32 / 38
32 重たい言葉
しおりを挟む
身軽になったわたしはささっと立ち上がって身だしなみを整えた。髪の毛はもうぐちゃぐちゃだ。髪飾りを取っていると、ジオルドがわたしの肩に上着をかけた。部屋の入り口ではロザンヌが歯を食いしばってこちらを睨んでいる。
「やあ、派手に壊したねえ」
いつの間に来ていたのか、鷹揚な口調でディアンジェス様が言った。彼の指示で部屋に入ってきた騎士が、わたしを襲おうとした男を縛り上げている。
「ぼっ僕は、ロザンヌ嬢に言われてこの部屋に来ただけだ! ここで待っていれば、貴方に気がある女性がやって来るからと―――」
「あたくしは関係ないわ! そこの女が勝手に男を連れ込んだだけでしょう!」
二人がわめき散らすのをしばらく聞いていたジオルドは、窓を開いて「シュウ!」と呼んだ。木立ががさごそと揺れ、何かを手に持ったシュウがバルコニーに降りてくる。
「記録は取れたか?」
「はい、ジオルド様。祝宴が始まる前に、この部屋を下見に来たロザンヌ嬢とあの男の様子はしっかり記録しております」
シュウの手には映像を記録する魔道具が握られている。ロザンヌは急に青ざめ、ジオルドに向かって叫んだ。
「公爵さま、どうしてですの!? あたくしとの婚約、考えておくと言ってくださったじゃありませんか!」
「考えておくと言っただけだ。実行するとは言っていない」
うわあ、女の敵だわ。
わたしは少しばかりロザンヌに同情した。ほんの少しだけ。
ジオルドはロザンヌに憐れむような視線を向け、しかし口調はどこか楽しげに言った。
「本当に残念だよ、ロザンヌ。私の婚約者となる女性に乱暴しようとするなど……。こうなった以上、モルダー伯爵への融資は打ち切らねばならない」
「そんな!」
ロザンヌがか細い悲鳴を上げる。わたしも思わず「冗談はやめてください」と言いそうになった。王子さまも聞いているのに、婚約者とか簡単に言わないで欲しい。
廊下からバタバタと足音が聞こえてきた。小太りな中年男性が額に汗をかきながら部屋に入ってくる。彼は騎士に捕まっているロザンヌを見て青くなった。
「こっ、公爵どの、ウチの娘が何かご無礼でも?」
「何があったかはご自分の娘に聞くといい。私たちは失礼する」
ジオルドはわたしを抱き上げて部屋から歩き出した。暴れている内に脱げた靴と耳飾りはシュウが拾ってくれたらしい。わたし達は親子喧嘩のけたたましい声を聞きながら廊下を歩き、王宮を後にした。
公爵家の屋敷に戻ったあと、すぐに風呂に入るように言われた。ドアの外から「しっかり丁寧に、隅々まで洗えよ」と声がする。わたしはハイハイと返事をしながら体を洗った。
ジオルドも入浴したあと、彼はわたしを自分の部屋に招きいれた。いや、招かれたと言うより無理やり連れ込まれたのだけど。
ひらひらした寝間着に身を包んだわたしの周囲をゆっくりと回りながら、上から下まで舐めるように見ている。
「何もされていないんだろうな?」
「は、はい」
ジオルドは足を止めて真正面に立った。長い指がわたしの顎をくいっと持ち上げ、顔を上向けるとすぐそこに濃紺の瞳がある。何も見逃すまいとでも言うかのような深い視線だった。
「あの男はお前のどこに触れた?」
「あ、足首と、腕に……」
ジオルドはわたしの足首と腕を撫でるように手で触った。まるで洗っているみたいに。
「あとは? これで終わりか?」
