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推しは、目の前にいた
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放課後の屋上には、風の音しかなかった。
足音も、話し声も、誰かの気配すらも消えていて、
まるで校舎の中でそこだけが、別の時間に取り残されたようだった。
コンクリートの床に落ちる影は長く、
夕陽が西の空をゆっくりと茜色に染めていく。
フェンスの隙間から流れ込む風が、制服の裾を揺らした。
西中島は、屋上の壁にもたれて立っていた。
腕を組んで、無言のまま、目を閉じていた。
呼び出された理由は、分かっているようで、分からなかった。
でも、心のどこかで「来る」と思っていた。
足音がひとつ、ゆっくりと近づいてくる。
聞き慣れたリズムだった。
次の瞬間、声が届いた。
「少し、話せる?」
その声は、以前と変わらずまっすぐで、柔らかかった。
何度も胸の中で再生してきた“推しの声”が、今、現実の中で自分に向けられている。
なのに、その響きはどこか違って聞こえた。
今は、舞台の上からじゃない。すぐ目の前からだ。
「……うん」
短く返して、腕をほどく。
けれど、背中は壁から離さなかった。
何かにしがみついていたかった。
強く見せていたかったわけじゃない。
ただ、それが立っていられる姿勢だった。
京橋は、西中島のすぐ横に立った。
距離は保たれていたけれど、その存在感は近かった。
風が彼の髪をかすかに揺らす。
斜め横から差し込む夕陽が、彼の頬の輪郭を優しくなぞった。
「……なんか、ごめんね。急に呼び出して」
「別に。時間はあるし」
言葉は素っ気なくても、声のトーンは揺れていた。
それは京橋にも、きっと伝わっていた。
しばらく、ふたりの間に沈黙が落ちる。
風の音だけが、一定のリズムで流れていた。
空を仰いだまま、京橋がふっと息を吐いた。
「俺、今……すごく幸せだよ」
それだけだった。
飾りも説明も、なかった。
けれど、その一言に込められた感情の濃度は、どんな言葉よりも強くて深かった。
西中島は、即座に反応できなかった。
目を伏せたまま、拳を軽く握りしめる。
指先がわずかに震えた。
「……そっか」
その返事にどれだけの意味が詰まっていたか、彼には分からないかもしれない。
でも、それしか言えなかった。
心の奥で、何かがほどける音がした。
ずっと張っていた糸が、静かに緩んでいく。
張りつめていた何かが、もう崩れてもいいような、そんな気がしていた。
京橋は、壁に背を預ける西中島の横顔を見なかった。
代わりに、遠くの空を見ていた。
その視線の先には、誰かの姿ではなく、“これからの何か”が映っていたのかもしれない。
「……じゃあ、もう“守る必要”はないってことね」
西中島の声は、低く、でもどこか温度があった。
自嘲ではなかった。
寂しさでもなかった。
それは、たぶん“確認”だった。
京橋は、静かに笑った。
そして、ごく自然に返す。
「守られてたの、俺のほうだったかも。ありがとう」
その言葉に、西中島は思わず顔を上げた。
京橋は、やっぱり空を見ていた。
その目は少し潤んでいたようにも見えたけれど、涙ではなかった。
それは、過去と向き合い、今を認めた人の目だった。
「……バカじゃん」
ぽつりと洩れた言葉に、京橋が笑う。
「うん、かもね」と、やさしく答える。
西中島は、もう何も言わなかった。
ただ、視線だけは彼に向けたまま、立っていた。
ふたりの影が、夕陽に伸びて、並んだ。
もう重なり合うことはないかもしれない。
それでも、それぞれの形で残り続ける影だった。
誰かの隣に立てることが“勝ち”なんじゃない。
誰かが笑っていることを、ちゃんと祝福できること。
それが、あたしの“推し”としての最終地点だったのかもしれない。
