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無表情の奥に、灯るもの
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朝のオフィスには、いつもと変わらぬ騒がしさがあった。
電話のベル、プリンターの駆動音、同僚たちの軽い雑談が混ざり合い、一定のリズムを作っている。
梅田は自席に戻りながら、コーヒーを片手にふと視線を向けた。
斜め向かいの席、天王寺悠は静かにキーボードを打っていた。
姿勢はまっすぐで、指の動きに無駄がない。
目は画面に注がれ、表情にはいつものように感情の色はなかった。
けれど、最近になって、その“無”に見える表情の奥に、別のものがあると感じるようになった。
たとえば、先週の会議のあと。
若手の社員が資料を配る順番を間違え、クライアントに提出するものと社内用の資料が混ざったことがあった。
軽く怒鳴られてもおかしくない場面だったが、天王寺は静かに立ち上がり、何も言わずに一式を回収した。
その場でミスを責めることもなく、口調を荒らすこともなく、
提出先に一言だけ「資料、こちらに更新します」と告げて訂正し、何事もなかったように着席した。
周囲の誰もが「あれ?」という顔をしていた。
ただの冷徹な経理上がりだと思われていた彼が、あまりにも自然にチームのほころびを塞いでいたからだ。
それ以来、梅田は少しずつ、天王寺を見る視線が変わり始めていた。
効率主義で、会話が少なくて、近寄りがたいと思っていた。
でも、実際には──
(無愛想やと思ってたけど、ほんまは…誰よりも優しいんかもしれへん)
そう思うようになっていた。
今も、後輩の一人が資料の角を崩してしまったのを、
天王寺はさりげなく自分の予備から差し替え、何も言わずに机に置いていた。
それに気づいたのが、梅田だけだったというのも不思議な話だ。
あるとき、自分が印刷した資料の一枚を落としたことがあった。
机の下に滑り込んだ紙を取ろうとしたとき、先にそれを拾ってくれたのが天王寺だった。
「これ、落ちましたよ」
無表情のまま、資料を差し出す手。
長く細い指先が、紙をそっと支えていた。
その動作にまったく無駄がなく、けれど乱暴さもなかった。
思わず、ありがとうと返すと、天王寺は小さく頷いただけで席に戻っていった。
その瞬間のことを、なぜか今でも思い出してしまう。
ある日、パソコンの不調で画面が固まり、梅田が軽く舌打ちをした。
するとすぐ隣で、天王寺が手を止め、「再起動したほうが早いと思います」と言った。
彼のモニターから視線を外し、ほんの少しだけ梅田の画面を覗き込んでくる。
そのときの横顔。
目元はまだ冷たい印象だったが、口元がかすかに緩んでいるように見えた。
いや、気のせいかもしれない。
けれど、見えたような気がした。
その「ほんのわずか」な変化を見逃さない自分に、気づいたとき、
梅田は胸の奥がふっと熱を帯びるのを感じた。
視線を送るたびに、彼の静けさのなかに、
小さな熱が灯っているのが分かる。
冷たく見えて、本当は繊細で、傷つきやすくて、
それでも黙って誰かを支えるような人間。
どうして誰も、それに気づかへんのやろ。
そう思うと、少し悔しくなった。
そして、自分だけがそれに気づけたことが、少し誇らしかった。
梅田は自分のデスクに戻りながら、ふと天王寺の方へ視線を投げる。
彼は相変わらず、無表情で画面に向かっていた。
だが、画面に映る光が頬に落ちると、その輪郭はどこか柔らかく見えた。
(……そっか。ああいう優しさは、誰かに見つけられるためにあるんやない。
見つけようとしたやつだけが、見えるもんなんや)
キーボードを打つ音がふたつ、重なる。
目も合わない。
声も交わさない。
それでも今、同じ空間で同じ温度を共有しているような気がした。
梅田はそっと背もたれに体を預け、