がっしりした背の高い男が、ほとんど真上からわたしを見下ろしている。圧倒されてしまい、反射的に口を動かした。
「み、右の胸を少しだけ……」
大きな手がわたしの右胸をむぎゅっとわし掴みする。口から「ひゃっ」と変な声が漏れ、手が勝手に動いた。空を切った右手がジオルドの頬に当たり、パン、と乾いた音が響く。
「あっ、すみません!」
よく考えれば謝る必要なんて無いのだが、この時のわたしは冷静な判断が出来なくなっていた。
ジオルドは横を向いたまま「ってぇ……」と呟き、ゆっくりと顔を戻した。何故なのか笑っている。あまりの恐怖にわたしは絶句していた。
「そうそう。変な男に絡まれたら、そうやって撃退するんだぞ」
微笑んだままジオルドが言う。怖すぎる。
「ど、どうしちゃったんですか?」
「何が?」
「何がって……。今年の春ぐらいから、あなたちょっとおかしいですよ。態度が変わりすぎと言うか。今だって、ビンタされたのに笑ってるし」
ジオルドは低い声でくくくと笑い、肩を震わせている。不気味だ。
「俺はな、お前が倒れた日に悟ったんだ。俺のプライドも父親への憎しみも、お前を失うことに比べたら些末なことだと……。お前には本当に感謝している」
「か、感謝?」
「ああ。お前は俺にとって、生きる意味そのものだ。ノア」
長い腕がわたしを優しく抱きしめてくる。硬い胸板からジオルドの鼓動が伝わり、その音を聞きながらわたしは少し混乱していた。
バレン様が医師になる流れはもう変えようがない。だからわたしの仕事は終わったはずだ。もう自由になっていいはずだ。
なのに、ジオルドは何を考えてわたしに「生きる意味そのもの」なんて言うんだろう。
ずっと俺のために生きろということ? わたしを自由にする気はないの?
あなたがわたしに執着するのはどうしてなのよ。
その夜は猫にして貰えなかった。ジオルドの腕に抱え込まれ、よく眠れないまま朝を迎えた。
「やあ、派手に壊したねえ」
いつの間に来ていたのか、鷹揚な口調でディアンジェス様が言った。彼の指示で部屋に入ってきた騎士が、わたしを襲おうとした男を縛り上げている。
「ぼっ僕は、ロザンヌ嬢に言われてこの部屋に来ただけだ! ここで待っていれば、貴方に気がある女性がやって来るからと―――」
「あたくしは関係ないわ! そこの女が勝手に男を連れ込んだだけでしょう!」
二人がわめき散らすのをしばらく聞いていたジオルドは、窓を開いて「シュウ!」と呼んだ。木立ががさごそと揺れ、何かを手に持ったシュウがバルコニーに降りてくる。
「記録は取れたか?」
「はい、ジオルド様。祝宴が始まる前に、この部屋を下見に来たロザンヌ嬢とあの男の様子はしっかり記録しております」
シュウの手には映像を記録する魔道具が握られている。ロザンヌは急に青ざめ、ジオルドに向かって叫んだ。
「公爵さま、どうしてですの!? あたくしとの婚約、考えておくと言ってくださったじゃありませんか!」
「考えておくと言っただけだ。実行するとは言っていない」
うわあ、女の敵だわ。
わたしは少しばかりロザンヌに同情した。ほんの少しだけ。
ジオルドはロザンヌに憐れむような視線を向け、しかし口調はどこか楽しげに言った。
「本当に残念だよ、ロザンヌ。私の婚約者となる女性に乱暴しようとするなど……。こうなった以上、モルダー伯爵への融資は打ち切らねばならない」
「そんな!」