空が、ゆっくりと夜に向かっていた。
風の中で、ふたりの存在だけが、静かにそこにあった。
足音も、話し声も、誰かの気配すらも消えていて、
まるで校舎の中でそこだけが、別の時間に取り残されたようだった。
コンクリートの床に落ちる影は長く、
夕陽が西の空をゆっくりと茜色に染めていく。
フェンスの隙間から流れ込む風が、制服の裾を揺らした。
西中島は、屋上の壁にもたれて立っていた。
腕を組んで、無言のまま、目を閉じていた。
呼び出された理由は、分かっているようで、分からなかった。
でも、心のどこかで「来る」と思っていた。
足音がひとつ、ゆっくりと近づいてくる。
聞き慣れたリズムだった。
次の瞬間、声が届いた。
「少し、話せる?」
その声は、以前と変わらずまっすぐで、柔らかかった。
何度も胸の中で再生してきた“推しの声”が、今、現実の中で自分に向けられている。
なのに、その響きはどこか違って聞こえた。
今は、舞台の上からじゃない。すぐ目の前からだ。
「……うん」
短く返して、腕をほどく。
けれど、背中は壁から離さなかった。
何かにしがみついていたかった。
強く見せていたかったわけじゃない。
ただ、それが立っていられる姿勢だった。
京橋は、西中島のすぐ横に立った。
距離は保たれていたけれど、その存在感は近かった。
風が彼の髪をかすかに揺らす。
斜め横から差し込む夕陽が、彼の頬の輪郭を優しくなぞった。
「……なんか、ごめんね。急に呼び出して」
「別に。時間はあるし」
言葉は素っ気なくても、声のトーンは揺れていた。
それは京橋にも、きっと伝わっていた。
しばらく、ふたりの間に沈黙が落ちる。
風の音だけが、一定のリズムで流れていた。
空を仰いだまま、京橋がふっと息を吐いた。
「俺、今……すごく幸せだよ」
それだけだった。
飾りも説明も、なかった。
けれど、その一言に込められた感情の濃度は、どんな言葉よりも強くて深かった。
西中島は、即座に反応できなかった。
目を伏せたまま、拳を軽く握りしめる。
指先がわずかに震えた。
「……そっか」
その返事にどれだけの意味が詰まっていたか、彼には分からないかもしれない。
でも、それしか言えなかった。
心の奥で、何かがほどける音がした。
ずっと張っていた糸が、静かに緩んでいく。
張りつめていた何かが、もう崩れてもいいような、そんな気がしていた。
京橋は、壁に背を預ける西中島の横顔を見なかった。
代わりに、遠くの空を見ていた。
その視線の先には、誰かの姿ではなく、“これからの何か”が映っていたのかもしれない。
「……じゃあ、もう“守る必要”はないってことね」
西中島の声は、低く、でもどこか温度があった。
自嘲ではなかった。
寂しさでもなかった。
それは、たぶん“確認”だった。
京橋は、静かに笑った。
そして、ごく自然に返す。
「守られてたの、俺のほうだったかも。ありがとう」
その言葉に、西中島は思わず顔を上げた。
京橋は、やっぱり空を見ていた。
その目は少し潤んでいたようにも見えたけれど、涙ではなかった。
それは、過去と向き合い、今を認めた人の目だった。
「……バカじゃん」
ぽつりと洩れた言葉に、京橋が笑う。
「うん、かもね」と、やさしく答える。
西中島は、もう何も言わなかった。
ただ、視線だけは彼に向けたまま、立っていた。
ふたりの影が、夕陽に伸びて、並んだ。
もう重なり合うことはないかもしれない。
それでも、それぞれの形で残り続ける影だった。
誰かの隣に立てることが“勝ち”なんじゃない。
誰かが笑っていることを、ちゃんと祝福できること。
それが、あたしの“推し”としての最終地点だったのかもしれない。
空が、ゆっくりと夜に向かっていた。
風の中で、ふたりの存在だけが、静かにそこにあった。
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