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タグの彼方で、ひとりつぶやく夜
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西中島楓の部屋は、いつもよりずっと静かだった。
壁際の本棚に並ぶ漫画や雑誌、色とりどりのアクリルスタンドたちは、
今日に限って、まるで呼吸を潜めているように感じられた。
部屋の中心、デスクの上に置かれたノートパソコンが唯一の光源だった。
オレンジ色のデスクライトが、キーボードとその上に置いた手を照らしている。
その手は動かない。
ログイン済みのなにスタ裏垢ページが、静かに開かれたままになっていた。
“#きょゆう”関連の投稿が、下からゆっくりと流れてくる。
「最近の詩、悠翔っぽくない?」「まさかの供給が現実になった展開」
「京橋くん、隣にいるの、あの子ばっかじゃん」
ひとつひとつの言葉が、画面から目に飛び込んでくるたびに、
何かが胸の奥で静かに、けれど確実にきしんだ。
キーボードに指を置いたまま、タイピングはされない。
カーソルが点滅を繰り返し、ただそこに在り続けていた。
壁に貼ったスチル写真たちが目に入る。
文化祭のときの、体育祭のときの、そして去年の入学直後のスナップ。
どれも彼女が“記録者”としてシャッターを切り、“推し”として保存してきた日々の一部だ。
誰よりも京橋蒼真を見てきた自負があった。
彼のまっすぐな笑顔、曇りのない目、些細な仕草――
全部、見逃さなかった。
全部、“尊い”と思った。
そして、ずっと夢見ていた。
その横に、自分が立つこと。
彼の世界の一部になって、隣で同じ景色を見ること。
それが“推しの隣にふさわしくなる努力”であり、“ファン”という名の戦いだった。
でも。
いま、画面の向こうで語られている彼の“隣”には、自分ではない誰かがいる。
それも、ただの誰かじゃない。
あの柔らかい声で詩を綴っていた子。
教室の端っこで、ひっそりと輝いていた子。
……知ってた。
推しの目が、どこを向いているのかなんて。
あのときの図書室、あのときの“星に願いをBOX”、あのときの保健室。
全部、知ってた。
気づかないふりをしてた。
まだ、何も起きていないふりをしてた。
けどもう、言い訳できない。
詩は投稿された。
挿絵は描かれた。
ふたりの名前が記念誌のページに並んだ。
カーソルの点滅が、妙に煩わしく感じられる。
指が少し震えながら、何文字かを打ち込もうとする。
けれど、すぐに止まった。
言葉にならない。
思っていることはある。
けれど、それを外に出すには、まだ気持ちの輪郭が定まっていなかった。
もやもやとした想いのなかで、画面の明るさを少しだけ落とす。
指先が額に触れ、視線が宙をさまよう。
泣きたいのか?
いや、違う。
これは、悲しみではない。
悔しさでもない。
じゃあ、なんなの?
……答えは、はっきりしなかった。
でも、ふいに胸の中に浮かんだのは、
今日の京橋の笑顔だった。
夕陽の中で、記念誌を手にしていたときの、あの自然な笑顔。
演技じゃない。
作られた偶像でもない。
彼自身が、本当に満たされている表情だった。
その笑顔を見て、あたしは何を思った?
……あったかい、って思った。
素直に、そう思ってしまった。
「幸せそうだな」って。
あたしが求めてたのって、
“あの笑顔を自分だけのものにしたい”っていう気持ちだったんだろうか?