ロザンヌがか細い悲鳴を上げる。わたしも思わず「冗談はやめてください」と言いそうになった。王子さまも聞いているのに、婚約者とか簡単に言わないで欲しい。
廊下からバタバタと足音が聞こえてきた。小太りな中年男性が額に汗をかきながら部屋に入ってくる。彼は騎士に捕まっているロザンヌを見て青くなった。
「こっ、公爵どの、ウチの娘が何かご無礼でも?」
「何があったかはご自分の娘に聞くといい。私たちは失礼する」
ジオルドはわたしを抱き上げて部屋から歩き出した。暴れている内に脱げた靴と耳飾りはシュウが拾ってくれたらしい。わたし達は親子喧嘩のけたたましい声を聞きながら廊下を歩き、王宮を後にした。
公爵家の屋敷に戻ったあと、すぐに風呂に入るように言われた。ドアの外から「しっかり丁寧に、隅々まで洗えよ」と声がする。わたしはハイハイと返事をしながら体を洗った。
ジオルドも入浴したあと、彼はわたしを自分の部屋に招きいれた。いや、招かれたと言うより無理やり連れ込まれたのだけど。
ひらひらした寝間着に身を包んだわたしの周囲をゆっくりと回りながら、上から下まで舐めるように見ている。
「何もされていないんだろうな?」
「は、はい」
ジオルドは足を止めて真正面に立った。長い指がわたしの顎をくいっと持ち上げ、顔を上向けるとすぐそこに濃紺の瞳がある。何も見逃すまいとでも言うかのような深い視線だった。
「あの男はお前のどこに触れた?」
「あ、足首と、腕に……」
ジオルドはわたしの足首と腕を撫でるように手で触った。まるで洗っているみたいに。
「あとは? これで終わりか?」
がっしりした背の高い男が、ほとんど真上からわたしを見下ろしている。圧倒されてしまい、反射的に口を動かした。
「み、右の胸を少しだけ……」
大きな手がわたしの右胸をむぎゅっとわし掴みする。口から「ひゃっ」と変な声が漏れ、手が勝手に動いた。空を切った右手がジオルドの頬に当たり、パン、と乾いた音が響く。
「あっ、すみません!」
よく考えれば謝る必要なんて無いのだが、この時のわたしは冷静な判断が出来なくなっていた。
ジオルドは横を向いたまま「ってぇ……」と呟き、ゆっくりと顔を戻した。何故なのか笑っている。あまりの恐怖にわたしは絶句していた。
「そうそう。変な男に絡まれたら、そうやって撃退するんだぞ」
微笑んだままジオルドが言う。怖すぎる。
「ど、どうしちゃったんですか?」
「何が?」
「何がって……。今年の春ぐらいから、あなたちょっとおかしいですよ。態度が変わりすぎと言うか。今だって、ビンタされたのに笑ってるし」
ジオルドは低い声でくくくと笑い、肩を震わせている。不気味だ。
「俺はな、お前が倒れた日に悟ったんだ。俺のプライドも父親への憎しみも、お前を失うことに比べたら些末なことだと……。お前には本当に感謝している」
「か、感謝?」
「ああ。お前は俺にとって、生きる意味そのものだ。ノア」
長い腕がわたしを優しく抱きしめてくる。硬い胸板からジオルドの鼓動が伝わり、その音を聞きながらわたしは少し混乱していた。
バレン様が医師になる流れはもう変えようがない。だからわたしの仕事は終わったはずだ。もう自由になっていいはずだ。
なのに、ジオルドは何を考えてわたしに「生きる意味そのもの」なんて言うんだろう。
ずっと俺のために生きろということ? わたしを自由にする気はないの?