画面に映ったスケジュール表をひとつずつ確認しながら、
静かに、小さく、息を吐いた。
電話のベル、プリンターの駆動音、同僚たちの軽い雑談が混ざり合い、一定のリズムを作っている。
梅田は自席に戻りながら、コーヒーを片手にふと視線を向けた。
斜め向かいの席、天王寺悠は静かにキーボードを打っていた。
姿勢はまっすぐで、指の動きに無駄がない。
目は画面に注がれ、表情にはいつものように感情の色はなかった。
けれど、最近になって、その“無”に見える表情の奥に、別のものがあると感じるようになった。
たとえば、先週の会議のあと。
若手の社員が資料を配る順番を間違え、クライアントに提出するものと社内用の資料が混ざったことがあった。
軽く怒鳴られてもおかしくない場面だったが、天王寺は静かに立ち上がり、何も言わずに一式を回収した。
その場でミスを責めることもなく、口調を荒らすこともなく、
提出先に一言だけ「資料、こちらに更新します」と告げて訂正し、何事もなかったように着席した。
周囲の誰もが「あれ?」という顔をしていた。
ただの冷徹な経理上がりだと思われていた彼が、あまりにも自然にチームのほころびを塞いでいたからだ。
それ以来、梅田は少しずつ、天王寺を見る視線が変わり始めていた。
効率主義で、会話が少なくて、近寄りがたいと思っていた。
でも、実際には──
(無愛想やと思ってたけど、ほんまは…誰よりも優しいんかもしれへん)
そう思うようになっていた。
今も、後輩の一人が資料の角を崩してしまったのを、
天王寺はさりげなく自分の予備から差し替え、何も言わずに机に置いていた。
それに気づいたのが、梅田だけだったというのも不思議な話だ。
あるとき、自分が印刷した資料の一枚を落としたことがあった。
机の下に滑り込んだ紙を取ろうとしたとき、先にそれを拾ってくれたのが天王寺だった。
「これ、落ちましたよ」
無表情のまま、資料を差し出す手。
長く細い指先が、紙をそっと支えていた。
その動作にまったく無駄がなく、けれど乱暴さもなかった。
思わず、ありがとうと返すと、天王寺は小さく頷いただけで席に戻っていった。
その瞬間のことを、なぜか今でも思い出してしまう。
ある日、パソコンの不調で画面が固まり、梅田が軽く舌打ちをした。
するとすぐ隣で、天王寺が手を止め、「再起動したほうが早いと思います」と言った。
彼のモニターから視線を外し、ほんの少しだけ梅田の画面を覗き込んでくる。
そのときの横顔。
目元はまだ冷たい印象だったが、口元がかすかに緩んでいるように見えた。
いや、気のせいかもしれない。
けれど、見えたような気がした。
その「ほんのわずか」な変化を見逃さない自分に、気づいたとき、
梅田は胸の奥がふっと熱を帯びるのを感じた。
視線を送るたびに、彼の静けさのなかに、
小さな熱が灯っているのが分かる。
冷たく見えて、本当は繊細で、傷つきやすくて、
それでも黙って誰かを支えるような人間。
どうして誰も、それに気づかへんのやろ。
そう思うと、少し悔しくなった。
そして、自分だけがそれに気づけたことが、少し誇らしかった。
梅田は自分のデスクに戻りながら、ふと天王寺の方へ視線を投げる。
彼は相変わらず、無表情で画面に向かっていた。
だが、画面に映る光が頬に落ちると、その輪郭はどこか柔らかく見えた。
(……そっか。ああいう優しさは、誰かに見つけられるためにあるんやない。
見つけようとしたやつだけが、見えるもんなんや)
キーボードを打つ音がふたつ、重なる。
目も合わない。
声も交わさない。
それでも今、同じ空間で同じ温度を共有しているような気がした。
梅田はそっと背もたれに体を預け、
画面に映ったスケジュール表をひとつずつ確認しながら、
静かに、小さく、息を吐いた。
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