉を聞き、もしかしたら僕たちは彼女について何か誤解をしているのかもしれないと思った。
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