あなたがわたしに執着するのはどうしてなのよ。
その夜は猫にして貰えなかった。ジオルドの腕に抱え込まれ、よく眠れないまま朝を迎えた。
11
あなたにおすすめの小説
英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない
百門一新
恋愛
男の子の恰好で走り回る元気な平民の少女、ティーゼには、見目麗しい完璧な幼馴染がいる。彼は幼少の頃、ティーゼが女の子だと知らず、怪我をしてしまった事で責任を感じている優しすぎる少し年上の幼馴染だ――と、ティーゼ自身はずっと思っていた。
幼馴染が半魔族の王を倒して、英雄として戻って来た。彼が旅に出て戻って来た目的も知らぬまま、ティーゼは心配症な幼馴染離れをしようと考えていたのだが、……ついでとばかりに引き受けた仕事の先で、彼女は、恋に悩む優しい魔王と、ちっとも優しくないその宰相に巻き込まれました。
※「小説家になろう」「ベリーズカフェ」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
藤原ライラ
恋愛
心を奪われた手紙の先には、運命の人が待っていた――
子爵令嬢のキャロラインは、両親を早くに亡くし、年の離れた弟の面倒を見ているうちにすっかり婚期を逃しつつあった。夜会でも誰からも相手にされない彼女は、新しい出会いを求めて文通を始めることに。届いた美しい字で洗練された内容の手紙に、相手はきっとうんと年上の素敵なおじ様のはずだとキャロラインは予想する。
彼とのやり取りにときめく毎日だがそれに難癖をつける者がいた。幼馴染で侯爵家の嫡男、クリストファーである。
「理想の相手なんかに巡り合えるわけないだろう。現実を見た方がいい」
四つ年下の彼はいつも辛辣で彼女には冷たい。
そんな時キャロラインは、夜会で想像した文通相手とそっくりな人物に出会ってしまう……。
文通相手の正体は一体誰なのか。そしてキャロラインの恋の行方は!?
じれじれ両片思いです。
※他サイトでも掲載しています。
イラスト:ひろ様(https://xfolio.jp/portfolio/hiro_foxtail)
王宮に薬を届けに行ったなら
佐倉ミズキ
恋愛
王宮で薬師をしているラナは、上司の言いつけに従い王子殿下のカザヤに薬を届けに行った。
カザヤは生まれつき体が弱く、臥せっていることが多い。
この日もいつも通り、カザヤに薬を届けに行ったラナだが仕事終わりに届け忘れがあったことに気が付いた。
慌ててカザヤの部屋へ行くと、そこで目にしたものは……。
弱々しく臥せっているカザヤがベッドから起き上がり、元気に動き回っていたのだ。
「俺の秘密を知ったのだから部屋から出すわけにはいかない」
驚くラナに、カザヤは不敵な笑みを浮かべた。
「今日、国王が崩御する。だからお前を部屋から出すわけにはいかない」
※ベリーズカフェにも掲載中です。そちらではラナの設定が変わっています。(貴族→庶民)それにより、内容も少し変更しておりますのであわせてお楽しみください。
勘違いで嫁ぎましたが、相手が理想の筋肉でした!
エス
恋愛
「男性の魅力は筋肉ですわっ!!」
華奢な男がもてはやされるこの国で、そう豪語する侯爵令嬢テレーゼ。
縁談はことごとく破談し、兄アルベルトも王太子ユリウスも頭を抱えていた。
そんな折、騎士団長ヴォルフがユリウスの元に「若い女性を紹介してほしい」と相談に現れる。
よく見ればこの男──家柄よし、部下からの信頼厚し、そして何より、圧巻の筋肉!!
「この男しかいない!」とユリウスは即断し、テレーゼとの結婚話を進める。
ところがテレーゼが嫁いだ先で、当のヴォルフは、
「俺は……メイドを紹介してほしかったんだが!?」
と何やら焦っていて。
……まあ細かいことはいいでしょう。
なにせ、その腕、その太もも、その背中。
最高の筋肉ですもの! この結婚、全力で続行させていただきますわ!!
女性不慣れな不器用騎士団長 × 筋肉フェチ令嬢。
誤解から始まる、すれ違いだらけの新婚生活、いざスタート!
※他サイトに投稿したものを、改稿しています。
愛があれば、何をしてもいいとでも?
篠月珪霞
恋愛
「おいで」と優しく差し伸べられた手をとってしまったのが、そもそもの間違いだった。
何故、あのときの私は、それに縋ってしまったのか。
生まれ変わった今、再びあの男と対峙し、後悔と共に苦い思い出が蘇った。
「我が番よ、どうかこの手を取ってほしい」
過去とまったく同じ台詞、まったく同じ、焦がれるような表情。
まるであのときまで遡ったようだと錯覚させられるほどに。
溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる