経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始

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「好き」は、整ったままで

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雨の音が静かに降り続いていた。  
窓の向こう、街の灯りがにじんで揺れている。  
けれどその揺れさえも、今のこの部屋の空気には影響を与えなかった。

阿波座凛は、ソファに深く腰を下ろしていた。  
手には紅茶の入ったマグカップ。  
香りは控えめで、けれど口に含むとじんわりと温かさが広がる。  
落ち着いた夜に相応しい、控えめな味だった。

その隣、谷町光が膝を軽く曲げて座っている。  
ふたりの間には、ぴったりと身体が触れる距離があったが、寄りかかるでもなく、間をあけるでもなく。  
自然とそうなった位置に、ただお互いが座っていた。

テレビはつけていなかった。  
スマートフォンも手にしていない。  
部屋の中で鳴っているのは、雨の音と、たまに湯気が揺れる音だけ。  
それでも何も足りないとは思わなかった。  
むしろこの静けさこそが、安心だった。

「凛さんがこうしてくれてるのって、俺……奇跡だと思ってます」

光がぽつりとそう言ったのは、カップをテーブルに置いた直後だった。  
声はとても穏やかで、どこか確信を込めたような響きを持っていた。

凛はすぐに反応しなかった。  
一度、紅茶の湯気に目を落とし、それから光の方をゆっくりと見た。  
視線はまっすぐに合ったが、表情には何の驚きも浮かんでいなかった。

「……奇跡」

その言葉を繰り返して、凛はまた少し黙った。  
光は何も言わずに待っていた。  
ただ、凛の考える時間を壊したくなくて、余計なことは挟まなかった。

「特別でも、奇跡でもないですよ」

凛の声は静かだった。  
けれど、その語尾にだけ、少し熱が混じっていた。

「……ただ、整えたんです。俺の心の方を」

言葉のあと、また紅茶を一口すする。  
その動作には、どこまでも自然な余裕があった。

光は、何も返さなかった。  
それどころか、返せなかった。  
自分が思っていた以上に、凛がすでにその先に立っていたことに、嬉しい戸惑いがあった。

かつての凛なら、こうして誰かと並んで座ること自体、きっと“無駄”か“非効率”だと感じていた。  
誰かに合わせることは乱されることだと信じていた。  
でも今、彼はそのとなりにいる。自分の意思で、まっすぐに。

「君の隣にいると、自分が変わってしまうような気がしてたんです」

凛はふと視線を逸らした。  
言葉はどこか自嘲めいていたが、その顔には少しの苦さもなかった。

「でも変わるんじゃなくて、整うんですね。  
谷町くんといることで、変に構えなくても、静かに、落ち着いていられる」

「……自分のことが好きになれる感じ、というか」

それは凛にとって、ほとんど初めて言葉にした感情だった。  
今までは、誰かと一緒にいる自分を想像するたびに、どこかで“我慢”や“演技”が必要だと思っていた。  
自分を守るために、自分の一部を削る。  
そんな付き合い方しか知らなかった。

けれど光は違った。  
彼の言葉は飾らず、遠慮がなく、それでいて押しつけがましくもない。  
まるで、凛の内側に既にあるものをすっと引き出すように、そこにいてくれた。

「整ってるままで、好きでいられるって、なんかいいな」

光がようやく言葉を挟んだ。  
ゆっくりと微笑んで、隣の凛をちらりと見やる。

「俺、正直……凛さんと一緒にいるとき、自分が頑張ってるって思わないんです」

「頑張ってないからって、手を抜いてるとかじゃなくて、  
なんか……ちゃんとした自分でいられるっていうか」

凛は一度、うなずいた。  
そして静かに息を吐いた。

「それ、分かります。俺も、同じことを考えてました」

窓の外では、まだ雨が降っていた。  
その音は少しだけ強くなっていたけれど、ふたりの間に漂う空気には、揺らぎがなかった。  
まるで、その静けさを保つことこそが、今の彼らにとっての幸せだった。

凛はもう一度、カップを手に取った。  
その手には迷いがなく、彼の隣にいる光もまた、その何気ない動作に小さな幸せを感じていた。

誰かといることが、自分を変えてしまうことじゃない。  
本当の愛情は、整ったままでいられることなのだと。  
ふたりは、同じ場所で、それを知っていた。
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