違う気がする。
ずっと見てきたからこそわかる。
あの笑顔が、自分に向けられていなくても、
ちゃんとそこにあるなら、それだけで、もう充分だったんじゃないかって。
キーボードに置かれた手をそっと引く。
光の当たる部分と、陰の落ちた部分の境目に、静かに揺れる気持ちを見つめる。
モノローグが、ふわりと胸の奥に浮かんだ。
あたしは、“推しの隣”を夢見てた。
でも、本当は、その笑顔が、誰に向いていても、
ただ見ていたかっただけなのかもしれない。
それは、決して敗北なんかじゃない。
むしろ、最初から、そうだったのかもしれない。
“推し”って、ただ愛でる対象じゃなくて、
誰かが幸せであることを願える、
祈りに近い存在だったのかもしれない。
部屋の隅で、時計が小さく時を告げた。
いつの間にか、深夜に近い時間になっていた。
ノートパソコンの画面を閉じる前、画面に残されたカーソルが、最後に一度点滅した。
西中島は、静かにため息をつき、椅子を後ろに引いた。
そして、壁に飾られた京橋の写真を見上げた。
あの笑顔は、変わらない。
変わらないけど、今日からは少しだけ違って見える。
推しの幸せを、ちゃんと喜べる自分でいたい。
そう思えたことが、
いちばんの成長だったのかもしれない。
壁際の本棚に並ぶ漫画や雑誌、色とりどりのアクリルスタンドたちは、
今日に限って、まるで呼吸を潜めているように感じられた。
部屋の中心、デスクの上に置かれたノートパソコンが唯一の光源だった。
オレンジ色のデスクライトが、キーボードとその上に置いた手を照らしている。
その手は動かない。
ログイン済みのなにスタ裏垢ページが、静かに開かれたままになっていた。
“#きょゆう”関連の投稿が、下からゆっくりと流れてくる。
「最近の詩、悠翔っぽくない?」「まさかの供給が現実になった展開」
「京橋くん、隣にいるの、あの子ばっかじゃん」
ひとつひとつの言葉が、画面から目に飛び込んでくるたびに、
何かが胸の奥で静かに、けれど確実にきしんだ。
キーボードに指を置いたまま、タイピングはされない。
カーソルが点滅を繰り返し、ただそこに在り続けていた。
壁に貼ったスチル写真たちが目に入る。
文化祭のときの、体育祭のときの、そして去年の入学直後のスナップ。
どれも彼女が“記録者”としてシャッターを切り、“推し”として保存してきた日々の一部だ。
誰よりも京橋蒼真を見てきた自負があった。
彼のまっすぐな笑顔、曇りのない目、些細な仕草――
全部、見逃さなかった。
全部、“尊い”と思った。
そして、ずっと夢見ていた。
その横に、自分が立つこと。
彼の世界の一部になって、隣で同じ景色を見ること。
それが“推しの隣にふさわしくなる努力”であり、“ファン”という名の戦いだった。
でも。
いま、画面の向こうで語られている彼の“隣”には、自分ではない誰かがいる。
それも、ただの誰かじゃない。
あの柔らかい声で詩を綴っていた子。
教室の端っこで、ひっそりと輝いていた子。
……知ってた。
推しの目が、どこを向いているのかなんて。
あのときの図書室、あのときの“星に願いをBOX”、あのときの保健室。
全部、知ってた。
気づかないふりをしてた。
まだ、何も起きていないふりをしてた。
けどもう、言い訳できない。
詩は投稿された。
挿絵は描かれた。
ふたりの名前が記念誌のページに並んだ。
カーソルの点滅が、妙に煩わしく感じられる。
指が少し震えながら、何文字かを打ち込もうとする。
けれど、すぐに止まった。
言葉にならない。
思っていることはある。
けれど、それを外に出すには、まだ気持ちの輪郭が定まっていなかった。
もやもやとした想いのなかで、画面の明るさを少しだけ落とす。
指先が額に触れ、視線が宙をさまよう。
泣きたいのか?
いや、違う。
これは、悲しみではない。
悔しさでもない。
じゃあ、なんなの?
……答えは、はっきりしなかった。
でも、ふいに胸の中に浮かんだのは、
今日の京橋の笑顔だった。
夕陽の中で、記念誌を手にしていたときの、あの自然な笑顔。
演技じゃない。
作られた偶像でもない。
彼自身が、本当に満たされている表情だった。
その笑顔を見て、あたしは何を思った?
……あったかい、って思った。
素直に、そう思ってしまった。
「幸せそうだな」って。
あたしが求めてたのって、
“あの笑顔を自分だけのものにしたい”っていう気持ちだったんだろうか?
違う気がする。
ずっと見てきたからこそわかる。
あの笑顔が、自分に向けられていなくても、
ちゃんとそこにあるなら、それだけで、もう充分だったんじゃないかって。
キーボードに置かれた手をそっと引く。
光の当たる部分と、陰の落ちた部分の境目に、静かに揺れる気持ちを見つめる。
モノローグが、ふわりと胸の奥に浮かんだ。
あたしは、“推しの隣”を夢見てた。
でも、本当は、その笑顔が、誰に向いていても、
ただ見ていたかっただけなのかもしれない。
それは、決して敗北なんかじゃない。
むしろ、最初から、そうだったのかもしれない。
“推し”って、ただ愛でる対象じゃなくて、
誰かが幸せであることを願える、
祈りに近い存在だったのかもしれない。
部屋の隅で、時計が小さく時を告げた。
いつの間にか、深夜に近い時間になっていた。
ノートパソコンの画面を閉じる前、画面に残されたカーソルが、最後に一度点滅した。
西中島は、静かにため息をつき、椅子を後ろに引いた。
そして、壁に飾られた京橋の写真を見上げた。
あの笑顔は、変わらない。
変わらないけど、今日からは少しだけ違って見える。
推しの幸せを、ちゃんと喜べる自分でいたい。
そう思えたことが、
いちばんの成長だったのかもしれない。
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